鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

139 春の名残

2020-04-30 13:51:00 | 日記

足の骨折と外出禁止令で何もせずうとうとする時間が増え、ただ惰眠のうちに憂鬱な春が過ぎて行く。

眠気覚しに珈琲や抹茶をがぶ飲みして、夜眠れなくなる悪循環に陥ってしまった。


どうせ室内に籠るなら、こんな時こそ好みの絵を引っ張り出し夢幻界でお茶でも飲もう。

絵に合う音楽も各種用意し、失われた春の日々を悼むのが隠者の務めであろう。


(四季花鳥図小屏風 土佐派 古織部急須 古志野筒茶碗 桃山〜江戸時代)

これらの作品は今より更に戦乱や疫病が恐怖だった時代に作られたにもかかわらず、健全な力強さと美への祈りがある。

絢爛たる花鳥屏風を前に凍頂茶の新茶とハイドンの室内楽で、例の大正風和洋折衷の美にどっぷり浸かろう。


朝廷御用の土佐派を出したついでに、幕府御用の狩野派の屏風もお見せしよう。


(花鳥屏風残欠 狩野派 江戸時代 染付花鳥図大瓶 清朝後期)

元は中の絵の部分だけで四季十二枚六曲一双あった物の残欠を、明治頃に二曲の大きな屏風に仕立て直している。

若葉で隠した部分は冬景の竹雀が描かれている。

若楓の大枝と大振りの古萩茶碗で、武家好みの豪壮な取り合わせにしてみた。

疫病禍に過ぎ行く春への哀惜と克己の夏へ生命力のこもった若楓で、不要不急の極みである隠者流奥義の婆娑羅茶をご賞味あれ。

婆娑羅や禅哲学の強靭さは難時にこそ役立つ。

BGMは世界に冠たる日本アニソン界からJAM  ProjectGONGだ。

そのパワーヴォーカルで、行手の困難を蹴散らしてもらおう。


窓外では花が葉に変わり新緑が瑞々しく、春の名残を探せば蒲公英の絮が陽に輝いてる。


写真は我が探神院の門前の景。

引篭りと負傷の4月は、自宅の庭と買物時の路傍が我が世界の全てとなった。

しかし牡丹園も薔薇園も閉鎖になっている中で、我が楽園は変わりなく私の負傷が癒えるのを待っていてくれるようだ。


©️甲士三郎


138 楽園の春愁

2020-04-23 13:57:00 | 日記

今年の春は稼業のスケッチの旅にも行けず、常にも増して怠惰な花時を過ごしてしまった。

近所の野で一人聴くBGMはただただ美しいサラ・オレインのタイムトラベラーズだ。

この曲は今は亡き画友とよく行った花巡りの旅を思い起こさせる。


まだ隠者の楽園に現世の災厄は及んでいないが、世人皆この愁いの春は心から笑い合うような事も無く過ぎ去ろうとしている。

詩画人なら春愁の情もより深める事で精神も鍛えられるのだから、むしろ積極的に愁いに浸り切るべきなのだ。

しかし一般の社会人や若い人達の不安や閉塞感は、出来るだけ和らげて欲しい。


国難の中で芸術や娯楽が罪悪のような風潮は、第二次大戦下の非国民扱いに似て来た。

フランス映画の金字塔「禁じられた遊び」では、戦時下の孤児の哀しいほど無垢な十字架の秘儀が描かれている。

モノトーンの美しい農村風景がたまらなく郷愁を誘う。

この草花の咲き乱れる村は、孤児達にとっての仮初めの楽園だった。


自然美に対する観応力は全人類共通の心情だが、残念ながら個人差が大きくて優れた自然観応力を持つ人は全体の12割だろう。

ジャン・コクトーの言った「人は絵に描かれた霧を見て、初めて霧を認識する」とは、物事を視覚では見ていても心で感じていない人が多い事を言っている。

戦時下でも十字架と花のファンタジーを創出した子供達に負けず、今の我々も花咲き鳥が歌う日常世界をこれまで以上に感受し慈しみたい。


情け無くもこんな時期に足を骨折してしまった。


しかしながらこの風姿は紛争地域の負傷兵のようで気に入っている。

どうせ外出自粛中なので、ゆっくり療養させてもらおう。


©️甲士三郎


137 鎮魂の蝶

2020-04-16 13:04:00 | 日記

今年は日本各地で鎮花祭が取りやめになる中、我が花鎮めの儀も世に秘して執り行うべきだろう。

とは言いつつも例年一人寂しくやって来たので、別段いつもと変わりは無い。


---水底の影引き連れて渡り行く 蝶の彼岸は薄紅浄土---


(古伊万里蝶図大鉢 江戸〜明治時代)

禅宗の法要時には蝶の絵に夢の字の軸を掛ける慣いがある。

西洋にも戦死した兵士の魂が蝶になって故郷に帰る伝説がある。

戦後平穏を取り戻した故郷の花野に魂の蝶が乱舞するビジョンは、英雄叙事詩のラストシーンのようで実に隠者好みだ。

そんな蝶こそ花鎮めの儀の正客にふさわしく思う。


---春愁の廃墟の野辺を陽が浄め 鎮魂の蝶舞ふに音無く---


(金銅観音像 隋時代 蝶形ブラストレイ イギリス19世紀)

散り行く花の精達を慰めようと、古代仏を花野に持ち出して蝶に乗せてみた。

千数百歳の古仏が童子のように楽しそうに見える。

いつかドローンに乗せて飛ばすと、もっと喜んでくれるかも知れない。


俗世では所詮詩人画人など不要不急の物と自棄に陥りがちだが、可憐なシジミ蝶がふらふら翔んで来て蝶もまた世には不要なれども美しく生きていると示してくれた。


今日一日誰にも会わず誰とも話さず、花鎮めは図らずも沈黙の儀となった。

訪れてくれたこの小さな客もまた沈黙を守り、正に鎮魂の蝶と言うべきだろう。


観光客も激減して静かな鎌倉の花時は誰も気に留めぬうちにひっそりと終り、一面に散り敷いた花屑もすでに跡形も無い。

世捨人にもこうして憂愁の春は過ぎ行き、先に待つ憂国の夏の覚悟も出来ている。

---街中にあれほど散りし花屑の 誰知らぬ間に消ゆる理(ことわり)---


©️甲士三郎


136 上級引篭り術

2020-04-09 14:33:00 | 日記

上級隠者の隠棲は、どんな世界に引篭るかが重要な選択になる。

己が内面に楽園を持つ者は、例えどんなに現実世界が過酷であろうと安息できる。

芭蕉の言う「虚に居て実を行え」の「虚」は内面世界の事だ。

我が夢幻界の楽園は清澄で荘厳な所にしたいものだ。


己れの楽園を建立するのに最初に為すべきは、精神の拠所として自室の一角に小さな聖域を築く事だ。

宗教を捨ててしまった現代人は、昔の神仏聖像の替わりになるようなアーティファクトを探して安置しよう。

そこが自分だけの楽園への入口だと思えば、折々の花などを飾るにも気持が籠る。


(歌仙図 待賢門院堀川 狩野派 江戸時代)

詩人歌人なら歌仙の画像が聖域守護にうってつけだ。

西洋ならミューズ(ムーセ)の楽園を思い浮かべると良い。

花の楽園でミューズ達と茶会を開き、詩を語りあうのは古の知識人達の夢だった。


御本尊には最近のフィギュアの女神像も良いが、我家の古仏を忘れると怒りそうなので一応お出まし願おう。


(金銅観音像 元〜明時代)

昔ながらの観音像だが、脇侍をMHのリオレウスとリオレイアにしてみた。

これなら若いゲーム世代にも親しみ易いと思う。

ハンター諸君の武運長久を祈る。


古経にある「楽土建立」とは、精神世界での理想のライフスタイルの確立とも言える。

皆嫌でも引篭り生活を強いられる今、自室での理想の楽園ライフを考える良い機会だろう。


©️甲士三郎


135 引篭りの指南

2020-04-02 13:10:00 | 日記

ほぼ世界中で不要不急の外出禁止となってしまった。

そこで今回は引篭りの達人であるこの隠者が、快適な引篭り生活の要諦を指南伝授しよう。


引篭りと言っても萎縮して何もせずにいるのでは、ストレスが溜まる一方で免疫力も低下する。

そこで先ずは非常時であろうとも食事はしなくてはならないので、食卓くらいは楽しく華やかにしたい。

ありきたりの食材と手軽な調理でも、音楽をかけ花を飾り器を選ぶだけで結構豪華な気分になれる。


料理の腕は並なので、レシピなどは御勘弁いただく。

器は先日も紹介した大正昭和の九谷と、同じ頃のイギリスのピューターの和洋折衷で揃えてみた。

BGMは都会人向けにクリストファークロスのニューヨークシティー セレナーデで、苦難を共にする遠国の人々に想いを馳せよう。

平常の祝宴ほどには凝らなくとも、隠者はこの程度で十分満足できる。


外出禁止と言っても人混みの少ない近所の散歩程度は、健康のために続けた方が良いそうだ。


今週あたりは近所の山の芽吹きの色が最も多彩になる時期で、春らしい花曇りの朝陽に映えている。

鎌倉の山は植林の少ない自然の雑木山が多く、大和絵に見るような日本古来の春色が味わえる。


下の写真は先日の雪の日の踊子草。

次の日に見たところ季節外れの氷雪にも耐えて、可憐な蕾も生き延びていた。


元々隠者はその存在自体が不要不急の最たる物なので、指南などと張り切った割にいつものブログと大差なくなってしまった。

よく言う「常住戦場」は我が重代の家訓でもあるが、補足すると「戦場においても普段の訓練通りにしろ」と言う事であって、日常生活を戦場並にしろと解釈するのは俗信である。

そもそも平常の生活を守る為に戦うのであって、そこを本末転倒してはいけない。

我々もこの災厄の中でも可能な限り平常通り美しく生きて行ければと思う。


©️甲士三郎