鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

346 有情の若葉青葉

2024-04-25 13:07:00 | 日記

花の名残に浸る間も無く今週の鎌倉は若葉青葉の時となってしまった。

この矢の如く過ぎ行く春の日々は、しばらく仕上げは後回しにしてでも句歌量産に勤しむべきだろう。


我家からは何処へ出るにも、この鎌倉宮の楓の前を通る。

ーーー翔ぶ鳥のひとつ鳴き捨て若葉雨ーーー



楓の若葉は葉先の赤みが残るうちが最も美しい。

2〜3日で色が変わって行くのでうかうか出来ないのだ。

目立たないがごく小さな赤い花が咲き、雨の後は樹下に沢山散っている。

そしてひと雨降る毎に急速に緑が濃くなって行く。


野辺では踊子草が終わり紫豆の花が絡み合いながら群れ咲いている。

ーーー小さくば世に満ち易く豆の花ーーー



木像は明時代の小さな神仙像。

古の仙人達ならきっとこんな春野で、花と同じ背丈になって遊んでいたに違いない。

日本の仙人は年寄りばかりの印象が強いが中国では若い仙人もいるし、天女の事を仙娘とも言っていた。

また日本でも平安時代では歌仙の業平や小町は美男美女の代表格だ。


次の日は曇り気味で所々にまだ残花も見えるものの、青葉隠れにひっそりと咲いている。

ーーー学舎(まなびや)は青葉の冷えに静まれりーーー



青葉冷えといえば入学時やクラス変えがある度に、級友達となかなか馴染めなかった我が学生時代を思い出す。

若かりし頃にまだ話相手も出来ない教室の窓から見た、世界の色が中春の暖かな若葉色から青味を帯びた寒色に変わり行くのが、私の青葉の最初の印象だった。

ーーー余花なれば春の名残の雨の中 蘂を濡らさず俯くばかりーーー


その春の名残にと我が古机に飾った短冊。



(和歌短冊 三島由紀夫)

「散るをいとふ世にも人にもさきがけて 散るこそ花と吹く小夜嵐」

三島由紀夫の辞世の歌で「益荒男の〜」の秋の歌と2首ひと組で近親者に配られた物だ。

己れ亡き後の春にはこの短冊を飾って欲しいと書き遺された物だろう。

辞世の歌は有情有心体こそふさわしい。

先週触れた日本浪漫派以降の戦後の俳句短歌は浪漫や抒情を否定し無心体へと進んだ。

しかし例えば「惜春」や「春愁」と言う季題で無心の句歌を作るのは馬鹿げている。

西行も芭蕉も虚子も結局は有心体だった事を考えれば、そろそろ世間も20世紀の流行だった物質主義にも飽きて普通の句歌に戻る気がする。。


ーーー春惜しむ花と光の溶け合ひて 水鏡して流れてをりぬーーー


©️甲士三郎


345 鎮魂の日本浪漫派

2024-04-18 12:41:00 | 日記

ーーー花屑に座りし猫の冷えてをりーーー

今年の桜は遅かったので隠者流花鎮めの時期を逸してしまった。

その代わりに以前から思っていた日本浪漫派の作家達の鎮魂祭をやろうと思う。


保田與重郎らの主導した戦前の雑誌「日本浪漫派」は結局短命に終わった。



(直筆色紙 保田與重郎)

「日本浪漫派」は世間では漠然とした右傾思想の雑誌と取られているが、その成果として体系的な思想を打ち出したとは言い難い。

保田自身はどちらかと言えば思想より和歌が好きだったらしく、彼の復古調の歌を初めて読んだ時には驚いた。

「けふもまたかくて昔となりならむ わか山河よしつみけるかも」

大和の月日と山河に対する痛切な鎮魂歌で、濁点を付けないのも古風な書き方だ。

彼が生まれ育った奈良桜井の風土と古典文芸の素養がうまく溶け合い、深い想いの込もった名歌だと思う。


古歌の研究面では力を入れていた万葉集より、むしろ気軽に書いた中世和歌の評論の方が良い。



(後鳥羽院 初版 保田與重郎)

彼の文章はどうしても史実に囚われて学術論文ぽくなるが、和歌の選のセンスは学者達には無い直感力がある。

難解な中世幽玄体も良く理解しており己れの歌にも良く生かされている。

色々と政治歴史思想などを書きまくり俗世を賑わせていたが、自作の和歌と共にもう少し歌学方面に集中していれば、一流の歌人として後世にまで残る才があった。

戦後に公職追放を受けてからは結構暇もあっただろうから、せめて隠遁後だけでも歌に専心していればと惜しまれる。


もう1人日本浪漫派の作家を挙げるなら林房雄だろう。



(浪漫主義者の手帳 初版 林房雄)

彼は初期のプロレタリア文学から早々と転向し日本浪漫派に加わり、長く鎌倉に暮して川端康成や三島由紀夫とも親しくしていた。

彼の戦後の「大東亜戦争肯定論」は衆目を集めたが、それ以外では浪漫主義に憧れる至って純真な作家だったようだ。

この本は獄中で日本浪漫派に対する期待を毎日のように綴った随筆だ。


行き過ぎた国粋主義の反動で戦後の日本は自ら伝統宗教や哲学を否定し、極端な欧米化の挙句に拝金主義の主導する国になって行く。

保田達の古き良き浪漫主義は、せめて詩歌芸術の中だけにでも生き延びて欲しい。

ーーー朧夜の花屑白く散る路の 昔の闇の寧(やさ)しかりけりーーー


©️甲士三郎


344 桜の名歌

2024-04-11 13:17:00 | 日記

昔の桜は小学校の入学式の花だったのが、温暖化で近年はすっかり卒業式の花のイメージが定着した。

今年は天候不順のお陰で一昔前に戻ったような4月の桜が見ることが出来た。


我が荒庭の小さな枝垂桜も今週が盛りだ。



蛾眉鳥や鶯もようやく元気になり、毎朝この桜に来て鳴いている。

この木は父が在命中に孫の誕生を祝って植えた物でもう20年以上経つが、枝垂桜の成長は遅いのでまだ若木の風情だ。

毎朝いつ咲くかいつ咲くかと眺め暮し、2週間以上過ぎてやっと咲いた。

実は歌学研修の成果を確かめたくて3月のまだ花が咲かない時から桜の歌を作っていたのだ。

古来桜の名歌は沢山あるので難しいが、まあ自分で歌を詠む事自体を楽しめれば良い。

ーーー古歌に知る花はまぼろし幾年を 霞の谷戸の花と暮せどーーー


近くの永福寺には宗尊親王が曲水の宴をやっていた跡が残っている。



(類題和歌集 後水尾院 江戸時代)

当時は東国武士達の京の文化への憧れも強く、幽玄歌の名手だった皇子将軍の歌会は大変人気があったそうだ。

将軍職を辞めさせられた時にも京には帰りたく無いと言い、また彼を慕う武士達も大勢が彼との別れを惜しんだ。

鎌倉の歌人では何と言っても実朝が有名だが、私はこの宗尊親王の歌の方が好みだ。

ーーー囀も花散る谷戸の水音も 春詠み暮す皇子の歌苑ーーー


そして歌学や和歌の古書を集めている最中に、運良く見つけられたのがこの短冊だ。



(直筆短冊 本居宣長 江戸時代)

「敷島のやまと心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」 本居宣長

万葉仮名の草書で書かれていて誰も読めなかったのか、隠者風情の手持金でも何とか落札出来た。

この有名な歌は「武士(もののふ)のやまと心を〜〜〜」と変えられ軍国主義の宣伝にも使われたので、そちらで覚えている人も多いだろう。

元歌の「敷島の心」は歌心の事だ。

軍国色を取り除けば、和歌史上屈指の名歌だと思う。

隠者もこのくらいの歌が詠みたくて、日々本居宣長の歌書に学んでいる。

彼はまた神学や言霊研究でも第一人者だから、集めるべき本はまだまだ多い。


桜が遅かった分、牡丹やあやめは早い気がする。

春はあっという間に過ぎてしまうから、精々早起きして朝から晩まで行く春を追いかけようと思う。


©️甲士三郎


343 歌苑闌春

2024-04-04 12:12:00 | 日記

雨後の花曇りの柔らかな光は花の写真には好適で、種々の小花も咲き揃った野辺の散歩にもお供の小型カメラが大活躍だ。

ーーー夜雨明けて微塵に光る玉雫 花野の春は乱れしままにーーー


咲花哥鳥、妙音秀詩、春の野はあらゆる物が燦めいている。

我が谷戸の楽園をぶらつきながら、この春に習得した歌学の成果も試したい。



(古九谷徳利盃 江戸時代)

私も糖質ゼロの酒なら少し飲めるので、徳利盃を持ち出して野の花精達と小さな宴を開こう。

踊子草や紫豆花が咲き乱れる野辺で、隠者も地に座し小さな花々と風光にしばし戯れたい。

BGMはファンタジックなエンニオモリコーネとヨーヨーマの共演アルバムが闌春の夢に誘ってくれる。

ーーーうつつ無き夢の中にも風吹きて 花のこころを揺すりてやまずーーー


昔から隠遁歌人の常として色々な歌学を知るほどに、みな俊成や定家の語る和歌の奥義であろう幽玄体や麗様に耽溺する。



私も今日の大きなバッグの中に幽玄なる中世の新続古今集も入れて来た。

「春の夜の有明の月に棹さして 川よりをちの宿やからまし」宗尊親王

をち()の宿は別天地を意味する。

宗尊親王は幕府の6代将軍で長年に渡り鎌倉に下向しており、続古今集の中では式子内親王と共に幽玄体の名手だった。

私もこの鎌倉ゆかりの幽玄の皇子に習い、別世界の夢幻の春野を詠んでみよう。

ぽちぽち春雨が降って来たので、家へ帰ってからじっくり仕上げた。

ーーー雨烟る荒れ野に仄と花の丘 我が魂極(たまきわ)る遠の奥津城ーーー


家に帰り着くと、迂闊にも我家の玄関に掛かっていたのは和歌ではなく原石鼎の俳句だった。



(直筆短冊 原石鼎 古萩茶碗 江戸時代 鎌倉彫小皿 明治時代)

「うれしさの狐手を出せ曇り花」 石鼎

曇り花は花曇りの間違いではないかと確かめたが、句集でも曇り花だった。

如何にも楽しげに春に浮かれる狐の姿だ。

ここで私も微笑ましい春の一句でもと思ったのだが、この春狐の名作にはとても敵わない。

すっかり歌学に浸っていた事もあり、句の不出来さは御容赦願おう。

ーーー晩学の口に鶯餅の粉ーーー


冬場は漢詩を春は和歌をかなり集中して勉強し直せたので、この夏には古俳諧をと思うものの俳句は俳文学者だった亡父の影響で最も若い頃からやっていて、また古書も沢山読んで来たので今更進歩の余地があるかどうかは疑わしい。


©️甲士三郎