鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

246 古句歌と茶菓

2022-05-26 13:03:00 | 日記

我が幽居の床飾りで一番多いのは本業の日本画の研究のために集めた古画の軸だが、ちょっとしたお茶時の気分で掛け替えるのに手軽で良いのは句歌の短冊だ。

古句歌の軸も短冊も今では読める人が激減したためか、信じられらいほど安く売られている事も多い。


文机兼茶卓の置き床に短冊掛けを吊るして置けば、いつでも気軽に好きな短冊を入れ替えられる。



(鼠志野茶碗 絵唐津皿 桃山〜江戸初期 天青釉花入 清朝時代)

「花ひとつ胸にひらきて自らを ほろぼすばかりたかき香をはく」与謝野晶子

この歌が収録されている「火の鳥」初版と並べて楽しもう。

天金に木版刷りの表紙絵や口絵が豪華な本だ。

茶菓は100年前にもあったような昔ながらの草団子を買って来た(コンビニで)

今まさに開かんとする大輪の芍薬と歌の内容が重なり、大正浪漫の時代に移転したような喫茶のひと時だ。


地元鎌倉文士の短冊も出そう。



「掬水月在手」川端康成

「猿公捕月」と言う手長猿が木の枝にぶら下がって水面に映る月を掬おうとしている禅の画題があり、確かこの句も禅の詩句だったと思う。

筆を持つ手を細かく震わせる康成独特の書体が句の内容と相まって幽玄な雰囲気が出ている。

甘党だった川端康成には水羊羹を戦前頃の織部葉皿に乗せ、昭和初期の益子の湯呑で彼の時代を偲ぼう。

卓上は詩句の水と水羊羹と我が荒庭のすいかずら(水鬘)を角樽に活けて水つながりで取り合わせた。


気分を変えて若山牧水の短冊を屋外に持ち出してみよう。



「うばたまの夜の川瀬のかち渡り 足に觸りしはなにの魚ぞも」若山牧水

旅と酒の歌人牧水の短冊は山河を吹き渡る風の中が良く似合う。

私も旅に出たいのは勿論だが、老母の介護に近年の疫病禍でもう長い間取材旅行もままならない。

仕方ないので牧水の歌や紀行文でも読みながら、夢幻界の旅を楽しむとしよう。


古句歌の直筆短冊は手軽に高雅な世界に入れるアーティファクト(聖遺物)で、しかも現代ではネットで簡便安価に入手出来るにも関わらず、世間では歌人俳人達でさえ興味を持つ者が少ないのが残念だ。


©️甲士三郎


245 緑雨の白花

2022-05-19 13:15:00 | 日記

案の定連休が明けてすぐ走り梅雨となった。

昔ながらの爽やかな5月は何処へ行ってしまったのか。

この調子では牡丹園に続き薔薇園のスケッチも駄目そうなので、せめて今日は散歩道での句歌吟行でもしよう。


「緑雨」とか「青葉冷え」などの詩語季語を知っていれば、それを味わいに雨中の散歩に出ようと言う気にもなれる。



ーーー白花の従容と散る緑雨かなーーー

鎌倉宮脇の路地に卯の花の小花が群れ咲いていて、他の色の花が無い今はシンプルな色彩の統一感がある。

緑一色に潤う山野に咲く細やかな白花には、まさに玲瓏たる気品と鮮烈な生命感が感じられよう。


鎌倉宮で来週は卯の花祭りがあり、卯木を手に持った巫女舞が見られる(多分)



ーーー仄暗く曇る日多き路地抜けて 鎌倉宮は卯の花祭りーーー

ここの鳥居は珍しい白鳥居で、卯の花と同じく緑の中にこそ瑞々しく映える。

これが普通の朱色だと初夏の緑の中ではややどぎつくなる。

小雨に濡れて緑の彩度もあがり、曇の拡散光で陰影も柔らかい。

諸賢も奈良京都の古寺社にでも行って写真を撮るなら、曇りか小雨の日の方が重厚で落ち着いた感じが出せる。

かえって晴れた真昼の全光では、どんな写真家でも見るに耐えない物しか撮れないだろう。


永福寺跡の端には珍しい白あやめが咲く。



ーーーあやめ川物を想えば時移り 水の上にも光流るるーーー

どこかの庭に植えてあった物が繁殖したのだろうか、鎌倉の路傍には結構こういった外来種園芸種の花も多い。


帰り際に我家の裏路地の白花を切って来て活けた。



ーーー風薫り緑の光通ふ窓ーーー

絵は棟方志功の「花深処無行跡」で、志功お得意の木版画ではなく肉筆墨画だ。

壁に映る光も窓外の青葉を反映してやや緑がかっているのが、画題の「花深処」と呼応していて良い感じだ。

好きな絵を好きな時期に好きな光で味わえるのは、コンクリートと人口照明の美術館では出来ない事だ。

特に日本美術の軸装や屏風絵は元々床の間の障子明りか燭明で鑑賞すべく描かれた物だ。


小雨が降ったり止んだりの日も「緑雨」と言う詩語のあるおかげで美しい1日が過ごせた。

古の詩人達の造語感覚に心から感謝する。


©️甲士三郎


244 珈琲の古器

2022-05-12 13:08:00 | 日記

紅茶用の絢爛豪華な色絵磁器が我が珈琲にはとことん合わないのは前にも書いた。

珈琲にはもう少し粗野で武骨な力強さと桃山茶陶にも対抗出来る古格が欲しい。


そんなこんなで長年悩み抹茶碗や現代作家の物でそれに近いカップを使っていたのだが、最近英国の古いストーンウェアを知ってから日本の古民藝の陶器に目をつけた。



(古民藝珈琲碗皿 唐津ポット 大樋花入 木製コーヒーミル 大正〜昭和前期)

主に戦前昭和の欧米向け輸出用に作られた物で、丁度日本でもようやく一般人に珈琲が広まった頃だ。

従って国産の珈琲用陶器では最初期の物と言えよう。

高値で売れる色絵磁器を技術的に作れなかった地方窯が、陶器のコーヒーカップを作っていた。


ヨーロッパの19世紀はカフェオレが主だったようで、珈琲用のマグカップよりもカフェオレボウルが多く残っている。



(耳付カフェオレボウル フランス 19世紀 左イギリス 19世紀)

このカフェオレボウルに固いフランスパンをどっぷり浸して食べていたのだ。

それなら例の隠者流の抹茶碗で珈琲の方が断然良いだろう。

19世紀ヨーロッパでは砂糖をたっぷり入れるのが裕福さの証で、ティーパーティーでも砂糖を取り分けるのがマダム(女主人)の権威だった。

一方労働者階級は眠気覚ましに濃くて甘く無いエスプレッソをデミタスで一杯引っ掛けて出勤していた。

コーヒーをブラックで飲むのは貧困層と言う訳だ。


試行錯誤の末に定まった私のコーヒースタイルのスタンダードが下の写真だ。



(益子珈琲碗 昭和初期 瀬戸ポット 明治〜大正)

珈琲の卓上を明治末から昭和初期の物で揃えて、ようやく我が和洋折衷の暮しに溶け込んでくれた。

珈琲器に古格を求めれば結局この頃の道具に落ち着く。

皿には茶菓子ではなく荒庭に落ちていた小梅。

本は高浜虚子の小説「風流懺法」。

これらはみな日本のちょっと良い家にはまだ文化的芸術的な生活が残っていて、四季の美しき気候風土の中でお茶や珈琲の時間を楽しんでいた時代の遺物だ。


前回の茶菓子の選定と合わせて珈琲器類もだいぶ充実して来た。

道具も色々と吟味しながらそこそこ揃ったので、隠者流珈琲道は季節の折々にでもまた紹介して行こう。


©️甲士三郎


243 病者の茶菓

2022-05-05 13:14:00 | 日記

我が夢幻の茶事には長年の呪病により茶菓子が欠けていた。

ところがこの春に煎餅や酒のおつまみ類なら食べても大丈夫な事に気が付き、茶や珈琲に適した物を色々試したので報告しよう。


まずは鎌倉の老舗の昔ながらの煎餅。



(鎌倉彫合子 江戸時代 益子焼珈琲碗皿 昭和初期)

煎餅には和菓子用の繊細優美な器は似合わず、武骨で雄渾な器を選んでいる。

古器に入れればたかが煎餅でも宝物に思えてくる。

この店は懐かしの味を維持していて良いのだが、どの種類も大きくて高いのが難点だ。

本は薄田泣菫の「後之茶話」初版。

茶話と言うよりちょっと笑える軽妙な小話集だ。

最近珈琲や茶菓子に関する古人の随筆をいろいろ探しているものの、なかなか良い本が無く名手薄田泣菫の各随筆集にも残念ながら食関連の物はほとんどない。


上の大振りの煎餅1枚だと100kカロリーほどあるので、病者にはもう少し小振りの340kカロリーの物が理想なのだ。



(木彫蓋物 江戸時代 古民藝湯呑 明治時代 真鍮急須 清朝時代)

これが今回の試食で見つけた我が究極の煎餅「技のこだ割り 梅だ。

ファミリーマートにあるので興味がある人はお試しあれ(唐辛子味もお薦め)

現代ではスナックや菓子類もコンビニ製品が最も研究が進んでいて、老舗専門店を陵駕する物も多い。

さらに原料や栄養素別カロリー表示があって安心して食せる。

以前そのような表示の無いベーカリーの惣菜パンを食べたところ、味は甘くはないのにふんわりさせるためどっぷりと砂糖が入っていたらしく、血糖値が急激に上がってしまった事がある。


端午の節句なので家人用に柏餅も買って来た。



(古唐津花入 絵唐津茶碗 根来菓子鉢 共に江戸時代)

今ではごくありきたりの柏餅でも古人達の時代より遥かに贅沢な味だろうし、季節の花を飾り好みの茶器を使えば結構上等な茶時となるだろう。

隠者はこの程度でも十分至福の時に至れる。

晩春から初夏へと吹き渡る風を窓から入れながら、呪病の隠者でも食せる茶菓が見つかった事を喜こぼう。


他の茶請け類も各種安全な物を選んだので追々お話しして行きたい。


©️甲士三郎