鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

195 薔薇の園

2021-05-27 14:07:00 | 日記

ーーー薔薇垣を高く巡らせ家古ぶーーー

鎌倉の我が谷戸には昔から外国人も多く住んでいた影響か、近所のあちこちに薔薇垣の家がある。

今は壊されて少なくなった明治大正頃の洋館の庭は、この時期薔薇の花盛りだったろう。


キリスト教文化圏での薔薇園は神話の失楽園のイメージが重なり、特に英国人のローズガーデンへの憧れは王室から庶民まで強いものがある。


(旧前田侯爵邸の庭園)

鎌倉文学館の薔薇園を鈴木清順調の沈鬱な大正浪漫色に撮ってみた。

100年前はここが文士達のサロンとなっていて、花季の茶会などではさぞ耽美な文芸論が弾んだ事だろう。


子供の頃に読んだ「秘密の花園」は一少女が荒廃した楽園を再建するファンタジーだ。

ミルトンの失楽園と続けて読めば、このファンタジーの価値がわかるだろう。

この初版本を聖遺物として祀るために何とか入手したいのだが、なかなか良いのが見つからない。


(フランシス バーネット 秘密の花園 ターシャ テューダー挿画の英語版と日本語訳本)

人類が楽園追放された後の現代世界でも、美しい花園の夢を見る事が出来るのはこの物語のお陰でもある。

またターシャの作ったガーデンはまさにこの物語を具現した楽園だ。


こちらは現世的で明るい御近所の薔薇垣。


我が谷戸の路地には家屋は立て替えても、蔓薔薇や花木の垣根は昔ながらの物が多く残っている。

薔薇垣の小径を辿って行けば、その奥に失われた洋館が幻視できる気がする。


鎌倉も古く美しい佇まいの家がどんどん壊され、広かった庭も細分化され売られて行く。

我が谷戸の楽園も散歩道もやがて失われ、現代的な普通の住宅地となるのだろうか。


©️甲士三郎


194 雨読の愉悦

2021-05-20 13:51:00 | 日記

近年は5月中旬から7月初旬まで長雨が続き、昔と比べると梅雨が23週間長くなった。

長くなった梅雨や夏場の猛暑を凌ぎ、いかに精神の充足を計るかが今後の日本人の新たな課題だろう。


長雨の時期の楽しみは、月並ながら先ずは読書だ。

古人賢人達も晴耕雨読と言っている。

花を飾り茶を淹れ気に入った音楽を聴きながらの読書は、地味ながらも隠者には無常の愉悦だ。

書中の世界に没入するには、模糊として降る長雨の日々が丁度良い。


(宮沢賢治 風の又三郎 古九谷花入 安南緑釉碗 炉鈞窯ポット 大正時代)

今の本はただ文字情報だけで良いならならネットで簡単に閲覧できるが、その時代精神を体現するような本はアーティファクト(聖遺物)として祀るべく是非初版本を入手しておきたい。

ただし宮沢賢治の場合は存命中に出版された物は少なく、初版本と言えど多くは没後の出版である。


次は雨籠りに読もうと先週由比ヶ浜通りの古書店で見つけて来た歌集。


(木下利玄 一路 オールドノリタケのティーセット 大正時代)

利玄の歌風は穏当素朴、岸田劉生の装丁と絵が実に大正浪漫風だ。

歌集句集は初版でも比較的安価なので、気に入った作家の物は是非手元に置いてティータイムにでも眺めて楽しもう。

一首一句でも誦じてみれば、皆も大正文士の気分になれる。


蕭蕭たる雨の夜には読み応えのある古典文学がお薦めだ。

こんな隠者でも本朝文芸の美文中の美文、雨月物語の一節でも音読すれば自ずと品格が身につく。


(雨月物語評釈と秋成研究書 重友毅著 青九谷徳利杯 幕末頃)

重友先生は国文学者だった我が亡父の師で、私も幼少の頃何度かお目に掛かっている。

短夜は父祖の時代を想いながら、江戸末の古九谷で糖類ゼロの酒精をちびちびやろう。


我々の世代は日本史上これまで無かった、長引けば2ヶ月に及ぶ雨季の新たな楽しみ方を工夫し、子孫に伝えられる美しい生活様式を確立する務めがあろう。


©️甲士三郎


193 詩人の庵

2021-05-13 13:18:00 | 日記

前回の理想郷に続いて詩人の住むべき家、我が夢幻界の庵を語りたい。

決して前回使い残した写真で横着しようと言う意図では無い。


結論から先に言うと、詩人文人の理想の家は深山幽谷の中の茶室風の草庵だろう。

天霊地気の満ちる山河に暮らし、日々詩魂を鍛えるイメージだ。


(九谷色絵皿 大正時代)

「詩魂を鍛える」とは卑小な自我を滅却して自然と同化し、大自然に匹敵する雄渾な精神や強靭な生命力を鍛える事だ。

詩人も若い頃は苦悩する都会人で格好は付くが、そのまま歳を取ると多くの鎌倉文士のように行き詰まり自決の道に踏み込んでしまう。


古陶磁の山水画では水墨画の影響で染付の青一色の物に良い絵が多く、画軸の水墨画よりも適度に簡略化されていて身近に感じられる。


(古伊万里染付皿 大正時代)

長年少しずつ買い足して増殖してしまった染付山水の絵皿の中で、どの景色が一番良いか選ぶのも楽しい。

この小皿は時代は古くないが、絵の構図が整っていて落ち着いて見られる。


2枚目は異世界風の絵皿。


(古伊万里染付皿 江戸時代)

湖上の小島に立つ不思議な形の果樹は桃だと思う。

上部左に太白と雲、右に群鳥、少し下に天地逆さまに見える山並み。

ここは我が夢幻界の別荘にしたい。


隠者が最も気に入っているのは、下の古伊万里に描かれた風景だ。

このような草庵に住んだなら、ここで子供達のためのファンタジー小説を書いて暮したい。


(古伊万里色絵皿 明治〜大正時代)

この2枚の皿は同じ画工の筆で、作者本人がこんな水辺のイメージを大事に育てているのがわかる。

作者にとっての理想を描いているから完成度の高い楽園になっている。

これは現代日本人が失なった楽園に向けて開く夢の扉のような絵だ。


©️甲士三郎


192 理想郷の断片

2021-05-06 13:01:00 | 日記

ーーー古絵皿のあちこち釉の剥げ落ちて 花鳥浄土の通ひ路途切れーーー

これまで何度か述べて来た古人達の理想郷のイメージを探すために、古い陶磁器に描かれた楽園の断片を集めてみた。

時代の趣好がより理解し易いのは、希少な書物よりも量産品の日常雑器に描かれた絵柄の方だ。

絵は文字の読めない層でも理解できるので、当時の多くの人々が同じイメージを共有していたと推察できる。


俗世を離れた清澄な深山幽谷や景勝地の草庵に隠棲し、詩書画などに興ずるのが古の教養人達の理想だった。


(古伊万里染錦皿 江戸時代)

この絵柄の元は中国洞庭湖の神仙境を描いた明時代の文物だ。

右下に見える小舟がこの聖域と俗世間との僅かな繋がりを象徴している。

日本でも明治大正頃まではこの楽園のイメージは継承されていたが、第二次世界大戦後それを捨て去り鉄筋コンクリートに夢を託した訳だ。


また古人達の楽園は花咲き乱れ、瑞鳥達が遊ぶ浄土でもある。

この類いの花鳥浄土図はただの観賞用ではなく、自分も画中に入り込んでそこで暮すための小世界である。


(古伊万里色絵壺 幕末〜明治時代)

天霊地気を表す瑞雲と太湖石の回りには四季の花々が絶えず咲き乱れ、鳥達の歌は生命感に溢れている。

一枚目の写真の草庵の庭も、このような花鳥の楽園となっているはずだ。

我が荒庭にもこれと同じ様式で岩と花木の築山を造って楽しんでいる。


また時折りは遠来の友と芸術論を交わし、あるいは諸賢集いて風雅の宴を催す図なども多くある。


(九谷色絵大皿 大正〜昭和初期)

いずれの絵にも共通するのは脱俗、自然、簡素、と言った暮しの中での精神美だ。

このような精神性の高い生活の理想形を喪失してしまった事が、現代日本人がいかに物質的に繁栄しても満たされない原因だろう。


旧世界の夢の断片を集めて、我が身辺に古の楽園を再現するのは楽しい。

古人達の想い描いた理想郷の暮しの高い精神性と美意識に想いを馳せれば、現代人が失ってしまった日本の気候風土に適した楽園のビジョンを取り戻せるだろう。


©️甲士三郎