鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

251 隠者の食籠(じきろう)

2022-06-30 13:13:00 | 日記

以前に糖質制限の隠者でも食べられる茶菓子の話をしたが、その保存用に丁度良い食籠が見つかった。

最近のコンビニやスーパーの商品は入れ替えが激しいので、気に入った物は買い溜めておかないと安心出来ない。


これこそ隠者が秘匿の物資を人目を偲んで摘み食いするのにふさわしい食籠だと思える。



向かって右が江戸時代の木製漆塗食籠で、寺院あたりで使うような直径40cm近い大きな物だ。

これなら梅風味煎餅の大袋が34個入り、少しずつしか食べられない私にとっては1年分ほど貯蔵できる。

左は中国清朝時代の桶で、こちらには山椒味のあられを溜め込もう。

密閉梱包された煎餅類なら賞味期限などあまり気にしなくて良いので、万が一製造中止になってもしばらくは気に入りの味を楽しめる。


こちらはもう少し小型の短期貯蔵用だ。



明時代の個人用の食籠で直径30cm弱の物。

取り敢えず唐辛子味の煎餅を入れてあるが、辛味ならもっと良い品がありそうで探し続けている。

さらに長期保存可能な食物なら古信楽の大壺が2つあるので、一生分でも買い溜めしたい。

思えば古の隠遁者達が備蓄食糧を切らした時の心細さは如何様だった事か、売茶翁や良寛の貧窮の詩を読むと身に染みる。


窓外を見れば呆気なく梅雨が明け、驚くべき早さで長い酷暑がやって来てしまった。



合歓の木に凌霄花が絡んで共に咲き乱れる、我が荒庭恒例の夏模様だ。

鎌倉は昔から避暑避寒の地なので真夏の東京よりは45度ほど低く、我が谷戸の路地の緑陰を瀟洒な日傘をさして歩く御婦人の姿は涼風を誘う。

それでも白昼はコンクリート尽くめの街中に出るのは年配者には憚られる。


地元鎌倉人の鏑木清方の随筆や太田水穂の歌集などを読むと、夏の美しく涼しげな光景は沢山見出される。

だが温暖化とコンクリートに埋まる現代では、そんな夏の情緒は失われてしまいただ暑苦しいだけの町となっている。

せめて自分の部屋と文机辺りは花や古書画や詩歌集など飾り、清浄な気持ちで酷暑をやり過ごしたいものだ。


©️甲士三郎


250 花深き谷戸

2022-06-23 13:05:00 | 日記

ーーー幽陰雨塞花深道ーーー

梅雨時の我が荒庭は最低限の掃除もままならず惨憺たる有様だ。

それを忘れるためにも、雨が小止みの日には少しでも近所の散歩に出よう。


鎌倉名物の紫陽花は我が谷戸にも沢山咲いていて、今週あたりは瑞泉寺下までの路地が美しい。



我家の周囲100メートル程の地域でも色々な種類の色違いの紫陽花が楽しめる。

瑞泉寺の山から流れて来る小川沿いの道は、風雅な住人も多く季節季節の花が豊富に見られる。

早朝の散歩に小流れの水音と紫紺の紫陽花が相まって、道行く人を清浄で爽やかな気分にしてくれるのだ。


谷戸の古くからある路地には幽陰の風情がある。



この地域も駅や大通りに近い方は新築の住宅が増えて鎌倉らしい風情は失ってしまったが、谷戸の奥まったあたりにはまだ昔ながらの路地が僅かに残っている。

門柱の掛花入や鉢植の花で通行人を楽しませてくれる家もある。

瑞泉寺境内は拝観料がかかるので(昔は無料だった)、よほど良い花が期待出来る時以外は入らずに引き返す。


荒れ放題の我が草庵に戻り、お茶にしよう。



(青海波 初版 与謝野晶子 天青釉花入 清朝時代 フラワーリムカップ フランス アールヌーボー期)

いつものようにお茶時には詩歌の古書と音楽が欠かせない。

与謝野晶子の「青海波」は初期の情熱的な歌風とは少し変わり、静かな歌が増えて来て涼しげな歌集だ。

梅雨の間はまだアイスティーではなく、昔風にただ冷めただけのぬるいミルクティーが意外と滋味があって隠者好みだ。


こんな朝の散歩時茶時に拙いなりにも詩句の一片でも浮かべば、隠者にとって十分満足出来る暮しだ。

ーーー喫茶涼卓集淡色ーーー

中国語の韻は私には無理なので、漢詩の断片程度で止まっているのは御勘弁。


©️甲士三郎


249 雨籠りの訳詩集

2022-06-16 13:19:00 | 日記

ーーー薔薇真紅雨に四方が消える中ーーー(旧作改題)

気候変動で近年は長い梅雨と長い残暑が当たり前となったようだ。

この時期の心地良い過ごし方を工夫しないと、古人旧来の処暑のやり方では精神の安寧は保てそうもない。


まだ暑くはならない梅雨の間なら文人幽居の基本、買い漁った古書で晴耕雨読だ。

そして引き篭りがちな者こそ広い世界へ目を向けるべきと、今回は西洋詩の翻訳本を読みたいと思う。



(海潮音 初版 上田敏訳 青南京双耳瓶 清時代)

訳詩なら先ずは上田敏の「海潮音」を知らねばなるまい。

この本ほど当時の若き詩人文人達に強い影響を及ぼした訳詩集は無いだろう。

翻訳と言うより創造と言って良いくらいに品位ある日本語の詩になっている。

この詩集によって後続の詩の様式が決まったような気にさせられるほど完成度が高い。


次は日本の詩にはあまり無い英雄叙事詩を見てみよう。



(オデュッセーア 初版 土井晩翠訳 ピューターマグ 19世紀イギリス)

窓外の雨音を聴きながら読むべき本は土井晩翠訳の「オディッセア」だ。

晩翠の格調高い文語韻律なら、荘重たるギリシャの英雄叙事詩に浸りきれる。

草庵に雨籠りの陰鬱な日々も、時空を超えて古代エーゲ海のリゾートライフの気分だ。

あの「荒城の月」の大詩人が後半生をかけて直接ギリシャ語の原典から訳した労作で、これを凌ぐ物はもう到底出て来ないだろう。


夜は永井荷風訳の訳詩集「珊瑚集」を読もう。



(珊瑚集 永井荷風訳 呉須赤絵壺 明時代 織部小服茶碗 幕末〜明治時代)

永井荷風自身が気に入った詩だけを訳しているので粒揃いだ。

荷風は小説家としての名が高いが実は詩や俳句の方が好きだった様子で、米仏に留学していた事もあり語学にも堪能だったから西洋詩の翻訳は適任だった。

この「珊瑚集」は韻律、格調、情感全てに気配りの効いた名訳だ。


戦後の翻訳詩は口語散文ばかりになってしまい、韻律無くしてもはや詩とは言えないだろう。

今やゲームやライトノベルでさえ魔法の詠唱は神聖古代語で行う。

日本語の韻文詩が書けない人に外語韻文の翻訳をさせる方が間違っているし、古語韻文を口語散文に変えて意味だけを読んでも仕方ないと思うのだが…………


©️甲士三郎


248 鏑木清方の紫陽花舎

2022-06-09 13:01:00 | 日記

鏑木清方は鎌倉の自分の画屋を紫陽花舎と呼んでいて、その跡が今の鏑木清方記念美術館になっている。

今年から鎌倉市民は常時無料になった事もあり、この隠者も買い物がてらに寄る機会が増えた。


古風な門を潜れば庵名の通り紫陽花の露地となっている。



(紫陽花舎 鏑木清方旧居 鎌倉市)

小町通りをちょっと脇に入った場所にあり、親しかった大佛次郎の旧居とは若宮大路を挟んですぐ近くだ。

鎌倉は車の入れないような狭い路地に良景が多く、私の買い物の順路もそんな小道ばかりを辿るルートになっている。

清方は戦後の情緒を失い様変わりして行く東京に愛想を尽かし、明治大正の風情が残るこの鎌倉の路地裏に越してきた。


また清方は随筆の名手で、古き良き時代の美しい暮しを絵同様の情緒溢れる筆致で書いている。



(紫陽花舎随筆 初版 鏑木清方 古瀬戸仏花器残欠 鎌倉時代)

市井の風俗や季節の行事なども美人画家らしい細やかな観察眼で描写していて、当時の良家の美的精神生活を知る参考になる。

現代都会人の四季も花鳥風月も哲学宗教も失なった暮しと比べてみると、質素ながらもよほど品位と情感に満ちた暮しだ。


最近の古書の高騰を先導したのは先ず装丁や挿絵の美しい本で、その筆頭が鏑木清方や鰭崎英朋らの木版の表紙絵や綴込み口絵だった。



(夏雲 木版 鏑木清方 緑釉小壺 漢時代 古萩茶碗 江戸時代)

明治末〜大正頃の雑誌綴込みの木版画は、以前は数千円で買えた物が今ではその10倍以上の入札で奪い合いになっている。

隠者は幸運にもまだ安いうちに12ヶ月分揃えたので毎月掛け替えて楽しんでいる。

1つの額縁で中だけ入れ替えれば良いので収蔵場所にも困らない。

12ヶ月分の絵が揃った嬉しさに詠んだ一首(前出)を御笑覧。

ーーー絵に残る大正はみな美男美女 子等は純情天地は有情ーーー


清方の絵は何と言っても気品があるので、これを飾れば自室の品も上がった気になる。

丁度今年の春から近代美術館で大規模な鏑木清方展が開催されてまた更に口絵版画の人気が上がってしまい、もうこの隠者ごときが入手出来る物では無くなってしまったのが残念だ。


©️甲士三郎


247 詩人の幻庭

2022-06-02 13:10:00 | 日記

私はずっと室生犀星は詩人だと思っていたが、今では小説家としての名の方が知られているようだ。

詩は結局初期に出た「ふるさとは遠きにありて思ふもの〜」が今生の最高傑作となってしまった。

世俗的には大成功した「愛の詩集」「第二愛の詩集」も、盟友の萩原朔太郎選による「室生犀星詩集」では無残に切って捨てられている。


私が最近集めている随筆の方では戦前の名随筆と言われた「庭を造る人」がある。

岸田劉生の装丁によって猟書家達の評価も高い。



(庭を造る人 初版 室生犀星 織部湯呑 讃岐彫合子 明治〜大正時代)

茶庭や文人趣味の庭は古人達歴代の情熱により日本美の象徴にまで高められた物で、犀星もそれを良く理解し深い美への憧憬心溢れる名著だろう。

彼の理想の庭を造るための試算まで載っていて、竹500本石300個など今に換算すると数千万円にのぼり諦めたようだ。

中でも蹲には相当なこだわりを持って書いているが、満足いく物が手に入ったかどうかは不明だ。

信州に犀星の旧居が移築されて残っていて、その庭は狭く簡素ながら趣味は良い。

そこに暮しつつ更に彼が夢見ていた庭は、心底美しい浄界だったろう。

残念ながら彼の本書以外の随筆集は各種雑誌に書き散らしたいかにも埋草の寄せ集めで頂けない。


室生犀星自身が詩より真剣に取り組んだと言っているのが俳句だ。



(遠野集 魚眠洞発句集 共に初版 室生犀星 海鼠釉双耳花入 清朝時代)

最初の句集「魚眠洞発句集」と生涯の自選句を自筆墨書した「遠野集」を読むと、詩より幽遠と語った自負が窺われるクオリティーの高さだ。

写真の開いた頁には当期の青梅の句と、親しい句友だった芥川龍之介への追悼句が見える。


我が荒庭にも谷戸にもすでに鎌倉名物の紫陽花が咲き出している。

梅雨の到来は例年より早いようだ。



ーーー紫陽花の古都の数多(あまた)の水鏡ーーー

魚眠洞(犀星の俳号)の俳句への情熱に敬意を表し、この隠者も句(旧作)を和しておこう。


室生犀星の句集はどれも技術的完成度が高く、ほかの文士達の遊俳とは別の視点で読むべきだろう。

彼の詩に関してはいずれまた別稿で語りたい。


©️甲士三郎