鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

303 木版口絵の十二ヶ月

2023-06-29 13:05:00 | 日記

今週は梅雨の中休みか薄曇りの日が続いて老病の身には過ごし易かった。

虫干しを兼ねて溜まっていた古画資料の整理も少しづつ片付けている。


長年の間に50枚を超えるほど溜まっていたのが、明治大正頃の雑誌から剥がされた木版口絵だ。



(鏑木清方 鰭崎英朋ほか 木版 明治〜大正時代)

雑誌等の折込みだったので当然折り目があるものの、立派な木版画や石版画で戦後のオフセット印刷とは全く別の、美術品としての価値がある物だ。

明治大正の書籍類はこのような雑誌の挿絵口絵でさえ手刷り版画が当たり前で、今から見れば考えられない豪華で貴重な物だった。

これらの絵の大半は月刊誌の付録だったので、十二ヶ月四季折々の絵を集めて楽しめる。

また清方だ英朋だ桂舟だと好きな作家の物だけを各種雑誌から集める人もいる。


近年で最も人気の急騰した作家は鰭崎英朋だろう。



(水やり 木版画 鰭崎英朋)

当時は鏑木清方も含めて挿絵画家の評価は低く、さらに戦後昭和には純粋絵画を唱える一派により不当に貶められて来た。

それが今世紀になりネットなどの紹介で彼の挿絵本が知られるようになると、その評価が昭和とは完全に逆転したのだから面白い。

これらの口絵も例によってひと昔は安価で入手出来たのが、最近の人気急上昇でもう隠者には高嶺の花となってしまった。

英朋の挿絵が入った柳川春葉や泉鏡花の初版美麗本など、もはや数十万円の狂乱価格だ。

その代わり昔の古書店を一軒一軒足を棒にして探した頃に比べれば、ネットで簡単に探せ購入できるようになった事は僥倖だと思う。

ーーー絵の中の昔の暮し美しく 永遠に涼風吹き抜けてをりーーー


当時これらの豪華な口絵を入れて部数を競っていたのが文藝倶楽部や新小説などの文芸誌だ。



(文藝倶楽部 大正51月号)

小説や随筆の執筆陣も錚々たる物で、幸田露伴や泉鏡花らの作品も多くはこれらの雑誌に発表されていた。

古い雑誌の面白さは小説などは現代の文庫本でも読めるが、時事評や文芸批評などはここでしか味わえないし、ちょとした写真や広告からは当時の世相も見えて来るのが楽しい。

この号は正月の特別増刊号なので、口絵の鏑木清方の良作が勿体無くてまだ剥がせないでいる。


これらの口絵木版画(石版画)は婦人雑誌も含めていわゆる美人画がほとんどだが、美人画というより四季の生活の美しさを描いているので、これを飾っていると自分も昔の良家に暮している気になれる。

現代都会人が失った自然と共にある美しき和の暮しの絵を、12か月分毎月掛け替えて楽しめるのは実に有難い。


©️甲士三郎


302 幽境の珈琲座(結)

2023-06-22 13:07:00 | 日記

珈琲座の話の最後はアイスコーヒーの器を考えよう。

温暖化で夏がより暑くより長くなった分だけ、この時期の珈琲座の工夫はメンタルケアの面でも重要となってくる。


アイスコーヒーも味や淹れ方は人それぞれで良いが、精神の安息を得たいならそれなりの場と道具を設えたい。



(銅製ポット キャニスター イギリス 硝子ゴブレット イタリア)

一般的に入手し易いのは銅器とガラス器の組合せだろう。

冷珈琲にもアイスティー用の繊細優美な物は似合わず、気泡混りのごつごつした硝子コップなどが適している。

写真のゴブレットは20世紀初頭のイタリア製型硝子で、色はアンバーかグリーン系が珈琲にはマッチする(半透明の青は禁物)

花器は同じ頃の松代焼の長首瓶。

清涼感と重厚感を同時に満たす組合せは結構難しく、この場合の花入も青釉は合わず緑釉でようやく銅の色と合った。


アイスコーヒーに最適な器は先年にも紹介したピューター()のゴブレットだ。



(ピューターポット ゴブレット イギリス 191020年頃)

本は新興俳句の名作、西東三鬼の句集「夜の桃」初版。

集の中の「中年や遠く実れる夜の桃」は当時かなり注目された句だ。

老境の隠者から見れば、若さ溢れて微笑ましい句と言えよう。

明易き夏の夜の読書には若気の至りであった戦後昭和の前衛やモダニズムが合う気がする。

ピューターは古色()が付いていないと全く駄目で、100年程度経った物でなければ銀器の方がましだ。

以前は古い物でも「貧者の銀」と貶まれて安かったのが、最近では19世紀物など銀器よりも高くなってしまった。

コーヒーが他の清涼飲料に勝る点は重厚感にあるので、器もそれに応じて古格を持つ物を選びたい。


午前中のまだ涼しい時間なら、シンプルなガーデンコーヒーにしよう。



(ファイアーキング キンバリーオーロラ アメリカ 195060年頃)

ファイアーキングのミルクガラスも近年人気が上がり、特にジェダイ()やターコイズ()は入手難らしい。

隠者はひと昔に各色揃えておいたので助かった。

その中でも朝涼のコーヒーにはこの七色に変化するオーロラマグがぴったりだ。

本は与謝野晶子の歌集「晶子新集」初版で、乱れ髪などの初期の作風と比べると爽やかなイメージの歌が多く夏の珈琲時にもさらっと読める。

晶子の華麗な歌を導(しるべ)とすれば、しばし夢幻界へと旅立つ事も容易い。


日々の仕事場でのコーヒーブレイクなどは缶コーヒーでも何でも手軽な物で良いが、俗事を離れ己が精神を浄化したい時ならば珈琲もまた古の侘茶に匹敵する座に清澄な心で臨むのが賢い。

諸賢のコーヒーライフの充足を願いつつこの筆を置こう。


©️甲士三郎


301 幽境の珈琲座(5)

2023-06-15 13:04:00 | 日記

古来の茶はまず目覚ましの妙薬として高雅な香気や味覚が珍重され、、やがて離俗清澄なる場で喫する聖なる飲料にまで洗練された。

それが後世の大衆消費により単なる水分補給の嗜好品と成り下がったものの、古様の侘茶には現代でも捨て難き美点が多々ある。


今世紀の抹茶衰退の最大の原因は正座の強要にあるだろう。

更に一般世間では正座の生活を嫌って和室や和風建築そのものまでが滅亡しかけているのだからその罪は大きい。



(直筆書軸 釈宗演 古織部茶碗 幕末頃)

正座の風習は古来の武家公家の礼法には無かったにも関わらず幕末頃から諸流派が普及させてしまい、結果的に和風の生活様式全ての衰退の主因となった。

そもそも織田信長ら戦国大名や朝廷の公卿達が正座する訳が無かろうに。

古より武家正統の作法は地下(戸外)では蹲踞、殿上(室内)では胡座である事を今改めて周知徹底したい。

であるからして我が珈琲座では高貴なる胡座点前をもって最上の礼となす訳だ。

古流の床の間では幽玄美を呈するのに室町桃山の文物を揃えるのが常だが、今回は珈琲でも使えるような幕末明治の茶碗と書で何とか古格を出してみた。

実際に織部の沓茶碗を使ってみると、そのひょうげた姿や絵が珈琲にも実に良く合うのだ。

書軸は鎌倉禅の巨星、釈宗演の「知天」。

この書体もまた破格にひょうげている。


蒼古幽玄の道具類は近現代では得難いものの、探せば玄妙なる珈琲器も稀にある。



(直筆句軸 高浜虚子 珈琲碗 浜田庄司 古瀬戸ポット 李朝小花入)

戦前の古民芸では浜田庄司ら益子焼の作風が桃山茶陶の雄渾さに通ずる所があり、各種珈琲碗の中でも最も隠者好みだ。

ポットと花器は明治頃の作だが、ドリッパーは当時まだ作られていないので戦後の物で合わせた。

桃山時代の京の町も今と比べれば遥かに自然に囲まれていた中で、更に市塵を断つための茶庭茶室を建て床飾りを凝らしていたのだから、現代都会人は少しでも工夫して離俗の珈琲座を設え洗心の聖域を創りたい。

軸は「蝶々の草にかくるる夕日かな」高浜虚子。

この句に紫陽花の広葉に隠れて雨を凌ぐ蝶を重ねつつ、梅雨深き珈琲座の夢幻に浸ろう。


江戸中期の文人達は煩雑な約束事で形骸化した抹茶道を見捨てて、当時の先進流行だった煎茶に自由闊達な精神を見い出していた。



(木彫花台 清朝時代 カップ ポット イギリス作家物)

田能村竹田らの画軸(前出)を見ると、当時の文人達は季に付き折に付き野点の煎茶を楽しんでいたようだ。

深山幽谷の詩宴茶宴を描いた詩画も数多くあり、京の知識人は皆文人茶に魅入られていた事が良くわかる。

彼らに習って戸外の珈琲座は適時自由に開放的に、最小限の道具を(缶コーヒーやペットボトルだけは避けたい)茶籠に入れて出掛けよう。

小型の本は若山牧水の「渓流集」初版で秋の山中吟が多いが、涼しげな歌集なので蒸暑い夏に読むのに好適だ。

我が谷戸は古来からの竜脈の地にあり、例え近所の草叢と言えども天霊地気に満ちているはずだ。

散歩や外出が減りがちな梅雨の時期こそ、稀少な晴間には戸外の光と風を浴びたい。


次回は残るアイスコーヒーの話をして珈琲座の話題は一旦終えたい


©️甲士三郎


付録(2) 『隠者句集』甲士三郎

2023-06-08 13:31:00 | 日記



(花鳥諷詠扁額 高浜虚子筆)

我が初学より積もりし数多の雑詠を取捨整理すべく、百句を選び余を捨て一集となせり。

若書きなれば技拙なるを恥ぢず、技熟せども老心浅きを恥づ。

春秋折々にも小閑あらば御散読あらむ。

隠者の常にてこの身は文壇画壇より遠き幽境にあり、雅友諸兄には無沙汰を詫びるほか無し。


『隠者句集』

  春

薄氷の光の上を歩く鳥

麗かな大きな雲の下の國

眩しくて見えぬ辺りに囀れり

狂ほしや過去の桜が散り止まぬ

日も影もうすれて花の色が勝つ

鎌倉の霞みてはまた眠る山

宗演の昔獅子吼の山笑ふ

碑に眠る詩文や百千鳥

囀りの中に古曲の伝授かな

霊峰を囲み幾つの花の郷

富士越えし雲の安らふ春の海

お茶の時菫に光足りし時

隙間から猫の手が出る遅日かな

春宵の紫紺の空へ灯る坂

花陰へ白砂の庭の照り返し

もう此処の落花掃く人還り来ず

誰も居ぬ夢の途中の花の駅

常昼の菜の花路へ終の旅

藤房が藤房を打つ飛沫かな

落椿朽ちゆく庭で詩論かな

墨の香や若葉の奥の白障子

春惜しむ舞の終りの急拍子

双牡丹ひしゃげ合ふほど寄りあひて

白牡丹息づいてゐる仄暗さ

鉈朽ちる牡丹の園の奥深く

  夏

軽鴨が潜る光の輪の中へ

吹き荒ぶ古都の鬼門の青葛

青嵐去れば酒樽捨ててあり

薔薇真紅雨に四方の消える中

白花の従容と散る緑雨かな

紫陽花の古都の数多の水鏡

裏口の実梅の香り満ちる闇

荒庭の全ての花を試す蜂

重代の武士の土地大百足

空蝉を貫く朝の光かな

釣人は滝音の中虹の中

黒蝶が眠りの粉を撒きし路地

風吹けば去る白服の詩人かな

白服の老人軽し風の谷戸

浄蓮の蕾の中のうす明り

羅や怪談好きのお年頃

打水に茶屋の誘ひの灯が紅く

鮎食ふて髭の伸び来る帰り道

明け方の夢より淡く白蛾をり

音も無く遠き月下の花火かな

奈落から風吹いて来る蛍橋

沼底に大物潜む蝉時雨

夕立が打つ大仏のがらんどう

雷雲の山の麓の虹の畑

湧水に白砂辰砂の舞ふ光

  秋

夕焼の下に小さく灯る島

夕焼けて古都の全ては影の中

星祭町から猫の消えてをり

月影の禊の庭のとぐろ縄

美しく秋風纏へ袖袂

天高し常滑壺の口ぽかん

星色の朝顔垣に籠る画家

髭絡み合はせ嵐の曼珠沙華

秋雨の昼を仄かに灯る寺

星涼し白砂の庭はほの明り

竹林に隠れて菊の宴かな

過ぎし日を静かに照らす秋灯かな

月光に敵ふ淡さの野辺の花

猫入れて月光の扉を閉ざしけり

光ごと月を抱きてうねる雲

時の鐘木の葉散り急く四遠まで

どの町も月の過ぎ去る途に眠る

千本の竹の打ち合ふ荒月夜

鎌倉に狸が増えて雨ばかり

草の絮昇るや暮るる日の筋を

濡れそぼつ鬼より赤き紅葉かな

雨の日も咲きて晩菊いつまでも

夜と昼のあはひに灯る霧の町

月光が鉄路を磨く旅の果

月の街人には見えぬ猫の路

  冬

光塵の舞ひ降りる冬桜かな

廃園に蝶の息づく薄日かな

冬薔薇の暗香を湛へ画業かな

冬の川音無く古都に流れ入る

時雨坂下界は仄と明るみて

窓氷る世界を七の色に断ち

極月や港の端の招き猫

冬の灯や波濤の上の大伽藍

橋ひとつ谷戸を師走の世へ繋ぎ

紅を重ねて黒し寒牡丹

白鳥を追ふ白鳥の長き水脈

猟犬の黒髭も雪塗れにて

夢幻なる朽木の中の冬蛹

雪国の底ゆく蒼き流れかな

雪ばかり見るから鹿の眼は綺麗

寒濤に向かひて古都の不滅の灯

猫用の障子の穴は繕はず

玄冬や美しき歪みの虚子墨戯

磨れば減る古墨大事に冬籠り

うす紅の耳触らせぬ狡兎かな

暁闇に凍富士の根の深くあり

金色の凍烟纏ひ富士暁けり

牛頭の岩馬頭の波初明りかな

巫女舞の杜の無数の冬芽かな

散椿氷の下を流れけり


20236月 ©️甲士三郎


付録(1) 『隠者歌集』甲士三郎

2023-06-08 13:28:00 | 日記



(雪月花扁額 富田渓仙筆)

当歌集百首の眼目は古き抒情の回復と自娯独楽の風雅にありて、鎌倉文士らの黄金期なる大正の夢幻境へも到らむとて企てし物なり。

還暦前後よりの近作を主としつつ、亡き師父を偲び旧作も幾つか混ぜをく。

当世流行の極北を行く歌風なれど、折々の小閑にも御笑覧あれ。


『隠者歌集』 甲士三郎

  春

春や春階高き舞殿へ 顎上げて荒東風の巫女

花落としまた花落とし大木の 椿の中に隠れ棲む鳥

梅の精椿の精と暮らしたる 花入遺る夢跡の庵

古の影を描かぬ筆法で 永遠に明るき花の姫神

歌ひとつ詠めばいつしか魂の 還る辺に花ひとつ咲くらむ

暁の古都が紫紅に染まる時 現の春に目覚めよ乙女

後の世に恋歌残しうち臥せる  衣通姫の絵姿哀し

老画家よ病癒えれば街に出て 世界の色を塗り替へるべし

生まれ来て初めて眼開く朝  仔猫を包む乾坤の蒼

春の野に古き歌集を持ち出して 古き悲しみ花もて飾れ

佐保姫の春な忘れそ都人 花咲く大路巫女舞ふ大社

散る花の風の流れに定めあり 流れの果に我が画房あり

町中の花が一気に散る宵は 駆け抜け過去へ泣きに行くべし

鎌倉の一番端に花咲かす  嫗の庭へ通ふ歌鳥

うす紅は紅より傷み易き色 雨降りがちな荒庭の花

那辺まで幾曲りして霞みゆく 桜堤よ花の都よ

朧灯の橋を渡れば濁世から  遁れるに良き花陰の谷戸

金砂子煌めく中に常春の  花喰鳥を封ぜし蒔絵

目覚めよと目蓋を透きて春日さす  夢の桜を探す絵の旅

篝火の崩れて火の粉舞上がり 散りゆく花の刹那を照らす

水底に花屑鎮め日は薄れ  時の終りはかくありぬべし

もう何も起こらぬ所水底は  冷たく保つ花の白妙

とこしへに散らぬ桜を描く画家の 狭庭の春を終らす嵐

藤棚の上は密かに光満ち 友鳥集ふ紫浄土

上古より詞の意味はうすれ来て 鳥の囀るやうな祝ぎ歌

  夏

夏木陰くれなゐ兆す豊耳の 文学少女恋に賢く

三方を山に塞がれ青葉冷え 鎌倉人は沖を眩しむ

薔薇園の錆びて開かぬ門の奥  秘して育てる貴種の若苗

花越しに交はす黙礼秘めやかに  嵐近づく薔薇の奥津城

暗がりに毒色躑躅咲く道を 杖に縋りて夜明けへ歩む

傾きて雨に耐えをる黄あやめの 川面に触れる葉先震へて

谷水の響き絶えざる美里に 育ちたる児は笛吹きとなり

花買ひに週に一度は街に出む 世捨人とて街は恋しく

朽ち果てる土塀を覆ひ茅花咲く  旧き世界の定め通りに

仄暗き小園の書庫に千万の 詩歌を集め薔薇で囲へり

黎明の暗き緑に浮き上がり 朝を漂ふ野辺の白花

鎌倉の古き土より咲き出でて 仮の世色の紫陽花淡し

うつし世の色に移ろふ紫陽花の 四ひらを留める一玉の碧

暗みより光の世へと湧き出でて 水耀けば神話潤ふ

絵に遺る大正は皆美男美女 子等は純情天地は有情

古き良き美しき世がまだあれば 美しきまま詩中に隠せ

寺跡の久遠に朽ちぬ石組の 草間に育つ夢色蜥蜴

夕月の水面明りに羽虫舞ふ 池のみ遺し失せし大寺

笛太鼓童児に任せ夏祭 東夷の造りし都

炎昼の光に眩む路地の奥 ダリア燃え立つ幻の庭

陽に当たるたび少しづつ色褪せて 古き挿絵の純情少女

星辰の座に着く夕べ時は満ち  浜辺に出会ふ猫と老人

漣も風も光も止めどなく 寄せ来る岸に涼しく老いぬ

風鈴の澄みし音色を二階より 俗世に降らす六地蔵辻

夏の果紫金の空に星出でて 薔薇の世話する黄昏永し

  秋

七夕や水豊かなる鎌倉の 七つの谷戸の文士らの裔

雨上がり蜩の声黄金の陽 億万粒の滴る故園

いそいそと蜜吸ふ時も羽動く 秋の揚羽に時は迫り来

美しく歩む姿を保つべし  竜胆の路地芙蓉の小径

わたつみを星風渡る鎌倉の 大路小路に灯る迎火

乙女達事無く恋も無き秋の 桔梗の深き青さに耐えよ

首傾げ人に聴こえぬ幽かなる 聲を聴きをる小鳥の仕草

若き日に戻してくれる曲ありて 見慣れし窓の外はまた秋

湯に浸かり眼を閉じて虫の音の 闇の楽土に癒す硬骨

八百年の夜を経て波が吐き出せし  遥かな国の青き陶片

終焉の夕焼色に身を染めて  老の呟く英雄叙事詩

虫の音は高まり星は巡りだし 野辺の仏は半眼半夢

上に雲下に水湧く山かげの 幽居に老いし詩人の獣語

竹間を茶烟の昇る月の庭 客は無くとも今宵は詩宴

今の世を有明月の照らしをり 史書の中より戻り来し朝

美しき旅人ひとり鎌倉の 秋咲く薔薇に顔寄せて

ランタンが魔法の如く灯る路地 雨に潤みて「カフェ浪漫主義」

廃園の門柱だけが残されて  野に溢れ出す苑の八千草

一の二の三の鳥居と聳え立ち 若宮大路月へ通ぜり

灯火に四塞の闇の押し寄せる 山家に寂と古狩野の軸

うしろ手に持ちて昨日の菊捨てに 庭の最も秋深き隅

金色の銀杏を散らす銀色の 雨が降る街学生時代

銀杏散る一行の詩の黄金の 言葉の零れ散るが如くに

露の世に父の遺せし庭荒び  濡れて現る石の幻色

溜息の如き声にてふるさとの うた歌ふべし老いて震へて

  冬

その町は枯葉でさへも美しき 文士の時代鎌倉の町

草は伏し獣は隠れ冬来たり 五山七谷鐘打ち鳴らせ

枯れ尽きし後の芒は金色の  冬陽の中に尊く乾く

小春日の筆遅々としてうつつ無く 身の虚にぞ陽溜りあらめ

樹々枯れて音色さまざま風に鳴り 天降りて来ませ楽の諸神

門脇に迫り山水流れをり 詩魂はいつか山に呑まれむ

蛾眉鳥の四季の最後の歌幽か 冬も緑の竹林の奥

罅傷の幾百年を生き伸びし  古き碗もて露命を繋ぐ

たんまりと木の実を隠し落葉積み 谷戸は豊かに冬籠りをり

荒箔の天の裂目も剥落も 古色に埋まり合戦屏風

石仏が風を鎮める切通し 鑿跡粗く古都を護りぬ

紅を世から葬り去る雪の  天駆けて来し山茶花の園

年一度雪降る夜に現れる 我が青春の頃の街の灯

動く物もう何も無く煌めくは 悲運の皇子の凍れる社

炉火昏く火影に古ぶ本棚に 幾年眠る夢幻詞華集

たまさかは灯影揺らして踊らばや 冬を籠りてひとり酔ふにも

月光を五彩に分かち華やげる ひとひらの雲凍夜に浮かぶ

雪降りて雪降り積みて天地に 我の息する音しかあらず

降る雪は恋人達をこの街を  白く冷たく包みて許す

古の楽土の瓦礫一つづつ 拾ふが如く古歌読み覚ゆ

経机千年磨ける漆黒に 雪を映して年の暮れゆく

初買いの古書店巡り楽しけれ 抒情詩集の夢二の表紙

源氏絵を飾りて永遠に物語  終るなかれと春を待つ家

舞姫の息の緒白く春待つに  梅の蕾は花より紅し

美しく猛く言の葉舞はしめよ 三十一文字の想ひ透くまで


20236月 ©️甲士三郎