鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

143 あやめの小径

2020-05-28 14:02:00 | 日記

今年は牡丹も薔薇も花時が早くて、気が付くとあやめや菖蒲でさえもう終りかけている。

外出自粛と脚の負傷でしばらく出歩かなかったので、私の感覚が季節に遅れてしまったのかも知れない。

花の盛りを過ぎたあやめの水の流れを見ながら、わが夢幻界の時の流れも再調整しよう。

---傾きて小雨に耐へる黄あやめの 葉先震へて水面に触れる---


菖蒲は益荒男振りの青紫、あやめは手弱女(たおやめ)振りの黄色が隠者好みだ。

中でも昔の写生旅行の途に見た、水張田の畔の雨に俯く黄あやめが最も日本美を叶えていたように思う。

その景は我が夢幻界に田圃ごと保存してあり、上の写真もそのイメージにやや似た近所の小流れのあやめだ。


リハビリの散歩ついでに近所の花屋でアイリスを買って来た。


---アイリスの陰で強がる仔猫かな---

無骨な桃山古備前の船徳利と戦後間もなくの頃の可憐なセトノベルティーの仔猫が好対照でほっこりする。


下の写真は幕末頃の黄瀬戸菖蒲紋皿と桃山時代の古瀬戸小花器。

今夜は魚介類のアヒージョでも作ってこれに盛ろう。

隠者の料理の腕ではSNSなどで見る名人級の料理写真にとても立ち打ち出来ないので、器だけの写真で御容赦。


簡略化した筆致が江戸時代の数寄者らの大らかさを思わせる。

殺伐とした世情下には、黄瀬戸の柔らかな色味と自由闊達な絵付が心の滋養となる。


今日一日は東下りの在原業平にあやかって、杜若ならぬあやめ尽くしで楽しめた。

隠者は霞を喰いつつ自宅と周辺世界だけでも夢幻に浸れるので、非常時でも精神面での不自由は無い。

読者諸賢もせめて休日などは花の散策や音楽や詩画などを楽しんで、人間味深い生活を保って頂きたい。


©️甲士三郎


142 瑞鳥の聖域

2020-05-21 13:22:00 | 日記

初夏になると鶯の声が楽しげになって、春よりずっと長く鳴くようになる。

また我が楽園加護の瑞鳥である蛾眉鳥は、鶯より更に長く豊富な節回しで歌う。

色々な鳥の声を真似て取り混ぜアレンジした歌を、持ち前の極上の美声で聴かせてくれるのだ。


写真は小雨ながらも画室の窓外の枝垂桜に止まって歌う蛾眉鳥。

この瑞鳥の声の結界によって、日頃から我が楽園の清澄が保たれている気がする。

ーーー鳥の声谷戸一円を包み込み 濁世の音を阻む盾なすーーー


アッシジの聖フランチェスコはいつもパン屑に来る小鳥達と会話していた。

私も庭に来る鳥達に餌をやりたいと思うのだが、鎌倉では野生動物には餌やり禁止なので食物は偶像の鳥にやるしかない。


隠者の耳目を楽しませてくれる鳥達に感謝して、彫像を祭壇に祀って供物を捧げよう。

置床(おきとこ)に染付花鳥図の清朝花瓶とカナダのバードカービングの鴨を安置し、鍋島の孔雀形小皿にビスケットをのせた。


鴨は永福寺跡の大池や我家の脇の小川によく居て、今年も子鴨が元気に育っている。


私は実在の鳥にはあまり詳しくなくて鴨の種類の見分けはつかない。

画業の方では伝説上の鳥ばかり描いているので、それで不自由しないのだ。


百合の対面の壁にもう一種飾って、楽園らしく部屋ももっと華やかにしよう。


こちらは色絵花鳥図の青手古九谷に芍薬を入れ、東南アジアの蝋細工の軽鴨を脇に遊ばせた。

この軽鴨は背中に糸芯が出ていて、何と蝋燭になる。

せっかくの可愛い鳥を燃やしてしまう人がいるのだろうか。

色絵磁器の花瓶は生花の色と喧嘩する色調が多いが、青九谷は深い緑が主色なので多様な花に合わせ易い。


肝心の蛾眉鳥の木像は十年以上も探しているのに見つからない。

元々清朝皇帝が珍重した渡来の鳥なので、我が国には無いかも知れない。

日本では隠者の楽園だけに生きる、幻の鳥と言う事にしておこう。


©️甲士三郎


141 無明の花

2020-05-14 13:53:00 | 日記

脚の骨折もだいぶ癒えて来て、リハビリの散歩に出られるようになった。

自粛自粛の世間の迷惑にならぬよう夜明け頃にうろついているが、返って不要不急の不審者に見える気もする。

元より隠者も詩人も現世には不要不急の存在で、古人達も在原業平は己れを用無き身と儚み芭蕉は夏炉冬扇と言って、自分は世に不要な人間だと見なしていた。

武士であった我が父祖達もまた戦無き平時には不要な職種だったので、我が家系は「無用の用」に慣れていて今更どうと言う事もない。


---暗がりに毒色躑躅咲く道を 杖に縋りて夜明へ歩む---


躑躅は街灯下では化学染料のような色に見える。

都会の花壇の躑躅をネオンの光でSF風に撮影したら面白いかも知れない。

将来はサイバーパンク版の隠者ライフも考えてみよう。


暁闇から黎明の空の色は毎日見ても飽きない変化がある。

SNSで毎日空や雲の写真を撮っている人がいて、私では到底及ばないほど美しい写真で楽しませてくれる。

また壮大な自然の中で息を呑むような朝日夕陽や星景写真を見せてくれる人も多かったが、今は皆遠出を自粛中らしく旧作を出して凌いでいる。

隠者は精々身の周りの世界しか撮らないので、自粛しても余り変わりは無い。


明方は植物の生命感も眼に見えて旺盛で、夜閉じていた花も瑞々しく開いてくる。


上の写真は空もまだ明けきらぬ彼誰時(かはたれどき)だが、群れ咲く白花に合わせて少し明るめに写している。

---黎明の暗き緑に浮き上り 朝を漂ふ野辺の白花---

先行の類想作がありそうだが、負傷を言い訳にこれで御勘弁。

あとで知ったがこの花は洋種のハルジオンで、茎葉は食べられると聞いた。


だいぶ明るくなって来たので、こそこそと家に逃げ帰りティータイムにしよう。

今週は連日夏日になるそうなので、私も今朝からアイスコーヒーに切り替えた。


先週のネットオークションで、長年探していたアイスコーヒー用のイギリスアンティークのピューターマグを入手したので、さっそく初夏の風が入る窓辺で使ってみた。

投入れた黄あやめが風になびいて心地良い。

BGMは定番だがアシュケナージのショパンのピアノ曲集が良いだろう。

今年最初のアイスコーヒーなので、いつもよりちょっと高級なブレンドを買って来た。

今の疫病禍ではこんな些細な贅沢でも十分満足感が得られる。

正岡子規は病床生活でも、こんな卑近な喜びを句歌にしていたのだろう。

ーーー粗食もて惨禍の夏を耐えゆくに 古錫の器鈍く光りてーーー


©️甲士三郎


140 龍穴の新緑

2020-05-07 13:20:00 | 日記

我が探神院の建つ地は、鎌倉時代の永福寺史蹟の僧房跡にあたる。

永福寺は源頼朝が幕府の鬼門(丑寅の方角)守護のために、四神相応の龍穴の地を選んで創建した壮麗な大寺院だった。

伽藍は15世紀初頭に焼失したが、龍穴の霊気は今も変わり無い筈だ。

この地の新緑は我が病眼にも格別の潤いを与えてくれる。


(うっすらと朝霧のかかった我家の前山の新緑)

朝起きて窓を開ければ老鶯の長鳴きの声が山中に響き、煙霧湧き立てばいかにも神仙境の趣きとなる。


怪我で十日ほど見ない間に近所の躑躅と若楓が鮮やかに紅緑を競い、世界の色彩は晩春から初夏へとすっかり新しくなった。


この龍脈通う谷戸は旧名を紅葉谷と言いその名の通り楓の木が多く、枝葉の形に品があり古い大和絵風の景を成す。

関東では植林の無い自然の雑木山は案外少ない。


---新緑の木々が塞ぎし楽園に 骨癒ゆるまで囚われむとす---

龍脈の効能か足の負傷も回復が速く、家の中の作業と自転車での買物はもう不自由しない。

端午の節句にコンビニで柏餅(私は血糖の呪いで食べられない)を買って来て、武者絵と菖蒲を飾って元気を取り戻そうと思う。


(武者絵 菊池容斎 江戸時代 探神院蔵)

古伊万里の手桶花入に茶碗菓子器の青揃えは、爽やかな初夏の季感に合うだろう。

写真の構図がやや窮屈になったのは、怪我で文机を動かせなかったせいだ。

来週からはリハビリがてら徒歩の散歩も出来るだろうが、自粛警察の跋扈を避けてこの龍穴から外には出ない方が賢明か。


©️甲士三郎