鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

351 雨季の花入

2024-05-30 12:26:00 | 日記

鎌倉は今週から走り梅雨の気配だ。

長雨の時期は散歩の機会も減るので、せめて床飾の花を色々楽しみたい。

隠者流投入れ花は本来花入では無い物も色々使っている。


今年も6月に入る前から荒庭の紫陽花が咲き出している。



(炉鈞窯緑釉水差 清朝時代 古上野焼珈琲器 大正〜昭和頃)

咲き始めの白紫陽花は清々しく、小雨の中で重そうに首を垂れている姿にも風情がある。

紫陽花の品種は100種以上もあるようで、鎌倉でも多様な色や形が見られる。

他の色も含めて紫陽花には緑釉の花入が花の多彩な色を邪魔せずに良いと思う。

緑釉や青磁系統の花入はそれ自体の色が涼しげなので夏場には適している。


荒庭に咲いた金銀花を雨に散る前に摘んで来た。



(瀬戸井戸型花入 昭和初期)

金銀花を雨を思わせる井戸型の花入の取手に絡ませてみた。

取手の右にある小さな釣部も面白く、写真では雨中に打ち捨てられた井戸側の雰囲気が出た。

この花は先始めは白く散り際に黄色くなり、衆目を楽しませてくれる。

我が庭や近所のあちこちに咲いて、卯の花の後の谷戸を彩っている。

花首が弱いようで雨が当るとすぐ散ってしまうのだ。


花屋にまた梅花宇津木があったので、別の花入に合わせてみた。



(青磁徳利 李朝時代)

同じ宇津木も瓢箪型の李朝粉青器に入れると、先週の織部花入とは違う涼しげな姿になった。

少しひしゃげて傾いた徳利が如何にも幽陰の趣きだ。

こう言った所が何種か凝って活ける流派花とは正反対の、簡素な投入花の良さだろう。

古来から不教不伝、創意工夫の投入花は色々な花の楽しみ方が出来る。

その無技巧の工夫を考えている時間もまた花情の深まる時となろう。


他に夏の花器と言えば硝子器や染付が清涼感があって良いが、それらを使うのは梅雨明け以後のもっと暑い時期に取っておきたい。


©️甲士三郎


350 夏の詠題

2024-05-23 13:07:00 | 日記

昨年改めた我家の年中暦により隠者の夏は24節季の小暑までで終わり、789月は歳時記にも無い新たな熱極の季とし、秋は彼岸過ぎからとなった。

そして創作活動に向かないこの酷暑の789月を、歌学詩学の思索に引き籠る事にしようと思う。


そうなると小暑となるまでに夏の詠題を出来るだけ終えるように、少し吟行の頻度を上げる事にした。



今の私は家人の介護があるので精々2時間程度しか家を留守に出来ず、行けるのは我家の近辺で小さな自然の残っている場所しかない。

ここは門を出てすぐの夏草の茂る空地だが、毎年梅雨明け頃には綺麗に刈られてしまう。

1週間ほど前は胸の高さだった青薄の丈が、数日でぐんぐん伸びてもう頭の上だった。

このまま秋を迎えれば見事な薄原が見られるのに残念だ。

ーーー草深く古歌書百巻蔵したる 古家を青く包み隠せりーーー


次の日は永福寺跡の隅の草叢で朝茶にした。



昭和初期瀬戸製の輸出用の珈琲器を持ち出し、野の花の精を呼んで茶会をしよう。

また写真では見難いがここには赤く小さな蛇苺が沢山実って、狭いながらも花実の楽園の彩りだ。

ここも春先に丸坊主に刈られてしまい、その分成長の遅れた姫紫苑が今咲いている。

ーーー捨庭は夏に入るとも春の花 時の流れを外(ほか)と違へてーーー


花屋で珍しい和花があったので買ってきた。



可憐な梅花宇津木を古織部に入れて眺めれば、江戸時代の風雅の士の趣きだ。

後ろは田能村竹田の鳳(おおとり)図。

江戸後期は大園芸ブームで、桜から菊まで多様な種類の花が作り出された。

朝顔百珍などと言う園芸本まで出ている程で、この梅花宇津木もその頃の品種だそうだ。

また宇津木は卯の花に次ぐ夏の花の代表で、宇津木姫とは夏の女神の名でもある。

ーーーもはや世に用無き身とて夏来れば 宇津木の姫に花奉るーーー


こんな感じで暑の入りまでに沢山の詠題をこなせば幾つかはまともな歌も出るだろう。

古歌にも夏の名作は少ないのだ。

エアコンの無い昔の京都もさぞ暑かったろうから、公卿達もあまり外に出ず引き篭っていたに違いない。


©️甲士三郎


349 隠者の猟書

2024-05-16 13:07:00 | 日記

最近は明治大正時代の古書の価格が23倍に高騰し隠者の手が届かない所に行ってしまった。


残るは江戸時代の木版本しか無い。



(後選和歌集 江戸版 木彫観音像 明時代 織部湯呑 江戸時代)

写真は古今集の次の勅撰集である後選和歌集の江戸版だ。

中世までの本は全て手書きの希少本で、版本が出来たのは江戸に入ってからだ。

江戸時代の木版本では漢文は楷書なので問題ないが、和文は草書が多く読み辛い。

私も78割は読めるものの、すらすら判読は出来ない。

だがその為に相当古い物でも安価で買えるし、痛みや虫喰いがあれば文字通り二束三文なのだ。

明治大正の古書が高くて買えなくなった隠者の最後の猟書には、虫喰いだらけの江戸の和綴じ本が似つかわしいだろう。


私はどうも昔から百人一首のどこが良いのかわからないでいる。



(金葉和歌集 江戸版 染付急須茶盃 清時代 鶴形釘隠し 桃山時代)

古今集はまあ良いとしても万葉集は左程好きでは無かったのが、遅まきながら最近ようやくそれ以外の勅撰和歌集の方に優れた歌が多いのを知った。

これまで万葉古今以外は駄目と言う、昭和時代の学者達の言う事を鵜呑みにしていたのが間違いだったのだ。

返って江戸時代の本居宣長や香川景樹達が良いと言っている新古今、続古今、また千載、玉葉、風雅などの中世の勅撰集の方が断然良く思えた。

そしてこれらの古書はみな、その昭和以来の評価の低さから安値で買えるのが有難い。


今週末の鎌倉宮では卯の花祭りがあり美しい巫女舞が見られるのだが、残念ながらその巫女の花冠は黄色の造花なのだ。



写真は鎌倉宮脇の夜目にもさやかな卯の花。

この鎌倉宮の裏道には卯の花が群れ咲いている所が何箇所もあるのに、誰も卯の花を知らないのかもしれない。

現代では花屋の店員でさえ卯の花がわからないのだから仕方ない。

古来から和歌の詠題ではあやめ以上に初夏を代表する花だったが、もう今は一面の新緑の中に白く小さな星形の花が数多(あまた)群れ咲く景を見る事も少ない。

ーーー白妙(しろたえ)は月読の色谷影に 卯の花咲けば水美しきーーー


古歌には今では見られなくなった幻想的な光景が沢山詠まれている。

歌毎にそんな景を想い浮かべられるだけでも、隠者にとって虫喰いだらけの古歌書を漁る価値は十分にあるのだ。


©️甲士三郎


348 薫風の谷戸

2024-05-09 13:11:00 | 日記

今週の鎌倉は連休で混雑していたが、観光寺社以外の場所はそれ程でもなかった。

薫風吹き渡る我が谷戸は蛾眉鳥が鳴き栗鼠が駆け回り、正に風光明媚なる時を迎えている。


山際の小径には卯の花が群れ咲き、新緑と白の爽やかな対比を見せる。



和歌では古今新古今集時代から卯の花は初夏を代表する花だった。

大正昭和時代の俳句にも沢山詠まれているが、近年ではなかなか見られなくなった。

近所でも数年前まであった見事な卯の花垣の家が取り壊されて、平凡な洋風の家になってしまったのは残念だ。

殊に古い路地にはこの白花が似合い、夜だと幻想的に浮かんで見える。

少し山に入った辺りの沢沿いにも良く咲いている。

ーーー卯の花の囲む小淵は緩やかに 月の光を浮かべ渦まくーーー


卯の花と共に我が谷戸の5月を彩るのが黄菖蒲だ。



私は長い間これを黄あやめと言っていたが、湿地に咲くのは菖蒲か杜若と呼ぶらしい。

昔は細かな区別無くみんなあやめで済ませていたのだが………

和歌では漢語は使わないので、菖蒲では無くあやめで良い。

この場所は蛙も鳴いていて楽しい散歩道だ。

ーーー夕暮の黄あやめの咲く家岸に 帰る小径の花明りせりーーー


下の写真は連休前に撮ったまだ初々しい緑の杜だ。



若楓と﨓の明るい緑の奥で時鳥が鳴くのを聴くと、古人が好んで句歌に詠んだ気持ちが良くわかる。

鎌倉宮の奥の護良親王の土牢のある薄暗い杜は、中世の雰囲気があって隠者好みなのだがそこに入るのは有料なので滅多に行かなくなった。

時鳥は姿は地味で梢に隠れて見つけ難いが声は特徴があり聴き分け易い。

ただ我が谷戸の蛾眉鳥はこの時鳥の声も上手く真似る。

ーーー磐の根のよろづ荒ぶる暗がりに 透音を磨く時鳥かなーーー


梅雨入りまでもうしばらくの間、我が谷戸は花鳥の楽園だ。

古い和歌の詠題には現代日本の酷暑の時期に使えるような詞は無いので、伝統的な夏の季題は精々今のうちに詠み溜めておこう。


©️甲士三郎


347 神侶美(かむろみ)の歌

2024-05-02 13:04:00 | 日記

隠者がこの春に得られた古歌古歌学の書と、それらに学んだ成果は大きかった。

これらの古人の叡智のお陰で、私も春の奥深い所まで十全に味わえるようになったと思う。


我が谷戸に出て古歌書を読み古歌と同じ花鳥を眺めれば、自分も昔の歌仙達が味わった至福感に浸れる。



(神代正語 本居宣長 江戸時代)

写真は雅語言霊を覚えるには打って付けの本居宣長の神代正語(かみよのまさこと)だ。

まだ八百万神の自然信仰が生きていた頃の言霊の書なので説得力がある。

意外と現代の神話ファンタジーは、年配者よりもアニメやゲームで神々や精霊に親しんでいる若い諸君の方が理解してくれるのだ。

晩春の野花の傍らに座ってこの書を開けば、小さな神々と共に夢現の詩歌世界に没入出来よう。

ーーー花鳥の春ぞ愛(かな)しや神侶美は 過ぎし月日の光に棲みてーーー

神侶美(かむろみ)は春の姫神の事。


そして遂に手に入れた歌学の根本理念となる定家の歌論書。



(詠歌大概 藤原定家 桃山時代写本 砧青磁花瓶 宋〜元時代)

先に紹介した八雲御抄とこの詠歌大概の2冊で中世歌論の柱はおおよそ理解できる。

残念ながら隠者が最も知りたい中世幽玄体について詳しく書かれた書物は無く、僅かに口伝や聞書の中に垣間見る程度だ。

そして江戸時代に入り本居宣長と香川景樹が出て、明治の佐々木信綱がそれら全ての集大成をやる。

よく聞く古今伝授は古今集の解釈を主にした歌塾の師範免状のような物で、そう重視しなくても良いだろう。

宣長の言霊と景樹の調べの説を念頭に、我が谷戸で一首詠んで来た。

ーーー白妙は月読の色谷戸影に 卯の花咲けば水美しきーーー



端午の節句で鐘馗の画軸を用意した。



(鐘馗図 中村不折 明治時代 古織部湯呑 葉皿 江戸後期)

中村不折は正岡子規との関係なのかどの本でも洋画家と言っているが、彼の西洋画など見た事がない。

断じて立派な文人画家だ。

また他の芸術評論でも特に敗戦後の日本の伝統文化を否定したような連中の本は、今読むとおしなべて愚かで稚拙に思える。

不折は俳句俳画もやっているが、詩書や文人画の方が上手い。

ーーー荒庭を緑雨の洗ふ端午かなーーー


春が終り立夏から梅雨入りまではあっという間だろう。

古歌を読むと夏の歌は極端に少なく、昔の京都の暑さが思い遣られる。

今では7〜9月まで酷暑なので更に詩画人には適さない季節が続き、この老隠者も今から対暑法を工夫しないとと気が重い。


©️甲士三郎