鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

9 獣身の歌人

2018-01-10 22:15:05 | 日記
---今生の恋歌ひとつ詠めざれば 哀獣身と化して絶唱---

祈 下図 甲士三郎

できれば若いうちに恋の歌や句の佳作ひとつくらいは欲しい。
もし女流作家ならなおさらだろう。
出来ねば口きけぬ獣に堕つべし。
「全ての芸術は永遠の青春を夢見る」
誰の言葉だったか忘れたが、その通りだ。

だが獣身に堕ちても歌人はまだ足掻ける。
---薔薇喰ふて己が腸(はらわた)浄めむと 願ひ愚かに亜人間我---
短歌においては中庸、中途半端は良く無い。
短歌は「言ひ切れ」俳句は「言ひおほせて何やある」だ。
中途半端よりは堕ちる所まで堕ちた方が肝が据わる。

---猫に見え人には見えぬ径ありて 獣人達の月狂の古都---
鎌倉は谷戸に入り組んだ細い道が多く、猫を追って月夜に迷うのも楽しい。

---月夜野の桔梗竜胆露草と 肺の中まで蒼き犬神(フェンリル)---
例の神話的御都合主義をかましてみた。
調子に乗ってもう一首。
---背に翼生えたる人は哀れにも うつ伏せにしか夢を見られず---
何と批判されようと、人間やめた哀獣の身だから聞く耳持たぬ。

短歌は俳句や他の定型詩に比べ柔軟性があり自由度は案外高い。
和歌は和語(やまとことば)の縛りがあってやや難しくなるが、言霊は籠る。
---黒髪を橋から垂らす淋しさに あやめの川は常夜(とこよ)へ注ぐ---
こんな感じ。漢語を使わず、もちろん文語体。
短歌は結社誌でもネットでもいろいろあるので、心ある日本人なら一度はやってみよう。
日本の隠者の始祖、西行の歌は分かり易いと言うか気持ちが伝わり易い。
伝記を読むと当時としてはかなりの自由人(自分勝手?)だったようだ。
現代隠者としては、そこだけでも見習いたい。
もう少し私の普通の歌を見たいと言う奇特な方は、当ブログ「11 甲士三郎短歌集」へ。

©️甲士三郎

8 思索入門

2018-01-10 19:57:42 | 日記
物質主義全盛の20世紀で、宗教はかなり衰退した。
で、生き残ったのは拝金。
また哲学方面もプラグマティズム、マテリアリズムなんて、つまりは「世界は弱肉強食だ」と言う事で行き詰まってしまった。
「力こそパワー」の方が余程気が利いている。
ポップ哲学もまあ・・・。
哲学よりはまだ宗教の方が役に立つので復興する余地はあるが、こんな時こそ隠者の出番だろう。
隠者の得意技、「思索に耽る」だ。

思索はぼーっと何かを想っていれば良いので、ちゃんとした思考とは全然違う。
どちらかと言えば思考より瞑想に近い。
ただ耽っていれば良く、何かの結論も出さなくていい。
どうせ千変万化する世界に結論なんて無いのだ。
これなら楽だし、誰にでも出来るだろう。
思索に耽っていれば、最低限見た目だけは知的な雰囲気は出る。
初心者はそれらしいポーズとノート、高級ペンなどの小道具をお忘れなく。
服装は隠者装束までしなくて良いが、ビジネススーツは厳禁。

今世紀の映画やゲームでは神話世界が生き生きと復活していて嬉しい。
特にライトノベルの神話的御都合主義は、もはや科学文明を超えて世界最先端だろう。
多くのファンに受け入れられているのが頼もしい。
神話的御都合主義って言葉だけでも強力で、あらゆる批判を笑いながら蹴散らせそうだ。
歴史的に「芸術は学問に先んじる」「市場は経済学に先んじる」と言う原則があって、まず作品があり客がいて最後にそれを分析する学者が出て来る。
学者は後出しジャンケンみたいで狡いな。
だから思索家は学者ではなく芸術家や予言者であるべきなのだ。
知識より感覚、検証より先見と言った方が分かり易いか。

と、益体も無い事をつらつら想うのが思索である。
最後に上級編として、散歩でもしながらもう少し隠者っぽい思索をしてみよう。

隠者は自分勝手なので世界の危機は背負わない。
せいぜいゴッホのように美しく明るい世界を眼裏に描きながら、とぼとぼ彷徨く。
森羅万象、虚実皮膜の中で孤高にぼーっとするのが隠者の奥伝である。

©️甲士三郎