鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

298 幽境の珈琲座(2)

2023-05-25 14:00:00 | 日記

先週に続き珈琲を語る2話目で、今日は珈琲碗や道具類を紹介しよう。

以前にも述べたが珈琲碗には紅茶用の繊細優美な色絵磁器よりも、簡素で無骨な重厚感のある陶器製が良いと思う。


そのような陶器製の珈琲碗が本格的に作られ出したのは20世紀初頭頃からだ。



(日本とイギリスの陶器製カップとポット 193060年頃)

日本では地方の民芸窯や磁器が作れない瀬戸の脇窯などが、安価な輸出品として主にアメリカ向けに焼いたらしい。

写真手前の3種は瀬戸製で何処かの倉庫からデッドストックが大量に出て、運良くそれぞれ5客揃いで買えた。

昭和前期のレトロな雰囲気が手頃な価格で味わえるので、絵柄の違う物を次々と集めたくなる。


隠者がこれまで試した珈琲器で最も気に入っているのは戦前の各地民芸窯のカップだ。



(小石原焼カップ&ソーサー 昭和初期 炉鈞窯ポット 清朝後期)

卯の花の白には緑釉や青磁の爽やかな色が似合う。

花入は李朝青磁、本は堀口大学訳の「サマン選集」初版だ。

戦前の小石原焼の珈琲碗は無骨ながらも窯変の深みもあり、桃山茶陶の抹茶碗の豪放さに匹敵する良作だと思う。

時折りはらりと散る卯の花を前に、まだ珈琲がハイカラ趣味だった時代の雰囲気にじっくりと浸れる。


先週は珈琲好きだった亡父の命日があり、抹茶碗で珈琲を御供えした。



(木彫菩薩像 明時代 大樋茶碗 京焼水差 カンテラ 大正時代)

我家の各部屋や家具は大正風の和洋折衷なので、抹茶碗や湯呑で珈琲を飲む事も多い。

茶器珈琲器を周りの飾りや時節の花に合わせて選ぶのも楽しい。

今回の菩薩像とカンテラと珈琲の組み合わせにはちょっと苦労した。

これらを取り持つポイントは典型的な和洋折衷様式である瓢箪形のポットだ。

珈琲用の抹茶碗はあまり古格のある物より明治大正頃の茶碗が適しているようで、また書棚に沢山ある同時代の詩歌集にも合うので好都合だ。


またまた次週へ続く。


©️甲士三郎


297 幽境の珈琲座(1)

2023-05-18 13:04:00 | 日記

お陰様で当ブログも連載300回を真近に控え、これまで気ままに語って来た珈琲の話を少しは筋立ててまとめてみようと思う。

諸賢も日常のコーヒーブレイクとは別に、週1度くらいは離俗の珈琲座を設け夢幻の世界に浸って頂ければ幸いだ。


室町〜桃山の茶の湯(茶道)での露路や茶室や床飾りなども、全ては客を市塵を離れた清澄な境地に誘なうためにあった。

我が珈琲もまずは茶の湯の精神に習い、必要最小限の離俗の座(茶席)を設えよう。



(張果仙図 英一蝶 江戸時代 小代焼カップ 美濃焼ポット 昭和前期)

濁世を断つ聖なる結界を張るには、何かしら精神的なアーティファクト(聖遺物)が欲しい。

その人なりに信じられる聖性を持つ物ならコミックアートでもフィギュアでも良いのだ。

写真は置き床(文机)に英一蝶(はなぶさいっちょう )の神仙境の軸を掛け、画中の夢幻世界に移転できる隠者流の珈琲座を設けた。

この文机の前に座せば少なくとも俗事些事は忘れられ、幽境夢幻界では己が本然の魂の清浄を取り戻せるだろう。


より手軽にやるなら時節の花を飾るだけでも、市塵を避けた美の結界となる。



(宗全籠 古瀬戸ポット 益子カップ 大正〜昭和初期)

花を選び花器に活ける作務のうちに、自ずと超俗の気分になれるものだ。

己れ一人の珈琲座の花なら、古の文人茶のように何の作法も要らない。

元々貴人客をもてなすために発達した茶の湯の礼法作法に対し、江戸中期に起こった文人茶は自娯独楽の自由さを眼目とし、基本は独喫でたまに理解し合える友とだけ席を共にした。

後世の「道」になってしまった煎茶会と違い詩宴の一部として行われ、茶を飲み詩書画を語る風雅の士の集いと言った趣だったようだ。

隠者の珈琲もそのような文人茶を参考にして楽しんでいる。


加えて我が珈琲座には詩歌と音楽が欠かせない。



(詩の本 初版 佐藤春夫 黄瀬戸皿碗小徳利 江戸時代)

「詩の本」は佐藤春夫が最晩年に出した、彼の詩に対する想いの集大成だ。

私には彼の戦前の口語自由詩より、「佐久の草笛」以降の文語定形に戻った詩の方が格調と深い想いが感じられて好ましい。

この老詩人に似合うBGMはベートーヴェンの交響曲「田園」、珈琲と菓子は抹茶用筒茶碗に饅頭が相応しいと思う。

俗事を離れ珈琲と音楽と古書に浸る時間は、この隠者にとってこの上ない喜びとなっている。


次週へ続く。


©️甲士三郎


296 薫風の散歩路

2023-05-11 13:13:00 | 日記

連休中は鎌倉の人混みを避けて家に引籠っていたところ、気が付けば牡丹も芍薬も盛りを過ぎてしまい取材に行き損なった。


更に我が谷戸のあやめももう終ろうとしている。

本来は旧暦の端午に咲く花が、今年は34週間早かった。



黄あやめは永福寺跡の池や周りの水路のあちこちに咲いている。

若い頃の旅の思い出の畦道や水辺に咲いていたあやめも大半が黄色の花だった。

そんな昔からの思い入れがあって私の絵ではあやめは黄色、菖蒲は紫と決まっている。

ちなみに杜若なら水色に近い薄紫だ。

我が谷戸の5月の明るいイメージは、この黄あやめが主色となっている。


この御近所の薔薇垣は毎年見事に咲いて行く人を楽しませてくれる。



本は上田敏の「牧羊神」初版。

「牧羊神」には訳詩では無い上田敏自らの詩が数編あり、あまり知られていないがかなりの出来映えだ。

牧羊神を日本の神々にでも置き代えれば立派な文語韻律の新體詩の名作とも言えよう

薔薇の香りに佇んでこの詩を読めば、そのままアルカディアの神話世界に浸れるだろう。

薔薇は元来ロドス島の太陽神ヘリオス由来の花なので、海光明るき鎌倉の地にも良く似合う。

ただ残念ながら鎌倉文学館の薔薇園が建物の改修工事のため3年間休館で、隠者の薔薇の取材は大船植物園まで行かざるを得なくなった。

ーーー仄暗き小園の書庫に千万の 詩歌を集め薔薇で囲へりーーー


散歩ついでに家人に柏餅でも買って帰りお茶にしよう。



画軸は池田輝方の美人画。

輝方は鏑木清方門で池田蕉園と夫婦して人気作家だったが、惜しくも2人とも若くして亡くなっている。

あまり知られていないが、日本画ではこの二人が最も大正浪漫を感じさせる画風だった。

彼らの代表作はネットの画像検索ですぐ見られる。

画中の菖蒲を現代に呼び出すように飾り、時を超えてこの薄命の夫婦の生きた美しき時代を偲ぼう。


鎌倉も立夏を迎え戸外ではマスク不要となり、薫風の散歩路には開放感が満ちて来た。

5月はなるべく戸外へ出て、近年の引籠り出不精の癖を治して行きたい。


©️甲士三郎


295 大正の文学少女

2023-05-04 13:08:00 | 日記

先週の明治の新体詩の後、大正時代の詩では西條八十が出てくる。

彼こそは大正〜昭和の文学少女達に絶大なる人気を誇った詩人だった。


明治中期からの義務教育が行き渡る中で子供達に奨励されたのが唱歌や詩文だった。



(巴里小曲集 初版 西條八十)

その中でも西條八十は少女雑誌の看板スターで、毎月のように幾つもの雑誌に作品を発表している。

先年紹介した天金ビロード張りの「少女純情詩集」は当時の出版界のベストセラーとなっている。

この「巴里小曲集」もそんな文学少女達の憧れの的だったろう。

子供向けの詩だと言って馬鹿にする人もいるが、大正の少女雑誌や童画童謡の古書は今や一般の文芸書より遥かに高額で、隠者如きにはご覧の写真のようにかなり傷んだ物しか手には入らない。


彼は本格詩は勿論童謡から歌謡曲までこなし、また昭和に入って書き出した少女小説も大人気となった。



(花物語 初版 西條八十)

我が地元鎌倉の吉屋信子にも同題の少女小説があってそちらも大人気だったが、この「花物語」は西條八十の少女向け詩話をまとめた短編集だ。

詳しい人によると彼の数十冊もある少女小説には、後世の少女コミックなどに使われたストーリーのアイデアの大半が出揃っていると言う。

その本で育った文学少女が後に偉大な少女漫画家になった例も結構ありそうだ。


もう1冊は西條八十とよく組んで挿絵装丁を担当していた加藤まさをの詩集。



(抒情小曲集 初版 加藤まさを)

加藤まさをは竹久夢二や蕗谷虹児らと並ぶ当時の人気画家だった。

写真は外函で表紙はビロード張りの上品な装丁となっている。

彼が描いた木陰で詩集を読んでいるブーツに袴姿の美少女の絵などは、如何にも大正浪漫を象徴する雰囲気がある。

西條八十とのコンビで世の少年少女達の抒情詩情を育んだ功績は大きい。


現代の物質文明功利主義下の教育では抒情も詩情も不要だろうし、教えるとしても教えられる教諭でさえ数少ないだろう。

ただこの方面には今でもかなりのファンやコレクターが居る所を見ると、新体詩のように完全に忘れ去られた訳でもなさそうで少し安心した。


©️甲士三郎