鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

174 冬紅葉とピアノ曲

2020-12-31 13:18:00 | 日記

還暦を過ぎてからは冬に聴く音楽はロックよりクラシック、中でもシンプルなピアノソロが合うと思うようになった。

学生時代にジャズ研でピアノを弾いていたので、むしろ若返ったのかも知れない。

我が谷戸の古名は紅葉谷と言うほどで今頃の散歩道は散紅葉の色に覆われ、音楽を聴きながら歩くのが気分良い。

もっとも鎌倉の紅葉は遅く12月なので、冬紅葉と言うべきだろうか。


一夜の虎落笛が収まり穏やかな朝の散歩に出ると、我家の脇の小流れが落葉で埋まっていた。


木枯しに散った界隈の落葉が、低い川沿いに吹き溜まったのだ。

こんな日の散歩のBGMには、古風なピアノの音色がふさわしいだろう。

いつもなら隠者の好みはバッハだが、落葉道にはショパンのプレリュードの軽さが似合うと思う。

清澄な音楽は俗世の雑音を遮断して、思索者の孤絶を護る結界となってくれる。


鎌倉の紅葉は京都のように真紅にはならず、やや淡めの色のグラデーションとなる。

苔むし崩れかけた石組に落葉が散り積もる風情には、如何にも鎌倉らしい無骨さがある。


我家の石橋の散紅葉。

四季の自然美と共に暮していると、自ずと立居振舞いも浄化される。

例えば散歩時の衣服の色なども周りの自然美を汚さぬように気を使うようになり、些細ながらそれが天意に叶う充足感ともなる。

我が門前のこの石橋を渡る時に胸中に響いているのは、色彩感豊かなモーツァルトのソナタだ。


山影にある瑞泉寺の紅葉は鎌倉でも特に遅い方だ。

冬の低い太陽からの斜光は、山中の木立に荘厳な光陰を創り出す。


(1219日撮影)

こんな奥行きと重厚感のある色彩に合うのは、以前紹介したキースジャレットのケルンコンサートしか無い。

当時のジャンル分けではジャズになるが、今となれば20世紀を代表するピアノ曲のクラシックとして認めよう。


絢爛なコンチェルトやシンフォニーが春夏に合うとすれば、シンプルなピアノの音色は晩秋から冬の風景に合うと思う。

ただしクラシックの名盤はあまりネット配信には無いので、この冬はあちこちで中古CDを探し回るしかない。


©️甲士三郎


173 冬ざれの遊戯(ゆげ)

2020-12-24 13:08:00 | 日記

画家が静物画のモチーフを美的に構築する事は、世界の秩序と混沌を司る創造神となる事に等しい。

床の間の飾りも他の造形美術諸々も、神々の御業と同じ天地創造の全能感に浸れる。


さっそく近所で買って来た鎌倉産の冬野菜で、床飾りを設えてみよう。

冬瓜と黄蕪にビーツをいくつか朴落葉の上に並べ、卓上の小宇宙を創って楽しむのだ。


室町水墨の蘆雁図を背景にすれば、中世の荒ぶる天地の趣きを室内に再現出来る。

設えた飾りの前に座して茶を点て、浄土楽土を観想するのが隠者流だ。

後で野菜をどんな料理にするか考えるのも楽しい。

ビーツは赤くて見た目でも温まるボルシチ一択だろう。

冬瓜はしばらく飾ってから中華スープにしよう。


次は冬ざれの我が楽園から枯葉や赤い実を拾って来て、鎌倉宮の骨董市で見つけた朽ち加減の良い枡を中心に配置してみよう。


古木の朽色をベースに赤と緑、光と闇、秩序と混沌の構成を考えていると、いつしか時を忘れて没頭してしまう。

仕上に荒庭に咲き残っていた冬菊を添えて完成だ。

写真撮影は現代的な明るさより中世的な暗さを優先する方が、冬の隠者らしくて良いかと思う。


さて今晩は冬至の祭宴だ(12月21日)

冬至は易経に言う一陽来復の日で、この日から万物の気が陽に転じる。

西洋では太陽神の復活の日だ。


中央奥が太陽神ソル(昨年の冬至はアポロを祀った)とヴィクトリーのイコノグラム。

古代ローマではクリスマスより冬至祭の方が重要だったが、中世キリスト教の支配下で太陽神信仰は異端とされ廃れていった。

供物に庭で採れた柚子や蜜柑などを転がして、神々や精霊達との賑やかな祝宴だ。

我家は多神教の上に和洋折衷様式なので、ローマ神に日本の風習で冬至柚子を飾っても許される。

柚子は後で風呂に浮かべて、ゆっくり句でも詠もう。


こんな感じで隠者は疫病禍で引籠る中でも、四季の暮しを楽しんでいる。

読者諸賢もぜひ美しき春秋を送って欲しい。


©️甲士三郎


172 世捨人の冬菊

2020-12-17 14:02:00 | 日記

12月の花屋はクリスマス飾りばかりで隠者好みの和花は少ないが、谷戸の散歩道には山茶花や石蕗などが薄日にひっそりと咲いている。

中でも冬菊は鎌倉の路地の遠近(おちこち)によく見られる。

秋桜子の「冬菊のまとふはおのがひかりのみ」は、隠者が若い頃感じ入った句だ。


冬菊(寒菊 枯菊)は下葉を枯らせながらも咲く風情が何とも隠者好みで、終末の季を象徴する花として珍重したい。

花時も長く色の種類も豊富にあり、冬の散歩道を彩っている。

また谷戸の古びた日本家屋に良く似合い、世に隠れ住む者達に寄り添う花だ。


冬陽を背に枯れながら咲く姿は、世捨人の自画像のように思える。

ーーー冬菊は小鬼の如く朽ち行くも 半身を捩り花を保ちぬーーー


写真のフォーカスが甘い所は、病眼な上にほぼ100年前のMFレンズなので御勘弁願おう。

野菊は菊慈童の故事では不老長寿の仙薬となり、隠棲の草庵には欠かせぬ花だ。

増してや霜雪に耐えて咲く冬菊の露滴なら、薬効も一際高いかも知れない。


日が落ちて苔むした石の間に寒そうにうずくまっているのもいじらしい。


このニ色のグラデーションがある小菊は、我が荒庭にも一株欲しいのだがなかなか売っていない。

暖色系と寒色系の2株があれば、閑居も満足出来そうだ。


冬菊は枯れ果てた庭の離俗の結界となり、冬籠りの世捨人の良き友となってくれよう。


©️甲士三郎


171 鎮魂の冬陽

2020-12-10 12:27:00 | 日記

我が俳句の師、有馬朗人先生が亡くなられた。

こんな世情下では盛大な葬儀は無い様子なので、隠者は一人で秘めやかにお見送りしよう。

次々と浮かび来る追憶の中でも、師も弟子達もまだ若く冗談に興じたり芸術論に熱くなったりした頃は心底楽しかった。


(天神像 室町時代 影青花入一対 明時代)

師に数十年前に頂いた書を飾り、学者であった師のために学問の神の天神像を主神に隠者流の祭壇を築いた。

朗人師や高弟達との語らいの時間は竹林の七賢の宴のようで、今後あれほど高度な風雅の集いは我が残生には二度と望めないだろう。

もっとも大賢者とも言うべき朗人師の弟子が隠者で良いのかと思うが、賢者にも愚者にも成れぬ引籠りの詩画人なので、隠者がお似合いだよと師が笑っている気がする。


弔句を作るべく、薄日さす谷戸をぶらつきに出た。


返り咲きの小花が枯草の間に顔を出し、冬の斜陽が現世に深い光陰を刻んでいる。

この寂滅の景の中で、しばし亡き師の温顔を懐かしむとしよう。

返り花が不帰なる黄金の日々への朗人師の置き土産に思える。


全く句が出来ず薄日の谷戸を彷徨えば、枸橘垣の路地に出る。

春には揚羽蝶の幼虫がこの葉を食べて美しく育つのだが、冬はひたすら刺々しく師亡き後の世を暗示するようだ。


伝説を信じるなら春にはここで師の詩魂が揚羽蝶となって、また昔日のように我が画室を訪れてくれるかも知れない。


元々挨拶句は苦手なのでろくな弔句も出来ず、愚弟振りを曝け出してしまった。

代わりに上の写真の師の句「茄子の苗一天の紺うばひ立つ」に答えて〜

ーーー返り花北闕の天紫紺なるーーー


©️甲士三郎


170 寂光の落葉

2020-12-03 13:43:00 | 日記

自粛自粛で12月に入っても今年はちっとも忙しくはならない。

そもそも歴史上忙しい隠者など存在しないのだ。

まあ、おざなりに家の掃除と片付けくらいはやろうと思っている。


今日は荒庭の最低限の手入れをしようと外に出たのだが、大量の落葉を拾って来て床の間に撒き散らすのも美しいのではと思い立った。

………のだが後の掃除が大変そうなので数枚に留めておいた。


(絵唐津の片口茶碗と徳利 幕末〜明治時代 水墨花鳥図屏風 室町時代)

大き目の落葉を敷いて徳利に櫨の実を活け、極月の冷え枯れの茶を味わおう。

枯淡の極みの室町水墨画を背にして、落葉に残る黄や緑の潤いが如何にも美しく思えるのだ。

唐津の鉄絵も枯れた筆致で合っている。


枯葉は珈琲にも似合うが少し趣向を変えて、葉に色の残る小枝を活けた。

ーーー部屋冷えて名残の色に活けし葉の 薄明かりして枯れ際を待つーーー


現代作家諸氏の茶器と小壺に、燭の暖色の陰影により重厚感が加わった。

落葉や枯葉の色は夏季の緑よりも明度は高く、薄暗い茶室の中ではほんのり寂光を放つ。

取手の無いカップを使って、掌で温もりを包むように珈琲を楽しもう。


鎌倉には京都の紅葉ほどの派手さは無いものの、自然の雑木が多いので初冬の薄日の中で滋味のある色彩だ。


我が荒庭の葛葉の彩りも、散り際の今週が今年最期の華やぎだろう。

災厄の年も自粛で出来た暇を楽しみつつ、この極月を過ごそうと思う。

ーーー禍年の庭荒れ果てて掃かねども 積もる落葉は自然に消えるーーー


©️甲士三郎