鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

95 夏至の神神

2019-06-27 12:56:42 | 日記
和洋折衷の暮しの中で和の伝統儀式に加え西洋風の四季の祭を導入するのに際し、夏は夏至祭か星祭か迷ったが星祭は日本の七夕(旧暦では秋に入る)と重なるので夏至祭にしようと思う。
夏至の祭は西洋古代では太陽神を祀る物だったが、中世キリスト教では聖ヨハネの生誕祭に変わり、今ではキリスト教色も薄まり北欧の一部で花冠を被って深夜(白夜)まで踊る祭りが残るだけのようだ。
そこで隠者流の夏至祭りは古代ギリシャからアポロン ディオニュシオス ヘリオス達を復活させ、幻視の夏日を共に吟行して歩く儀式にしたい。
世間では誤解が多いがアポロン(ローマではアポロ)は光明神にして詩と音楽の神で、太陽神はヘリオス(ローマではソル)が正統だ。
またアポロンとディオニュシオスはそれぞれ秩序と混沌、光と闇を象徴して相対する神でもあるから、詩人と共に歩むのに相応しいだろう。


(永福寺跡の八百年前の礎石にディオニュシオスのイコノグラム)
---掘り出され夏日に焼けて陽炎へる 幾百年の祈りの礎石---
我家の隣の永福寺跡だが、この地にギリシャ神が降臨するのはきっと史上初だ。
昔ある山岳写真家が「山々が最も美しく見えるのは梅雨の晴れ間だ。」と言っていたが、隠者の散歩道も汚れが洗い流された雨上がりの光輝は浄く感じる。
街まで小一時間ほど、夏の動植物の旺盛な生命力の中をぶらぶら吟行しよう。


雨上がりは路傍に落ちている実梅さえ瑞々しく輝き、万緑の中に金茶色が引き立つ。
アポロンのイコノグラムを据えて、重厚さが出るように少し暗めに撮影してみた。
---木下闇プラムの香り濃く重く 古き都の神話廃れて---


(草むした鎌倉時代の五輪塔の残骸)
中世日本では天皇家以外は死者を墓石を立てて埋葬する風習は無く、供養の石塔は鎌倉に数多く残っているがその下に遺骨がある訳ではない。
---緑陰や役の失せたる供養塔---


晩餐は歌仙屏風を背景にイギリスアンティークと清朝染付の器揃えでイタリア料理の、和洋折衷と言うより国籍不明コスモポリタンな宴だ。
卓中央の小額にアポロ、リベリタス、ビクトリーの三神像。
ギリシャ ローマ神話は今や中国インドを含めて全世界で理解されているので、まあ良いのではないか。
隠者は例の血の呪いで酒は糖類ゼロのチューハイを舐める程度だし、ディオニュシオスは名高い酒乱でアポロンと喧嘩しそうなので夜は早々に退散した。

---短夜や神の宴の後始末---

©️甲士三郎

94 盆上茶仙界

2019-06-20 08:49:20 | 日記
前出の珈琲卓の聖域に続いて今回は一般の日常生活でも可能な、煎茶烏龍茶の盆上に夢幻神仙界を築き上げる話をしよう。
煎茶用の小振りの盆は俗世を隔てる結界となり、盆上の茶器揃えは古の詩人賢人達と遊ぶ為の夢幻界への転移装置となってくれる。

まず茶葉を選ぶなら、煎茶では玉露の風味の良さは格別だ。
ある流派は一煎するだけの中にいやと言う程の作法を詰め込んだ末に数滴程の玉露を飲ませて終わるが、物足りなければ英国式ティーパーティーを参考に玉露の後をたっぷりのアイスミルクティーや珈琲と茶菓で語らうのも良いだろう。
アペロから軽食に移るのも有りだ。


(置物は李朝虎児水滴 染付急須と染付杯は清朝時代)
私が夏場に一番おすすめしたいのは白桃烏龍茶だ。
紅茶緑茶系のフレバーティーより一段上の気品があって冷やしても味わい深く、何より桃は西王母以来の夢幻神仙界の香りなのだ。
茶器は古器でなくとも今の磁器で使用には十分だ。(隠者はアンティーク物で楽しんでいるが)
清涼感を出すなら染付か青磁が良く、好みの絵柄を探すのも楽しい。
初心者はつい無難に白磁を選んでしまうところだが、白磁で長年使って飽きないのは宋の定窯物くらいなので新物は勧めない。


(宣興朱泥早期壺 民国時代 青手古九谷杯 幕末明治期 油壺 李朝時代)
さてこれまで隠者なりに数ある茶葉を試した中で、台湾の凍頂茶は一般に手に入る茶葉では最も玄妙な茶味香気があって飽きない。
ただし極上の烏龍茶を淹れるには、宣興朱泥茶壺(急須)の1980年以前に造られたいわゆる早期壺が必須と言われている。
烏龍茶の雑味を取り除いてくれるので名高い茶器だが、近年では肝心の土が枯渇して性能が落ちているので古壺を入手する以外の手は無い。
更に養壺と言ってその朱泥急須を程良く雑味を吸収するまで数カ月かけて茶を吸わせて育てるのが、古の文人達の養石趣味に似て今の歌仙画仙にも相応しいのではないか。
台湾に始まる最近の茶芸(煎茶道に近いがもっと実用的)の興隆により古壺早期壺のオークション価格も急騰しているが、それでも2〜3万円覚悟すれば数はあるので手に入る。

茶杯(煎茶碗)の方は大きささえ合えば性能面では何でも良いが、世間ではやはり唐物が珍重されている。
花鳥画山水画の碗は数多くあるし、若い人には紛彩の仕女図(中国宮廷のメイド)の色絵杯なども良いだろう。
ただこれも朱泥急須にベストマッチの色形となると一気に難易度が高くなる。
私は明時代の古赤絵か江戸物の青九谷の杯を合わせている。
いずれにしろ何かしら仙界夢幻界の景がある器を選びたい。


(十錦手急須 清時代 古赤絵杯 明時代 呉須赤絵小壺 明時代)
杯急須の他にも菓子皿や花器か飾り物を一つ加えると、組合せのバリエーションが増えて楽しめる。
こんな感じで盆上を組めば茶器の花鳥画や山水画の世界にも入り込み易く、神仙となって夢幻の楽土に遊ぶ事が出来るだろう。

©️甲士三郎

93 雨情の独吟

2019-06-13 15:21:11 | 日記


春に防塵防滴のカメラで雨中の景を狙う話をしたが、句歌ならそのカメラさえ要らずに雨の日を楽しめる。(ブログの為にカメラは常に持って出るが)
今の鎌倉は紫陽花が見頃だが有名な寺以外でも随所に良い花があるので、混雑は避けて隠者向きの散歩道を辿るのだ。
紫陽花を見に行くなら快晴の日より敢えて雨模様の日を選ぶべきだろう。

まずは家を出てすぐの永福寺跡の路傍にて。
---根幹に闇を纏ひて蹲る 額紫陽花に集ふ叢雲---
紫陽花なら玉紫陽花より断然品の良い額紫陽花をおすすめする。
殊に我が庭に咲く物が近所では一番の色合いと自負しているものの、写真にはまだ少し早かった。
古壺に飾ると良く馴染むのだが、切り花にするとすぐに萎れてしまうので撮影はスピード勝負になる。
そのひ弱ささえも返って貴種の雰囲気を感じさせて良い。


---鎌倉の古色の土に濃紫陽花---

頼朝の供養塔前の大倉幕府跡の小道にも、清泉小の脇道も紫陽花が植わっていて丁度見頃だった。
人力車の車夫は季節毎の隠れた見所を良く知っていて、和服のご婦人方を乗せて良くここを通る。

---ぶかぶかの長靴の子が次々と 跳び越す水の虹色オイル---
ついでによくある子等の下校風景で一首。
月並だが作者が楽しい時を味わっている事はわかってもらえるだろう。

---薔薇真紅雨が世界を閉ざす中---


遅咲きの薔薇が一株、雨中に咲き残っていた。
雨がだいぶ強くなって来たのでそろそろ一休みしたい。
ここから八幡宮の横の道を旧大仏次郎邸の路地に抜けて、駅前のカフェまでが今日の吟行だ。
一つでも良い作品やイメージを掴めるなら、雨だろうが嵐だろうがこんな楽しい事は無い。
例え良作が出来なくとも健康の為の運動にはなるので、皆も雨の日にも歩いてみよう。

©️甲士三郎

92 絶滅の文人画

2019-06-06 17:01:05 | 日記

(大雅の夢の庵)
私は画技文筆業で細々と糊口を凌いでいるが、昔風に文人墨客と呼べば少しは偉そうに思える。
文人画と言うジャンルが今ではすっかり廃れてしまった理由は、文学も美術も専門化が行き過ぎて全人的な素養のある人が激減したためだろう。
古来からの四書五経に始まり詩書画三絶とかの精神や人格の養成よりも、受験科目や就活目的の実学を優先するのは現代ではやむを得ない。
今や美術史の学究であっても、漢詩や俳句が詠める者など皆無なのだから仕方ない。
さらには世間一般では東洋画を西欧の造形美術と同じ概念で捉えてしまうので、その真髄から遠ざかる一方なのは当然だ。


(松笹鹿鶴古染付八寸皿 中国明時代 探神院蔵)
誤解を恐れずに言えば文人画は神仙境に至る手引であり、画賛詩の方も楽園紀行の様な物で西欧の風景画や芸術概念とは全く違う。
古の文人達の愛蔵したこの古染付皿の絵は、気韻生動を旨とする東洋の精神文化の一つの到達点だろう。
蔓の絡まる異形の老松に鹿と笹の脇侍は三尊仏を思わせる構図で、霊気渦巻く上空の天蓋の位置に祝福の飛天のように鶴が舞う。
仏画や南画文人画を見慣れていない人でも、この樹の超俗性は感じられるだろう。
折々にこの絵を眺めていると、つくづく私もこんな天地に生きたいと思う。
ここなら良い詩画がどんどん書けそうだ。
この絵皿の唯一の欠点は、神聖過ぎて食事に使えない所だ。


(蕪村の胸中の楽土 )
大雅や蕪村達の文人画もその辺を理解してから見ると、一般の芸術絵画より遥かに崇高なアーティファクト(聖遺物)に思えてくる。
文人画は当時最高の教養人達の胸中にしか存在しない天霊地気に溢れる理想郷に、俗世を逃れて暮らそうと言う宗教的掲示だと思えば良い
一般人には読めない韻文詩と独特のデフォルメで簡略化記号化された図像による、俗人お断りの秘密の楽土仙境への案内図だ。
文人画山水画もつまるところ美しい自然の中でゆったり暮したい、ハイキングや釣りを楽しもうと言っているわけで、今のハウジング雑誌アウトドア雑誌と似たようなものだと思えば親しみが持てるだろう。
要はそこにスピリチュアルな物があるか無いかの差だ。

明治政府の文化政策は江戸時代までの伝統文化を蔑み、国家神道と道教仏教の分離政策で神仙思想は廃絶され同時に文人画も衰退したが、新年恒例の天皇の四方拝なんて道教思想以外の何物でもあり得ないだろうに………。
そんな訳で道教思想を廃絶したせいで山河草木から神気が消え去り、人から霊性が消え去ったのだ。

©️甲士三郎