鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

213 随筆中の暮し

2021-09-30 15:06:00 | 日記

隠者ながらも還暦を過ぎそれなりの栄枯盛衰を経てくれば、幸ある人生とは結局は日常茶飯事を楽しむ他ないのだと気付く。

この歳までに大抵の世俗の娯楽には飽きているので、出来るなら精神的に高雅な暮しを楽しみたい。


そこで古き良き時代の賢人の随筆でも読んで、風雅な暮しの参考にしようと思う。

数ある随筆の中で私が最も好きなのは、100年前の大詩人『薄田泣菫』の諸作だ。


(独楽園 薄田泣菫 古萩煎茶器 明治〜大正頃)

彼の随筆はまさに幽居独楽と言うべき日々を描いていて、花鳥風月草木虫魚などの身辺世界をいかに深く味わうかの良い御手本になる。

博学過ぎて私には追い付けない部分もあるものの、小さな自然に対する感じ方は隠者にも共感できる。


ここ1年程ネット上にあった泣菫の初版数々を、今のように値上がりする前に買い漁った。


(泣菫随筆の諸作 明治〜昭和)

この本棚の脇に座椅子を置いて、秋の夜長の書見を楽しんでいる。

大体が季節順に編集されているので、当季の所を拾い読み出来るのも良い。

ごく一部を読んだだけでも、身近な自然を十分楽しんでいるのがわかる。

晩年の10数年はパーキンソン病で口述筆記だったと聞くが、内面世界では至って健勝だったようだ。


泣菫は新体詩史上の金字塔「望郷の歌」を書いた詩人でもあり、散歩がてらの着想も多かったようだ。


写真は我が荒庭の道祖神だが、私の句歌も多くが庭先や散歩中に想を得ている。

ーーー嵐雲の一番端の夕焼かなーーー

また明日は台風の近づく予報だが、この句は先週の雨後の庭での景だ。


こんな暮しに甘んじつつ隠者の残生も、泣菫のように卑近な題材でさえ知的で美しい精神世界に昇華させられるようでありたい。


©️甲士三郎


212 月を祀る

2021-09-23 13:32:00 | 日記

ようやく秋晴の日が続き今週は中秋の名月だった。

隠者は暑さが苦手なので、この時期になると生き返った心地がする。


古来風狂人にとって観月は欠かせぬ行事で、多くの詩文や絵画が残されている。

私もせめて供物の饅頭でも買って来て、月の出を迎えるとしよう。


宵闇の空に一片だけ漂っていた雲が月にかかり、うっすらと虹色の月暈が出た。

古人は現代人より遥かに強く、こんな光景に神聖さを感じていたのだろう。

古詩に詠まれた月への想いは、今よりずっと深い物が感じられる。


饅頭とお茶を御供えして簡素ながら月読の祭壇だ。


夕餉時には我が画窓から丁度良い角度で前山に掛かる月が見える。

若い頃の春秋は詩画の取材に勤しむ季節で、毎年各地を旅していた。

ここ数年は種々の事情で旅にも出られず、自室から眺める風月に託す想いは強まるばかりだ。

ーーーもう旅に出られぬ画家の窓近く

 大きな月の寄りて来るなりーーー


月見に合いそうな陶器類を揃えたので紹介しておこう。


幕末〜明治頃の兎と団子の絵の織部に猫の水滴で、当時の風流人の宴を演出してみた。


今も東南アジアや中国の春節と中秋は、厳しい寒さ暑さが終わって万人が等しく喜べる祭であり、諸国民の最大のイベントになっている。

一方我が国では明治政府の旧暦廃止令で立春も中秋も無くしてしまい、土着の自然祭祀でさえ国家神道にすり替えてしまった。

よって幕府直参の旗本であった我家では、新政府に逆らいこっそりと旧暦の行事を伝えて今日に至っている。


©️甲士三郎


211 生花と書画

2021-09-16 14:36:00 | 日記

花の絵と合わせて生花を飾るのは滅多にないが。書や水墨画には生の花はなかなか良いと思う。

今年は前述の大放出時に気に入った詩や水墨山水画が数多く手に入ったので、四季の色々な花を合わせるのが楽しみだ。


写真は田能村竹田の漢詩軸に秋の草花。


詩の「秋径の下」に合わせて竜胆と水引を活けた。

自分が解読出来ない個所も、花で隠してしまえば安心出来る。

詩中の景に咲いていそうな生花を飾れば、俄然と詩の世界に入り込み易くなる。


石田波郷の代表句「吹き起る秋風鶴を歩ましむ」の軸は、芒の影に掛けてみた。


芒が風を誘うようで気分が良い。

書でも特に俳句は季語に応じて四季それぞれ掛け替えて楽しめるのが最大の長所だ。

隠者は虚子や秋桜子らを中心に戦前の句を集めているが、残念ながら知り合いの俳人達は名句の色紙や短冊でさえ買う人は滅多にいない。


彩色の絵に生花を取り合せるのはやや難度が高い。


絵は小山栄達の「嵯峨野之月」。

この場合は茶緑が主色の絵に対して、補色となる赤い曼珠沙華と火色の出た古伊賀の壺を選んでいる。

破壺(やれつぼ)は秋草枯草の風情を高めるのに最適な上、傷物なので安価で買えるのが隠者にとっては嬉しい。


©️甲士三郎


210 秋の茶器揃

2021-09-09 13:32:00 | 日記

ーーー虫の音の中に朽ちゆく画室かなーーー

ようやく夜半には虫の音が聴けるようになって喜ばしいが、先頃の長雨で画室の天井が雨漏りしてしまった。


その後始末と共に今週から茶器食器などを秋用に入れ替えはじめた。


(古唐津の花入、皿、茶碗 江戸時代)

秋はいわゆる土物(陶器)の器が最も生きる季節だ。

中でも古唐津と秋草との取り合せは格別だと思う。

まずは我が恩師、奥村土牛の富士の前で一服点てよう。

さすがに土牛師の直筆は高価過ぎて無理なのでリトグラフで御勘弁頂きたい。

師の作品の前ではこの隠者も身が引き締まる想いがあり、夏の怠惰な気分を一掃してくれる。


こちらは文人好みの煎茶セット。


(京交阯急須 信楽茶杯 幕末〜明治時代)

左の老賢者のような人形は唐時代の胡人俑。

ちょっと古くて良い急須は近年日本でもアジアでも価格高騰していて、隠者の資金ではもう手が届かなくなっている。

特に幕末京都の文人趣味の煎茶器は人気が高いので、この写真のレベルの物はもう二度と手に入らないと思う。


草庵の和室でも、珈琲なら洋画を合わせてみても良いだろう。


(赤絵ポット 道八造 幕末〜明治時代 マグカップは現代作家物)

ギュスターブモローの銅版画の竪琴を持った詩神サッフォーの絵で、詩人の卓上を飾るのにこれ以上適した物も少ないだろう。

モローの絵に合う額を探すのに難儀したが、なんとか19世紀フランスの真鍮製フレームが見つかった。

己れとサッフォー用にカップ2つで詩神と芸術論を交わせば、正に古代の楽園に暮す気分だ。


隠者は暑さには弱いものの例年秋は調子が出る筈なので、自分でも楽しみにしている。

更にはまた昔のように秋色の山野へ旅に出られる時が来れば良いが…………。


©️甲士三郎


209 深山幽谷への扉

2021-09-02 13:53:00 | 日記

今年も昨年に続き疫病禍で、花火も祭も盆踊りも無く夏が終わった。

例年なら9月10月は取材旅行の時期なのだが近年は老母の介護もあり、長らくスケッチにさえ行けなくなっている。


そこで家に居ながらにして深山幽谷へ移転する仕掛けが役に立つ。


(山水図色紙 大鳳併題 明治頃)

色紙はそのままでも額でも色紙掛けでも気軽に鑑賞出来る上に、安く買えて収納も楽なのでお薦めだ。

居間でお茶を飲みながらちょっと取り出して、俗世を離れた深山幽谷に移転できる。

江戸後期から明治大正頃までの文人達には、市塵にまみれながらも清浄な気分になれるこのような山中幽居の絵が大変好まれた。


現代人でもこんな山水画を部屋に掛ければ、俗事を忘れて高雅なひと時を過ごせる。


(深山訪友図 月僊 江戸時代)

「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」のような、文人画に多くある友人の山中幽居に遊びに行く絵だ。

詩書画などで高い精神性を語り合える友はいつの時代にも得難い。

疫病禍で旅にも出られない昨今こそ、このような絵が閉塞感を和らげてくれる。


詩の軸は低照明の廊下や洋間でも合う。


(秋景七絶 田能村竹田 江戸時代)

秋山に棲む良さを詠んだ詩で、竹田の端正な書体に清澄さがある。

修行すればドラえもんのどこでもドアのように、ここから清浄界へと移転できるようになる。

先に言った時よりは良作は減ったが漢詩の軸はまだまだ安く、四季それぞれに揃えても大した費用ではない。


今年は取材旅行の予算をこのような古書画に注ぎ込んで、家に籠りながらも秋の山野を巡ろうと思う。


©️甲士三郎