鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

320 古式写真機の旅

2023-10-26 13:02:00 | 日記

散歩路にひと月遅れの薄が開いて、今週の鎌倉はようやく秋麗の日々となって来た。

愛用の1930年製のオールドライカをお供にした散歩は小さな旅にも等しく、普段は見えない様々な光景が発見できる。


朝方の光に空気も澄んで、今日は白秋と呼ぶにふさわしい日和だ。



近所の薄の穂が日差しの中で柔らかく靡いている。

出掛けにこのような爽やかな光を見られると、その日はずっと良い気分で過ごせる。

今年の9月の朝から30度を超える日々など、体調も崩し気味で何も出来なかった。

健康維持のために必須の散歩や運動も、私は天候次第気分次第でやる気が全く違うのが困った物だ。

今日のような秋麗の日なら何でも出来る気がする。

この写真は谷戸の山影の青を背景に輝く花薄を撮してみた。

ーーー薄あり陽あり風あり小径あり 世に隠れ棲む谷戸の白秋ーーー


秋の午後はやや傾いた斜めからの光が草木をドラマチックに見せてくれる。



犬蓼と麒麟草の何と言う事もない草叢が、斜光とオールドレンズのお陰で夢幻の輝きを放つ。

光は滲み物はぼやけるが、その代わり天霊地気を捉える事が出来るレンズだ。

ファインダーを覗けば肉眼で見るよりずっと良い光景が見られる。

また古いカメラを持って歩いていると、こんな細かな景色の光にまで敏感になれるのが良い。

ーーー秋草の小径途切れる所の陽ーーー


だいぶ前にも紹介した隠者愛用のオールドライカ。



レンズは長い方がヘクトール7.3cmで短い方がニッケルエルマー5cm

この写真を撮っているレンズはニッケルズマール5cm

いずれも193032年頃のドイツ製で、もうすぐ100歳になる老兵達だ。

この古い写真機と共に、またいつの日か遥かなる旅に出たいものだ。

ーーー散歩路古式写真機供連れに 世の果てまでの旅を夢見つーーー


鎌倉は12月の初旬までが秋なので、これから1ヶ月は色々と秋の美しい物が見られるだろう。

この夏はほとんど良い情景に出会えなかった分、秋はそれらを逃さず貪欲に味わいたい。


©️甲士三郎


319 郷愁の灯火器

2023-10-19 13:01:00 | 日記
ーーーランタンの大正の煤秋深むーーー

秋の夜長はアンティークの灯火器で過ぎ去りし日々のノスタルジーに浸るのに最適な時だ。


鎌倉で真っ先に紅葉するのは桜の葉で、色付くとすぐに散ってしまう。

その桜落葉を拾って来て卓上に敷き詰め、秋暮の灯の風情に浸ろう。



(風物誌 郷愁 稚心 初版 滝井耕作 カンテラ 昭和中期)

桜の紅葉は一枚の葉が大きく色彩の変化も多彩なので、楓の紅葉よりも描きがいがある。

朽ちかけた木の枡に落葉と小振りの林檎を入れて、昔スケッチ旅行に通った信州の田園の雰囲気にしてみた。

灯火器は旅行にも持って行った小型のカンテラ。

秋の陽は釣瓶落としで夢中になってスケッチしていると、いつの間にか山中や田畑の畦で暗くなってしまい、そんな時にこの小さなカンテラがあると心強かった。

当時の懐中電灯より軽いので旅に適していた上に、何と言っても昔の旅人の気分に浸れるのが良かった。


折角手間を掛けて綺麗な桜紅葉を敷いたので、もう一枚の写真も同じ設定を使おう。



(竪琴のサッフォー ギュスターブ・モロー 瀬戸珈琲器 ランプ 昭和前期)

先月の鎌倉宮の骨董市で入手したアンティークのランプは、19世紀のモローの銅版画を眺めるのにぴったりだった。

このアールヌーボー調のシェードの燈下なら、古代ギリシャのアルカディアの秋の野に詩神サッフォーが奏でる竪琴の音色も聴こえて来よう。

ここでお気に入りの郷愁の詩の一編でも思い浮かべれば、秋の夜長の珈琲も格別の味わいになるだろう。


古画は古き灯火で見ると一層その時代の心情に近付ける。



(菊酒画讃 田能村竹田 古唐津徳利盃 江戸時代 オイルランタン 大正時代)

古書画の軸はいつもは蝋燭の灯で見るのだが、このランタンは提灯のような形が案外和風に見えて面白い。

元は灯油のランタンだった物を電球が使えるように改造してあり、あえてガラスの油煤の汚れや錆を取っていない所が気が利いている。

菊酒の画讃は江戸時代の文人達の秋の詩宴の座興らしく、滑稽な戯れ句でも高雅な書体で書いてしまうのが竹田らしい。

この絵を古びた光の中の酔眼で見るならば、古の文人達のように菊慈童の伝説を幻視するのも容易く思える。


今週は秋麗の日が続いたが、こんな日和は多くても年間で10日有るか無いかだろう。

諸賢も数少なくなった秋の好日を、精々心して楽しんで頂きたい。


©️甲士三郎


318浪漫主義者の古机

2023-10-12 12:58:00 | 日記

一年のうちで珈琲が最も美味しく思えるのは秋の深まる頃だと思う。

この時期の暖かい珈琲には、草臥れた老体に活力が染み込んで来るような滋味がある。

抹茶を飲んでも活力と言う感じはしないので、暖かさ以上に甘さが重要なのだろう。

もっとも私が口に出来るのはカロリーゼロの甘味料だけだが。


そのような珈琲を最も楽しめる場所は擦り減った古机の上だ。



(珈琲碗 フランス 皿 角鉢 イギリス 1900年前後)

和風の文机でも洋風でも構わないが、とにかく古びた木の机が良い。

写真は英国製のサイドシェルが付いた20世紀初頭のライティングデスクで、古書と珈琲を楽しむには最適だろう。

英国アンティークも1900年前後のカップ&ソーサーならそれほど高価ではない。

このデスクで英国浪漫派の古詩を眺めつつ暖かい珈琲を味わうのは、秋の夜の隠者には至福の時だ。

私にも一粒だけなら食べられる糖質オフのチョコレートが何ともいじましい。


文机の上に古いアールヌーボー調のランプを置けば、簡単に大正昭和初期の雰囲気が出る。



(純正詩論 初版 萩原朔太郎 珈琲器 浜田庄司 ランプ 昭和前期)

本は萩原朔太郎の「純正詩論」初版。

この本を読むと朔太郎がいかに西洋と東洋の狭間で苦悩していたかが伝わってくるが、素直に和洋折衷様式の暮らしを目指せばどうと言う事も無かったろうに。

当時の詩壇の状況では完全な洋風化を求められたのだろうか。

朔太郎はその後昭和18年に「日本への回帰」を出し、また盟友の室生犀星も詩からの引退と俳句への帰順を表明している。

俳句短歌と同じように詩も日常の生活の中から生まれて来る物だから、身辺の自然や衣食住からして和の伝統を拭い去れなかったのは無理もない事だ。


109日は明治大正の大詩人薄田泣菫の命日だった。



(猫の微笑 初版 薄田泣菫 珈琲碗皿 大正時代)

泣菫の晩年はもっぱら随筆の名手として活躍し、「茶話」始め数々の随筆集がある。

身の回りの小さな自然観賞に鋭さがあり、その豊富な知識から来る語り口の多彩さは読者を飽きさせないので、私もいつの間にかその全ての初版本を集めてしまった。

写真の珈琲碗皿は明治〜大正頃の輸出用の古伊万里で、和室で色絵磁器を使うならこれ以外ないと思う。

裏山で拾ってきた落栗と鞘豆も、薄田泣菫ならきっと恰好の随筆の材料になった事だろう。


今週は秋らしく爽やかな日が続いた。

隠者はもう秋が来たと言うだけで他には何も要らないほど満足だ。

体調も気分も89月とは段違いに良く、近所の小菊の散歩路が別天地に思える。

ーーー老嬢は小菊の路地に消え入りぬーーー


©️甲士三郎


317 猫神様の散歩路

2023-10-05 13:08:00 | 日記

10月に入ってようやく秋らしくなり、隠者も一息ついている。

これは今年が特別なのでは無くこの先終生続く訳で、もう毎年5月から9月末までは真夏だと覚悟して生きて行くべきだろう。


秋気満ちる朝、我家の猫神様が野辺の散歩を御所望なのでお供した。



(木彫猫神像 江戸時代)

草木や小動物にとって今年の酷暑は人間以上に辛かったろう。

その中でも露草は可憐に涼しげな色で秋の散歩路を彩ってくれる。

まだ酷暑の8月から咲いていて、このように10月まで咲き続けるのは珍しい。

我が谷戸ではよく見かける花だが今年は暑い日が多く散歩の機会も激減していて、秋らしい気温となった今週ようやく露草の散歩路を心から楽しむ事が出来た。

きっと猫神様も満足してくれただろう。

ーーー露草の路の行方の細さかなーーー


猫の本なら夏目漱石を避けては通れないだろう。



(吾輩は猫である 普及版 夏目漱石)

漱石の「吾輩は猫である」の初版上中下3冊揃いは100万円以上もするので、私は明治44年に出たこの普及版で満足している。

普及版と言えども天金クロス装丁の可愛らしい小型本で、表紙や挿絵の猫の絵も気が利いている豪華な物だ。

元は高浜虚子の俳句雑誌「ホトトギス」に連載されたのが初出だから、単行本の初版より「ホトトギス」を狙うのも良いかもしれない。


そして猫の本の真打ちは誰が何と言おうと「綿の国星」だ。



(綿の国星 大島弓子)

我が国の少女コミック史上に燦然と輝く猫漫画の不朽の名作「綿の国星」は、出た頃は私の周囲でも知らない人はいないくらい大ヒットしていた。

隠者はその後の詩歌小説や美術のジャンルまで含めても猫物ではこれが最高傑作だと思っている。

猫に犬蓼は無いだろうから写真の草は赤まんまと呼んで欲しい。

この赤い穂も秋の散歩路にノスタルジックな風情を加えてくれる。

我が荒庭にもちょこっと咲いているが、切るとすぐにしなだれてしまうので活け花には難しい。


私は来年から正月に暦を買ったら真っ先に8月の立秋を酷暑と書き直し、10月の寒露をもって立秋とする事に決めた。

鎌倉は101112月が秋で冬は1月だけ。

234月が春だ。

予めそう決めていれば愚痴も出なくなるだろう。

そして89月は季節の句歌は一切作らず、猫物のライトノベルでも書いて過ごすのが良い。


©️甲士三郎