鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

156 荒地の幻視

2020-08-27 13:19:00 | 日記

鎌倉の山の辺には放置されている空地や荒地が結構ある。

我が谷戸の奥の登山道手前の荒地は、殊に隠者の散歩には欠かせない小さな楽園だ。


ここは元々結構な御屋敷だったのが、相続問題で数十年も放置されているようだ。

半分山林に飲み込まれたような庭園跡の花々が盛んな生命力で生い茂り、壮絶な景が見られる。


長い不況の為か最近は他にもこんな空地が結構多い。

鎌倉は建設の際に発掘調査が義務付けられていて数年かかる事もあり、その間に草木が茂って空地と言うより荒地の様相を呈する。

元の住人が植えていた花などが乱れ咲き、隠者好みの美しき荒廃を見せてくれるのだ。


程よく荒れ果てて、異世界への入口と言った趣きのある石段だ。

夏の終りの光が廃れゆく現世を気怠げに照らしている。

この上に建っていた明治〜大正頃の旧家も取り壊されてから十年以上経ち、自然のまま草木が荒れ放題になっている。

私有地なので奥までは入らないが、こういった風情は廃都らしくて良い。

最近は廃墟の美や哀惜の感が世界中で理解されて廃墟写真集も人気だと聞くので、私も同好の士が増えて嬉しく思う。


石段を上がった先にあった建物は跡形も無く山野草に覆われている。


かろうじて残っている旧庭の小径に、百合の精が通せんぼするように咲いている。

私有地なのでこの先には行かないが、奥は茂みが山へ連なっているだけのようだ。

こんな場所こそ隠者が幻視に入るに格好の景である。

ここが古代文明の廃れた暗黒の中世の森で、唯一隠者だけが高度な精神文化を継承して…………

と言った物語がこの荒廃した楽園から始まるかもしれない。


©️甲士三郎


155 精霊会の夜

2020-08-20 13:32:00 | 日記

我家でもお座なりながら盆の精霊会(しょうろうえ)をやるが、先祖崇拝の慣いは無く持仏に供物灯明を献ずるだけで墓参もしない。

日本の庶民が墓を作り祖霊を拝むようになったのは幕末以降で、釈迦にも頼朝公にも供養塔はあるが墓は無かった。

そんな訳で我が家のお盆は天地の精霊を祀る会となっている。


(金銅観音像 元〜明時代)

盆の儀式は例年地味にやっているが、今年は疫病禍なので特に秘めやかになった。

供物の菓子は私が唯一食べられる糖質ゼロのチョコクッキーだ。

実は暑さで和菓子を買いに行くのを忘れて、家にあった物で済ませた。

供物は有り合わせでも、精霊達と灯明を囲んでしみじみと過ごす宵は味わい深い。


鎌倉もさすがに今週は猛暑なので、散歩も涼しい朝方か夜にしている。


永福寺跡の中世と変わらぬ池越しに盆の谷戸の灯を眺めれば、昔の人々の精霊への強い思いも身近に感じられよう。

死者も生者も過去も未来も、幕営の鬼門にあるこの別天地の中にあるのだ。

今年は日本各地の美しい精霊会の風習も軒並み中止になっているが、イベントの無い地味な自然風景にこそ古人達の精神性は見つけ易い。


戻って来て我が探神院の石段。


探神院の門中は如何にも夢幻界の入口にふさわしく、この夜の灯火もぼんやり潤んでいる。

我が荒庭にも虫の音が聴こえて秋の気配が漂う。


盆過ぎの暑さは残暑と言うべきなのだが来週も猛暑極暑が続くらしい。

秋風の中で花や風物を楽しめる時を願って、雨乞ならぬ秋乞の秘儀を当院で新規発願すべきかも知れない。


©️甲士三郎


154 晩夏の光陰

2020-08-13 13:41:00 | 日記

ーーー陽の褪せて刻の留まる夏の果 昔の我が通る裏路地ーーー

晩夏の光は幾分か過去の色味を帯びて気怠い。

鎌倉の百年前のままの路地は人影も無く時が止まっている。

だいたい隠者は過去に生きる者なので、こんな路地によく出没する。


ここはいつも通る道のひとつ脇の、白旗神社に抜ける路地だ。

この谷戸は車が入れないような、大正昭和の頃の狭い路地が沢山残っている。

古式写真機が上手く昔の光を捕えてくれた。


古いレンズはコーティングが無いので、光源の角度によっては内面反射によるフレアーやゴーストが出やすい。

それを逆に活かせば、現代レンズでは出来ない一つの表現手段となり得る。


晩夏の逆光では人物を暗くシルエットにしたり、物の周囲をフレアーで幻想化する手法が効く。

路地の鉢植えの花もフレアーとコントラストの低下で、記憶の中に咲く永遠に散らぬ花に近付けた気がする。


猛暑の中でも緑陰で45分なら、詩句を案ずる余裕はある。

ーーー弱法師(よろぼし)の背負ふ晩夏の光かなーーー


まあこの写真の光彩は我ながら上手くいった方だが、我が人生には作品の出来よりもその元となる感動体験の方が常に重要だ。

この時は己が身ごと晩夏の光陰に溶け込んで、詩的荘厳を得られた満足感がある。

一応言っておくとPCでの編集加工は一切していない、オールドレンズの純粋なフレアーだ。


今回使用した古式写真機。

幻視を具現化できる魔導具だ。


ベス単レンズ改(1919年アメリカ製)

アサヒペンタックスSP(1964年日本製)


©️甲士三郎


153 梅雨明けの飛天

2020-08-06 13:35:00 | 日記

長かった梅雨が明けて隠者も今週は洗濯と黴掃除と虫干しに追われた。

澄んだ青空と白雲の輝かしさに、今年は殊に有難みを感じる。

我が狭庭の天にも揚羽が舞い、真夏の開放感がある。


運良く古式ファインダーに捉えられた揚羽蝶が、オールドレンズの滲んだ描写によって夢幻世界へ誘っているように思える。

さらに番いで縺れ合うように飛翔して行く姿は、幻視の飛天の舞と変化(へんげ)して行くのがお決まりだ。

もっとも飛蚊症の我が視界には常に幻影が飛翔しているので、これも別段珍しい事では無い。


文机にも軽やかな飛天の絵の花入を置いてみた。


(奏楽天図粉彩小瓶 中華民国 192030年頃)

こちらは色鮮やかな粉彩の奏楽天で、我が病眼中の幻影を拡大すればこんな景になっている訳だ。

飛天とは仏教方面での呼称で、一般的には天人天女と言う事が多い。

また道教では仙姫仙娘などと呼ぶ。

日本における同様の絵柄は宇治平等院の長押を飾る雲中供養菩薩諸像で、多様な楽器を奏でながら阿弥陀浄土への来迎の景となっている。

これに野花を活け月並みだがバッハのフルートソナタでも聴きながら、ぼんやり思索に耽るのが気怠い夏の昼下りには良いだろう。


下の写真は中国の典型的な仙娘達の絵だ。


(粉彩大瓶 清朝後期)

散華霊芝雲の中に舞う仙娘達が如何にも楽しそうに描かれていて、昨今の暗い世相を吹飛ばしてくれる。

濃厚な極彩色が多い中国美術の中では粉彩はやや薄めの色調で、その明るさ軽快さで日本でも人気が高い。

当時の列強支配の清朝衰退期にあって、きっと清の人々も清明な絵を求めたのだろう。

私は普段は重厚感のある物が好きだが、暑中はさすがに爽やかな絵柄の粉彩が好ましく思える。


そもそも隠者は疫病禍で無くとも引籠り生活ながら、8月からはもう自粛しない引籠りで明るく楽しく、世に正しき隠棲の範を示すべく筆を進めようと思う。


©️甲士三郎