鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

329 廃墟上の庭

2023-12-28 13:19:00 | 日記

我家は鎌倉時代には大伽藍だった永福寺僧坊の遺構の上に建っている。

50年ほど前に簡単な調査が行われ、礎石と柱穴以外は大した物は出なかったようだ。


隠者は冬至が過ぎて立春までのひと月ほど、この地で文字通り幻冬と言うべき暮しに籠る。



(石段奥は李朝石仏)

そんな時季にはつくづく我家が鎌倉時代の廃寺の上に建っている事に深く想い入る。

手入れを怠って荒れ放題の冬庭がその感じをますます強めるのだろう。

もっとも隠者の庭が綺麗に整えてあるのも似合わないから、これで十分満足すべきなのだ。

冬の荒庭に柔らかな薄陽が差している静かな午後は、己れの詩画の世界に浸り切るのに適している。

俗世間の師走の慌ただしさからは遠く離れ、観光客の途絶えた鎌倉の閑寂な冬は格別だ。


我家の正月は旧暦立春の時なので、年末と言ってもやる事は無い。



(鴨東四時雑詞 中嶋棕隠 江戸時代 絵萩湯呑 江戸時代)

冬籠り中は毎年テーマを決めて、纏まった勉強期間を取るようにしている。

今年は写真の中嶋棕隠の「鴨東四時雑詞」文化年版が手に入ったので、以前からある頼山陽田能村竹田らと合わせて江戸時代の漢詩研究だ。

中嶋棕隠はその頃の京の祇園界隈の詩を数多く詠んでいて、鎌倉の街を詠むこの隠者の詩歌の良き手本にもなろう。


京都繋がりで飾りの短冊も晩年洛北に隠棲した吉井勇の短歌にした。



(直筆短冊 吉井勇 古九谷色絵徳利盃 明治時代)

「京さむし鐘のおとさへ凍るやと、云ひつつ冷えし酒をすすりぬ」勇

歌中の酒を珈琲に変えれば、今の我が幽居も丁度こんな静けさだ。

吉井勇は若き頃の恋歌が有名だが、私は彼の晩年の静寂な歌境の方が好きだ。

同じように与謝野晶子も中期以降に深みを増しいている。

我が晩生もかく在りたい物だ。


そんな暮しの隠者も食糧調達のため週に2度ほどは町に出る。

鎌倉には古い教会も幾つかあり、買物帰りに見た聖夜の灯が窓から漏れる景はなかなか静謐で良かった。

ーーー諸人の神へ捧げし灯火も やがて消え行き夢に入る町ーーー


©️甲士三郎


228 閑居の冬至

2023-12-21 12:59:00 | 日記

我家ではクリスマスも無く正月は旧暦でやるので、この時期の祭礼は冬至祭りだけだ。

世界の歴史を見ても、人為的な新年祭より自然に準じた冬至祭の方が遥か古代から行われていた。


ギリシャローマでは太陽神ヘリオスの復活の時で、また同時期に地母神デーメテールや光明と詩歌の神アポロンの祭典もある。



(アポロ、ムーサ、リベリタスのイコノグラム ローマ時代)

隠者の冬至の祭壇では詩神アポロ(ギリシャではアポロン)を祀っている。

かなり昔にこのローマ時代のアポロのシルバーメダルを見つけてから、我が詩画の暮しには結構な加護を頂いて来た気がする。

ミューズの楽園に詩神アポロンと自由の女神リベリタスが遊ぶ感じでイコノグラムを組んだ。

朽木の額が中世キリスト教により廃された古代の神々に似合っていると思う。


画室の置床には恒例の蕪村筆芭蕉像を祀り冬瓜と南瓜を御供えした。



(芭蕉像 蕪村 江戸時代 李朝燭台)

句も芭蕉の「旅寝して見るやうき世のすす払」

蕪村は常々芭蕉を崇拝していて、よく神仏高僧に見立てた画讃を描いている。

現代の俳人に取ってもこの蕪村が描いた芭蕉像以上に崇高な聖遺物は無いだろう。

私も家に籠もってばかりいないで芭蕉のように旅に出たいのだが、血糖の呪いで外食がままならないのと老母の介護で断念せざるを得ない。

せめてこの軸を眺めながら己が若き頃の旅を懐かしむ事にしている。


今週は鎌倉も急に冷え込んで、我が谷戸も流石に冬の趣となってきた。



冬至の寂光が枯草を照らす上には寒靄がうっすらと漂う。

午後の散歩も寒くて近所を廻るだけで終わってしまうが、それでも結構良い光景を見る事はできる。

寒さにも慣れてくればもう少し歩くのだが、無理せず当面は運動は室内に限る。

クリスマスも正月も無い静寂の谷戸で、精々枯淡の詩句でも案じるとしよう。


疫病もなんとか過ぎ正月の鎌倉はまた大層賑わいそうで喜ばしいが、隠者は例によって立春までは幽居に籠りうつらうつら夢幻に浸る他ない。

ーーー木の虚(うろ)に夢幻の蛹枯山河ーーー


©️甲士三郎


327 古壺の幽花

2023-12-14 13:22:00 | 日記

幻冬の花には見た目の華やかさより、季を超えて夢見るような趣きが欲しい。

昔から好まれる玉椿や侘助にはそんな風情がある。


近年の我が荒庭で見られるようになったのが、気候変動で花期に迷ったかのようにこの極月から正月にかけて小振りに咲く紅山茶花だ。

ーーー幻冬の古壺に抱かれて花紅しーーー



(古越前お歯黒壺 江戸時代)

以前から庭にある木で昔は11月に普通の大きさで咲いていたのが、開花時期が遅くなり小型になってしまったのだ。

しかし今ではその慎ましさが一層幻冬のイメージに合い、細身で気に入っているお歯黒壺に入れて眺めている。

寒椿よりやや冷たい赤色も大雪(たいせつ)頃の節季には似合うと思う。

こんな花は寂び枯れた古壺に無造作に投げ入れると、その生命感が一際愛おしく見えてくる。


我家は寒椿寒梅は1月からと決めているので、花の少ない12月に山茶花は重宝する。

ーーー木の葉より白山茶花の散り易くーーー



(古伊万里染付油壺 江戸時代)

こちらは普通の大きさの山茶花で、通常通り11月始めから咲いていた。

花びらの先端にごく薄い紅色が差していて、江戸時代の小料理屋の窓辺に飾ってあったような古伊万里の小壺に入れると風情がある。

上の紅山茶花のような玄妙さは無いが、冬場には貴重な可憐な花だ。

今頃の花屋ではクリスマス飾りばかりで和花は見当たらないので、12月の庭に山茶花は必須の花だろう。


今日の散歩のお供は漢詩集だ。



(唐山感情集 初版 日夏耿之介)

これは日夏耿之介の選んだ漢詩集で彼の好みが良く反映されていて、一風変わった古詩が多い。

彼の文章はなかなか気が利いているのだが、詩の翻訳の方は余り期待しない方が良い。

冬の日の散歩にはこんな古い詩集が持って来いだと思う。

ただ漢詩には冬の名作があまり無く、枯山河や雪景色に心動かされるのは日本人特有の情かもしれない。

年間の気候では30度以上の日が多くなり79月は外出には不適だから、今頃の小春の陽射しなら是非外に出て初冬の空気を楽しむべきだろう。


鎌倉の12月は観光客も少なく、普段は混んでいる寺社も静かで良い。

少し寂れた紅葉もまだ残る閑寂な谷戸は、まさに幻冬の雰囲気で詩歌の吟行にもお薦めの時節だ。

ーーー人失せし路に灯が入り哀愁の 曲が流れる幻喫茶ーーー


©️甲士三郎


326 時雨の吟行路

2023-12-07 13:04:00 | 日記

今週の鎌倉は紅葉の見頃でまだ晩秋の気配だが、たびたび降る時雨の時間は初冬の気分にもなる。

紅葉や落葉が濡れると彩度が増して薄い陽の中で寂光を放っている。


ーーー時雨谷どの路地行けど行止りーーー

時雨の時は写真の散歩や吟行には絶好の機会だ。



我家の前山、護良親王の御陵。

散り残った雑木の紅葉が雨に烟っている。

隠者には時雨の陰鬱な光と潤いの中でこそ、天地玄妙の色合いが感じられるのだ。

秋の女神である竜田姫の深き憂いの色とも想える。

今回も愛用のライカのオールドレンズが、鮮やか過ぎない秋寂の色味を出してくれた。

ーーー鎌倉の時雨小暗く落葉濡れ 秋(とき)の名残は沈鬱の赤ーーー


お隣の永福寺跡を囲む山は近年葛に覆われて、晩秋の黄葉が我が眼を楽しませてくれた。



それが、この写真を撮った後すぐ頂の方から刈り尽くされてしまったのだ。

この春も蒲公英の群生をその花盛りにも構わず刈ってしまった業者だから、誰が何を言おうと無駄だろう。

あるいは役所から片端から花や紅葉を駆除しろと言われているのかも知れない。

雑木や葛の紅葉は初冬の薄日で見ても味わい深い物があるが、煙雨細雨の中の彩は最も隠者好みだ。


ーーー句集抱き風を眺める懐手ーーー

126日は我が有馬朗人師の命日だった。



(天為 初版 有馬朗人)

もう3回忌になるが、幻の師とは今でも句会を共にしている気になる。

今日は最近の私の勉強振りを亡師にお見せしたい。

押韻平仄を確かめてくれるAIが出来たお陰で私にも漢詩が作れるようになったのだ。

有馬先生は中国の文人達が大好きだったから喜んでくれるだろう。


 悼歌(古拗体)

咽雨彷仙径

暝園顕昔師

舎奥灯玄妙

夢辺祈詠悲


煙雨の径を彷徨ひ行けば

暮色の園に亡師佇む

庵の奥の献灯昏く

夢辺に詠みし悼歌悲しき


©️甲士三郎