鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

208 文人趣味の謎

2021-08-26 14:14:00 | 日記

我家の今ある荒庭を作ったのは明治〜大正頃にここに住んでいた何処かの校長をしていた人で、典型的な文人趣味の庭だった。

庭木は松竹梅に棕櫚、芭蕉、梧桐などが特有の配置で並んでいたのを私が手を入れて、現在の荒廃振りに至る。


文人趣味の中でも最も不可思議なのが愛石だ。

その代表的は太湖石と言う穴だらけの奇岩で、中国風の庭園にはなくてはならない物だ。


(蘭石画賛 貫名崧翁)

我家にもひとつ伝来の奇石があるが、軒端に転がしてあるのを今後はもう少し大事にしよう。

蘭は春なので代わりに露草とその石を崧翁の軸と並べてみたがどうだろう。

石が大地の気の象徴だと言うのはわかるが、奇岩ほど偉いと言う点が理解し難い。


江戸後期に始まる煎茶が当代知識階級の中国文化への憧れと相まって、いわゆる文人趣味が形作られていった。


(茶器画賛 田能村竹田 織部急須 幕末〜明治)

この夏の大放出で入手した大雅や竹田の書画を飾り、古い茶器で煎茶を淹れ自ずと詩句を案じる時の幸福感は格別だ。

自分も古の文人達の仲間入りした気になれる。

昔の良い急須は立つと言うのを実演してみた。


文人趣味の庭は現代人には理解し難い部分も多く、桜や紅葉などの繊細な枝振りに比べると棕櫚蘇轍梧桐などの電柱のような幹は如何にも間の抜けた樹形である。


これらは江戸前期までの日本の美意識には到底入って来ない色形なのだが、その茫洋としたところに禅の大愚のような意を感じられるかも知れない。

古画に棕櫚や芭蕉の大葉を敷いてその上で昼寝する絵がある。

また松尾芭蕉の号なども深い想いが籠っているのだろうが、あの芸の無い木偶の棒のような植物を愛でるにはこの隠者も修行がまだ足りないと思う。


©️甲士三郎


207 嵐過の荒庭

2021-08-19 13:54:00 | 日記

今週はひどい雨続きで、予定していた書画の虫干が出来なかった。

ついでに盂蘭盆の行事も洗濯もサボってしまった。


楽しみに見ていた庭の露草も風雨でだいぶやられたが、切株の脇にいくつか咲き残っていた。


切株に棲みついている青蜥蜴も、写真には写せなかったが元気そうだった。

小花を何輪か摘んで文机に活けよう。

少しは涼しげになるだろう。


露草は小さいので小壺か竹籠にしか合わない上に、弱いので摘んで12時間しか持たない。


(古越前お歯黒壺 江戸時代 古九谷急須 茶杯 幕末頃)

秋の草花はこの手のいわゆる「蹲る」壺に最も良く似合う。

外はまだまだ残暑が酷いが、露草を活けた古壺からは秋気が湧き出すようだ。

江戸時代の文人達に習い湯冷ましで淹れたぬるい煎茶を味わってみると、冷蔵庫でキンキンに冷えた飲物よりも優しい感じはする。


近年は夏の花は56月に初秋の花は7月に咲いてしまい、89月の残暑の時期に咲く花が乏しくなっている。


(古備前壺 江戸時代 竹編鳥形合子 清朝末期)

水引の花は微細ながらもこの厳しい残暑の庭に、数少ない彩りとなっている。

この小さな赤い粒は写真ではほとんど見えないほど地味だ。

花持ちは良いので、流派花の添え物としては重宝しているようだ。

こんな花でも案外隠者には似合っていて十分楽しめるのだ。


ーーー水引が朱を点じたる荒庭の 嵐の後の緑猛りてーーー

荒庭は言うまでもなく風雨に乱れている方が風情があるので手入れが楽だ。

今後も彼岸過ぎ迄は暑さも疫病禍も続くので、隠者は極力引き篭ってこのような密かな悦楽に浸るべきだろう。


©️甲士三郎


206 幽隠の古詩

2021-08-12 13:24:00 | 日記

前回も話したが、この数ヶ月で古書画の軸があちこちで大量に投売りされている。

こんな生涯1度あるか無いかのビッグチャンスでは、私の手が届く物は躊躇せずに予算を投入する事にした。

狙いは現代では人気の低下している文人画だ。

古人の幽居で書かれた蒼古たる詩画の軸を飾れれば、この隠者の幽隠レベルもまたひとつ深めてくれるだろう。


実際に古詩を飾ってみれば遅まきながらこの歳で、新たに詩軸の良さと味わい方がわかって来た。


(蘭画賛 貫名海屋 崧翁 江戸時代)

「芳香を秘めて花幽かなり」の秘と幽の使い分けが実に上手い。

君子蘭は春先に小さく目立たない花を咲かせる。

その地味ながら気品のある姿が古人達の好みに合っていて、沢山の詩画などに描かれて来た。

この軸を飾って日々眺めていれば、この5文字くらいなら私でも作れそうな気になってくるのが怖い。

ただし貫名崧翁は幕末三筆として名高く、書は到底私如きの及ぶ所とは思えない。


画を味わうには眼を離さずに凝視する訳だが、詩の場合には始めはじっと見るがやがて眼を閉じて詩句を反芻したり茶を飲みながら思い返したり出来る所が良い。


(茶詩 頼山陽 江戸時代)

お茶は良いよね、と言った詩。

前回触れた山紫水明処の文人達はまた、当時興隆した煎茶道の先導者でもあった。

実際この軸の前で茶を飲み眼を閉じれば、夢幻界で古の詩人達の座に加わった気分になれる。


もう1枚は芙蓉秋果に太湖石の画賛。


(画賛 菅茶山 江戸時代)

田能村竹田の画に茶山が付けた詩だが、まだ数カ所読めていない。

この解読は先々の楽しみに取っておこう。

2人の友誼と温雅な人間性だけは一見で伝わってくる。


他にもネット市場には読めればきっと良い詩だろうに、私を含めて現代人には解読不能な詩軸が沢山ある。

読者諸賢には読める人も多いだろうから、試しに一つ入手してみてはいかがだろうか。

ただし書道界には今だに臨書と言う模写の悪習が蔓延っていて、悪質業者によって簡単に贋作に変化し得る物が山ほどあるのでご注意を。

それでもネットオークションなら家で印譜集や資料と照らし合わせながら、じっくり鑑定出来るので昔よりは買い易い。


©️甲士三郎


205 山紫水明の楽土

2021-08-05 13:13:00 | 日記

大正頃の鎌倉文士達の楽しい暮しを書いたなら、更にその100年前頃の京都の文人達の楽土を忘れてはいけない。

鴨河畔の山紫水明処を中心とした江戸後期、頼山陽、田能村竹田、浦上春琴、青木木米ら詩画人知識人達の友誼と交遊を思い起こしてみよう。


疫病禍の引き篭りでネットショッピングが最大の娯楽になり、先月も数千点の軸の中から山陽の詩画軸を見つけた。


(画軸 頼山陽 染付向付 田能村竹田筆 陶製観音像 青木木米 江戸後期)

画は鴨川縁の柳と山陽が築いた山紫水明処を自ら描いた、今は失われた楽土の貴重な記憶だ。

染付向付は竹田自筆の詩画で10客あり、手描きなのでみなちょっとづつ違うのが楽しい。

七絶の脇の「竹田生」の書体はもう頭に入っているので、知らずに売っていたのを見付けた時はほくそ笑んだ。

木米の観音は以前紹介した物。

茶杯は彼らが好んで集めていた唐物(清朝後期)の煎茶器で揃えた。

旧友3人が再会できて、さぞ喜んでいるだろう。

この隠者も彼らの楽園に混ぜて貰って、夢幻の詩書画を語り合いたい。


私は漢詩はやや不得手なので、次は竹田の和文を見よう。


(田能村竹田書 部分 江戸後期)

これも最近ネットオークションで見つけた軸でまだ数カ所読めない字があるものの、全体の美しさは十分に鑑賞できる。

古美術品はコロナ禍で老舗旅館や高級料亭が続々と手放していると聞くが、屏風や軸装の書画は現代の住宅事情に合わないのか業者も捨て値で扱っている。

売主には気の毒に思うが良い物を入手するには100年に1度のビッグチャンス到来だ。


絵はまだしも見ればわかるが、書は読めない事には話にならない。

特に漢詩の草書に近いのはお手上げだ。

そこで活字で解説してある本が必要になる。


唐詩や古詩は多少わかるが江戸漢詩には無感心だったので勉強を始めた。

中村真一郎は仏文の人だと思ったがこの本はどうだろうか。

江戸漢詩は古い句友の日原傳氏の専門なので聞きたかったが、疫病禍もあり有馬朗人先生の没後も暫く会っていない。

他にも福永法弘氏、西村我尼吾氏始め文芸を語り合っていた風雅の友を想えば、師も我々も若かった頃の東大周辺もまた貴重な楽土だった。

この隠者もまた、楽園を喪失した人類の1人だったようだ。


©️甲士三郎