鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

238 花鎮めの歌

2022-03-31 13:08:00 | 日記

23月と天候不順気味だったものの、鎌倉の桜は何とか無事に例年通りに咲いてくれた。

今週は花の写真にはおあつらえの花曇りの日が多く、私も朝な夕なに取材で飛び回っている。


源平池の桜は早朝に行くと人も少なく、中島の古木が夢幻の静寂の中に浮かんでいる。



(鶴ヶ丘八幡宮 源平池中島)

ここの花は薄曇りの朝の少し青みがかった光だと清澄な色調が出て隠者好みだ。

晴れた昼間は観光客でごった返すし、太陽光の黄色味で水の色が濁って見える。

むしろ小雨の日の方が色は良いが、雨でも花時の鎌倉の人出は多い。


そして今日は秘めやかに我が女神像の花鎮めだ。



(古備前木花咲耶姫像 幕末〜明治頃 古伊万里湯呑 明治時代 浄法寺塗菓子皿 江戸時代)

木花咲耶姫に桜茶と五色落雁を御供えし歌を献上するだけの儀にしても、この春を心から慈しみ花の命と花の女神に寄せる日本の美の伝統を深く味わう良きひと時となる。

そして先程の源平池で詠んだ歌を披講しよう(旧作改題)

ーーー水底に花屑鎮め日は薄れ 時の果(はたて)はかくありぬべしーーー


木花咲耶姫では無いが鎮魂の歌で私の好きな掛軸を紹介しよう。



(歌幅 保田與重郎 金銅観音像 元〜明時代 青磁双耳瓶 元時代 李朝燭台)

「三輪山のしずめの池の中島の 日はうららかにいつきしま比女」保田與重郎

あまり知られていないが彼の歌と書は一流だ。

和歌方面は万葉集の研究書を出すほどのめり込んでいたようだ。

この一首では何事も起こらぬただひたすら美しいだけの世界に到達している。


日本浪漫派を代表する思想家批評家であった彼の著作は膨大にあるが、今読むと一番良かったのは和歌短歌ではないかと思えて来る。



(歌集木丹木母 美の擁護 共に初版 保田與重郎 丹波急須 昭和初期 黒牟田湯呑)

日本浪漫派には三色おはぎが似合う気がして、古作で武骨な削りの四方菓子器にのせてみた。

天賦の詩魂を持ちながらも戦時思想の流れに彷徨してしまった才人を惜しみ、今一度の茶席を設けよう。

先程から丁度良く、我が楽園守護の瑞鳥である蛾眉鳥が遅まきながら今年初めて鳴き出したところだ。

異常気象で死に絶えてしまったかと心配していたのだ。


隠者はあと数日で散りゆく花を追いかけて、ここ暫くは夢幻界に入り浸りとなる。

戦時中でも疫病禍であろうとも、花神詩神達と共に暮せる者は幸いだ。


©️甲士三郎


237 古の花人達

2022-03-24 13:14:00 | 日記

春宵一刻値千金。

残生であと幾度の春を迎えられるかわからないが、一年で最も美しいこの時期をどう過ごすのが最良だろうか。

こう言う事は古人先達に学ぶのが良い。


何よりも先ずこの短冊を飾らなくては。



(直筆短冊 与謝野晶子 与謝野晶子歌集 初版 李朝台皿 志野茶碗)

「清水へ祇園をよぎる花月夜 今宵会ふ人みな美しき」与謝野晶子

この名作中の名作の短冊に茶菓を御供えして、共に春色の夢幻楽土に浸ろう。

美しき街、美しき人々、美しき詩歌。

疫病禍の自粛令で不要不急の芸術文化面は沈みきってしまった日本には、もうこの歌のような時代は来ないのかも知れない。

隠者もこんな美しい心境で花の宵を味わいたい物だ。

この歌は初出の「乱れ髪」では桜月夜だった部分を、昭和13年刊の自選集「与謝野晶子歌集」で花月夜に改訂し韻律を整えている。

写真の直筆短冊は改訂後の物だ。


次は当稿お馴染みの吉井勇の歌だ。



(直筆色紙 吉井勇 緑釉双耳瓶 清朝時代)

「桜ありき桜のごとき人ありき 酔へばよく見る春のまぼろし」吉井勇。

供物は古代朱の花弁形漆器にずんだ餅。

隠者は例の呪いで酒類厳禁なのだが、その代わり酔わなくても夢幻界に移転出来る術がある。

まあ例え酔ってもこのような美しい幻が見える人は少ないだろう。

この歌の真髄は意味よりも調子の良さにあり、春の浮き立つようなリズムが伝わってくる。

鎌倉も観光客は多けれども、花衣とか花人(はなびと、華道の人では無い)と呼ぶにふさわしい装いや立居振舞いの人は残念ながら滅多にいない。


最後は花の女神に御降臨いただこう。



(木花咲耶姫絵姿 葛飾北斎 江戸時代)

富士浅間神社の御神体、木花咲耶姫の軸だ。

浅間神社の氏子や富士講向けに大量に刷られた物なのでさして珍しい物でも無く安価だったが、19世紀の一流絵師による美しき女神像が打捨てられていくような現代社会は悲しい。

若い頃の春に富士山の取材旅行で、静岡県から山梨県までひと月ほど掛けて巡り歩いたのが懐かしい。

ーーー神山に侍る幾つの花の里ーーー


日本の春はその気になって探せば、至る所に夢幻界のような景が見出せる。

そんな楽土の春の全てを、古の花人達のようにしみじみと慈しみたい。


©️甲士三郎


236 春の祭壇

2022-03-17 13:19:00 | 日記

歳のせいか朝早めに目が覚めるようになってしまった。

あるいはようやく囀り出した鶯や鳥達のおかげかもしれない。

早起きの分貴重な春の朝のティータイムをゆったりと味わえるので気分はとても良い。


待ちわびた花時にふさわしい小屏風を出し、春の神々の祭壇に見立てて茶菓を御供えしよう。



(花鳥図小屏風 狩野派 堆朱菓子皿 飴釉湯呑 幕末〜明治頃)

苺大福と蓬大福は佐保姫と木花咲耶姫の分で私は糖質制限だ。

丁度窓辺の椿に来た鶯の鳴き声も生命感に満ちていて至福の茶時となった。

ーーー散る花の風の流れに定めあり 流れの末に開きし我が窓ーーー


さて自分用には鎌倉の老舗の煎餅を買ってあるので別卓に用意したのだが、案の定煎餅に絢爛豪華な設えは合わなかった。

これは失敗作だ。



(根来輪花菓子皿 益子珈琲碗 昭和初期)

庭の散椿を敷き詰めた春色の調子に煎餅の色が負けている。

民藝調の珈琲碗も地味過ぎた。

煎餅に合う物は雅さよりももっと武骨な野趣が必要なのだろう。


場所を画室の置き床の文机に変えてみた。



(春景訪友画 中西圭介 堆朱文箱 黒織部沓茶碗 江戸時代)

これでだいぶ落ち着いた。

彩色画より室町水墨の幽玄な軸の方がもっと良いかも知れない。

菓子器も今後の煎餅の茶時には、もっと野太く雄渾な物を選ぶとしよう。

この春は煎餅のお陰で糖質制限の私でも茶菓を味わえる幸せを、しみじみと噛み締めて行こう。


ーーー春陰や古色に埋まる茶器の傷ーーー


©️甲士三郎


235 昭和の春陽

2022-03-10 13:17:00 | 日記

鎌倉の梅は例年より23週間ほど遅れており、また乾燥が続いているために春草の芽も伸びていない。

私も乾燥で鼻の奥が酷い炎症を起こしてしまい、家でじっとしているしか無い。


大正〜昭和初期の文士達の随筆などを見ると、彼らも梅便りや自庭の花々の咲き加減は日々気にかけていたようだ。

それぞれの作中でも縁側に注ぐ春陽や障子に映る花影など、身辺の四季を愛おしそうに書いている。



(古伊万里染付花入 柿右衛門湯呑 明治〜大正頃 李朝燭台)

谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」は私が若い頃感銘を受けた作で、やっと近年それが載った随筆集「攝陽随筆」初版本を入手できた。

彼が言う日本の美術工芸品は元々和風建築の中の自然光や燭明で味わうように作られているとは全くその通りで、コンクリートの美術館の人口照明で見るのは味気なく思える。

美術工芸品は床の間や卓上で四季の移ろいの中で鑑賞使用する物であり、日本人の生活をより深く豊かにするための物だ。


下の写真の本は同じ谷崎潤一郎の随筆集「青春物語」初版。

この随筆をめくっていると大正〜昭和初期の文学青年達の姿と、私が画学生だった頃の想いも重なってしみじみと昔の光陰が甦る。



(鎌倉彫輪花菓子皿 益子焼珈琲碗 昭和初期)

桃の節句に雛あられなら、薄紅梅には甘納豆が似合いそうだ。

甘納豆は亡父が好きで良く摘んでいた。

書院の障子越しの春陽の陰翳のおかげで古書も菓子器も花も100年前の世界そのままの趣きだ。

ーーー春陰に古ぶ青春物語ーーー


門前に出れば早咲き種の江戸彼岸桜に丁度春の陽が差し込んで夢幻を誘う。



愛用のオールドライカのレンズが、肉眼には見えない気韻を写し留めてくれた。

こんな光こそ昔の文士達がその青春時代に感じていた春陽なのだろう。

まだ人々が自然神への信仰を捨てていなかった時代だ。


現代都会人の自然から離れた生活では、どうしても四季の陽光への感受性も薄くなりがちだ。

それでも冬が終わり暖かな春の光が溢れて来るこの時期の歓喜だけは、現代人にも感じ取ってもらえるだろう。


©️甲士三郎


234 珈琲時の音曲

2022-03-03 13:06:00 | 日記

仕事の合間のコーヒーブレイクなどに聴く音楽はそれぞれ好みのポップでもロックでも良いが、己が魂を浄化する離俗の茶時にはそれなりの清澄な音楽を選びたい。


例えば紅茶ならピアノ曲か上品な管弦楽が合うのだが、珈琲にはもう少し重厚な響きが欲しい。



休日の朝の静謐な珈琲時にはチェロ曲をお薦めしよう。

一昔の老若クラシック音楽ファンは、チェロと言えばカザルスかヨーヨーマかの論争を熱心に繰り広げていた物だ。

私は演奏自体はカザルスに軍配を上げるが、録音技術まで含めた総合力ではヨーヨーマを買っている。

曲は定番のバッハに変えて、春の雰囲気でネッラファンタジア(エンニオ・モリコーネ版)にしよう。

花入は英国のレナード・ストックリー作のフラワードラゴンのピッチャーにイングリッシュローズのドライフラワー。

この取合わせなら夢幻世界での休日を始めるのにふさわしいだろう。


夕食後の読書思索時の珈琲には蒼古たるドイツ古典派のシンフォニーだ。



交響曲は例えばブラームスなら伝説のフルトヴェングラーのベルリンフィルと言いたいが、いかんせん第二次大戦頃の録音は雑音が酷い。

一般的にお薦め出来るのは同じベルリンフィルの後任の指揮者カラヤンの録音だろう。

クラシック音楽は曲はそれぞれの好みで良いが、同じ曲の中でも最上の演奏や録音を選ぶ事だ。

本は鎌倉の歌人、木下利玄の遺歌集「李青集」初版。

信楽の珈琲碗に益子焼の水差で、戦前昭和の民藝の武骨さが19世紀ドイツの荘重な音楽に合うようで気に入っている。

春宵は古き良き時代の交響曲と歌集で、深沈と古人先達の世界に浸るのだ。


さて我家には女の子はいないが、今日は気分だけでも雛祭りを味わおう。

以前の桃の節句で家伝の享保雛を紹介しているので、今年は大正風の和洋折衷でピカソのフローラ(リトグラフ)に雛あられと抹茶を御供えしてみた。



菓子皿は鎌倉彫、茶碗は絵志野で共に大正頃の作。

花は丁度良く咲いた桃の枝がなかったので菜の花で御勘弁。

こんな感じで暗い世相の中でもここだけは別世界に出来る。


今週からはだいぶ暖かい予報で本格的な花時が始まり、鳥達の囀りと良い音楽で至福の珈琲を味わえる季節だ。

皆もいろいろ工夫してこの春を心から楽しんで頂きたい。


©️甲士三郎