鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

147 水鏡の古都

2020-06-25 14:13:00 | 日記

ーーー紫陽花の咲けば泥濘む路地に住み 世人を拒む朽ちかけの木戸ーーー

梅雨に入って隠者は相変わらず引籠り気味だが、コンビニまでの道でも至る所に咲く紫陽花が鎌倉らしい彩りとなっている。

私の好みでは観光寺社の紫陽花より路地のあちこちに咲く花の風情の方が、品種も多彩で路地毎の生活感が伺えて飽きない。


雨の散歩道はあちこちの水溜りに紫陽花が映り、彩りが倍に増えて見える。

この手の水溜り写真はSNSに名手が大勢いるので、拙作をお見せするには気が引けるのだが………

ーーー梅雨寒の古都の無数の水鏡ーーー


我が荒庭の紫陽花を摘んで机に活ければ、暗い世相の中でも筆が捗る。


ーーー仮の世の色に移ろふ紫陽花の 四片の芯の色留めの玉(ぎょく)ーーー

鎌倉には濃い色の紫陽花が多いが、隠者の好みは淡いながら彩りの変化が豊富な花だ。

土壌のpH濃度で色が変わるらしい。

花びらの微細な色のグラデーションを眺めているといつしか夢幻界へ誘い込まれて、古人が仮の世と言った心情の透明感がしみじみと実感できる。


先日の夏至の日には部分日食が重なり、何か重要な変時の兆しを思わせる。

国中の夏祭が次々と中止になる中では、個人や家々で司る祭事を大事にしたい。

我家の夏至祭りは昨年ヘリオスを主神に洋風にやったので、今年は大日如来を主に和風にしてみた。


室町時代の大日如来図に供物は庭で採れた実梅と、去年との繋がりでヘリオスの薔薇を供えた。

仏教(密教)における太陽神は大日如来で、曼陀羅宇宙の中心の仏となっている。

こうなったらいっそ世界中の太陽神を次々に祀って、全地球の気象変動を食い止めたいものだ。


©️甲士三郎


146 離俗の茶事

2020-06-18 14:00:00 | 日記

外出自粛のあおりで、皆もカフェより自宅での喫茶が増えただろう。

店より自宅の茶事の良い所は道具や飾りを好きに出来る所だ。

引籠りのこの梅雨場に、自宅の喫茶のもう一段の格上げを画策しようと思う。

今回は紅茶と珈琲で行くが、秋冬向けや緑茶烏龍茶もその内やろう。


喫茶時はリラックス効果だけでは無く、例え五分間でも精神は離俗の清浄界に遊びたい。

先ずは早朝の窓辺で、風と緑と鳥達の声で目覚ましのミルクティーだ。

寝起きなので茶器は気軽に購える20世紀の物が良いだろう。


1950年代のアメリカ黄金期を代表して、爽やかで気品もあるオーロラガラスのカップ&ソーサーと貝殻形ボウルに小花を添えた。

オーロラガラスの虹色世界から始まる今日一日は、きっと美しく過ごせるだろう。


午後のティーブレイクは眼に優しい淡い緑を主色にした。

私は糖類厳禁なので、茶菓子は撮影後に病母が食べる。


近年大人気のファイアーキングのジェダイ色マグカップと、同系色で幕末頃の三田青磁と明時代の玉製の辟邪を取り合せた。

期せずして日米中の競合となり、ビデオ会議に写るデスクの端にでも置けばコスモポリタンな雰囲気が出せるかも。


夕食後のアイスコーヒーは重厚感のある英国アンティークのピューター類で、威厳に満ち格調高い思索の時を味わおう。


後ろの額はヴィンテージ物のウエッジウッド四季の女神像だ。

先週ほそぼそと再開した鎌倉宮の骨董市で見付けて来た。

花器は越州窯青磁(宋時代)

ここから遥かな文明の叡智と美の浪漫に想いを馳せれば、自ずと我が内面世界も広がって行く。


今回は花は脇役なのでおざなりだが、派手な流派花や店舗向けアレンジメントが多い昨今ではむしろ無技巧の方が好ましく、華道を習った事のない人でも気兼ね無くやると良い。

不教不伝の投入花とは元来そう言う物で、今までよりちょっと茶器を工夫し小花でも添えれば、日々茶飯事を楽しみながら精神世界も一段と拡充して行く筈だ。


©️甲士三郎


145 短夜の白花

2020-06-11 13:57:00 | 日記

俳句の季語では夏の夜を「短夜(みじかよ)」「明け易し」と言う。

そのイメージは若い頃は徹夜仕事ですぐに夜明になってしまうような物だったが、歳を経てからの「短夜」は人生の青年期のように短く儚く熱い夜との認識に変わった。

ちょうど今はリハビリの散歩を人目を忍び夜明前にしているので、その短夜の風情を日々たっぷり味わっている。


散歩道のちょっと山に入った所。

ここは十薬の群落地で、木下闇に星辰のように咲いている。

小径が空中を行くようで楽しい。

ーーー暁闇に小()さき白花群れ灯り 道分け行けばやがて星までーーー


この時期の鎌倉はこの十薬や卯の花珊瑚樹の花など白い花が多く、我が楽園界隈も紫陽花が咲く前は緑と白だけの清楚な彩りとなっている。


脚の怪我も今週は軽い運動は出来るようになり、疫病もやや下火になりつつあるようで足取りは先週よりだいぶ軽やかだ。

落ちた筋力を早く取り戻したい。


気持が明るくなれば、風景もより美しく見える。

足元には十薬中空には卯の花、そして天空には有明の月が白く輝く。


ーーー明け易し残月撫でて去りし雲ーーー


引き篭りの2ヶ月で、地獄の混沌を呈していた部屋がかなり片付いた。

御近所も同じようで、毎朝集積所のゴミの量が多い。

物を捨てる事に爽快感を覚えるのは、物余りの現代日本ならではの現象だろう。

隠者なら極限まで所持物を減らしたいのだが、気が付くとまた増えている。

残生を美しい物だけに囲まれて過ごす為に、この際全ての物の取捨選択を突き詰めるべきだろう。

長雨の時期はその辺をじっくり考えながら過ごそう。


©️甲士三郎


144 中世の薔薇

2020-06-04 13:48:00 | 日記

お陰様で脚の骨折がだいぶ治って来たので、暗い世相の中にもささやかな祝宴をしようと思う。

病院帰りに買った薔薇を抱えて気分は上々だ。

例によって客も居ない独宴だが、我が楽園の花の精達が共に祝ってくれるだろう。


帰宅して窓辺の光に置いた花を眺めながら、晩餐の趣向を考えるのも楽しい。

宿痾である血糖値の呪いでどうしてもメニューは質素になるが、卓の設えだけは格調高くしたい。

薔薇の名をめぐる哲学論争(既出)の歴史などを思えば、宴席の精神性も自ずと高まる。

また中世イコノロジー(図像学)では薔薇は「秘密」の暗喩となっていて、その宴は人知れず密やかに仕るのが奥伝だ。


主役が薔薇なら器は英国アンティークのピューター(錫器)を使い、中世風の肉とスープとパンで質実剛健に行こう。

花もたまにはフローリスト調に束ねてみよう。


ピカピカの銀食器は現代では安物のステンレスと大差無く見えるので、昔は貧者の銀と言われていたピューターの重厚な錆色の方が隠者好みだ。

献立はローストビーフにハーブ入りソーセージとアスパラ添え、鳥肉団子のトマトスープと低糖質のバケット(食べるのは一枚だけ)だ。

加えてアペロに薬用酒のピコンを舐める程度で、私としては十分豪華な晩餐なのだ。

実際の中世の隠者だったら、年に一度の御馳走レベルだろう。

古い金属器の無骨さが、鈍った身体に強靭な活力を与えてくれる気がする。


世界中の苦難に喘ぐ人達を考えれば、楽しんでばかりではいられない。

そこで私も黒死病禍の中世修道院を思わせる仄暗い薔薇垣の小径を選び、人目を忍びながらリハビリの早朝散歩を続けている。


写真全体の暗褐色が如何にも受難に耐えている感じだ。

花の色だけに僅かな希望が宿っている。

その希望を頼りに、来週はもう少し負荷をかけたトレーニングにも耐えられるようになりたい。


©️甲士三郎