鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

82 濁世の孤塁

2019-03-28 14:55:44 | 日記

(ケルト風の家 リリパットレーン)
この穢土濁世にあれば誰しもが何処かに精神の不可侵領域、夢幻界の楽園に孤塁を築くべきであろう。
私なら俗事に患わされず誰にも邪魔されずに隠者生活を送れる環境が理想だが、普通人でもせめて珈琲を飲みながら静かに思索に耽る場所くらいは欲しいと思う。
少し下界の雑誌や動画を調べてみると、最近英国のカントリーコテージとガーデニングが沢山紹介されているのが目に付いた。
森と田園が調和する土地に古い石積みの壁と茅葺屋根、そこに藤や蔓薔薇が這い登り屋根の上では白鳩が休んでいる。
ちょっとした家庭菜園に鶏と山羊を飼って、家の中に入れば家伝のアンティークの家具什器に壁の絵画。
そのままファンタジー映画のワンシーンになる様な、理想の隠者ライフだ。


(スコットランドの農家 リリパットレーン)
私も英国製リリパットレーンのミニチュアコテージをいくつか持っている。
このミニチュアは英国各地に実存する古建築と庭に周囲の自然まで再現した、イギリス人が自分の理想の暮しを夢見るのに最適のグッズで、コレクターも世界中にいる。
こじんまりした森の小屋や薔薇園の館から、ジオラマ風に並べて村や街並を作り仮想の領国経営を夢想する人もいて、美しい住環境の良いお手本にもなっている。
ここで注目したいのは今でも英国には気候風土、歴史と伝統に育まれた生活の美学哲学が脈々と受け継がれているところだ。
哲学と言うよりも生活に根付いた理想世界の具体例と言うべきか、貧富の差なく享受出来る自然と調和した田園の簡素な暮しで、いわば隠者も常に夢想して止まない楽園の建立だ。


(夢幻界での隠者の家 アップルサイダーコテージ リリパットレーン)
日本人なら明治大正時代の地方郷士の生活あたりを想起すれば良いのだが、和服と畳の暮しは作法にうるさ過ぎて現代人には敬遠されてしまった。
一国一民族の美意識が文化として子孫に継承されないなら、どんなに優れた建築も美術品でも只の邪魔な粗大ゴミとなる運命だ。
日本人は伝統の暮しの叡智を捨てて、果たして幸福になり得るのだろうか。
まあ100年前の不自由な暮しに比べればジーンズとTシャツにコンビニ食の手軽さは、そこに精神性さえ求めなければ満足出来る生活かも知れない。


©️甲士三郎

81 中世風の春

2019-03-21 14:58:15 | 日記
今週の我が荒庭は種々の花びらが散り乱れ、ますます廃退の趣きを深めている。
この春から大正風和洋折衷の暮しを導入したので、例年の和様の儀式に加えて折々に洋風の儀式を行い共に楽しもうと思う。
2月の立春と4月の花鎮めがあるので、間の3月に西洋式の春の祭典をしよう。
キリスト教のような一神教では大抵人間以外の動植物に魂は無いと思っているので、万物に神が宿る多神教やアニミズムを否定する。
なので西洋には花鎮めのような動植物を祀る儀式は見当たらない。
ただヨーロッパにもローマ ケルト時代以来土着の、春の到来に地母神や太陽神を祀る風習は今も細々とあるので、そんな感じで古代か中世風に仕れば良いだろう。
まあ暗愚な中世の隠者なら、只の飲み食いの宴(うたげ)と堕してもやむを得まい。

(アンティークピューターのプレートとゴブレットに陶器のボウルなど)
我家に足りなかった西洋什器類もネットで案外簡単に揃った。
一昔の奥様方が好んだロココ調の貴族趣味の物は高価で手が出ず、そもそも金襴手の豪奢な色絵磁器などは隠者には全く似合わないので、ヨーロッパアンティークでも比較的安価なブラス ピューター シルバープレートなどの食器類で質実剛健に行こうと思う。
日本でも平安時代の王朝貴族文化の次に来るのは、武家好みの侘び寂びと簡素な禅文化だった。
献立は冒険者や戦士ら筋肉派向けのイメージで、春野の鳥肉料理でまとめてみた。
中世ファンタジー風の演出には古色に錆びた金属器がぴったり来る。
私の料理の腕は月並なので調理詳細は御容赦。


(アンティークブラスのプレートと渋谷泥詩作のカップ)
晩餐はややダークファンタジーの雰囲気だったが、遡って朝食は明るめだった。
珈琲派の隠者にしては珍しくミルクティーを萩焼のカップで。
常に陰鬱に見える隠者でも、朝から暗いわけではない。


この日の祭神はケレース(セレス)、ウェスタ、アノーナらローマ時代の銀貨の女神達。
同時代のフローラ(花の女神)のコインかレリーフも探しているのだが、この数十年間入手できない。
結局は食べて飲むだけの祭典になってしまったが、宴の主賓だった女神達も楽しそうに見えるのでこれで良いだろう。

©︎甲士三郎

80 様式なき生活

2019-03-14 14:03:40 | 日記
ここ数回に渡って古い家屋と家財の話をしてきたが、残念ながら現代日本には住宅建築にも高級マンションにも、あるいは家具インテリアにも美的な様式と言える物は見い出せない。
ましてや後世に遺すべき美しさや深い精神性、重代の愛着などは望むべくも無い。
よって我が国の生活様式としては、前々回に触れた大正から昭和初期の和洋折衷様式が最後の美意識の込もった物だと思う。
ここ鎌倉では古き良き和風家屋も洋館も次々と壊されていくが、今風の分譲住宅の様式の無さ思想の軽さでは到底子孫に及ぶ精神性の向上は望み薄いだろう。


(竹久夢二の樹下美人と吉井勇の片戀初版本)
美しい人生を送りたいと思うなら邸宅庭園は無理にしても、一室かせめて卓上の一画だけでも父祖の美的レベルを上回りたい。
書画調度品などなら入手も保存も楽なので、三代後の家宝になる物を何か一つは遺したい。
先祖代々その国その気候風土に即した重厚な生活様式や美意識からしか育たない精神と思想こそが、最も強靭に血脈に刻まれて行くのだ。


我が家の荒庭も作庭は大正頃で、松竹梅の寒中三友も樹齢100年程になる。
写真の背景の枝垂梅は10年ほど前の大雪に大枝を折ってしまった姿が、返って凄まじい美しさを感じさせる。
隠者と老梅とカップ二つでコーヒータイムにしてみた。
---西行を埋めし桜は千歳経て 半身の朽ちし鬼木となりぬ---(旧作)
梅と桜の違いはあるが、その美は通じると思う。
良い花木くらいは何百年でも生き延びさせてやりたい。

平成ももうすぐ終るが個々人が子孫の範になるような精神生活を再構築しなければ、昭和後半から平成は膨大な財政赤字とゴミの山しか残さなかった暗黒時代と子孫達から恨まれるだろう。

©️甲士三郎

79 珈琲卓の聖域

2019-03-07 15:19:52 | 日記

(ライティングビューロー イギリス ハーミットレリーフ アメリカ 共に1920〜30年頃)
前回の続きでイギリス アンティークのデスクの上に、精神生活の聖域を設営しようと思う。
丁度良いタイミングでハーミット レリーフ(隠者の陶板)を手に入れたので、早速ビューローの飾り台に祭壇を築き燈明を灯してみた。
コーヒーやティータイムを単なる雑事の間の休憩に終わらせず、思索に浸り己れの聖なる務めを想起する聖域とする為の祭壇だ。
どんなに俗事にまみれていようと、しばしここに座り茶事を仕れば即夢幻世界に浸れるだろう。


(上写真レリーフ部分拡大)
昨年、珈琲を飲むのに抹茶碗を使う話をした。
フランスのカフェオレボウルのように把手無しで両手で持つ例もあるので、座敷なら抹茶碗で珈琲も良いだろうと思うのだが客や知人には評判が悪い。
仕方なく和洋折衷様式に変えた客間では把手のあるカップを導入してみた。
ただ珈琲は抹茶に比べ道具の面では見るべき物も少なくやや物足りなく思えてくる。
カップぐらいはアンティークか現代なら作家物の道具が欲しいところだ。


(和菓子の似合う浜田露人作のコーヒーカップ)
コーヒーマグはティーカップや抹茶碗などに比べて歴史が浅く精々19世紀からの物なので、良い物でも価格はそれほど高くはない。
狙いはアンティーク(100年以上たった物)になるかならないかの1920〜30年頃の物がおすすめだ。
ヨーロッパ美術の流れではアールヌーボーからアールデコ様式に変わるあたりで、貴族的過剰装飾から脱して直線的で簡素なデザインになった時代だ。
第二次世界大戦以降は工業デザインとアメリカンポップが世界を支配するので、隠者にはとことん似合わなくなる。

19〜20世紀は工業化によってそれまでの貴族階級の生活様式が、中産階級にも手が届くようになった時代だった。
20世紀後半から21世紀はその貴族趣味にも飽き足らない人々が増え、より自然志向の強い英国で言うカントリーコテージやスローライフが新しい流れのようだ。
ネイチャー、スローライフと言えば隠者の暮しはその典型だ。
隠者流もたまには世人の参考になり得る。

©️甲士三郎