鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

99 探神の魔導具

2019-07-25 14:59:14 | 日記
我が探神院の表向きの使命はその名の通り、神気や神宿る物を探す事にある。(裏稼業は鎌倉鬼門守護職)
それらに観応するために私が使っている道具などをいくつか紹介しよう。


(Ⅰ型ライカ ニッケルヘクトール 著者蔵)
丁度百年前頃の初期バルナックライカで、当時の日本では「ライカ一台家一軒」と言われたほど高価だったらしい。
背面はブラックエナメルが剥げて真鍮地が覗き、歴戦の風格が漂っている。
重要なのはレンズで、名玉ヘクトールの中でも最初期のニッケル製は銅鏡内の光の反射吸収の関係か、光の滲みが現実の光景の裏に潜む夢幻界を写し出してくれる。
これを持って天涯への旅に出ていた頃が、我が人生で最も楽しかった。
同じ頃のドイツ製双眼鏡も探せば似た視覚効果がある個体があるので、フィルム写真まではやらない人にお薦めだ。


(アヴェマリア ジャッキーエヴァンコ iTunes参照)
キリスト教音楽二千年の金字塔、正に神の恩寵、奇跡のエンジェルヴォイス。
この声を聴くだけでどんなに穢れた魂も浄められ、身辺世界は光輝に満ち詩神の天啓も降り注ぐが如く授かる。
比類無き天賦の声質と十一歳当時にして非の打ち所がない技術と表現力に加え、巨匠デビットフォスターのアレンジ プロデュースによるライヴツアーのパフォーマンスも神話級だった。
その後ホワイトハウスのクリスマス晩餐会(オバマ時代)において聖別された。
現実世界トップソプラノのキャサリン ジェンキンスや先代ナンバーワンのサラ ブライトマンの同曲と聴き比べてみると、ホーリー エンチャント(聖性付与)の有無が理解できよう。
ただし残念ながら奇蹟の時間は長く続かず、十六歳以降は加護がやや薄れた気がする。


(絵織部残欠 桃山時代)
松林の鉄絵のある古織部向付のかけらで、簡略化した筆致に松籟のリズムを感じる。
織部の歪みの美意識は世界に誇るべき日本独自のもので、禅の「破」にも通じて造形感覚を刺激してくれる。
護符代わりにこれを持って歩けば、我が破格業も古人達が裏付けてくれる頼もしさがある。
厨二病的には「旧世界は神拳秘奥義天破により砕け散り、現代はその残欠を繋ぎ合わせかろうじt……………」とでも言おうか。

こうして夢幻世界の残光や旧世界のかけらに観応し、失われた神性を探し出していく訳だ。
本朝には八百万も神々がいるので、鎌倉だけでも一万柱くらいは探し出せる筈と思っている。

©️甲士三郎

98 掌中の宝玉

2019-07-18 14:00:44 | 日記
「掌中の玉」とは愛すべき物を指す古い言い方だが、この場合に対象になるのは美しく小さい物に限る。
殊に日本人はコンパクトな中にも、小宇宙を感じられるような物が好きだ。
人皆それぞれ大事な物はあると思うが、掌中に護持できる美しい小宇宙を一人一つは持っていたい。
できれば俗世から離れて、思索に導いてくれる物が良いだろう。


(金銅観音像 元〜明時代 探神院蔵)
この像の宝珠の持ち方は珍しい。
いかにも気持ちのこもった玉の持ち方で、彫像全体の形の端正さと相まって高貴な表現に成功している。
この観音にとっての宝珠ほど大切にできる物を、読者諸賢は何かお持ちだろうか。


(高麗小壺 高麗末〜李朝初期頃 高さ6cm)
壺は有史以前から人類と共にあった。
今の世にも壺の収集家は数多く、その宝珠に似た丸みを撫で回し風呂に入れて磨き、文字通り掌中の玉と愛でているようだ。
自室に居ながら俗世を離れるのには、花を活けるのが一番手軽でお薦めだ。
この小振りの壺は煎茶盆上に野の花を活けるのに最適な大きさで、花の色を引き立てる渋めの青磁釉が下地の灰褐色の効果で深さと重さを得ている。
ちょっと歪んだ形が隠者好みで、むらのある複雑な釉調が飽きない。


(銀杯 イギリス 19世紀 高さ7cm ピューター酒注 清時代)
騎士爵の紋章入りシルバープレートの小ゴブレットと清朝の錫製水差の組合せ。
私のアペロはこれで1〜2杯程度だ。
日本酒ならお気に入りの徳利ぐい呑が各種あるのに糖質制限で飲めない。
糖質ゼロの酎ハイをチビチビ舐めるのに合う酒器は、色々探したがこれ以上の物は無かった。
従って私にとっては一生物となる貴重なセット。

実はもっと面白い物があるのだが、それらアーティファクトは隠者の掟で公開出来ない。
若い人達に薦めたいのは先ず自分なりの宝玉にあたる物をを一つ手に入れ、それを中心に盆上卓上に離俗聖域を建立し、次に己れの部屋、家、街と清浄世界を発展させるようなビジョンを持つと生活に尊厳さが加わる。
人類史上の全ての奮闘努力も戦いも、結局はより良い生活を希求しての事だ。
より良い生活とは若い頃は物質面の充実だけで精一杯だろうが、晩生ともなれば多少知的な人間なら自ずと精神面の方が重要になる。
皆も己が精神に見合う、唯一無二の玉を見つけて欲しい。

©️甲士三郎

97 幻視夢吟

2019-07-11 14:54:08 | 日記
芭蕉は「虚(夢幻)に居て実(現実)を行へ」と説いている。
あるいは芭蕉最期の句の「旅に病んで夢は枯野を駆けめぐる」のように、鍛えられた詩魂は虚実皮膜を自在に往来できるので、屋内に居ながらでも時空を旅出来る。
前回は茶卓に聖域を築き、離俗の幻視夢幻界に入れるようになった。
次の段階では近所を歩きながらでも、路傍の花や鳥の声を契機に即夢幻界に移転出来るようになれば、世界は一段の深さと光輝に満ちた愉悦を見せてくれる。
現実界の事象に観応しそれを理想化したイメージを夢幻界に観想できれば、詩画ほか諸芸術では造物主にも等しい全能感を得られる。
今日はその辺に挑戦してみよう。

取り敢えず夢幻界までぶらぶら歩いて行こう。
---百合香る園に石化の像の如 時を止(とど)めて詩句を案じむ---

少しダークファンタジー色が強い気もするが、冒険物語の導入部には不吉な雰囲気が必要なのだ。
これは歌よりも写真に苦労した。
丁度陽が差してしまって陰影がきつ過ぎ、曇るまで30分ほど蚊に喰われながら待って、幻視した仄暗く重厚な感じで撮っている。
「時を止めて」は原稿の締切時間が迫る著者の願望だ。

---庭荒れて真昼の闇が紫陽花の 根元根元に蹲りをり---
これも前歌と似たようなイメージで大株の紫陽花を幻視している。
紫陽花は日陰でも良く育つし太陽や青空は似合わない花なので、建物の北側や樹下に植えている所が多い。

---廃屋の花精は庭を溢れ出し 古びし街を埋め尽くし咲く---

空家の門前も草むして、石段は散歩途中の休憩に丁度良い風情になった。
鎌倉は「古びし」と言うより古き良き邸宅が壊され、どんどん新しい建物に変わって行くのが残念であり情け無い。

行きつけのカフェでヴァーチャルの御神体に令茶をお供え。

私は句歌の仕上げをカフェでバッハあたりを聴きながらやるのが好みで、気分が一新されて良い結果が出やすい。
---カフェまでの道順変へて戻り梅雨---

まあこんな風に現実と幻視がうまく溶け合って、夢幻の詩世界が具現する訳だ。
世のクリエイターとか作家達は皆、多少なりとも己れの夢幻界を持っているはずだ。
作家でなくとも例えば己れの理想の部屋 家 庭作りのイメージから出発して、果ては理想の町作りや楽園建立のビジョンに行き着くのは誰にでも可能だろう。
若い人は領地経営のシュミレーションゲームと似た物と思えば分かり易いか。
違いはゲームでは魔法を使い、こちらでは観想法を使うところだ。

©️甲士三郎

96 創聖の茶事

2019-07-04 14:00:08 | 日記
今回はこれまで何度か扱って意義があまり伝わらなかった、脱俗の為の茶事儀式を補完したい。
物質的な茶飯とは別の、聖なる儀式としての飲食(おんじき)の儀式を考えてみよう。


(守護天像 室町時代、古唐津徳利 古志野筒茶碗 古織部水差 江戸時代)
雑事俗事に塗れた人生の中に少しでも崇高で荘厳な時間を取り戻したいなら、先ずは折々のティータイムを思索のための儀式にグレードアップしてみるのが良い。
上級隠者になれば路傍の花、鳥の声、木々の風光等を契機に瞬時に夢幻界へと移転できるが、初学のうちはそれなりの道具立と儀式があった方がやり易い。
茶種は珈琲紅茶煎茶烏龍茶どれでも良いので、卓上盆上にそれなりに選んだ茶器と花や書画や御神体などを飾れば、そこに小さくとも離俗清浄な結界が生じる筈だ。
茶の淹れ方は基本さえ守れば煩雑な作法は不要だが、所作に品位と厳粛さが伴うような自分なりの術式が確立できれば重畳。
ゆっくり手間をかけて茶の清香滋味を喫っしつつ、全ての俗心を滅却して行こう。


(女官俑 唐時代、青手九谷 盃 小皿 急須 江戸〜明治初期)
飾られた四季の花実などからは、故郷の山河や遥かな大自然に想いを飛ばせる。
異国の古器などを用いれば、それが作られた時代や古人達の歴史を遡れる。
又は茶器に描かれた花鳥山水画の神仙境に入り込み、暫しを画中世界に遊ぶのも良い。
こんな感じで想いを深めて行けば、いつかは己れの楽園に至る事が出来る。
哲学が行き詰まり宗教が信頼性を失った現代では、各々が独力で己れの心に楽園を築くしかないだろう。

西洋神にもお供え。

(アテナ アポロン ディオニュソスのイコノグラム 古代ギリシャ時代)
先日の宴でアポロンとディオニュソスが案の定喧嘩し出したので、仲裁役にアテナを中央に据えた。

©️甲士三郎