鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

191 天霊地気の花

2021-04-29 14:00:00 | 日記

今週は山辺の緑が瑞々しく、朝の散歩が気持ち良い。

大きな山躑躅の咲く先から少し山に入る小径は、疫病の世から離れて清澄な気に満ちている。


草木は蒼然とした朝の大気に潤い、隠者は天霊地気を身に充満し、世界の安寧はかく保たれる。

今回の写真で使用したレンズはヘクトール7.3cm(以前紹介した90年前のエルンストライツ製)

幻視に入り易く作られた製造数のごく少ないレンズで、隠者にとってはアーティファクト(聖遺物)だ。


どこかの庭から溢れた洋花が自生しているのも、鎌倉らしく頽廃的な美だと思う。

この辺に20年ほど前まで建っていた古い洋館の花だったかも知れない。


花も外来種園芸種は詳しくない(覚える気が無い)ので、名前は御勘弁願おう。

日本画家は和花さえ知っていれば務まるのだ。

本来西洋庭園を彩る華麗な花のはずが、異国の崩れた石垣の隙間に細々と咲いた風情が如何にも隠者好みだ。


これも多分卯の花に似た洋種の花だと思う。


今年も初夏の花が咲くのが、昔より2週間ほど早い。

1015日ほど春が短く夏が長くなり、私にとっては嫌な世界になっている。

その分短くなった春を惜しむ気持ちが深まったようだ。

ーーー春惜しむ舞の終りの急拍子ーーー(旧作)


山際の石段を登ると島津家の奥津城に出る。


昨年はここに一面の春紫苑が咲いていたのを茎立時に全部刈られてしまい、隠者の意識は否応無く夢幻界から濁世へ引き戻される。

それでも若草はまた伸びて来て、いつかまた一面の白花を咲かせる事だろう。


©️甲士三郎


190 追春の順路

2021-04-22 14:15:00 | 日記

春の終り頃は散歩や買物の道筋が少し変わる。

家々の庭に咲く晩春の花々を楽しむのが主だが、八幡宮の神苑を覗いて牡丹の取材をいつにするか咲き具合を確認するためでもある。

源平池のベンチでひと休みしながら、薫風の中でぼーっと夢幻に浸るのは癖になる。


(鶴岡八幡宮の新緑)
鎌倉の街なら長年住んでどこの花がいつ咲くか大体わかっているので、時節毎に歩くコースを変えて楽しめる。
晩春の花の順路を、写真整理の都合で八幡宮から我家まで戻る順で見ていただこう。

西御門入口にある見事な枝振りに仕立てた藤棚の門。

この藤は八幡宮の大藤より断然良い姿で、門の形と良く調和している。
藤を見るには葉の色が濃くなる寸前の若葉色が、花の紫が映えて良い。

清泉小前の葉桜となった並木道を通る。

小学校前に咲き残った遅桜と蘇芳の落花。
薄紅と薄紫の濃淡が、いかにも晩春の彩りだ。

永福寺跡の数年前の台風で倒れた木の切株の周り。

陽当たりが良くなって蒲公英が盛大に繁殖した。
丈長けた菜の花は木が倒れた後に誰かこっそり種を蒔いたようだ。

家に帰って庭の藤を剪って活け、家人へ買ってきた柏餅(私は食べられない)でひと休み。

(天青釉花入 清朝時代 三田青磁菓子皿 江戸時代)
窓を開けて薫風を入れ、爽やかな青磁系統の色で揃えてみた。
沢山の花を見てきたので、私はお茶だけでも満足できる。

牡丹桜(八重桜)を薄塩で漬けた桜湯と緑茶を合わせた桜茶。

(九谷輸出用ティーカップ 大正時代)
桜の絵柄のカップに桜茶では合い過ぎて月並みだったかも。

今回は疫病禍で楽しめたとは言い難いこの春を惜しんで、今日一日で撮った写真を多めに載せた。
その分句歌が出来ず、今晩寝る前に苦吟となるだろう。


©️甲士三郎


189 浪漫の茶器

2021-04-15 13:12:00 | 日記

ーーー行く春の百年褪せぬ色絵茶器ーーー

明治から大正時代の色絵磁器は、当時日本の輸出産業の花形だった。

職人芸の精緻を極めた絵付けのティーカップや皿は、ヨーロッパやアメリカで流行していたジャポニズムと相まって飛ぶ様に売れたと言う。

一方では日本国内でも中産階級の増加によって大衆文化が花開き、国民の生活レベルも上がって来た頃だ。


鈴木清順監督の大正3部作の映画に、鎌倉の風景や暮しが登場している。


ここは映画「陽炎座」に出てきた近所の橋。

ちょうど人力車が止まったので、褪せた色調で写させてもらった。

花陰の家屋も大正〜昭和初期の建築。


そんな時代に活躍した鎌倉文士達(鎌倉文士の呼称は昭和23年から)の卓上を、百年振りにヨーロッパから里帰りした当時のティーセットで再現してみよう。


(オールドクタニ MARUKO  大正〜昭和初期)

明治大正の生活文化は古き良き和の文化が廃れ、旧家知識人達も和洋折衷の生活様式に変わって行った。

上のカップ&ソーサーは100年振りにイギリスから里帰りした九谷の物で、ジャポニズムの絵柄が当時の良家の暮しを彷彿とさせる。


鎌倉文士や没落華族達の頽廃耽美振りに対して、大衆向けのティーセットには明るく健康的な俗っぽさがある。


(九谷赤絵美人画ティーセット 大正〜昭和初期)

大正浪漫の夢幻に浸るなら輸出用高級ティーセットよりこの印判赤絵のセットの方だろう。

行く春の候は前回の吉井勇らの歌集詩集を眺めながら、こんなカップで薔薇茶などを楽しんでこそ鎌倉人と言えよう。


ーーー絵の中に美女封じ込め春の果ーーー


©️甲士三郎


188 花鳥諷詠の書

2021-04-08 13:04:00 | 日記

「花鳥諷詠」とは風雅を表す「花鳥風月」をもじって、大正〜昭和初期に高浜虚子が使い出した言葉だ。

「花鳥諷詠」は当時流行の無季俳句に対して、虚子一派が掲げた伝統の季題を重視すべしとの提言であった。

もっとも川柳は昔から無季だし自由律は散文なら当たり前なので、私には当時の前衛の何が新しかったのかさえ良くわかっていない。


(俳句の作りやう 高浜虚子 後ろは草田男茅舎青邨ら弟子達の句集)

私の俳句の師系は高浜虚子、山口青邨、有馬朗人と連なるので、これらの古書はあなや疎かには出来ない。


さて隠者に取って「花鳥諷詠」の最も良い所は、日々の暮しの中で積極的に自然の四季を味わうようになり、ひいては花鳥楽土での美しい人生を送れる事だ。

花鳥風月は日本画方面でも伝統的に最も重要なモチーフだったが、画壇では古臭いという理由で排除され今の団体展ではほとんど見られなくなっている。

私には俗世の俳壇画壇の動向はどうでも良い事だが、現代人の都会生活が自然から遠去かっている事は残念に思う。


(高浜虚子句集 五百句 六百句)

人生の中での詩句歌や絵や写真などの諸芸は、折々の自然に親しみつつ己が精神を世界と同調させるのに適している。

まあ自然と同調しつつ良い句が出来なかった言い訳になるが、隠者は花鳥楽土での夢幻の暮しが目的なので詩画の制作はその為の手段に過ぎないと思っている。


という訳で今日も花鳥諷詠にふらつきに出た。


ここも例によって大正〜昭和初期の渋い母屋が取り壊され、一部残った庭の植栽が荒れ果てながらも咲き競っている。

空き地に自生した紫色の諸葛菜は鎌倉の野辺によく見られる花で、100年前の虚子や鎌倉文士達の眼も楽しませた事だろう。


この楽土での我が理想の人生を考えれば、虚子のような句を目指すより虚子のような暮しを目指すのが吉だと思う。


©️甲士三郎


187 春宵独吟

2021-04-01 14:22:00 | 日記

〜花は紅柳は緑〜(柳緑花紅 蘇軾)

〜命短し恋せよ乙女〜(吉井勇)

私は春になるとどうもこの二つの詩を繋げて口ずさんでしまうのだ。

ところがこうした大正浪漫風の似非文人振りが、如何にも隠者に似合っているのでやめられない。

歌人吉井勇は鎌倉の住人だったので、地元人なら「恋せよ乙女」を何と繋げても笑って許されると思う。


ーーー春の野へ古き歌集を持ち出して 古き哀しみ花もて飾れーーー


(吉井勇歌集 悪の華 河原蓬 大正時代)

大正時代の詩集や歌集は古書店でも人気が出て来て、結構値上がりしている。

特にこの「悪の華」のような竹久夢二の絵入り本などはかなり高価で、私も今ならもう買えないだろう。


没落華族であった吉井勇の放蕩の歌を読めば、いかに怠惰な隠者とて制作意欲が湧く。

100年前の遊び人と競うべく、春宵の街へ吟行に出よう。


近所のカフェは蘇芳と桜を並んで咲かせていて、気の利いた取り合せが燈火に映えている。

例の血糖の呪いで、この店にも隠者の食せる物は無いのが残念だ。

ーーー花冷えの店の窓辺の人形の 虚眼に映る朧灯の街ーーー

ウォーミングアップの一首はこんなところで御勘弁。


そろそろこの先にあるお気に入りの桜に月が掛かる時刻だ。


ーーー座を巡る花下の人影美しく 枝の隙間を月の彷徨ふーーー

どっしりとした大幹に比して、旺盛に生えた若枝の花がざわめいている。

大正時代からある路地にふさわしい老木だ。


古都の中心、若宮大路に出た。

ーーー酒家灯り街が紫紺に暮れる刻 朧の谷戸へ我帰る刻ーーー

糖質厳禁の私が入れる飲食店はほとんど無いのが悲しい。


段葛の若桜。(老木は全部伐られた)

春宵一刻値千金。

街に燈が入り空が紺青に染まる15分間程が、花の1日のクライマックスとなる。

今日鎌倉に来た客人達も存分に楽しんでくれただろうか。


おまけに俳諧も一句。

ーーー春宵の貸衣装もう時間切れーーー


©️甲士三郎