鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

217 秋麗の吟行

2021-10-28 13:21:00 | 日記

句会歌会も俗世には不要不急につき自粛自重せよとの御達しで、休止解散してしまった結社も多いと聞く。

疫病下の閉塞感で隠者もしばらく作句作歌のペースは落ちていたが、苦手な暑さが去って秋になりようやく制作意欲も回復して来た。


草稿が沢山たまっていれば、それらをこねくり回す夜長もまた楽しい。


一応仕上がった物を数首。

ーーー現世を有明月の照しをり 本の中から戻りし朝(あした)ーーー

ーーー絵に残る大正は皆美男美女 子等は純情天地は有情ーーー

ーーー銀杏散る一行の詩の黄金の 言葉の砕け散るが如くにーーー

我が夢幻界の庵は時空を越えて大正時代頃の鎌倉に建っているので、句歌の調子がいささか古風なれどもご勘怒願おう。


外では花野で詩画の夢幻に浸り、家では書画を飾り茶を点て古人と語る。

百年前のちょっと良い家ならその程度の暮しは当たり前だったろう。


秋桜子の句幅に玉製の僻邪像を飾ってみた。

ーーー夕月の水面明りに羽虫群れーーー

ーーー虫すだく山上伽藍煌々とーーー

ーーー柿の木の明るさに来し鴉かなーーー

ーーー時の鐘木の葉散りつぐ四遠までーーー


こんな調子で質は兎も角、数は出揃うようになった。


寧日にも秋野に出れば、古人が小さな神々と遊んだ光景が幻視出来よう。

野の花は今も100年前も変わりなく、鎌倉文士達も同じ景の中で吟行を楽しんでいただろう。


ーーーどの町も月の過ぎ去る途に眠るーーー(前出)

不調時に比べれば今月出来たこの句など、だいぶ良くなった方だと思う。

世捨人に世俗の評価は無用なれば、独吟知足(自己満足)こそ全てとなろう。

今年の秋はことさら短く、すでに時雨のような雨の日が多くなった。

我が残生の春秋を惜しむ心は強まるばかりだ。


©️甲士三郎


216 荒城の月

2021-10-21 12:47:00 | 日記

ーーーどの町も月の過ぎ去る途に眠るーーー

温暖な鎌倉では中秋の月の頃はまだ夏の気温なので、秋気をしみじみ味わうには10月の後の月の頃が良い。

残念ながら当日の予報は曇りなので、古詩でも飾って夢幻界の月で楽しむ予定だ。


満月は諦めても、せめて十四日月を庭で撮影しておこう。


以前似たような写真があった気がするが、毎年同じ場所の月でも自分なりには新鮮さがあるのだ。

奥村土牛師は「自然は決して古くならない」と語っていた。

古来多くの詩画人が飽きずに月を題材にして来たのは、年々の月を観ながら一年一年己れの心境が深まる感があったのだろう。


後の月の床飾りは先に虚子秋桜子の月をやったので、今回は土井晩翠の「荒城の月」にした。

「荒城の月」は春のイメージだが、2番が秋の詩だ。


(荒城の月 色紙 土井晩翠筆)

1番「春高楼の花の宴〜」2番「秋陣営の霜の色〜」の春秋対が揃えば、一年中飾りっぱなしも出来て重宝する。

この曲を世紀の歌姫ジャッキーエヴァンコが歌っているので、この場に流せばうっとりと夢幻に浸れる。

高雅な古詩と若き歌姫と胸中の月で、隠者らしい秋の夜となり満足だ。


1019日が晩翠の命日なので、ついでにお供物も上げておいた。


(天地有情 色紙 土井晩翠筆)

晩翠や島崎藤村らの文語七五調の新体詩はそれまでの漢詩に代わり真の日本の詩の確立と言えるのだが、大正後期からの口語自由律詩に押されてその後下火となってしまった。

大正時代は大衆文化の一大興隆期だったから、出版界でも口語詩が主流になるのは必然だったろう。


しかし日本の誇るべき格調高い文語詩の韻律は、ごく一部の知識人の中にだけでもずっと生き残って欲しい。


©️甲士三郎


215 詩歌道楽

2021-10-14 14:50:00 | 日記

詩歌俳句の名作を読んだり短冊色紙を飾ったり、散歩しながら自分でも作ったりする日々は本当に楽しい。

そんな晩生なら十分に美しい人生と言えるのではないか。

私は画家だから絵を描いたり古画を飾ったりする方が多いが、一般的には詩歌の方が手軽に楽しめると思う。


今や文字情報としてはデジタルだけで十分なので、物質としての紙の本の価値はその本に想いが込められるかどうかだろう。

そう言う意味では名作の歌集句集などの初版本は、数世紀後の世界でも価値は失せないと思う。


写真は三橋敏雄の句集「青の中」特装初版本で、著者直筆句入り限定37部の1冊だ。

句は「少年ありピカソの青の中に病む」で、若い頃見て刺激を受けた思い出がある。

古き良き新興俳句の代表作だ。


大正時代の歌集類は天金を施し木版やクロスの装丁などで凝っている上に、小型なので散歩がてらのカフェや旅先へ持ち出すにも適している。


本は吉井勇の「旅情」初版。

若山牧水や吉井勇の歌集はまさに旅の寂寥感を深めるには持って来いだ。

秋草の野で好きな音楽を聴きながら、数頁ほどをゆっくり眺めるのが隠者の楽しみ方だ。

この日の散歩で出来た句を御笑覧。

ーーー澄む水や日も我が影も透き通りーーー


夕食後のお茶の時間は文机の前でぼーっとしている。

前回は虚子の月の句だったので、今週は秋桜子の月にした。


「厨子の前望のひかりの来てゐたり」水原秋桜子。

望は望月の事でもう中秋は過ぎてしまったが、鎌倉の9月はまだ夏の気温だったので今月に入ってやっと秋月を味わう気分になれる。

古い花器茶器で秋の夜長をたっぷりと想いに耽るのだ。


疫病禍の引き篭もり中にネットの古書店を荒らし回って、結構貴重な本が集まった。

この1年で例えば泉鏡花の初版本などは35倍の価格に急騰していて、与謝野晶子はじめ詩集歌集も上がってきているから、今後はもう私如きの予算では手が届かない物となるだろう。

鎌倉文士物の最低限の蒐集は、なんとかぎりぎり間に合った。


気に入った詩句歌集は何度も何度も暗記出来るほど読み返せるし、残生を飽きずに楽しめる数が揃えば安心だ。


©️甲士三郎


214 虚子の月

2021-10-07 14:11:00 | 日記

近年私が力を入れている鎌倉文士物の蒐集で、中心になっているのはやはり高浜虚子だ。

本でも色紙短冊でも俳句関係は詩や短歌に比べれば断然安く、総じて半額以下で手に入る。


句集は以前にも紹介したので、今回は100年前の虚子主催の俳句雑誌「ホトトギス」だ。


大正1015年頃の物で、山口誓子の樺太の句を虚子秋桜子達が講評していたりする。

誓子もまだ新人時代で、今見ると大変興味深い。


虚子には月の句が沢山ある。

秋はどの月齢にもそれぞれ良さがあるので、月の句は11月まで飾っても飽きない。


「月の坂高野の僧に逢ふばかり」

書額を仏性に見立てて、脇に地物の鎌倉野菜と花をお供えしてみた。

句には泉鏡花の高野聖を思わせる幻想味があって、この世ならざるファンタジックな景が見えて来る。

この句はどの句集にも出ていないが、虚子一行の高野山での句会記にあった。


もうひとつは良く知られた虚子の名句だ。


「ふるさとの月の港をよぎるのみ」

短冊に燭を灯し近所でもらった毬栗と茸を飾れば、ちょっとした収穫祭の気分になる。

虚子は書も一流なので、それほど名作ではない句でも時節に応じて飾れる。

しかも結構沢山書いていて良く出回る上に価格もお買得だから、私もこの調子で四季それぞれ揃えるつもりだ。


実は冬と正月向きのとっておきの軸もあるので乞うご期待。


©️甲士三郎