鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

199 鎌倉文士物の蒐集 小説編

2021-06-24 13:49:00 | 日記

引き続きブックハンティングの話。

古書良書を集めるにもその対象を極力絞らないと、またすぐに整理出来ずにゴミの山となろう。

よって私は地元鎌倉の文士達を中心に、ジャンルは文芸に絞る事にする。

ただ美術関係は仕事上絞れない物も多いので別扱いだ。


俳句短歌の本は昔から結構あるので、新たに探したのは主に小説だ。

無闇に増やさないために、初版本以外は買ってはいけない。

勿論自分が気に入って何度も読める作品でなければならない。


鎌倉文士と言えばまずは芥川龍之介だろう。


(芥川龍之介 影燈篭 傀儡師 羅生門復刻版)

羅生門は初版本が無くて復刻版だが、復刻版はぼろぼろの初版本が手に入った時の修復素材にもなる。

私が好きな彼の短編はほとんど鎌倉在住時に書かれている。

彼の短い生涯では鎌倉に居た頃が最も幸福だったのかも知れない。


次は大正から戦後作品取り混ぜて。


(川端康成 三島由紀夫 澁澤龍彦 各初版本)

この3人は今読むと緩やかな師弟関係のようで面白い。

内容はすでに知っているが、読み返してそれぞれの作家の文体の工夫などを見るのも楽しい。


菊池寛、里見弴ほか古い文芸誌もあるが、今回は温存しておく。

戦前戦後の頃の鎌倉は今よりずっと狭い街で、彼等が喧嘩しながら仲良く行き来していた様子が目に浮かぶ。

保養地なので病気がちの人も多かったろうが、そんな時代の若き文士達の暮らしを想いつつ、古書を持って今日の散歩に出るとしよう。


詩俳句短歌類はまだ整理していないので次回に。


©️甲士三郎


198 古書と古机

2021-06-17 14:49:00 | 日記

先年古びて傷んだ英国製ライティングビューローを格安で入手して、それをこつこつ修理しながら使っている。

100年ほど前の物で両側にブックキャビネットの付いた、サイドバイサイドと言うタイプの古書を収めるには最適な形だ。


若い頃から使っている小型のライティングデスクも同時代の英国製なので並べても調和して見え、書く時と読む時で使い分ければ雑然としないですむ。

上部に陽刻模様のある飾り台も付いていて、イーゼルや燭台花器なども置ける。

真のアーティファクトたるべき本だけここに並べ、美しき詞達の聖域を築くのだ。


国文学者だった父が亡くなった時に、父と私の蔵書を合わせて数千冊は処分した。

それまでは文字通り足の踏み場も無いほど本に埋もれた家で、整理しようにもどこから手を付けたら良いか途方に暮れていたのだ。


(それでもこんな状態の本棚が今もまだ10以上ある)

ところがそれから10数年後の今年、書庫を片付けていたら見覚えの無い段ボール箱がいくつも出てきて、また不要な本が1000冊ほど隠れてれていた。


おぞましき書庫から脱出して、雨の上がった庭でガーデンティーにしよう。


(私が食べられないドーナツは家人が食す)

珍しい虚子の処女句集「虚子句集」の初版が手に入り、装丁の緑が似合う場所にティーテーブルを置いて優雅に読みたい。

断じてあの地獄の混沌のような書庫では読みたくない。


可能なら蔵書は100冊に留めよう。

何度も読み返せる生涯の友として相応しい書物だけを集め、あとはネットで読むのが現代では正しい。

読者諸賢の書斎はくれぐれも我家の本の墓場のような部屋にならない事を祈る。


©️甲士三郎


197 雨籠りの猟書

2021-06-10 13:57:00 | 日記

疫病禍の続く中、この梅雨は家に籠って読書三昧とするしかない。

そこでネットと行きつけの古書店で鎌倉文士達の本を主に145冊ほど漁って来た。


デジタル時代には情報としての紙の本の価値は無い。

今や本はネット上でいくらでも読めるので、若い人達は本に埋もれた部屋など想像出来ないかも知れない。

だが逆に物質としての価値が今後いっそう高まる本もある。


(男ごころ 堀口大学 初版)

大正〜昭和初期頃の詩集歌集は天金や木版画の装丁などが多く、本書も写真製版では無いモディリアニのエッチングが数枚入っていて、今にして見れば物凄く豪華な一冊だ。

ここにデジタルでは味わえない愉悦がある。


歴史的名著や愛唱すべき詩歌集の初版本などは、今後いっそう価値を増しアーティファクト(聖遺物)として祭壇に祀るべき物となるだろう。


(落梅集 島崎藤村)

十薬の花を活け薬草茶を飲みながら、浪漫派の魁となった藤村の歌集を味わう趣向だ。

藤村終焉の地である大磯の旧宅も近いので、そこの古びた縁側でこの歌集を読む事も可能だ。

詩歌集は10分程のティータイムにたまたま開いた頁を眺めても良く、また小型で持ち歩きし易いので旅のお供にも適している。 

実は同じ藤村なら若菜集が欲しいのだが、なかなか見つからない。

この掌に若菜集初版さえあれば、私は100年前の旅の詩人となって「まだあげ初めし前髪の乙女」に会いに行けるのに………


次は本稿既出だが我が俳句短歌の教科書となっている2冊。


(俳句の作りやう 高浜虚子 歌の作りやう 与謝野晶子)

この2冊は句歌の入門書の金字塔で、最近のハウツー本よりよほど説得力がある。

明治頃の茶器でホトトギスや明星に集った先人達の若き頃を思い起こそう。


以降梅雨明けまでは何度か猟書の話が続く。


©️甲士三郎


196 神話の楽園

2021-06-03 13:13:00 | 日記

前世紀の国家的社会的なユートピア建設は幻滅に終わった。

神話の失われた楽園は、今世紀では個人個人の胸中にしか存在しない。


前回ちょっと触れたターシャ テューダーは日本ではただのガーデニングの人と捉えられているが、楽園追放の神話が行き渡っているキリスト教世界では楽園の再建者だ。


彼女は花園だけでなく木造手作りの古風なコテージに住み、家具道具類は全てアンティークで揃えた暮しだ。

古き良き18世紀アーリーアメリカンの生活様式を、そのまま現代に再現した楽園を築き上げた。

彼女の楽園は映画や写真集となって、世界中の人達の理想の暮しの良き指標となっている。


聖書の楽園追放はこの先も世界中の人々に強い影響を与えていくだろう。


(楽園追放 銅版画 ギュスターブ ドーレ 19世紀 著者蔵)

ドーレはダンテの神曲の挿絵で一世を風靡した画家で、神話やファンタジーを題材とした銅版画を数多く描いている。

作品数が多いので、欧米では案外手頃な価格で手に入る。

現代人の地獄のイメージは、ドーレのこれらの絵による所が大きい。

隠者はこの絵を飾って西欧人の2千年に及ぶ苦悩に思いを馳せている。


こうして人類は未来永劫理想の楽園を探し求めて彷徨う。

なのでこの隠者も失われた楽園を探して近所をさまよう事にしよう。


ーーー薔薇垣の路地を辿れば行き止まりーーー

人類が2千年かけて探しても見つからなかった楽園が、近所をちょっとぶらついて見つかる訳も無い。


ただ隠者にとっての楽園とは己が夢幻界に創り出す物、詩画の中に具現させるべき物なので、他の人よりは救いがあると思う。


©️甲士三郎