鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

34 楽園の嵐

2018-04-26 11:48:18 | 日記
---藤房が藤房を打つ雨しぶき---

裏山に咲き誇っていた山藤が、昨日の風雨でほとんど傷んでしまった。
藤は他の樹木に絡んで枯らしてしまうので嫌う人も多いが、私は暴れる大蛇のような蔓が山を這い回る荒寥とした美しさが好きだ。
十全たる楽園にはこういった荒々しさも必要だろう。
藤も牡丹も終り、今年の春は短かった。
---とこしへに散らぬ花描く老画家の 狭庭の春を終らす嵐---

今回は衣更えの時期に、夏の装束を考えたい。
現実世界にいながらミューズの楽園を幻視するには、そのための衣服装備が要る。
ビジネススーツで神々の庭に入る訳にはいかない。
私には以前紹介した隠者装束が合っているが、蒸し暑い日本の夏はフード付きコートやローブの隠者装束はいささかつらい。
そこでいろいろな服を検討した結果、薄手のリネンコートと草編みのベレー帽の画家っぽい格好になった。
本当はジェダイの騎士みたいなのが欲しかったが、何処にも売っていない。
例によって乱世の嵐を生き延びたような、よれよれのダメージ加工は必須である。

色は自然に溶け込めるように、昔からの天然染料の色調が望ましい。
化学染料の鮮やかな色は都会なら良いが、自然の中では調和しない。
漂白した白や純度の高い黒も、異質で邪魔な色になる。
人々が皆それぞれ神々の楽園にふさわしい衣服になれば、現実世界もきっと楽しくなる気がする。

嵐の次の日はすっかり初夏の気候になった。
これから薔薇、菖蒲、百合などの花が咲き競うが、蚊や害虫も出てくる。
春程には野外でのんびり出来ない。
暑くなって来たら海辺のアンティーク調のカフェで詩想でも練る事にしよう。
---麻服や海へと続く風の道---

©️甲士三郎

33 花王の宴

2018-04-19 14:19:09 | 日記
---くれなゐを重ねて黒き牡丹かな---

中国の故事には牡丹の精の話がよく出てくる。
かの国では宮仕えに疲れて引退し、牡丹園の主になり詩作に耽るのが賢人の王道なのだ。
花の王、牡丹の精達と過ごすのが、士大夫の晩生の夢と言うものだ。
英国の知識人たちがローズガーデンに憧れるのも同じ事だろう。
我が探神院の荒庭にも牡丹を咲かせているが、あまり丹精していないので花精達の機嫌は悪そうだ。
私の本業の日本画では牡丹は主要な画題で毎年かなりのスケッチと写真が必要なのだが、近くに八幡宮の牡丹園があるので手入の行き届いた牡丹を見るならそちらへ行ってしまう。
なのでその分、うちでは敢えて荒れ果てた風情の牡丹が良いのだ。
---鉈朽ちる牡丹の園の奥深く---

で、我が家の座敷に牡丹を活け歌仙図屏風を巡らせて、行く春の吟行会を開いた。
今日の客は俳句結社の主宰達やベテラン揃いで選句眼も厳しい。
私も今や絵や句歌を教える立場になってしまったが、こういった実力者との吟行会は得難い喜びだ。
探神院の竹薮が、七賢人の竹林にさえ思えて来る。
鶯の鳴き真似で本家より上手い峨眉鳥の声や、石段を押しのけて出た筍も良い題材になってくれる。

(客に挨拶する筍)
芭蕉や子規の句座はせいぜい十人ほどだった。
そもそも大結社のような百人以上の句会など、隠者らしくない。
また少数精鋭の方が句の吟味も行き届く。

(選句中も鳴いていた庭の峨眉鳥)
句会の後は石段の筍を料理して楽しい酒宴だ。
世捨人の私にもこんな友人達がいて、惜春の一日を共にしてくれる。
言うまでも無く句会の順位は問うてはならぬ。
---金色の蕊を乱さず牡丹散る---
花精も我が句も、春を惜しみつつ散り去った。

©️甲士三郎

32 廃墟の野点

2018-04-12 06:04:48 | 日記
---蒲公英は星座の如く野に灯り 遺跡の石は夢路の標---

前回に続いて春の野に遊んでいる。
我が家の周りは全て鎌倉時代の遺跡で、探神院の地下にも永福寺の僧坊の遺構が埋まっている。
建前だけでも幕営の鬼門守護職なので、遺跡の上に住んでいても何ら不思議ではない。
花に埋もれてその辺に転がっている石も、礎石や石組の一部である。
そんな場所には古い茶器を持ち出して、野点でも楽しむのが良い。
一服しながらぼーっとしていれば蝶も飛んで来て、今昔不易の春の息吹が身にしみる。

(古唐津小福茶碗 桃山時代)
---考える事を止めれば蝶の来る---
無骨な桃山時代の茶碗と蝶は好対象の取り合わせだと思う。
これで気分は婆娑羅大名だ。
戦乱に明け暮れた武将達には、平和な春の野は天上楽土に思えただろう。
現代の一般人が見るより遥かに美しく感じていたはずだ。

野の花は絵にも句歌を詠むにも、花屋で買って来た花より気持ちが込めやすい。
のどかな春の一日にスケッチや詩作に没入している時が、私にとって一年で最も幸福感がある。
この至福の時間の為に画技詩文をやって来たと言っても良い程だ。
作品の催促も締切も無ければ、正に我が世の春。
こうして隠者の夢の一日が暮れる。
完全に日が落ちて星辰が座に着く頃には、カフェで一休みしながら今日の収穫を見直している。
ここで句歌も一つ位は仕上げたい。
---野に花の満ちては失せて行く春の かなめ要に廃墟の礎石---
(野に、がカフェで仕上げた部分)

旧作だが小さなスケッチも一枚。
絵は版権の都合で新作を出しにくい。

(野牡丹 色鉛筆画)
仲春の桜から晩春の牡丹までの時期、雨風も多く真の好日は以外と少ない。
その中で普通の人が春を満喫できる日は、一生で合計百日も無いだろう。
隠者の脳内は一生常春だが、皆はどう過ごしているだろうか。

©️甲士三郎

31 野遊びの音楽

2018-04-05 13:57:08 | 日記
---より小さき花を侍らせ咲き出でし 踊子草に無辺の春陽---

(永福寺跡の草叢)
古い絵や詩文に摘草とか野遊び、踏青などの風習が出てくる。
西洋にもギリシャ ローマの時代から春の野の宴があった。
娯楽の少ない頃には春の大きな楽しみだったろう。
酒食の宴は年中どこでも出来るが、光の中で花や蝶と戯れるのはこの時だけだ。
そこで今回は隠者流の野遊びをしよう。

野遊びで重要なのは音楽だ。
俗世の喧騒を断ち切り清浄な音楽と共に春の野をさまよえば、花の別天地へ行ける。
音響はインスピレーションを大いに刺激してくれる。
地母神ケレースや花の女神フローラのイメージなら、キャサリン ジェンキンスやジャッキー エヴァンコの宗教曲だ。
ちょっと古いがリヒテルのクラヴィア平均律なら、妖精も出て来るような気がする。
夕月が出たなら細野晴臣の源氏物語か銀河鉄道の夜が幻想を誘って良いと思う。
銀河鉄道の夜は、ますむらひろしの猫の絵が忘れ難い。
これは手元に無かったので、急ぎブックオフで買って来た。
いずれも鳥の声を消さない程度のヴォリュームにするのが肝要だ。
まあ各々好きな音楽で良いのだが、俗を離れたいならポップミュージックは合わない。

(東南アジアのアンティークの猫)
そんな妙なる調べの中で小さな草花の世界をカメラで覗いていると、自分が造化の神になった気もしてくる。
細かな花びらや葉の一枚一枚に世界の美と秩序混沌を感じられれば、君はもう上級隠者だ。
小さくともその全能感と精神的悦楽こそ、古の隠者達が追い求めた物に等しい。

春は曙、暁暗の野は更に良い。
---生まれ来て初めて眼(まなこ)ひらく朝 仔猫を包む世界の青さ---
蝶や小動物達には春の野はどう見えるのだろうか。
たまには早朝の散歩がてら、花の野で朝日を迎えてみよう。
人間もまた幼い頃の自分が見ていた新鮮な世界に戻れれば、詩嚢も若返るだろう。


春の一日はあっという間に過ぎ、夕暮れ近く蜆蝶はもう翔ばない。
私も帰って今日の写真の整理をしよう。
私の腕では蝶の予測のつかない動きに追い付けなくて、膨大な数のミスショットが溜まっている。
誰かに見られる前にこっそり消去しないと。

©️甲士三郎