鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

169 新世紀の和洋折衷

2020-11-26 13:37:00 | 日記

これまで幾度も愚考を重ねた隠者の理想のライフスタイルは、結局大正時代頃の和洋折衷様式に行き着く。

地元の鎌倉文士達の伝統でもあり、横浜辺りではハイカラとも言った生活様式だ。

今も日々廃れ行く大正の遺風を、出来るだけ子孫達に伝えてやりたい。


我家の古びた和室には当然傷んだ和箪笥や水屋箪笥が多いので、洋風家具も古びて傷んでいないと家の統一感が損なわれる。

その点は西洋アンティーク家具でも傷のある物は安価なので隠者には好都合だ。


イギリス独特の折畳み式ダイニングテーブルは置き場所に応じて大きさを変えられるので、日本家屋の寸法にも合わせ易い。

古備前の花入に冬枯の実物を投入れて障子明りのティータイムは、100年前のハイカラ趣味の暮しだ。


家人も古き良き和洋折衷様式を理解したようで、最近大振りのライティングデスクを入れた。


イギリスアンティークのサイドバイサイドのデスクを障子を背に置いて、燭明とレトロレンズで調和を図った写真だ。

本棚にはまだ何も入れていないが、取り敢えずあり合わせの物を飾って撮影した。

この本棚には余程の書物でないと似合わないだろう。

低俗な本では、まさに主人の知性が問われる。


こちらは元からある開閉金具の壊れた我がライティングビューローで、抹茶に病母が好きな洋菓子の取合わせ。


江戸時代の萩茶碗と、古木の小箱は地元鎌倉の木工細工師の物。

和洋折衷の暮しは色々自由な取合わせが楽しいので、伝統の様式に縛られない発想が大事だ。

平安鎌倉時代に和漢の文化を統合して高度な生活文化を築いたように、現代日本人ももう少し深みのある生活様式を模索すべきだろう。


©️甲士三郎


168 冬枯の彩り

2020-11-19 13:44:00 | 日記

暦では立冬も過ぎたが鎌倉の山々はまだ秋色だが、昨日今日はようやく冬色の草葉も見られるようになった。

小春の陽が差す野の道は隠者には居心地が良く、好みの音楽を聴きながらの散歩は我が晩生には欠かせない楽しみとなっている。

季節の変わり目は日々色彩の変化があるので面白い。


我家の門前で蜘蛛の糸にぶら下がって揺れる枯葉。

丁度良い角度で冬陽が差して逆光に輝いている。


ーーー蜘蛛の糸枯れ際の葉の彩りを 絡め捕らへて虚空に飾るーーー

例のオールドレンズの淡めの発色が、初冬の空気感に合っている。

更に言えば一眼のレンズによる背景のボケは肉眼では不可能なので、ファインダーを覗くだけでも異次元の視覚を得られて楽しい。


枯れ切る前の草木に残る色味は2〜3日で失せてしまうので、最も良い時を見逃さないようにしよう。


ーーー楽園の金色の陽が枯草の 最期に残る色を照らしぬーーー


晩秋初冬の山野の枯れ色は乾いた明るさがあり、陽の温もりや有難味を感受し易い。

枯景色をより深く味わうには、そこに花咲き乱れ蝶や小鳥が舞い踊っていた時を想い浮かべ、全てが凍てつく時を観想すると良い。

古人の言う「冷え枯れ」の美意識はそこにある。

己れの過ぎ去りし栄光の時を想い、やがて来る寂滅の時を想うのだ。


夕方近くの残照はノスタルジックな色合いで、闇の迫る楽園の一刻を荘厳に見せてくれる。

画家としてこの景を描くなら、十色以上の豊富な褐色系の使い分けが必要だろう。

風景画ではこの褐色系の下地を施した上で春夏の緑を乗せるのが、大地の厚みを出す基本となっている。

さあ画室に戻って今日見つけた新色を試してみよう。


©️甲士三郎


167 中世風のスープ

2020-11-12 13:07:00 | 日記

肌寒くなってくると、温かいスープが有難い。

西洋の隠者の伝統食と言えば、質素なパンとスープしかないだろう。

ファンタジー映画やゲームでの旅の吟遊詩人や冒険者も、野宿の焚火で作る食事は硬いパンと乾燥野菜のスープと、たまに干し肉でも付けば上等だ。

私も還暦を過ぎてからはそんな食事の良さがわかって来て、血糖の呪いもあり近年は中世修道院並み(蛋白質は多めだが)の食事になっている。


パン皿にはイギリスアンティークのピュータープレートが定番だが、これに日本の陶器(ストーンウェア)を組み合わせると中世ヨーロッパの雰囲気が出る。

下の写真では家人の為に沢山並べたが、私が食べられるのはこの内の半分である。


例によって拙い料理ながら、ハロウィンの余りの赤蕪(ケルトは南瓜ではなく蕪)と挽肉の中世風スープ、ちょっと贅沢なベーカリーの惣菜パン、鶏の骨付肉とハーブソーセージにサラダ。

今週の食器類は荒川真吾氏作の陶器を主に取合わせた。

和食や茶懐石の一汁一菜(三菜)にあたるパンとスープと肉の組合せは、簡素にして無限のバリエーションがあり、使う器を考えるのも楽しい。


禅の修行僧は鉄鉢一つで全ての食事をすますが、禅の懐石から始まった茶懐石では料理も器も文化の粋を極めた工夫がある。

茶懐石を参考に、洋食でも究極の器セットに到達してみたい。


16世紀ヨーロッパ風の豆と鶏肉のスープ、フォカッチャ、チーズメンチとビーフステーキ。

幸いにも今世紀の陶芸家達は、一昔の人間国宝連中が雑器と馬鹿にして作らなかった洋食器も作るようになって、今は手頃な価格で最高峰の技術の器が買える。


簡素な朝食には器も単純な取合わせとなるが、単純なほど対比と調和は難しい。


きのことブロッコリーのスープにカンパーニュ。

陶製の野兎を賑わいに置いて、遍歴の山野を眼裏に思い起こそう。


染付や色絵磁器も手描きの物で色調が部屋や料理に合うなら良いと思う。

ただヨーロッパの色絵磁器制作は近世以後なので、隠者には中世風の武骨な陶器の方が似合うだろう。

こんな感じで我が残生は、洋風一汁一菜の料理と器選びに費やするのも楽しいだろう。


©️甲士三郎


166 老優の遺影

2020-11-05 13:30:00 | 日記

英国の名優、ショーン・コネリー卿が亡くなった。

彼が主演した「薔薇の名前」は、私の最も好きな映画だった。


ギリシャローマ文明の光を失った中世キリスト教支配下の暗黒世界で、彼が演じた唯一人叡智の輝きを放つ修道士の姿は、この隠者の立居振舞いの良き御手本になってくれた。

まさに物語中の役そのままに我がマスターとして敬すべき人物像だった。

薔薇の祭壇に灯明と安ワインを供えグレゴリオ聖歌をかけて、しばし追悼の時としよう。

そして私も夕闇の中を隠者装束で中世に移転して、ダークファンタジーの世界に浸ろうと思う。


中世の闇は神学の深淵への入口でもある。

薔薇の名前にまつわる普遍論争は、神学から哲学が派生するきっかけとなった。

中世千年の閉塞世界は、実は孤独な思索を営々と続けるには適していたのだ。


おりしも今宵はサーウィン(ハロウィン)と満月が重なったので、近所の霊泉にて月光を浴びながらマイマスターの冥福を祈りたい。

スコットランド出身のコネリー卿には、ケルト風の儀礼が相応しいだろう。

小型カンテラの灯火の心細さが、中世知識人の心細さにも通じる。


宵の内は厚い雲に隠れていた月が夜中になって顔を出した。


先月の中秋の月も高く昇ってからやっと拝めたが今夜も同じで、つい夜更かししてインディー・ジョーンズのDVDまで観てしまいそうだ。

インディー・ジョーンズでの彼の役は、主人公の父親で中世文学の研究者かつトレジャーハンターと言う、これまた隠者好みの設定だった。

そもそも俳優とは夢幻界の職業だから、出演作品が不朽な限り作中人物も不滅なのだ。

ショーン・コネリー主演の数多くの名作DVDを集めて、隠者の冬籠りの楽しみとしよう。


©️甲士三郎