鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

342 春の歌学(結)

2024-03-28 13:07:00 | 日記

高雅の士とは花が咲き鳥が歌うだけで至福たり得る者で、歌学はその境地に至る道しるべとなるが、この寒さで今年は桜も遅れ鳥の声も少ない。

鎌倉の桜が咲くまで、もう少し古歌学に浸っていよう。


今に残る中世歌学の書は大抵が文化財レベルの扱いで入手は困難だ。



(和歌懐紙 源頼政 平安時代 瑪瑙製獅子像 元〜明時代)

その中で運良く隠者の手に入ったのが、本では無いがあの鵺退治伝説の源三位頼政の和歌の懐紙だ。

我が家系の遠い祖先でもある源頼政の直筆物なのだから、なにかのお導きに違いない。

流石に慎重に筆跡その他手を尽くして真贋を調べたが、決め手は書かれている装飾料紙の時代が確かだった事だ。

この時代の書は専門業者でも半信半疑の価格付けになる上に、今では読める客も少なく古筆切の全体の価格が大暴落している。

それに加えて近年の京都周辺のコロナ禍による古書画骨董類の大放出だ。

そんな幾つもの要素が重なった結果、遥かな御先祖様の聖遺物がこの貧しき隠者の手元にやって来たのだろう。


中世歌学の魁となったのが順徳帝による「八雲御抄」だった。



(八雲御抄 寛永版 江戸初期)

中世の本は全て手書きによる写本しか無く、写真の「八雲御抄」は鎌倉時代の原本を江戸時代に入り木版印刷が広まった初期に出版した物。

手書きの元版は順徳帝の崩御時に定家に託され一部改訂されながら伝世し、定家以降の中世歌学興隆の基礎となった書だ。

内容は和歌の歴史、分類、作法などを始め、後半は歌心に対する深い考察など和歌全般に及び、日本初の歌学大全であろう。


江戸時代になると各種の歌書の出版も盛んになり、和歌自体も殿上人から地下(じげ)の民衆にまで広まって行く。



(和歌八重垣 元禄版 江戸時代)

この「八重垣」は歌学書と言うより和歌の入門書として、特に類題の例歌が沢山載っている。

当時の大衆に風雅の楽しみ方を広めたベストセラーで、小型で吟行のお供に好適だ。

元禄頃は読書人口も大幅に増えた時代で、他には百人一首や古今集の注釈本も盛んに出版されている。

この古びた本を持って散歩がてらに一首でも詠めれば、春の至福を高雅なる古人達と共に味わえるだろう。

ーーー七種の小花咲く野は平かに 春の日永の光湛へてーーー


明日からはようやく仲春の暖かさとなる予報で、鎌倉でもやっと花や鳥の囀りを楽しめる。

一年のうちこの十日ほどは絵に詩歌に最も良い時期なのだから、日常の些事を投げ捨てて花巡りの旅に出たい所だが家族の事情でそうも行かない。

せめて我が荒庭と谷戸近辺で、精一杯の春を味わいたい。


©️甲士三郎


341 春の歌学(4)

2024-03-21 13:04:00 | 日記

彼岸となったものの気温は2月に戻ったような寒さだ。

ただ鎌倉では先日の暖かさで辛夷や紅彼岸桜は咲いたので、歌学の成果を試しに谷戸へ吟行に出た。


歌学でたびたび語られる「丈高き」は品位格調の事、「古き調(しらべ)」は流麗典雅なる音律の事だ。

ーーー現(うつつ)なき夢の中にも風吹きて 花の心を揺すりて止まずーーー



「丈高き」「古調」などを心掛けて詠むと、同じ内容の歌でも例えばエンジェルボイスの歌声のように詞がこの上なく美しく響きだす。

中世歌学の言う麗様(れいよう)とはそんな美しき詞だけで構築された夢幻世界を言う。

「天津風雲の通ひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ」

世に知られたこの僧正遍照の古歌などが麗様の最高到達点だろう。

とことん世俗の情を退けた聖域と言うべきか、現代の口語短歌とは正反対の行き方だ。


また西行のような心情の露(あらわ)な歌風を有情(うじょう)とか有心体と呼ぶ。

ーーー春雨の山は辛夷にほの白み 世捨てし者の神寂(かむさび)の谷戸ーーー



我が谷戸にあった大きな辛夷が数年前に半分ほどに切られてしまった。

山に聳えていた頃の辛夷の姿を我が胸中の山河に残すべく、有心体の歌に詠んでみた。

三好達治の詩では高く花を掲げた山辛夷を「天上の花」とも言っている。

詩人の眼にも辛夷は花精の宿る樹に見えたのだろう。

この歌は定家歌学の有心体と言うより、その後に出てくる新続古今集の有情幽玄体に近いかもしれない。

この辺の歌風が隠者には似合いのようだ。


また古の歌学書では、心は新しく調べは古風にと言っている。

ーーー隠國の春は八千草百千鳥 汝(なれ)は花人我は歌人ーーー



我が荒庭に帰り椿の精と共に夕べの茶時にしよう。

隠國(こもりく)は幽陰の里の事、百千鳥(ももちどり)は古今伝授の中の哥鳥(うたどり)で、これらの風情ある古語は典雅な調べの詠歌には必須だろう。

例え世人には通じずとも八百万の神々や精霊達には通じる雅語倭詞(やまとことば)は、逆に現代最先端ファンタジーにも使える詞だと思う。

とは言えそれらの古語でも今の口語と同じ日本語なので、6〜7割の大意は現代人でもわかるはずだ。


そんな訳で己が歌に些かの聖性を加えたければ、須く自然神や精霊達に通じる神聖古代語の詠歌になる。

現代人にはややわかり難い雅語が増えるが、読者諸賢には御容赦願うしかない。


©️甲士三郎


340 春の歌学(3)

2024-03-14 12:58:00 | 日記

歌学は20世紀の物質主義的な諸学問とは全く別の、夢幻世界への道標となり得る古人の叡智だ。

少し理解が進むだけでも和歌がより深く楽しめるようになって来る。


大体の歌学書は過去の歌論や歌評ほか雑多な和歌にまつわる記述を集めた物で、先週の佐々木信綱の「日本歌学史」に続き「日本歌学大系」全10巻はその中では最も秩序立てられた大著だ。



(日本歌学大系 佐々木信綱 衣通姫絵姿 室町時代 古丹波壺 江戸時代)

ここには古人達の和歌に関するありとあらゆる著述が集められている。

それでも佐々木信綱自身の詠歌は、惜しむらくは中世歌道の深奥である幽玄までは到達しなかったようだ。

信綱も当時を代表する立派な歌人だったが、その高雅な歌集にも幽玄体や麗様の歌はあまり見られない。

江戸時代以降の一般大衆に広まって行った和歌では、幽玄体は解釈が難しいと敬遠されて行ったのだ。

今後の隠者の残生はそんな中世歌学の深淵を探って行くのが面白そうだ。


先週紹介した香川景樹の歌軸を飾り、私も同じ詠題で時を超えた歌合わせをやってみた。



(直筆歌軸 香川景樹 江戸時代)

詠題は春日、副題に春月と山家。

景樹の軸の一首目は

「我が宿のおぼろ月夜のあたら夜は 花見がてらに訪ふ人もなし」

私の一首

「古歌に知る花はまぼろし世に隠れ 霞の奥の山家にぞ咲け」

古人との歌合わせなど、如何にも隠者らしくて面白いのではないか。

こう言う時身近に気の利いた選者評者が居ないのが残念だ。


今週もまだ寒い日が続いて鶯もあまり鳴かず、桜の花芽の膨らみも止まってしまった。



(木彫猫神像 江戸時代)

我家の猫神様は暖かな春野が待ちきれずたびたび連れ出しているのだが、陽当たりの良い路傍には小さな菫の花も群れ咲いていた。

これが日本古来の菫草で、よく街で見る三色菫は西洋種である。

古歌や古句に詠まれた菫はこの小さな紫花の方だ。

最近作っていなかった俳句もたまには詠んでおこう。

ーーー神像は小()さく菫はより小さくーーー


この分では鎌倉の桜の見頃は彼岸以降になりそうだ。

まあ読む本は沢山溜まっているから、春がゆっくり進むのは喜ぶべきだろう。


©️甲士三郎


339 春の歌学(2)

2024-03-07 12:57:00 | 日記

桜が咲くまでしばらくは引き続き歌学(うたまなび)の古書に浸っていようと思う。

歌学書はまた古の歌心を宿す高貴な言霊の書なのだ。


歌学の入門に最も定評のある書は明治末に書かれた佐々木信綱の「日本歌学史」だろう。

あの与謝野晶子が歌を志す者なら、これだけは読んでおくべきと言った名著だ。



(日本歌学史 改訂版 佐々木信綱)

歌学史の最初はやはり紀貫之の古今集仮名序からで、私も初学の頃にそれだけはちゃんと勉強した。

その後に紹介されている古歌学の書で中世の物は写本でも入手は難しいが、歌学が最も精緻になった江戸時代の木版本なら探せば入手できそうだ。

また昨今の古筆切の流出振りを考えると、中世物では本よりも直筆の軸や短冊の方が見つかる可能性は高い。

人の心に神聖さが宿っていた時代の遺物を、我が残生を賭けてじっくり探すのも楽しいだろう。

この佐々木信綱の本はそれらを集めるのに最適の教導の書となってくれる。


江戸時代の歌学は大まかに言えば賀茂真淵と香川景樹に二分される。

早速その2冊の原典を手に入れた。



(宇比麻奈備 賀茂真淵 新学異見 香川景樹 江戸時代)

この宇比麻奈備(ういまなび)などの賀茂真淵のいささか過激な万葉復古論は、和歌の分野と言うよりむしろ国家神道復興論の補強のために、この少し前に出た契沖の万葉集註釈を利用しただけな気がする。

肝心の真淵自身の歌に万葉調の良い歌があまり無いから説得力に欠けるのだ。

元々飛鳥奈良時代の言葉と平安以降の言葉にはかなり違いがあり、江戸時代の他の歌人達が万葉語が使いこなせる訳も無く、賀茂真淵の言う事は我田引水の虚論に思える。

それを普通の詞と典雅な調べと言う真っ当な和歌の道に戻したのが香川景樹の新学(にいまなび)異見だった。

江戸後期から明治にかけてはこの香川景樹の桂園派が圧倒的に優勢となった。


先週紹介した江戸後期の歌学を大成した香川景樹の歌集も見つけた。



(桂園一枝掌中版 江戸後期)

この小型の類題歌集は袂に入れて吟行に持って出られるように作られた、当時の大ベストセラーだ。

季題順に春から並んでいるので当季の歌がすぐ参照出来る。

千草の咲き出した春の野にこの小書を持って出るだけで、誰でも高雅な気分になれる。

こんな古の良書が家に居ながらネットで簡単に探せしかも安価で入手出来るなど、昭和の頃に足を棒にして古書店巡りしていた人々から見れば極楽に思えるだろう。


この所三寒四温の三寒の気温が異常に低く、早めに咲きそうだった桜が少し遅れそうだ。

この春はのんびりとこれらの歌学と歌書に浸り、古の歌人達のように典雅離俗に暮したいものだ。


©️甲士三郎