鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

338 春の歌学

2024-02-29 12:57:00 | 日記

冬籠りの間の隠者は専ら漢詩に勤んでいたが、春はもう少し楽に歌学に親しもうと思う。

前衛やポップ短歌隆盛の現代では、古い和歌のそれも歌学などを学ぶ人は滅多に居ないだろう。

しかしネットのお陰で古い本や資料が容易に安価に手に入る今こそ、このような古学を修める好機だ。


歌学の基本はいつの世でも古今集にある。



(古今集正義 香川過激 明治復刻版 古丹波傘徳利 江戸時代)

江戸時代からの木版による出版で、それまで極限られた人による口伝だけだった古今伝授の内容が少しづつ世に広まった。

その古今集研究の決定版が江戸後期に出た香川景樹の「古今集正義」だ。

これは20世紀の実史に傾いた文学研究では出て来ない、心の高貴さに重きを置き古今集をより深く味わうための書なのだ。


その後明治の太斗佐々木信綱が歌学の集大成を打立てるのだが、神秘性と合理性が程よく合わさっていたのはこの香川景樹らの江戸後期までだろう。



(直筆短冊 香川景樹 江戸時代 古丹波壺 江戸時代)

「闇ならでたどたどしきは目に見えぬ 神をしるべの敷しまの道」景樹

敷島の道とは和歌の道の意味。

この短冊をネットで見つけた時は、古の金言を見つけたようで嬉しかった。

「神をしるべの〜」の神は、例えばダンテの神曲のヴェルギリウスのような導き手と思えば現代人にも理解できよう。

八百万の自然神がまだ人々の生活の中に生きていた時代の、実にファンタジックな歌だ。

なお和歌の聖性を保った最後の華である与謝野晶子は、この香川景樹らの桂園派の孫弟子に当たる。


江戸時代の歌人達が春の花を見ていたのと同じ気持で野に出れば、日本古来の小さな自然神達が見えて来るだろう。



先週の写真と同じ菜の花の野辺に寄れば、さらに数倍の数の花が咲き競っていた。

さっそく古今調で一首詠んでみよう。

ーーー日翳るも菜の花あかり佐保姫の 歩む標となりにけらしなーーー

言うまでも無いだろうが佐保姫は春の女神。

野に出ては麗しき女神や花の精達と戯れていた古の歌人達がどれだけ春の至福を感じていたか、それを追体験するのが歌学(うたまなび)の要諦なのだと思う。


春の野遊び花戯びの傍らに歌学の古書は打って付けだと思う。


©️甲士三郎


337 探梅捜春行

2024-02-22 13:19:00 | 日記

節季は雨水となり先週末の鎌倉には荒東風が2日ほど続いた。

鶯の初音こそまだだが、我が谷戸のあちこちの梅が咲き競っている。

愛用の100年前のライカをお供に春を探しに行こう。


近所の路地の垣根には各種の椿が咲き競っていて楽しい。



古風な四つ目垣と紅椿が良い風情を出している。

籬や垣は少し崩れかけているくらいの方が質実剛健の鎌倉らしさが感じられよう。

また谷戸の低山には薮椿が沢山自生していて、その実や花の蜜は小動物達の良い餌となっているのだ。

今日は薄曇りの柔らかな光の中で紅緑の対比も落ち着いて見える。


写真は谷戸の最奥の瑞泉寺近くの野梅。



将軍実朝が梅鶯を詠みにたびたび訪れたと言う我が谷戸も、古い家は次々と壊され庭の老梅も惜しみ無く伐採されて行く。

数年前に写真に撮った梅が、今年は無くなっていたと言う経験も度々だ。

せめてもの手向にと写真や句歌の中には遺してやりたい。

梅はほんの一枝だけでも鑑賞に耐え得るから、一部分でも良い枝振りの木を探したい。


路傍の菜の花はまだ小さいながら明るく咲き出した。



寒さの残る如月の山野では、例え小振りでも菜の花の黄色はとても目立つ。

早春の散歩道の主役とも言える。

菜の花は放っておいても種が溢れて次の年も同じ辺りに咲く。

ただここは1月にも草刈をした場所だから、もう少し伸びた頃にはまた刈られてしまうかもしれない。

せめて種になるまでは刈らないでくれと祈ろう。


今週は三寒四温で気温差が激しいが、その中で日々身辺の花が育つのを見守るのは楽しい。

ここ数日の寒さが弛んだ時に、また我が楽園を一回りしよう。

ーーー魁けて東夷(あずまえびす)が春探す 谷戸の深まで荒東風の古都ーーー


©️甲士三郎


336 如月の花菓

2024-02-15 13:02:00 | 日記

ーーー花競ひ菓子の色彩(いろあや)競ふ街 鎌倉人よ装ひ集へーーー

昔の良家は立春後のこの時期に年間の茶事酒宴の予定を立て、必要な物を早めに注文し取り揃えていたそううだ。

それに習い現代人も時節の花や花器の計画は年頭に立てておいた方が良い。

昨今では花屋でも和花を見なくなり、自家で植えたり種を撒いたりしなくてはならないのだ。


また和菓子も色や形を凝った手作りの物が段々消え、機械作りの量産品ばかりとなっている。



(黒唐津面取壺 大正頃 黄瀬戸筒茶碗 黄瀬戸小皿 江戸時代)

長年色々と試した結果、紅梅には黒釉の花入が一番似合うと思う。

一見黒高麗に見える花入は100年ほど前の唐津か近辺の民藝釜だろう。

我が荒庭のこの紅梅は香りも高く、いち早く春の喜びをもたらしてくれる。

茶菓子は老舗の春らしい彩りの三色大福があるのだが私には大き過ぎる。

私は例の血の呪いでほんのひと齧りしか出来ないから、コンビニやスーパーの小振りの物が返って都合良いのだ。

しかし全国的にも手作りの和菓子屋は激減しているそうで、鎌倉でも良い店や職人が減り季節の形や彩りを楽しめる和菓子は少なくなった。


季節の花と茶菓子の取合わせを考えている時間は楽しい。



(古丹波小壺 江戸時代 上野焼珈琲器 昭和前期)

大振りの薄紅椿には意外と珈琲が合う。

日本の椿は19世紀のヨーロッパに輸出され、あちらの貴族庭園でも大人気となっていて、この写真もその時代の雰囲気を狙って組合せてみた。

寒椿と違って春咲きの大輪の椿は、やや薄暗いような光の中でこそ耽美主義的な味わいが出る。

茶器も沈んだ色味の方が好ましい。

またこの小さな最中もコンビニの和菓子詰合せで、私の茶菓は節季ごとに一口、花が変わるごとに一口だがそれでも楽しい。


菜の花には鄙びた素朴な花器が良い。



(黒牟田酒壺 紅志野茶碗 大正〜昭和頃 古美濃皿 江戸時代)

この惚けた形の口付き酒壺がいかにも春の田園を思わせてくれる。

家人のために買って来た苺の生菓子と薄紅に発色した絵志野茶碗を取り合わせれば、明るく暖かな如月のひと時を過ごせる。

菜の花の黄色と葉の黄緑は結構濃厚な色あいなので、茶碗も色味のある物を選ばないと引き立たない。

いずれにせよ菜の花を飾るなら戸外の陽光を感じるような花器茶器で楽しもう。


これから4月までは種々の花が咲きつぎ、また詩画に茶菓にと目眩くような麗しき日々が来る。

この季節を精一杯味合わないのは人生の重大なる損失なので、諸賢も良き春を高雅に過ごして頂きたい。


©️甲士三郎


335 迎春の和歌

2024-02-08 12:58:00 | 日記

   賀春

ーーー少しづつ薄紅の梅少しづつ 咲きては散りてやがて幻ーーー


隠者の旧正月の秘儀は、和歌の女神である衣通姫に歌を献じる事だ。



(衣通姫絵姿 室町時代)

衣通姫は玉津島姫とも呼ばれ、鎌倉時代頃から和歌の女神として歌人達の信仰を集めた。

「三代までにいにしへ今の名も古りぬ 光をみがけ玉津島姫」後嵯峨院

最近の私は優秀なAIの登場で漢詩方面の研究に力を入れていたが、日本人の詩歌の源である和歌は忘れずに少しづつ詠んではいるのだ。

先日は鎌倉にも雪が降ったものの、夜間にちょっと積もって朝には消えてしまった。

梅の枝に積もれば古風な雪中梅の題で一首詠もうと思っていたのに残念だ。


初春の我が楽しみは何を置いても探梅吟行だ。

古の宮人達も挙って心から喜びの歌を詠んでいる。



立春の鎌倉の各神社では地味ながら雅楽と巫女舞が催されるが、今年は介護の都合でその時間に行けず行事の歌は出来なかった。

そこで探梅行で近所の薄紅梅を詠んだのが冒頭の賀歌だ。

写真の早咲き種の紅梅で丁度鶯が来ていたのだが、愛用のオールドレンズには勿論オートフォーカスなどは付いておらず、私の目ではもう動く小鳥にピントを合わせるのは不可能だ。

だが歌を詠むには例え老病の身でも何の支障も無い。

早春の探梅行は鶯の初音聴きと共に年中で最も心浮き立つ楽しさがある。


ーーー古草も柔草(にこくさ)も地に伏して只 天津風吹く春の始めぞーーー

春立つ谷戸の山々はただひっそりと佇みながらも、野辺の枯草の下には緑の芽が頭を出している。



お隣の永福寺の池面を渡る風もゆったりと感じるようになって来た。

この鎌倉時代の大寺跡には礎石以外は花も樹木も何も無く、草が生えるとすぐに刈ってしまうので味気ない場所だが、回りの山々の四季の景観で何とか救われている。

この池にはいつも鶺鴒が何羽かいて、今週はもう可愛らしい声で鳴き出した。

鶺鴒の動きは鶯よりさらにせわしないので写真は無理だが、ここに寄れば必ずその元気な姿を見せてくれる。


花咲き鳥が歌う我が谷戸の春は、まさに詩画人の楽園となる。

花の香と鳥の囀りの中に日々目覚めるのが、古来から世捨人にとっての至福の暮しなのだ。


©️甲士三郎


334 梅花の精

2024-02-01 13:00:00 | 日記

今後の未来では鎌倉に雪が降る事は滅多に無くなるのだろうか。

古来から雪月花と言うように雪は日本の美を象徴する一つだ。

豪雪地域の人々には災害でしか無かろうが、鎌倉や京都の雪景色は心底美しいと思う。


その三大日本美の一つが今年は全く見られなかったのは残念だった。

その代わり梅は例年に無く立春前にだいぶ咲き始めてしまった。



写真は源実朝も歌に詠んでいる荏柄天神に早くも咲き出した白梅。

我家の正月は旧暦でやっているので、梅が咲けば立春を喜ぶ気分も盛り上がる。

中華文化圏では西暦の新年とは別に盛大に春節を祝うのに日本では何もやらないのが寂しく、近年の隠者は中国のお祭りをネットで見ながら正月気分に浸るようになった。

日本でも江戸時代までは立春が正月だったから、古詩古歌などは皆立春や梅を詠んだ物が沢山残っている。

隠者にとっても何のめでたさも無い新暦の新年より、実感として花咲き自然と共にある旧正月の方が遥かに嬉しい。


床飾りも当然寒梅の書画だ。



(梅花画讃 田能村竹田)

竹田の詩は品格があり正月飾りにはうってつけだろう。

最近の勉強で江戸時代の漢詩もだいぶわかるようになり、菅茶山や頼山陽らの江戸版の詩集も揃って来た。

彼らが如何に春の到来を喜んでいたか、現代の一年中冷暖房完備で自然や花鳥から遠ざかった生活からは想像も付かないだろう。

その分古人達が春に見る夢は美しかった。


谷戸の野梅も咲き出し、特にこの薄紅梅の木には梅の精が宿っているのではないかと思うほど可憐な色で春を告げてくれる。



長年色々な梅を見て来ると、庭や神社の手入れされた木より自然のままの野梅が好ましくなって来るようだ。

鶯や目白も声はまだ笹鳴きながら、盛んに花の蜜を吸いに来ている。

この隠者にとってはこの花精の宿る木の周りは麗しき春の花鳥の楽園に見えるのだ。

ーーー世に隠れ薄紅梅に傅(かしづ)かれーーー


この冬は庵に籠って漢詩の勉強していたので、立春には是非とも古人を真似て詩を詠み春の女神に捧げなくてはなるまい。

立春の宴の拙吟、ご笑覧あれ。


 迎春

紫暮紅燈聴笛琴

梅詞桃唄競花心

歓亭一座傾壺底

静苑群星垂樹陰


©️甲士三郎