鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

108 猫神様の収穫祭

2019-09-26 15:41:26 | 日記
神をも恐れぬ我々現代人は秋の恵みを感謝する自然神への祀りも忘れ、殆どの家が収穫祭さえもやらなくなってしまった。
代わりに繁華街の秋味祭りとかで自分達だけご馳走を食べて満足している。
そんな有様では天霊地気の中でこそ安らえるはずの己が魂でさえも、本来の聖性を発現する事も無いだろう。
よって我が探神院では東洋神西洋神、天神地神、詩神猫神ほか諸々の神神をまとめてお祀りせんと、大収穫祭を催す事にした。
つまりは数週間に渡る大宴会だ!

まずは我家の猫神様に御供物を。

(木彫猫神像 江戸時代 古瀬戸印花小壺 江戸時代 探神院蔵)
秋の木漏れ日が風にきらきら戦ぐ、猫族の好きそうな窓辺に御座頂いて撮影した。
豊穣の秋の光をカメラのファインダーで切取っているだけでも幸福感がある。
猫神様と共に木漏れ日の中でぼーっと思索に耽ける時間は何とも心地良く、これぞ我が楽土と実感出来るひと時だ。

歌仙の姫達にも御供えしよう。

(三十六歌仙色紙 住吉具慶 江戸時代 李朝燭台 探神院蔵)
鎌倉の地物の野菜を中心に、大笊に山盛りで御機嫌を伺おう。
画軸は住吉派開祖の三十六歌仙図のうち小大君 斎宮女御 中務の三美人を集めた贅沢な仕立で、大正の大震災で没落した某伯爵家の旧蔵品だった。
たぶん江戸時代に大名家の婦女子達の情操教育の為に作られた軸で、断じて好色な殿様のためだったのでは無いだろう。

晩餐は昨年紹介した江戸狩野派の収穫図屏風を背景に、虎猫様へ地場の魚を献上した。
まあ鯵の塩焼きとアジフライに自家製ソースと言う凡庸な物だが。

卓中央が李朝染付の虎猫水滴で、他は桃山〜江戸時代の古唐津や古美濃の陶器類。
花は野良の秋草を前回の婆娑羅風に投入れて、農村の畦の雰囲気を出してみた。
昔の小領主の暮しは一汁三菜に酒肴が付けば上等な部類で、収穫祭の夕餉もこんな物だ。
我が祖先達は300石取りの直参旗本だったから、丁度こんな小村の領主と同レベルの暮らし振りだろう。
今の高級グルメとは比べ物にならない質素な宴だが、精神的美しさのある宴だと思う。

©️甲士三郎

107 婆娑羅の投入花

2019-09-19 13:40:52 | 日記
---破籠(やれかご)に野の花盗みこそこそと うろつく画家の罪問ふなかれ---
(実はちゃんと買って来た花)
華道の諸流派には良い所も多いが、世界にはもっと多様で自由な花の飾り方があり日本にも婆娑羅達の立花投入の秘伝があった。


(手付き籠 大正時代 黄瀬戸沓茶碗 江戸時代 探神院蔵)
竜胆 桔梗に吾亦紅、野紺菊に芒など秋野の花を投入れるのには、古びた粗末な竹籠が適している。
あるいは流派花の定石を無視して、打ち捨てられたような破れ壺に秋草をごちゃっと活けるのも良いかも知れない。
いずれにしろ煌びやかな金銀色絵磁器より、秋寂の趣きがある花器を良とする。
つまるところお馴染みの侘び寂びだが、この美意識は他国には類を見ないジャパン オリジナルなので、現代でも十分誇りに思って良いだろう。
侘び寂びも古今集の三夕に始まり室町水墨の枯淡や利休の侘茶までは、冷え枯れのコンセプトばかりが強過ぎて私はあまり好きになれない。
ところがこれが戦国桃山時代の婆娑羅武将達の雄渾な美意識が加わると一変する。
織部に代表されるような意図的な歪みによるダイナミズムや面白味が出てきて、桃山障壁画などの豪壮な美と合わせて繊細優美な貴族文化と対極をなす武家文化が生まれる。

そんな訳で粗末な籠や歪んだ花器に野の花を気ままに投げ入れるのが、婆娑羅の末裔としては正統なのだ。


(黒織部花入 桃山時代 探神院蔵)
婆娑羅の真骨頂は自由奔放さなので、侘びの代表格の黒織部には秋冬まで散らずに残る枯紫陽花を入れてみた。
荒々しい歪みの造形が、冷え枯れだけでは無い生命力の胎動を感じさせてくれる。
婆娑羅の力技はこんな具合に発現するのだ。

伊賀信楽の中では歪み割れ焦げが見ものの水指「破れ袋」が有名だが、実は花入の方にも優品が多くある。
花を引立てるために地味目な色を纏っているものの、形と釉調は我が国の陶器の中で最も派手で変化に富む。
あえて花無しでご覧いただこう。

(古伊賀花入 古信楽蹲壺 桃山時代 探神院蔵)
花入は手の長い宇宙人に見えるような面白い形で、各部ディティールの歪みと非対称が全体ではバランス良く調和している。
上部に降りかかった自然釉と素体の土色、下部の黒焦げまでの色調の変化が飽きない。
右の信楽壺の吹き荒ぶ釉模様と合わせ見れば、婆娑羅的な美意識を感じ取ってもらえるだろう。
こうして捻くれ者の隠者は、同じく捻くれた伊賀信楽に自己投影して悦に入るのだった。

©️甲士三郎

106 過去への散歩道

2019-09-12 12:23:08 | 日記
9月になり朝夕は多少過ごし易くなって、散歩の時間もやや増えた。
殊に秋風の小道や暮れ行く街の秋灯は趣深く、ついつい知らぬ路地まで入り込んでしまう。
数年前に映画化された「鎌倉物語」は昭和30年代の設定で、探せばあんな感じのレトロな路地が今もある。


一昔の映画「チゴイネルワイゼン」は大正頃の鎌倉が舞台で、そのPVに写っていたのがうちの近所のこの路地だ。
秋の夕暮にここを通ると過去に移転出来そうだ。

品格のある日本家屋が次々と壊されて行くのを見ていると、近い将来には鎌倉も古都の風情を無くしてつまらない町になるのだろう。
私もせめてまだ残っている古風な路地の、写真くらいは撮っておいて子孫に伝えたいと思う。

鎌倉駅周辺よりは北鎌倉の方がコンクリートの建築物が少なく、古風な家や路地も多い。
大型車の入れない小径は一見不便に思うだろうが、歩くトレーニングと考えれば年寄には良いのだ。

現代日本人の衣食住は美的様式を失い国籍不明の利便性だけの生活と堕したが、若い世代の殆どがかつては当たり前だった和風の暮しの良さを知らないので仕方ない。
ただし和の伝統でも正座だけは駄目だ。
たかだか幕末明治からの悪習でしかも町方の作法でしかない物を、武家の末裔である我々が取り入れる訳が無い。
武家の常在戦場の立居振舞は案外今の洋風生活に近く、例えば頼朝や織田信長を思い浮かべれば、正座など無かった武家の生活がイメージ出来るだろう。
着物でも武士は戦に備えた野袴 短衣 筒袖が基本で、今のパンツとシャツの形に近かった。
正座無しの和風の住環境で現代の電化製品がある暮しなら、昔の大名以上の美しく快適な人生を送れるはずだ。


写真は私もたまに寄る北鎌倉の茶屋で、昭和初期の民家をうまく使っている。
以前の繰り返しになるが大正から昭和初期頃の和洋折衷様式の家屋と暮しが、実は現代日本人にも適しているように思う。
散歩道の家々の庭や垣根の様式も美しく整っていた大正頃の鎌倉は、今から見ればまさに当時の文化人教養人の理想の楽園だったろう。

おまけの写真は今回の台風による我家の被害。

元々荒れ果てた庭なので大した被害に見えないだろうが、もうちょっと奥の地区では谷戸が崩れて自衛隊が災害派遣されていた。

©️甲士三郎

105 秋意の鳥獣達

2019-09-05 15:03:14 | 日記
---鳥けもの庭に遊ばせ引籠もり 秋気を睨む画家の病眼---


9月に入って陽射しはやや薄らいで、隠者の荒庭に来る小動物達もだいぶ過ごし易そうに見える。
一方で私は眼の手術後なので碌な運動が出来ず、今度は宿痾の血糖値が少し高くなってしまった。
まあ散歩くらいなら支障は無いので、庭や近所を盛んにふらついている。

茫々と茂った庭を良く見ると、其処彼処にひぐらしの空蝉が草葉に縋り付いていて、病で手入れ出来なかった一夏の荒涼を想わせる
---空蝉を貫く朝の光かな---(旧作)
句から源氏物語空蝉の段を観想してもらえれば、後朝の光に現実界と夢幻界を往還出来るだろう。


---かなかなやみそひともじの濡れてをり---(旧作)
三十一文字(みそひともじ)は和歌の事。
ひぐらしの声はどことなく哀しげで夏の旺盛な生命力の衰えを感じるのは、古今を通じて日本人の心に染み込んだ自然観だ。

お隣の永福寺跡の池辺には赤蜻蛉が群れ翔び、水面も秋気を濃く映している。

(水浴びの鶺鴒 石の色に紛れている)
我家の周囲を一回りしただけで、活き活きと遊ぶ鳥獣達に清澄な秋気を感じられて楽しい。
この地にある諸々の良い所だけ残して不要な物を観想法で消し去れれば、かなり隠者の理想の楽園に近い。
こんな暮しなら例え病に臥せるとも、秋が静かに深まっていくように己が精神も深めて行けるだろう。

---より濃きは水に映りし方の秋---

©️甲士三郎