鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

113 断裂の浄土

2019-10-31 14:07:48 | 日記
長年古今東西の文物を見て来て最も隠者の好みに合ったのは、日本の中世室町から桃山時代の諸芸術だった。
室町時代の美術や文化は現代日本ではあまり評価されず、未だに幽玄さを秘めて歴史の闇の中に沈んでいる。
ただ今の若い人達には和洋の中世ファンタジーはゲームや映画小説でも一番人気なので、私だけが変人という訳でもなさそうだ。
今回は我が中世夢幻界で最も気に入っている物をいくつかお見せしよう。


この写真の主役はあちこち壮絶に火膨れた室町信楽の大壺で、蒼古たる佇まいで中世の陰影を纏っている。
立花も水墨の鳥達に赤い実の取合わせが我ながら効果を上げていて、飽きずに十日程眺め暮し幽玄の寂光世界に浸った。
背景の花鳥屏風は室町時代のいわゆる関東水墨画派(雪村の弟子達)の作だが、この派名は京都より劣る物と言う揶揄が含まれている。
室町戦国時代は京の都は荒れたが農業技術や生活文化の向上で各地方の生産力が一気に上がった時で、そう思えば洗練され過ぎて脆弱となった京の公家文化よりずっと力強く素朴な生命感が見えて来るのだ。


豊葦原の上を群鳥が舞う、隠者好みの渋い花鳥浄土が簡明に描かれている。
回りを仄暗い混沌の空間が取り囲みそこに焼成時の大きな罅(窯傷)が数本走っていて、緊迫感に満ちたまるで天の啓示のような桃山の古志野(志野織部とも呼ぶ)だ。
戦乱の続いた時代の冷え枯れた浄土概念を斬り裂き、近世の新しい浄土建立に向かう記念碑にも思える。
当時この神為の不良品を廃棄せず後世に遺したのは、有名な伊賀の破袋水指にも通じる古人達の美意識の深さだろう。
この古志野が秘める力感と時空の重層感を我が身中に取り込めたらと切に思う。

無残な欠片からも中世人の精神が感じ取れる。
下の写真の割れた古瀬戸の仏花器なども、無骨ながら精一杯荘厳な形を作ろうと苦心した跡が曲線のあしらいに出ている。
夕餉はこれら古陶のかけらに一汁三菜を盛った戦国野武士風の趣向で楽しもう。

向かって左から合鹿椀、絵唐津、瀬戸、唐津の鎌倉〜桃山時代の残欠。

日本の中世文化の殆どが当時の武家に浸透していた禅の精神の影響下にあるため、その概念は現代ではややわかりにくいかも知れない。
従ってそれらを真底味わおうと思えば最低限の禅の理解は必要だが、禅そのものに理解を拒絶するひねくれた性質があるので難儀だ。
まあ逆に言えばその辺に深みや面白味があるので、たとえ狐狸禅に堕すとも挑戦してみる価値はあるだろう。

©️甲士三郎

112 雨情の古都

2019-10-24 14:51:26 | 日記
例年の鎌倉なら10月中旬から11月は穏やかな行楽日和が続く筈が、今年は台風や雨催いの日が多く肌寒い気温のせいで廃都の秋寂の感が一際深いように思う。
今日は雨に濡れてしっとりとした色調の古都を吟行しよう。
雨なら普段は混んでいて行かない鶴ケ岡八幡も多少は静かだろう。

---雨風に客を並ばせ蒼然と 階(きざはし)高く武神荒ぶる---

傘の花が咲くと言い夜目遠目傘の内なら皆美人と言うが、参列の景は昨今の洋装のビニール傘よりひと昔の和服に蛇の目唐傘の方が遥かに美しかったろう。

台風で折れた客殿の椨。

---倒木に野分の後の青き雨---

天然記念物の銀杏の大枝を何故か切り捨てた挙句その数年後に本幹をも倒してしまって以後、哀れにもここの宮司には天罰が続いているようだ。
先月の源平池の大柳に続きこの﨓も野分にやられた。
惨禍は神威の青い寂光に包まれ、俗に塗れた八幡宮には珍しく武神の威厳がある。

本殿の右下が若宮で、その奥の路を行くと頼朝の白旗神社がある。
ここまで来る観光客は少なく、さすがに清浄な雰囲気がある。

---神域の樹々に隠れて祈祷所へ 傘と傘とが語りゆく路---

そろそろ暮れ近くなってきてぽつぽつと秋灯が点り、誰の目にもしみじみとした情感を抱かせる

---秋雨の宮の灯火ほの暗く 古き黄金の色に寂れる---

家に帰って句歌の錬成と墨書の座を設えよう。

(賢人図 狩野派 江戸時代 古端渓硯 清時代)
今日見た景物を吟味ながら心を深く沈めれば、夢幻世界の深淵から中世の秋の景が浮んで来るだろう。
この三昧境に入って句歌を仕上げるのが隠者流なので、その為にはそれなりの場の設えが要るのだ。
---賢人図掛けて夜長を墨遊び---

と言いつつ句歌の出来がどうも良くないので、写真を多めにして誤魔化そう。

©️甲士三郎

111 晴嵐の花事

2019-10-17 14:40:43 | 日記
台風一過の我家はまた庭木が数本倒れたが、鎌倉は目立った被害は無かったようだ。
秋麗の小径を散歩に出れば、市井の人々の顔も明るい。
このまま気分良く駅前のカフェによって、帰りに花を買ってこよう。
花は本当は桔梗が欲しいのだが花持ちが悪くて店では扱い難いらしく、売っているのはトルコ桔梗だけだ。
最近の花屋では当季の和花は少なくなり私の知らない洋種の花ばかりなので、仕方なく月並だが竜胆を買って野分に倒れた芒を剪ったのと取合わせよう。

花芒の白と竜胆の青紫を生かすのに黒っぽい色の器は合わないので、斑唐津の旅枕花入を選び障子越しの秋陽で輝いて見える場所に置く。

仮初めの客座には三色団子を用意して、昼間は暇な筈の月読でも呼びたい
出来上がった席で茶を飲みながら障子に移ろう光陰の中で思索に耽れば、こんな簡素な茶事でも秋麗の日の至福を味わえる。

今宵は十三夜なので、余った芒を朽ちかけた一斗樽に投入れて悦に入ろう。
花芒の風姿はうらぶれた隠者に似つかわしく、月見以外にも吹き荒ぶ嵐の中でも夕日の中で枯れ果てる姿さえも味わい深い。


---虫の音の闇に朽ち樽うずくまり---(旧作)
案の定夕方から曇ってきた。
明かりも点けず座敷で暗くなるまでぼーと佇めば、秋の夕日は釣瓶落としと言った古人達の感じ方が実感できる。
先月の中秋の名月は残念ながら小雨で見えなかったが、予報では後の月も駄目そうだ。
しかし俳人歌人なら「雨月 無月」の題詠でも、十分楽しい夜に出来るだろう。


---花籠に猫が収まる良夜かな---
雲隠れの月に代わって虎猫様を祀って御供えをあげよう。


(虎猫水滴 李朝時代 古伊万里金襴手徳利 初期伊万里盃 江戸時代 探神院蔵)
縁側から無月の空を見上げる虎猫を、燭明が良い感じで照らしている。
隠者はこんな具合に晴嵐の秋を永らえているが、皆は如何お過ごしだろうか。

---障子開け荒れ野へ放つ無月の灯---

おまけの写真は就寝前に一瞬だけ姿を見せた十三夜月。


©️甲士三郎

110 幽居の燭

2019-10-10 14:22:06 | 日記
秋も徐々に深まり、灯火親しき頃となった。
私も通常は電気の照明を使っているが、茶事や儀式には蝋燭を使う。
また墨書時や古画の鑑賞時も、燭光の揺らぎが想いを深めてくれる。
世間ではティーキャンドルの流行で今風の綺麗な色ガラスの燭台などを使っている人も多いと思うが、古い燭台や灯火器にはそれとは別の幽玄な味わいがあるのでお試しあれ。
19世紀の物で良ければまだ沢山あるし価格も安い。
蝋燭は台風に備えていささか買い過ぎたので、どんどん使おう。


(織部火貰い 志野茶碗と織部酒注 桃山〜江戸時代)
写真の古織部の火貰いは煤と油で真っ黒だったのを格安で入手した物だ。
これを戦乱の続いた中世の闇に近世文化の光明をもたらした概念兵器だと思えば、丸っこいひょうきんな形と自由闊達な絵にも深い意味が出て来る。
日本におけるルネサンスであった桃山江戸初期の文化は、その代表である織部に見られるように明るい開放感と自由さを後世人に与えてくれたのだ。


(菊尽し扇面散屏風 江戸琳派 李朝八角燭台 探神院蔵)
炎の揺らぎは意識を現世と夢幻界の間(あわい)に誘う効果がある。
右の李朝の木製大燭台は屏風や大床の間には必須かつ軽くて使い易く、左の背の低い方も同じ李朝の木製燭台でいずれも金属製の物より素朴な温かみがあって好ましい。
そもそも古来から屏風や掛軸はコンクリート壁の美術館で最新の照明設備で見るより、和室で蝋燭や障子明りで見るように制作されている。
幽玄の燭明の中でこそ画中の夢想に浸り込めるのだ。
更にこの写真下方を良く見れば、古い徳利と盃に肴まで用意してあるではないか。
こうした昔は当たり前だった古画の鑑賞方法も、今では気軽に出来ない贅沢になってしまった。


(木彫守護天像 室町時代 鍍金小燭台 江戸時代 探神院蔵)
この守護天像のお陰で当院が古くからの鬼門守護職の末裔である自覚が持てる。
「これを護持する者、法輪守護の鬼神たるべし」(奥院口伝)
よって我々はどんな困難な時代だろうと、本願の品位聖性を高く保たねばならぬ使命があるのだ。
数百年の先達の祈りが籠もったこの像の来歴を想う時、自ずと燈明は幽玄に揺らめく。
浄明によって壁に拡大単純化された投影の形態感に、この小像に籠る力感と格調の高さが見て取れると思う。

---長き夜の炎に見入る永き刻---

©️甲士三郎

109 隠遁神の収穫祭

2019-10-03 13:49:55 | 日記
先週に続きマイナーな神神と座を共にする、隠者流の収穫祭を紹介しよう。

(ハーミットレリーフ 19世紀 什器類 18〜19世紀)
今回は以前にも紹介した私の御本尊と言うべきハーミット(隠者)レリーフを祭神にした収穫祭だ。
探神院お得意の和洋折衷の什器揃えで、イギリス アンティークのピューター ブラス類と古伊万里金襴手の取合わせ。
前回の猫神様には魚料理だったので、今度は肉中心にした。
読者諸賢の特に若い人に推奨したいのは、私にとってのこのハーミットレリーフのような、何か己の魂を込められる物とか神宿る物を探し出して自室に祀る事だ。
スピリチュアル ライフの標準装備として、自分だけの護符や聖像やアーティファクト(聖遺物)のような物を持つと、どんな孤独時困難時でも「我、神と共にあり」と思えて心強い。

次は日本と同じ多神教であり、後世にはローマカトリックに異端弾圧されたギリシャ ローマの神神に秋果を献げよう。

(ディオニュソスのイコノグラム ギリシャ 紀元前2〜3世紀)
私は血糖の呪いによっていっさい果糖類は食べられないと言っているのに、長野に住む旧友が毎年嫌がらせの葡萄を山ほど送ってくる。
仕返しにこちらからは塩分過多のジャーマンソーセージを送ってやるのだ。
食べられない葡萄は腐るまでディオニュソスの神前に置いておくしかない。
言うまでもなくディオニュソス(ローマ名はバッカス)は葡萄酒の神なので、喜んでニュムペー達と日々酒宴に浸ることだろう。
このイコノグラムはディオニュソス、ニュムペー(妖精)、葡萄の樹、スキュラ(酒杯)、アンフォラ(酒壺)、魔杖、豊穣の角などの図像で簡易魔法陣が組まれている。
祭祀様式はルネサンス時代に行われていた、古代ギリシャの遺物などを使った魔術や錬金術や神智学などが入り混じった怪しい物らしい。
今日の祭典にふさわしいBGMは、キャサリン ジェンキンスの「Vide Cor Meum」だ。
映画ハンニバルやアレキサンダーにも使われた荘厳輝輝たる曲で、これを聴くと中世カトリック的な閉塞感とは全く違う古代地中海文明の開放感が強く伝わって来る。

ついでにオケアノウスのイコノグラム(前出)の楽園にいる双頭の貴婦人=アテナ にも御供えしよう。
葡萄はまだ山ほど余っている。

(オケアノウスのイコノグラム ギリシャ 紀元前2〜3世紀)
この五芒星形のイコノグラムはオケアノウスの庭 薔薇 ライオン 双頭の貴婦人 ニュムペー 斧の銀貨で構成された、一年中果物が実り花の絶えない古代の楽園を象徴する魔法陣だ。
このようなアーティファクトを使えば、日常茶飯をさらにファンタジックに神聖化できる。
アールヌーボーのピュータープレートに盛った秋果の彩りの美しさからオデュッセイの世界に誘われ、暫しの夢幻に浸るのが上等な隠遁生活と言うものだ。

©️甲士三郎