鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

91 龍と花鳥の宴

2019-05-30 14:14:19 | 日記
前前回に話した茶会の什器を揃えるために明治大正期の輸出陶磁器を買い漁っているうちに、隠者の好みの幻獣達がまた沢山集まってしまった。
英国ビクトリア朝のアンティークの高値に比べれば我が国の明治大正物は相変わらず二束三文で買えるので、ついつい増殖させてしまう。
これらは器形も絵柄も豊富で今でも数はたっぷり残っているから、集め甲斐があって一生飽きない気がする。
そんな中でも隠者の好みの絵柄は幻獣と花鳥で、我が夢幻の楽園には欠かせぬキャスト達なので紹介しよう。


まずはお馴染みの麒麟と鳳凰の大皿で、記号化された空間の処理にこれ程の躍動感を付与した筆致が見事だ。
19世紀ヨーロッパの貴族達からアッパーミドル階級にまで人気の及んだブルー&ホワイト(染付磁器)は、西洋物の銀器錫器の色ともベストマッチなので我が和洋折衷様式の卓にはこれ以上無く向いているのだ。
ドラマでヒット中のダウントン アビーやターシャ テューダーの部屋にもズラーッと飾ってあったので、皆にも良い参考になるだろう。


この龍はヨーロッパからの特注品なのか珍しく翼のある東洋龍で、手慣れた画題が斬新な翼龍になって迫力が増しているようだ。
印判手の尺皿で下部の虎と永遠の戦いを繰り広げている。
詩画人達が熱く芸術論を闘わせる宴席には欠かせない。


ちょっと趣向を変えて色絵磁器も。
これはヨーロッパ貴族好みのオールドイマリの金襴手で、三光鳥だと思うが簡略化されていて鳳凰か尾長か区別がつかない場合も多い。
ナマス皿と呼ばれる中皿で各々の取皿に使うので同手の1尺鉢と共に10客揃い。
大鉢と10人分並ぶと部屋がとても華やぎ囀りが聞こえて来るようだ。


そしてこちらは今回では一番の大物。
牡丹孔雀図の優美な絵柄に縁の透かし模様が豪華さを加える1尺3寸の大皿だ。
画題は円山応挙一派の孔雀図に倣っているが、円山派と異なったシンプルな青と白だけの世界が正に楽園の清澄さを象徴している。

もっと古い作や本場中国の明清朝の物も紹介したいが、今回は新参の日本の19世紀の物だけにしておこう。
また機会があったら古代の謎の幻獣なども色々いるので紹介したい。

©︎甲士三郎

90 風詠みの丘

2019-05-23 15:58:27 | 日記
頼朝の供養塔の奥の山路を少し登った丘上に、大御堂跡の今は何も無い空間が広がっていて、ここまでは観光客もほとんど来ないので隠者のお気に入りの徘徊ルートになっている。
名も知れぬ白花が咲く空地に小さな谷倉が残るだけだが、俗世の人工物が何も見えない場所は鎌倉でも貴重で、昔風に言えば風雲去来の丘、今のファンタジーなら風詠み星詠みの丘だ。
ここの小さな谷倉の中は隠棲に程良い広さで、リフォームして冷暖房完備で住んでみたい。
夏の夜は銀漢を見にカンテラを提げてまた来るべきだろう。
---鎌倉を世から隠して山若葉---

元より隠者は陰の住人なので、常に世の暗黒面から外界の光を仰望している訳だ。

また詩人なら豁然開朗の桃花源の如く、狭洞を抜ければ夢幻界が開けるのが太古からのお決まりである。
現実世界のちょっと奥に見え隠れしている桃源郷を、確と具現化するのは詩人芸術家の使命だ。
この付近でも楽土は見え隠れしている。

洞の奥ではないが近くの古木の走り根に散る躑躅の名残に、古の廃都の趣きを醸す。
これも楽土の実相の一つとして存在感があると思う。
隠者好みのゴシックロマンの世界でもある。

後ろの山は頼朝のほか大名島津家や大江家らの静寂の奥津城(おくつき 墓域の意)となっている。
---白花は惜しまれぬ花奥津城に 心置き無く風の荒ぶる---


この霊域は如何にも思索に向いた荒涼寂滅の感があって、昔の文人達も折々の散策に訪れていたようだ。
日によっては渺渺たる太虚の向こうに蒼海を望み、遥か宋国を想う将軍実朝の気分にも浸れる。
こうしてこの薫風の丘にも一つ、我が夢幻界を開く事が出来て満足だ。

©︎甲士三郎

89 古式の紅茶

2019-05-16 15:42:20 | 日記
私はどちらかと言えば珈琲派だが、紅茶も日に一度は喫するのでそちらの様式化も少し考えようと思う。
17〜18世紀の英国では紅茶より珈琲の方が先に飲まれていて、何故か当時のコーヒーハウスは男性専用だったようだ。
一方紅茶は女性にも人気となったがまだ取っ手の付いたティーカップが無く、中国や日本の取っ手の無い碗と皿でお茶を飲んでいた。
当時の資料を色々見るとブルー&ホワイトの、日本では古染付と呼ぶ中国清朝初期の碗皿が結構多い。
古染付なら私も沢山持っているから、17世紀英国の古式茶会が当時の本物の器を使って我家で出来ると思う。


まずはビクトリア朝の英国貴族達が輸入していた物とほぼ同じ日本製19世紀物で、ブルー&ホワイトのセットを組んでみた。(後ろの屏風だけは18世紀狩野派の賢人図)
今ではイギリスのビクトリア朝アンティークはかなり高価だが、同じ場で使われていた日本の19世紀の陶磁器は情けないほど安価だ。
現代日本人は明治大正期の物は軽んじがちだが実は我が国の職人技が史上最高に到達した時代で、アメリカでは日本の5〜10倍の値が付くと聞いている。
特に輸出の花形だった美術工芸品は欧米の人々を喜ばせ、いわゆるジャポニズムの流行を生んだ。
また彼等職人達がコスト無視で寝食を忘れて仕事に打ち込んだため、現代ではとても不可能な低価格で生産できたようだ。


こちらは正に英国最古の様式通り、17世紀中国製のブルー&ホワイト(古染付)の取っ手の無い皿碗。
都会で最新流行の緑茶ミルクティー(向かって左)や抹茶ラテも、偏見無しに飲めればなかなか良いものだ。
私も最近ではマグカップを使い出したが、昔から完円の碗に取っ手が付くとバランスが崩れて見えて、カフェオレボウルのように珈琲も抹茶碗で飲む方だったので丁度良い。
こちらの三百年以上経った器は申し訳ないが酒乱粗忽者には出せない。
古器の美と歴史的価値をわかってくれる人なら大歓迎なのだが、その代わり普通のお客にも19世紀物でも縁起の良い絵柄の器を選んで出している。

私の呪われた血糖値ではもう酒豪達の深夜に及ぶ宴にも付き合えなくなって来たので、健康の為にも文芸の集いは昼間のお茶会で品良く済ませたいのだ。
上の写真のような席なら、雰囲気だけは大正時代の鎌倉公爵家の芸術サロンにも対抗出来る荘重さがあると思う。
皆もサロンに集った当時の錚々たる芸術家の面々を思い起こして、そこに自分を重ねて見ると良い。
後進の若者達に「私もあんな晩生を送りたい」と思われるように、我々も呑んだくれの生活を正して品位と重厚さを身に付けたいものだ。

©︎甲士三郎

88 荒庭の中世料理

2019-05-09 13:34:10 | 日記
連休前の話だが、庭にローリエを摘みに行って月桂樹の花盛りなのに気付いた。
我が荒庭の月桂樹は年々あまりに蔓延るので枝や蘖(ひこばえ)を無造作に切って来たため樹形が悪く、花は小さくて地味な黄土色で枝いっぱいに咲いても目立たない。
切花で暗めの背景で活けてようやく何とか写真になる程度だ。
勿論この後のローリエは葉を干してハーブとして使う。
我家では洗って縁側にしばらく陰干にするだけなので簡単だ。


鎌倉らしく程良く荒れた庭を維持するのはかなりの難事だが、今回は月桂樹の荒廃の様が結構良かったので過去世から父祖達を呼び出して荒庭の宴(うたげ)を催そうと思い立った。
父がまだ健在の頃には鎌倉にも茅部き屋根の堂々たる古民家が幾つもあった。
その中の見事な巨柳のあった一軒は、私も晩生はこんな家に住みたいと思っていたのが、いつの間にか壊され木も切られて更地になっていた。
月桂樹ならそのしぶとい生命力で切られてもまた生えて来るかも知れない。
そんな変転を辿り荒れ果てた地にもなお生きる樹々を見れば、我が祖達も感慨深いだろう。


愚痴はさておき「中世ヨーロッパのレシピ」と「魔法使いの料理帳」と言う本を見付けたので、さっそく月桂樹下の夢幻界にて中世の献立で失われゆく文化と父祖の代の春を悼もうと思う。
大正風の和洋折衷文化には料理も含まれていたろう。
---重代の荒れたる庭に父祖達を 呼び出す秘術中世レシピ---


生憎夕刻から風が強まって来たので宴席は屋内に移ったが、花の枝折をテーブルの脇役に置けば雰囲気は良く、料理の不出来を誤魔化せる彩りと香りになった。
隠者は血糖の呪いに掛かっているので、この程度の料理で精一杯の御馳走なのだ。
我家代々の家訓に「食べ物の美味い不味いを言ってはいけない」と言う一条がある。
これは武家特有の戦場訓で、古来兵糧が美味かった試しが無かったのだ。
戦場では泥を啜ってでも生き延びなければならないので兵には当然の訓だ。
当然父祖達も料理の不満は一切言わないので助かる。

©︎甲士三郎

87 仄暗き花園

2019-05-02 15:31:34 | 日記
---白牡丹息づいてゐる仄暗さ---(旧作)
毎年何千何百の牡丹を見て来ると眼が贅沢になっていて、八幡宮の牡丹園に通っても過去の花より良い花は一輪も見つからない事が増えた。
絵の新作に使えると思える花はもう数百輪に一つしか無い。
千年以上に渡り描き続けられて来た画題だけに、美の基準も高くなるのは自明だ。
そんな時は絵の取材から幻視に切替えて楽しむようにしている。

今日は花の精を幻視するのに良い参考になりそうな写真が用意出来たので、簡単に解説しよう。

(散りしきる八重桜の中の牡丹)
中国の古典には花の王、牡丹の精の話がいくつもあって、官吏を引退したら精達と共に牡丹園をやりたいと言うのは士大夫達に共通の夢でもあった。
そんな千年の先達等の想いを深く噛み締めて眺めれば、散り敷く花屑の寂光土に出で立つ花精の姿を幻視し易いだろう。
また写真のブラックポイント調整の技術があれば、そのビジョンを現世に固着する事も出来る。
現実の景を見ながら上の写真のようなイメージを想起できる人なら、日々深い喜びの尽きない精神生活が送れると思う。
下に現実そのままの写真も添えておくので、違いを感じ取って欲しい。

(同じ場所からカメラ任せのフルオートで撮った写真)

牡丹園に行くなら、ここ十数年の気候変動で鎌倉の牡丹の花季は10日から2週間ほど早まっているので要注意だ。
またスケッチや写真の取材なら、ほとんどの花は昼過ぎると花が開きすぎたり萎えて来て駄目になるので、夜明けから午前10時頃までが勝負時となるが、牡丹園や薔薇園は大抵9時頃から開園なので時間は正味1〜2時間ほどしか無い。
ただ曇り日や日陰の花なら午後まで保つので狙い目だ。
花精と出会うには刻を選ぶ必要がある。

---双牡丹寄り合ふほどにひしゃげ合ひ---(旧作)

牡丹が終れば菖蒲園、薔薇園と出掛ければ、此の所の隠者の愉悦は尽きない。
芸術論でも交わせる友人がいれば共に花園に赴き、清雅なガーデンティーでも味わうのが美しい人生と言うものだ。

もう一枚おまけで、仄暗き花園。

天候が不安定な中も今年の牡丹園は結構満足出来る写真が撮れて、隠者としては深化出来た終春だった。
(句歌方面は不出来極まる)

©︎甲士三郎