鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

259 明窓浄机の詩書

2022-08-25 13:00:00 | 日記

江戸時代の木版和綴本では和文は草書体が多くて読み難く、私には漢詩漢文の方がまだしも判読しやすい。

江戸の漢詩の中でも私の研究テーマである京都に集った文人達の詩書は、以前の安かった頃に必要な分は確保できたので安心だ。


猟書家の常として初版本で2世紀前の物を集めなくてはならず、ネットが無い時代ではまず不可能だったろう。



(山陽詩抄 山陽遺稿詩篇 初版 江戸後期)

法師蝉の鳴き出した窓辺で頼山陽らの詩に浸れば、いつしか己が身も嘗ての山紫水明処に移転していよう。

明窓浄机とまではいかないが、やや暑気の和らいだ夕べは我が眼も少しは清澄になるようだ。

またそうでないと古人達の高雅な詩文は読めない。

頼山陽は「日本外史」が有名だが、隠者は彼の叙景詩の方が好みだ。

折々の行楽や洛東の宴で詠まれた詩は格調高く、隠者にはまるで理想郷の四季の景にも思える。


以前に山陽の詩軸を紹介したので今日は書の扁額だ。



(楽哉 頼山陽書 江戸後期)

山陽のいかにも楽しげな気分が伝わる書。

古の洛東鴨河畔を中心にした文人達の楽土の雰囲気を、そのまま我が草庵にもたらしてくれるアーティファクト(聖遺物)だ。

日々この額を掲げた下で茶を飲み詩画を案ずるのが隠者の至福の時となっている。


次は頼山陽や田能村竹田の良き友だった篠崎小竹の詩を読もう。



(小竹斎詩抄 初版 江戸時代)

小竹は茶会詩宴での即興詩に良作が多くあり、山陽や竹田の名も度々出て来る。

彼が詠んでいる美しき文雅の宴は同じ詩書画の徒として羨ましい限りだ。

まるで伝説の蘭亭の宴を毎月再現するかのように、文人墨客らが頻繁に集まり茶事を楽しみ詩書画に興じている。

竹田もそのような集いの詩を沢山詠んでいるが、彼の詩集「自画題語」は以前紹介したので今回は触れない。


江戸後期の京都では識字率はそこそこ高かったものの、読書人となると23%だったそうだ。

そんな中でお互いの詩書画を理解し合える風雅の友はさぞかし貴重だったろう。

遺された詩や書簡から伺える彼らの友誼の篤さには隠者も感動した。


©️甲士三郎


258 黄金の晩夏

2022-08-18 13:04:00 | 日記

暦の立秋はとうに過ぎたものの、もはや9月末まで真の秋は来ない。

この8月9月の酷暑の2ヶ月間は、これまでの日本に無かった新しい季節と言えよう。

隠者にとっては夏安居をひと月以上延長するような暮しだが、なんとか新しい楽しみ方を工夫しようと足掻いている。


ーーー夕星の紫金の天地晩夏光 薔薇の小園の黄昏長しーーー



伝統的な季語にも残暑とか処暑とかの語はあるが、私は晩夏と言う呼び方にしている。

夏が伸びた事を人生の壮年期が伸びたように捉えれば、少しは良い時節と感じられるだろう。

晩夏、黄金期、黄昏季などと言葉を選べば、美しき詩想も湧いて来よう。

晩夏の薔薇は、英雄叙事詩が終わった後のロードス島のヘリオスを想わせる。

英雄達亡き後、エーゲの人々の長き夏はどんな暮しだったのだろうか。


買物を済まし夕食介護の前の黄昏時は私には貴重なゆるりと出来る時間で、蜩の声が響く中で近所の散歩や庭前でぼんやりと思索に耽っている。

ーーーかなかなの声白日を鎮めけりーーー



彼岸頃までは炎昼を避けて早朝か日暮にしか散歩に出ない。

ここは永福寺跡の山際で橙色の花は狐の簪。

晩夏の野の端にひょろっと顔を出す。

この気候変動の中では例年と同じ所に同じ花が咲くだけでも喜ばしい。

薄暮の時は野の草木もゆったり息づいていて、やがて遠蜩の声も聴こえなくなれば夕食だ。


今年の盂蘭盆会は親族も集まれず高齢者の外出自粛令で墓参も行けないが、小棚を設けて一応細々と行った。



鎌倉の鬼門守護職としては滅却した餓鬼亡者等に対する施餓鬼は欠かせない行事なので、供物の菓子だけは多めに買って来た。

まあ餓鬼共にも今のコンビニの菓子類の美味さはわかるだろう。

今年また鎌倉宮の盆踊りも八幡宮の秋祭りも中止で、秋の諸行事は庵中でひとり楽しむほか無い。


元々温暖な鎌倉は春の到来は早いが秋は遅々として訪れず、長い夏は若者ならマリンスポーツ等で楽しめるものを隠者には似合わない。

誰か楽しく詩的な晩夏の過ごし方をご存知なら是非御教示願いたい。


©️甲士三郎


257 星祭りの古書

2022-08-11 13:01:00 | 日記

8月14日は旧暦の七夕、星祭りだ。

そして遂に我が書架に宮沢賢治のファンタジー3部作初版本が全て揃ったので、そのお祝いも兼ねての祭典にしよう。


宮沢賢治コレクションの最難関は、やはり「銀河鉄道の夜」だった。



(グスコーブドリの傳記 銀河鉄道の夜 風の又三郎 全て初版 宮沢賢治)

「銀河鉄道の夜」は古書店が集まったショップサイトで思いがけず格安の物を見付けて飛び付いた。

古書店を11軒歩いて探していた頃を思うと、ネットで検索できる今は猟書家には極楽だ。

長年かかったがこれで念願の宮沢賢治と星祭りを合祀できる。

七夕や星祭りをどう楽しむかだが、現代ではほとんどの家で小学校並みの事しか行っていないと思う。

夢幻の星界を観想するようなこの行事本来の意義はすっかり失われてしまった。

ーーー世を捨てて星に願ひを掛ける術 宮沢賢治以降失伝ーーー


思えば我が初学の頃(40余年前)にも似たような句を作っていて進歩が無い。

ーーー賢治なら星蒔くやうに麦を蒔くーーー(旧作)

まあ隠者なので進歩も発展も御無用に願いたい。


ますむらひろしの猫版コミック銀河鉄道とグスコーブドリが、これまた原作に輪を掛けて極上のファンタジーだ。



(グスコーブドリの伝記 銀河鉄道の夜 共に初版 ますむらひろし)

ますむらひろしの「アタゴオル物語」を読むと、彼のセンスオブワンダーはかなり宮沢賢治と通じ合う所がある。

この本を映画化した「銀河鉄道の夜」は昭和のアニメ映画を代表する名作で、そのDVDと細野晴臣のサウンドトラックCDは当然確保してある。

若い頃見たこの映画の解釈を拒絶する不思議感は、その後の隠者の良き手本となっている。

カンパネルラもジョバンニも何故猫なのか、世界中の誰一人として説明出来ないのだ。


鎌倉では新暦と旧暦両方で七夕祭りをやる神社もある。



ひと月前の笹飾りをそのまま使い回したりするが、子供達の願いの短冊は使い回しとは言うまい。

今は海辺に出ても光害が酷くて天の河はほとんど見えないが、昔の鎌倉文士達には良く見えていただろう。

ーーー七夕や水豊かなる鎌倉の 七つの谷戸の文士等の裔ーーー


昭和初期はまだファンタジー小説を解する人は少なく、宮沢賢治も生前に出版された単行本は自費で出した詩集「春と修羅」だけだった。

その後の文壇でもファンタジーは童話のジャンルに封じ込められ、真っ当な大人の文芸では無いとされて来た。

隠者などは純文学よりは神話の方が、リアリズムよりファンタジーの方が好みなのだが…………


©️甲士三郎


256 文人画の釣人

2022-08-04 12:59:00 | 日記

ーーー釣人は瀧音の中虹の中ーーー

江戸時代の文人画には釣人がよく出て来る。

大雅蕪村合作の国宝十便十宜図などは、山居の窓から釣りをしている。

中国でも漁樵問答や太公望の故事など、漁夫釣人の絵は沢山描かれて来た。


京都は昔から暑かったから、水辺で涼しげな釣の絵は床飾りにも好まれたに違いない。



(秋江独釣図 田能村竹田 古唐津水差 古瀬戸碗皿 江戸時代)

この極暑の中でも品位ある精神生活を送るには、清浄な山水画でも掛けてその画中で過ごすのが良い。

田能村竹田は文人達の楽園を描いてどの詩画も高雅で明るく、独特のユーモアもあって楽しませてくれる。

古い水差に冷たい麦茶を用意し、俗世を離れた涼しく明るく清らかな世界に移転しよう。

楽園には水面を吹き渡る風と漣に煌めく光に加えて、多弦琴かハープの音曲が微かに鳴っているべきだろう。

器楽の音色は、春にはピアノ、夏にはハープ、秋にはフルート、冬にはチェロが合うと思う。

我が夢幻界のBGM用に琴や竜笛などの和楽器でラヴェル、ドビュッシー、フォーレあたりのCDがあれば良いのだが、邦楽界は伝統墨守の業界なので中々難しいようだ。


絵の中の太公望は必ず一人静かに釣っている。

釣っていると言うより実は思索に耽っているのだから、余人が居ては不味いだろう。

その清閑な画趣が後世の文人陰士に好まれ、また更に数多くの絵が描かれた。



(古九谷変形皿 杯 江戸時代)

明治大正の文人達の宴には大変珍重された古九谷の太公望の絵皿だ。

同じ古九谷の茶杯の絵は深山訪友図で絵皿の趣向と合わせている。

幽居での風雅の友との宴には、こんな絵皿がぴったりだろう。

茶酒を楽しみ古詩を語り合い、筆をとっては書画に興じる宴だ。


以前から夏の夜には灯明で幻想的に見える絵が欲しいと思っていたところ、お誂え向きの竹田の画軸が先月ネットオークションにぽろっと出てきた。



(月下漁夫図 田能村竹田 江戸時代)

オークションの延長に次ぐ延長の激闘の末に(価格としては低目の戦い)何とか落札出来て、家蔵の竹田の中でも一際気に入った絵だ。

隠者にとって9月末までの長く暑い夜を夢幻に過ごすには、この涼しげな月光夜漁の図はもはや必需品となっている。

二人の漁夫の語らいは鴨川畔山紫水明処の竹田と頼山陽の友誼を思わせる。

竹田や山陽には渓流や湖江の詩が沢山あり、彼等が如何に清涼感を求めていたか良くわかる。

絵の上部に自題七絶があり、「水鳥聲昏月隔煙 菰蒲叢裏小漁船 深宮此夜非熊夢 落否釣竿三尺前」と中々にファンタジックな詩だ。

この竹田の詩画世界に逃げ込んで居れば、長い酷暑も清閑の内に過ぎ去ってくれるだろう。


©️甲士三郎