鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

230 愛書家の悲喜

2022-01-27 13:21:00 | 日記

近年ネット上での古書の売買が盛んになり、老舗の古書肆も手をこまねいてはいられず参加し出した。

そこにコロナ禍の巣籠もり需要が重なり、稀覯本の価格が去年1年で510倍に急騰してしまったのだ。

泉鏡花の挿絵入り初版本など去年の今頃まではせいぜい12万円だったのが、今や10万越えが当たり前になっている。


隠者は長年日本の詩句歌の黄金時代である明治後期〜昭和初期の古書や書画を集めて来たが、もう名作の初版本は無理かもしれない。



(金色夜叉絵巻 続金色夜叉 初版 尾崎紅葉 鏑木清方)

地元の鎌倉文士物が一段落したら鏑木清方とも親しかった尾崎紅葉一派(硯友社)の作家達を集めようと思っていて、尾崎紅葉、永井荷風、江見水蔭、巌谷小波らは価格急騰の前に代表作だけは入手出来た。

泉鏡花、石橋思案、柳川春葉、小栗風葉、山田美妙はほとんど買えなかった。

中でも柳川春葉の鰭崎英朋の挿絵本は人気沸騰で50万以上にもなっている。

もうこの隠者風情には永久に手が届かないだろう。

世間一般で言えば詩集句歌集より小説の方が人気があり、また装丁や挿絵に凝っている美麗本ほど高価になっている。


硯友社の作家達はみな俳句が大好きで数十年も毎週のように集い句会(木曜会)を楽しんでいて、その色紙短冊や掛軸は結構入手している。



(向かって右から尾崎紅葉、永井荷風、柳川春葉の直筆短冊)

今でも直筆物が本より安値なのは、当時の書体が読める人が少ない上に真贋判定が一般人には難しいからだろう。

また幸運な事に俳人は元々地味な人種で豪華な装丁の句集など皆無だからまだ価格高騰も無く、硯友社諸氏の初版本も句集だけは集まりつつあるから揃ったら報告しよう。


尾崎紅葉は早逝してしまったので、彼の句集は残された仲間達によって没後に出された。



(直筆色紙 泉鏡花 紅葉句帖 尾崎紅葉)

私に取っては紅葉一派の小説よりも俳句に興味がある。

当時の俳壇で正岡子規の日本派と並び称されていたが、子規達が真面目な俳句だったのに対し紅葉達はあくまでも遊俳と自称していたようだ。

硯友社の作家達が本業を忘れて句会を楽しんでいた光景は、いかにも詩仙郷を見るようで憧憬の念に駆られる。


日々のティータイムに好きな音楽をかけ古人先達の句歌集を捲るのは、この隠者の至福の時となっている。

古本初版本は作者が生きていた当時に転移する為の魔導具となる。

詩歌の黄金時代、遊俳達の楽園、我が夢幻界もそこに繋がっているのだ。


©️甲士三郎


229 待春の茶画詩

2022-01-20 12:54:00 | 日記

今の隠者は冬深く質素な書院に籠って、去年買い溜めた古書を読み耽りながら春を待っている。


ここ数日は厳しい冷込みが続き洗濯や買い物も手抜きとなりがちだが、何とか日々楽しみを見つけながらやって行きたい。



(黄瀬戸茶碗 琳派漆絵皿 江戸時代 青磁小壺 李朝時代)

暦は大寒となったが散歩がてらの探梅や、早くも春の彩りをあしらった茶菓子が楽しい。

小振りの餅菓子を光琳梅の漆絵皿に並べて紅白梅の意匠にしてみた。

花入の玉椿と合わせて春を待ちわびる茶だ。

私は糖質制限なので菓子は眼で楽しむしか無く(家人が食べる)、そのせいで書画との取り合せや菓子皿などの見た目に凝り出した。

よって茶菓子ならぬ茶画詩となる。


文机の前に古画を掛け、画中の夢幻界に入ってコーヒータイムだ。



(梅花書屋 岡島徹州 大正〜昭和初期)

清澄な月光の中に文人の理想の棲家を描いていて、実に隠者好みの世界だ。

この画には大正時代風に和洋折衷で珈琲と洋菓子にしよう。

洋菓子より和菓子の方が季節季節の美しさは遥かに上だが、残念な事に行きつけの和菓子屋が閉店してしまってコンビニの洋菓子を買ってきた。

最近はコンビニの菓子と言えども味は上等で、家人には結構評判が良い。


陽の照り返しのある場所の梅はもう咲き出した。



寒梅は日本家屋の軒端に良く似合う。

桜は洋館でも似合うが、梅は和の伝統美の中で咲かせたい。

寒中三友(松竹梅)の庭で待春の詩句歌でも案ずるのが、日本の文人のあるべき暮しだろう。


ーーー夕東風の吹き来る方に月浮び 梅の書屋は文士の故園ーーー


©️甲士三郎


228 寒中の浄光

2022-01-13 13:07:00 | 日記

新暦で新春の賀の後に寒の入りが来るのは全く理解出来ない。

案の定鎌倉も松過ぎた途端に雪と寒波に襲われた。


隠者は旧暦で生きているので正月はまだ先だし、今はしみじみと冬深き谷戸の閑寂を味わっている。



先週の雪の朝は我が玄関前の光も夢幻の趣きがあって、早速例のオールドレンズを取り出して写した。

主人の無精で荒れ放題にしてある我が庭も雪化粧に隠され、こうして宇津田姫(冬の女神)の浄光の降り注ぐ一瞬に出会えた訳だ。

うっかり早まって前回に披露してしまった拙句を再披露。

ーーー荒庭の全てを許し雪積みぬーーー


午後には梢の雪も落ちてしまい元の荒廃の庭となったが、枝枝の影と冬陽がカーテンに移ろう窓辺でコーヒータイムだ。



冬のドライフラワーにはバッハの無伴奏チェロ曲あたりが似合うと思う。

珈琲の香と音楽と光に包まれ詩句などを案じるのは、隠者暮しの中でも至福の時間だ。

近年の鎌倉の雪は年に一度降るか降らないか程度だから、旅に出られぬ私には貴重な雪景色の日となった。

ーーー雪積むや鎌倉中の老木にーーー


寒中の文机にはこの短冊と玉椿を飾った。



「降る雪や明治は遠くなりにけり」中村草田男

当時の文人達の多くが江戸明治の情緒が急速に消えゆく東京を嘆いている。

大正の関東大震災の後は特に東京を見限って鎌倉や京都に移った知識人も大勢いたのだ。

昨今の疫病禍で寂れた東京もしばらく行っていないが、華やかで楽しかった街角の文化はもう元には戻らないだろう。

娯楽や文化芸術は精神生活者には必須の物だが、一般人の生活には不要不急の物と言われても仕方ない。

元々芭蕉も俳諧は夏炉冬扇、つまり世の役には立たない物だと言っている。

隠者や世捨人には今更そんな世相に不満のあろう筈も無く、己が独楽の園に安居していよう。


ーーー草田男の悪筆飾り寒に入るーーー


©️甲士三郎


227 花鳥風月の神々

2022-01-06 12:57:00 | 日記

ーーー巫女舞や初空の青深きより 光集めて白妙の袖ーーー

正月の鎌倉はどこも混むので隠者はあまり出掛けないのだが、近所の鎌倉宮の巫女舞だけは観に行く。

毎年この美しく清浄な奉納舞を見る度に、この古都にはまだ天神地祇の恩恵があると思える。



(鎌倉宮の新年の巫女舞)

私が聖性を感じるのは国家神道や一神教の絶対神とは別の、八百万の自然神の事だ。

世界のどの国でも太陽神や地母神、詩神や花の女神達が居なかったなら、人の暮らしも文化芸術も美しく豊かにはならなかったろう。

隠者にとっても春の女神の佐保姫や木花咲耶姫達と共にある暮しは、掛け替えなく麗しく楽しい物だ。

諸賢も暮しの中に神聖さを取戻すため、四季の女神くらいは祀ってみては如何だろうか。


さて我家に帰ってお馴染みの和歌の女神、衣通姫にお出まし願おう。



(衣通姫絵姿 玉津島神社 室町時代 金銅鈴 鎌倉時代)

立春(我家の正月)には木花咲耶姫が出でますので、衣通姫は新暦の正月にお祀りする事にした。

我が句歌の出来の良し悪しはこの美しき女神の御機嫌次第なのだ。

手前には退魔の色の朱盆に乗せて魔除けの古鈴を置いた。

ーーー盆の朱に秘せる力や冬籠りーーー


この時期に読みたくなる本は文字通り「佐保姫」だろう。

与謝野晶子の中期の歌集だ。



(佐保姫 初版 与謝野晶子)

この頃の与謝野晶子の短歌にはたびたび古代神が現れる。

「みだれ髪」の情熱的な歌しか知らない人は、ぜひその後の歌集も読んで欲しい。

豊饒な神話的ファンタジーの歌は、アニメ世代の若い人ほど理解し易いのではないか。


どうも八百万の神々と言うと時代がかって取られるので、隠者は花鳥風月の神々と呼ぶ事にしよう。

今年も四季の女神、花神、芸術神達と、夢幻界の楽園での暮しを大いに楽しもう。

ーーー佐保姫の春な忘れそ都人 花たてまつれ歌たてまつれーーー


と言いつつ今日は鎌倉も雪となった。

だから寒の入りの前に正月をやるのは駄目なので、季節の行事だけは旧暦に戻すべきだと思う。

ーーー荒庭の全てを許し雪積みぬーーー


©️甲士三郎