鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

281 幽陰の本棚

2023-01-26 12:57:00 | 日記

我が幽居は和洋折衷の暮しで畳の和室に文机も本棚もライティングデスクも一緒に置いてある。

和室に合う本棚を探すには結構苦労して、辿り着いたのが大正〜昭和初期に流行った硝子扉の物だ。


書斎も全集の類いや資料などは天井まで埋め尽くすような棚で良いのだろうが、私が集めているのは戦前の俳句短歌詩集の初版本が主なので瀟酒な小型の本棚がふさわしい。



(硝子扉付き小型本棚 大正〜昭和初期)

この大きさの本棚なら置き床代わりにもなり、上に書画や花入を飾れるので和室には丁度良い。

中の本は明治後期から大正〜戦前昭和のいわゆる日本詩歌の黄金期の作品で、本と本棚が同時代のデザイン感覚だから自ずと調和してくれる。

国文学者だった亡父の書庫はスティール製の棚に全集物と学術誌が乱雑に並んでいるだけで味も素っ気も無かった。

戦中派の父の時代は初版本や美麗本を揃える意識は全く無く、本は単に資料情報のための価値しか無かったのだ。


だが現代は単なる資料情報ならデジタルでよくなり、紙の本は邪魔なだけで読んだら即捨てる物とまで成り下がってしまった。



(硝子扉付き本棚 昭和初期)

そのデジタル時代の今こそ逆に、物としての価値が燦然と輝く本がある。

古き良き時代の文化芸術の雰囲気を象徴するような、美麗なる装丁を纏った初版本類だ。

本がまだ贅沢品だった頃は出版社も良い本を作る事に情熱を抱いていて、天金に革やクロスの装丁、手刷木版の表紙絵口絵などで趣向を凝らした本にはその時代の人々の想いが籠っている気がする。

勿論まずは内容が第一で繰り返し読んでも飽きない本に限る。

100年前頃の初版本で概ね高価なのは小説で次いで詩集歌集、俳句集と随筆は大抵がまだ安価で買える。


世の読書家猟書家は本の山に囲まれているだけでさぞかし幸福な事だろうが、時代を経た名著美麗本は祭壇にも似た然るべき場所にお祀りするべきだろう。



(サイドシェル付きライティングデスク イギリス 1900年前後)

洋書棚は英国アンティークのライティングデスクを、同じ和室の片側で使っている。

大正頃の鎌倉人の書斎はこんな感じの和洋折衷様式が多かったのだ。

100年以上を経た古書良書は日本より諸外国の方が高値安定していて、むしろ文明国の中では敗戦後の日本だけが古い文物を大切にしなくなったのだ。

さらに現代日本人は古書古美術はおろか、自然風土に適した伝統の生活文化まで捨ててしまい、子々孫々に伝えて行くべき暮しの美習や叡智などもう誰も知るまい。


常に使っている文机には今隠者が一番気に入っている古画と古書を飾った。



(長坷生篁図 浦上玉堂 随筆集 薄田泣菫)

小品ながら枯淡の味い深き玉堂の水墨画と薄田泣菫の随筆集(前出)を置けば、幾春秋にも我が机辺の清閑を保ってくれよう。

戦前の句集歌集や身辺雑記の随筆を見ると、古き良き高雅な日本の暮しが随所に美しい言葉で描かれている。

隠者はせめてこれらの本だけでも後代の人々に遺してやるべく残生を努めたい。

ーーー炉火昏く火影に古ぶ本棚に 百年眠る詩集句歌集ーーー


©️甲士三郎


280 寒中珈琲考

2023-01-19 13:01:00 | 日記

寒い季節ほど珈琲はありがたい。

抹茶も良いが珈琲の方が糖分(私は糖質ゼロの人口甘味料)がある分、より身体が暖まるのだろう。

野辺に出て縹渺たる寒気に晒されながら、しみじみと熱い珈琲を味わうのも良い。


近所の草叢に古織部の旅茶碗と牧水の歌随筆を持ち出し、寒稽古ならぬ寒読書で詩魂を鍛えよう。



(黒織部茶碗 江戸時代 旅とふるさと 初版 若山牧水)

古の冬の故園を思わせる枯草の野にしばし佇み隠者流の抹茶碗で喫する珈琲の、悴む両手で茶碗を包み込んだ時の温もりは寒中の至福だ。

隠者が長らく抹茶碗で珈琲を喫していたのは珈琲器に桃山茶陶に匹敵するような格のある物が無いからだが、この掌中の宝玉のような暖かさが何よりも捨てがたかったのが最も大きな理由だ。

牧水の歌紀行と古いアイヌ盆で市塵を離れた旅愁に浸り、たまに射す薄日には待春の情を掻き立てられる。


還暦過ぎてようやく珈琲には古民藝の器が最適だと言う事が、柳宗悦の本と隠者自らの試行錯誤によりわかって来た。



(美と工藝 茶と美 初版 柳宗悦 益子珈琲碗皿 昭和初期)

柳宗悦は亡くなる直前に民藝の器を使った茶会と珈琲の会を計画していた。

それが実現していれば後世の珈琲の良い規範になっただろう。

抹茶に比べて歴史の浅い珈琲道具が我が国で作られるようになったのは大正頃からで、それまでは紅茶用の色絵磁器を使っていた。

しかし紅茶器の貴族趣味的な繊細優美さは珈琲には似合わず、次第に無骨な重厚感のある民藝陶器の方が好まれるようになった。

あまり華美な色絵磁器を使わないのは、桃山時代の茶陶と同じ成り行きだ。

柳宗悦もその辺に目を付けていたのだろう。

昭和初期の益子の珈琲器に春色の玉椿と冬苺の大福(隠者はひと齧りだけ)で待春の珈琲座だ。


昔の茶の湯と同じく珈琲も脱俗の清浄なひと時たり得る。



(雪景山水図 狩野探幽 江戸初期 古瀬戸珈琲器 大正〜昭和)

文人画の自由闊達さに対し、狩野派の画風は厳格さ品位の高さにある。

桃山から江戸初期の狩野派絶頂期にあって更に抜きん出ていた探幽の、しかも冬の山水図の厳しく引き締った画面からは静謐な寒気さえ感じられよう。

この画軸を前に重厚な古民藝で飲む珈琲は、戦国武将達の茶事のような雄渾な気韻を味わえる。

珈琲器は輸出用の古瀬戸の鉄釉でポットは明治に遡るかも知れない。


戦後の作家物は技術的に洗練され都会的あるいは個性的になる代償に、素朴な力強さは無くなって行く。

今日でも民芸は手作りの良さは失っていないが、どんな良い物でもピークは2030年程で変容して行くのは仕方ない。

珈琲を最も深く味わえるこの寒中を、精々良き珈琲器と共に楽しみたい。


©️甲士三郎


279 田園の詩人

2023-01-12 12:54:00 | 日記

昨年末に飯田蛇笏と龍太の句集随筆集が纏めて手に入った。

運良く全て初版にもかかわらず意外なほど安価で、早速この寒中に読み耽っている。


この俳人父子の良い所は陶淵明以来伝統の田園詩人であった事だ。



(山盧集ほか飯田蛇笏句集 全て初版)

「芋の露連山影を正しうす」飯田蛇笏

飯田蛇笏の代表句は以前から読んでいて驚きは無いが、今回の新たな収穫は彼の句や随筆に描かれている詩的な田園生活そのものにある。

甲斐の豪農名家である飯田家は、隠者の夢幻の楽園や陶淵明の理想の田園にも通じる暮しを営んでいる。

さらに大正から昭和初期の農村の風習や生活文化なども参考になる。

甲府盆地が桃の名産地となるのは戦後だが、それ以前からも春は梅杏桃の花咲く桃源郷であったようだ。

私も若い頃何度かその時期に絵の取材に行って感動した覚えがある。


蛇笏句集と同時に息子の飯田龍太の句集も揃いで買えてしまった。



(百戸の谿ほか飯田龍太句集 蛇笏随筆集 全て初版)

「一月の川一月の谷の中」飯田龍太

向かって左が龍太句集と随筆集で、右は蛇笏の随筆集。

お弟子さんかそのご遺族筋から出た物だろうか、句集随筆集まとめて入手できる機会は滅多にない。

珈琲器と菓子皿も戦前昭和の古民藝を使って、蛇笏龍太父子の当時を偲ぶよすがとしよう。

龍太も兄の戦死により家を継ぎ、蛇笏と同じ山盧に暮した。

写真集を見るとこれ以上の良い生活は私には考えられない程の理想の田居書屋だ。

隠者は彼等の句の良さよりも、如何にも地方旧家らしいその暮しの方が羨ましい。


飯田父子と同時代(大正〜戦前昭和)の冬の田家の画軸があったので掛けてみた。



(田家雪景図 鈴木福年)

現代ではどの地方でも風情のある茅葺家屋は壊滅してしまい、もはや画中に夢想するしかない。

こんな静寂の中に三冬を籠って詩書画三昧に過ごしたいものだ。

今の鎌倉では雪は年12度うっすら降る程度だが、戦前は年に56回は降っていたのを文士らの日記や随筆で読んだ。

我が画室も折角雪見障子にしてあるのにほとんど無駄になっている。

せめてこの画中の人影を己れと重ね、蛇笏龍太の描いた冬の風物風習に親しみ、古き良き田園生活の夢幻に浸ろう。

ーーー大正の雪の田家の絵の中に まことの我が暮してをりぬーーー


©️甲士三郎


278 先師の書画

2023-01-05 12:54:00 | 日記

ーーー金色の凍気を纏ひ富士明けりーーー

今週から寒の入りで我家の旧正月はまだまだ先だが、来客の為に玄関だけは正月らしき飾りにしてある。

幽居への入口の清浄なる結界として我が先師達の書画を並べた。


先ずは奥村土牛師の玲瓏たる冬富士の絵だ。



(聖 リトグラフ 奥村土牛 柿右衛門徳利 シノアズリの兎)

簡明かつ格調高い土牛師の富士は、如何なる時も我が心を浄化してくれる。

思えば昨年は師の富士がリトグラフながら四季揃った幸運な年だった。

晩生に衰えるどころか、ぐんと深化して行った師の心境に学びたい。

俳句も嗜なまれた土牛師に早速年頭の献句を。

ーーー暁闇に凍富士の根の深くありーーー


次なるは我が俳句の祖師に当たる高浜虚子の軸。



(直筆書軸 高浜虚子 柿右衛門花入)

「手毬唄悲しきことを美しく」高浜虚子

この句は虚子五句集の中でも隠者が殊に感じ入った句で、たまたま見付けて手許金で入手出来た日の嬉しさは鮮明に覚えている。

表装も句意に合った裂を使っていて趣味が良い。

ここにも拙句を献じておこう。

ーーー玄冬に美()しき歪みの虚子墨戯ーーー


鎌倉宮恒例の雅楽と巫女舞を観てお守札を買って帰れば、上の絵の反対側にやはり奥村土牛師の書が掛かっている。



(直筆書額 奥村土牛)

土牛師の直筆の絵は隠者には高価過ぎて到底無理だが、直筆書の方は昨年めでたく我が幽居を飾る事となった。

しかも語は隠者好みの寂光浄土の「寂光」涅槃寂光の「寂光」で、枯淡幽玄たる筆致は池大雅ら古の文人達にも通じる書体だ。

師の書画の運筆の特徴は極端な遅さにあり、正にその画号の示す通り(土牛石田を耕す)なのだ。

巫女達の清しき舞を見た後だからか、墨痕もゆったりと青海波の二人舞を見るような書だ。

ーーー巫女舞の杜の無数の冬芽かなーーー


ここ23年は疫病禍の文化芸術不要論で古書画が大量に投げ売りされ、私や美術愛好家には一生一度の購入好機が来ていた。

昨年末はその波もさすがに終わったようで品数は減り価格は上がり当方の懐も素寒貧となったが、今後数十年は収蔵した作品の鑑賞と書見が我が精神生活の糧となってくれるだろう。

鎌倉は比較的温暖とは言え皮下脂肪を病で無くしてからは殊に寒さが骨身に沁みるが、そんな寒さを耐え忍んでこそ旧暦迎春の真の喜びが実感できよう。

ーーー寒濤に向かひて古都の不滅の灯ーーー


©️甲士三郎