鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

333 待春の古詩

2024-01-25 13:30:00 | 日記

漢詩には寒梅を題にした物が多い。

また雪中梅にも名作がたくさんあり、皆して春を待つ心情が強かったようだ。

その代わり雪や氷その物を詠んだ詩は滅多に見られず、寒い冬が心底嫌いだったのだろう。


そして我が谷戸の梅が例年より10日ほど早く咲き出してしまった。



これも異常気象の暖かさで開いてしまったのだろうが、立春の日まで待春の情をじっくり味わおうと思っていたのに返って呆気なかった。

それでも朝方の寒気の中で咲く白梅の凛とした風姿には、この老隠者も襟を正す他ない品位がある。

中国の古人達が立春後の梅花の明るさよりこういった寒梅の暗香を愛したのが実感出来よう。


梅の名作と言えば何と言っても林和靖だ。



(林和靖詩集 清時代 木彫道教神像 明時代)

「山園小梅」は中国では知らぬ人が無く千古の絶唱とまで讃えられている梅の詩の代表的名作だ。

しかし日本ではあまり知られておらず、林和靖と言えば鶴仙人くらいの認識だろう。

これは江戸時代から盛唐の詩選ばかりが持て囃され、唐末から宋の詩は本もあまり出ていないせいだろう。

「暗香浮動月黄昏」

春の先駆けの梅林を華麗かつ幽遠に詠って、中華文明の粋を極めた名作だろう。

この詩の中には梅と言う字は一度も出て来ないが、中国の知識人なら暗香と言えば梅の事と自ずとわかるらしい。


その林和靖のこれも有名な梅花詩の一節を池大雅が書いている。



(梅花三首一節 池大雅書 江戸時代)

「雪後園林纔半樹 水辺籬落忽横枝」

まだ半咲きの梅林の景を詠んだ部分で、春への想いが高雅に伝わってくる。

大雅の書は如何にも春風駘蕩たる筆致でこの詩にふさわしい。

ネットオークションに出ていたこの軸は印譜も筆跡も用紙も確かだったにも関わらず、隠者が買える程度の値段にしか上がらずに私も驚いた。

軸装書画の価格は日本人の家屋に和室が激減したために以前から低下している上に草書行書を読める人はもっと少なく、日本文化はこれで良いのかと憤りを覚える程安くなってしまった。

情けない事に出品業者も何処の誰の詩かわからなかったようだ。


今週は寒波が来て冷え込みその後は暖かくなるそうで、もう三寒四温の気候となってしまうのだろう。

また今年も駆け足で過ぎ去る春を逃さず、風雅な暮しを味わい尽くしたい物だ。


©️甲士三郎


332 明治の浪漫主義

2024-01-18 12:57:00 | 日記

明治時代の第1期「明星」を先週ようやく手に入れた。

例によって傷みがあり格安の物だ。

明星とスバルは日本の浪漫主義を語るには必読の書で、ひと昔までは雑誌類は安かったから油断していたら近年倍以上に値上がりしている。


しかも蒲原有明や薄田泣菫らの、今に残る新体詩の名作が載った号だ。



(明星 明治時代 古瀬戸小瓶 ポット 明治時代 珈琲器 昭和初期)

「明星」は与謝野夫妻や吉井勇北原白秋らが集い、日本の浪漫主義を牽引した雑誌だ。

一回発行が途絶えた後に大正末から昭和初期に第2期明星が出ているが、第1期より勢いはだいぶ衰えている。

大正時代になると日本の文芸界は自然主義(現実主義)に移ってしまうので、この明治の終り頃が最も浪漫主義華やかなりし時だった。

新体詩もこの時をピークに大衆的な口語自由詩に押され衰退して行く。

まさに日本の詩と短歌の黄金期だろう。


その時代の詩集では先週横瀬夜雨を紹介したので今週は伊良子清白だ。



(孔雀船 初版 伊良子清白 明治時代)

先週の「花守日記」もこの「孔雀船」も古書界では幻の名作となっていて、現在ではなかなかお目に掛かれない流麗なる文語韻律の実に美しい詩集だ。

しかし敢えてこれらの新体詩の弱点をあげるなら、詩としては長すぎて散漫になっている点だろう。

一編が4X20もの長さではいくら何でも冗長に過ぎる。

同時期の新体詩で比較的短めなのは有明泣菫くらいだろう。

何で明治は皆してこんな長編詩を書いていたのか私にもわからない。


今頃の散歩路では疎林の間から見える冬麗の空が美しく見える。



葉が落ちて明るい陽射しが山肌まで届き、萬枝の隙間から浅葱群青の空が透けている。

数多の冬芽の苞で赤味を帯びた枝枝が空の色と好対照をなすのだ。

野辺の枯れ尽くした草の黄金色もまた、柔らかな浅葱色の空との対比で美しく見える。

そう言えば鎌倉文士だった永井龍男も随筆で同じような事を言っていた。

この樹々と空の色だけは明治時代から現在まで変わらず、浪漫主義者の散歩を味わい深い物にしてくれる。


寒中の自然界は一見物寂しく変化に乏しく思うかもしれないが、週毎にも表情が変わり立春へ近づいて行く。

その表情がわかるようになると歳歳に待春の情も深まり、花咲く春の嬉しさも一段と増すようになるのだろう。


©️甲士三郎


331 深冬離俗

2024-01-11 13:07:00 | 日記

暮正月の行事を全て放下して何もせずに居られるこの23週間は、冬陽の庵で一年の残夢を温めるには最適の時期だ。


年末には長年探していた幻の詩集が見つかり、年明けに届いた。

ーーー椿応古詩開小寒ーーー

先週から続いて漢詩の勉強をしているので、この希少な初版本の入手祝も漢句でやってみた。



(花守日記 初版 横瀬夜雨 古瀬戸花入 江戸時代)

「花守日記」は金字絹貼り装丁の美しい本で、新体詩と散文詩を交えた夜雨渾身の作だ。

新体詩は明治後期から大正にかけての30年弱程で廃れ、その後は口語自由律詩に取って代わられた。

格調高い文語韻律が大正昭和の大衆化に馴染まなかったのだが、今から見ればこの横瀬夜雨、伊良子清白、薄田泣菫、蒲原有明らの時代は日本新体詩の黄金期だった。

彼らの詩集は文語を読める諸賢には文庫本でも出ているので是非お薦めしたい。

短詩形では俳句短歌があるとは言え、日本語の韻律詩はこの新体詩時代しか無いのだ。


画室の置床の飾りはお馴染みの虚子の俳書だ。



(直筆句軸 高浜虚子 丹波小壺 明治時代)

句は「東山静に羽子の舞ひ落ちぬ」

京都も鎌倉も春着の親子達が羽子板遊びをする景など、とんと見られなくなった。

せめて虚子句中の夢幻世界で、日本人にも美しい暮しがあった事を思い出そう。

また鏑木清方記念館では毎年1月に清方の描いた羽子板絵を展示しているので、現世の俗な正月に飽きたら覗いて見ると良い。

近年の隠者は世間の暮正月から我が旧正月までの1ヶ月を幻冬(普通は玄冬)と呼び、出来る限り離俗幽陰し詩書画の研究に没入する事にしている。

お陰で冬の深さにとっぷりと浸れるようになった。


話題は変わるが、今週のサッカー界では英雄達の訃報が相次いだ。



西ドイツの皇帝フランツ・ベッケンバウアーが遂に亡くなった。

子供の頃の私の部屋には彼の大きなポスターが飾ってあり、その知的で優雅なプレーには毎週憧れた物だ。

ペレ、マラドーナ、ザガロら南米のスター達も次々と世を去り、20世紀はどんどん過去の物となって行く。

ギリシャ神話では神々の時代、英雄の時代、人間の時代と続いて行くが、スポーツや芸術文化の世界も今や神話無き大衆の時代なのだろう。

現代の方が選手達の技術や身体能力は上だとは思うが、なかなか神話とまではなり難い。

英雄無き後、昨今のドイツやブラジルの凋落振りにはますます淋しさを感じる。


今年はもう鶯の笹鳴きが聴こえ、我が荒庭の寒椿も暮れの内から咲き出している。

また異常気性が進んでいるのだろう。

その中で我々老境の者も新たな季感とその過ごし方を身に付けなくてはなるまい。


©️甲士三郎


330 胡弓と詩

2024-01-04 13:00:00 | 日記

今週の鎌倉はやや暖かく、谷戸の路地にはもう水仙が咲いている。

我が荒庭でも椿の玉蕾がだいぶ膨らんで来た。


我家の正月は旧暦なのでまだ先だが、来客用に玄関だけは正月の飾りにしてある。



(春富士 リトグラフ 奥村土牛 古九谷徳利 幕末頃)

先師奥村土牛の富士の絵に橙と庭の寒椿を添えた。

土牛師の格調高い色彩は、この絵を飾るだけで家中の品性を上げてくれる。

ただこの富士には薄紅の椿しか合わなかった。

白は富士の雪と喧嘩してしまうし、紅は強すぎて画中の色彩の調和を乱す。

彩色画と生花を取り合わせるのは案外難しい物だ。


年末の中国の音楽番組で民族楽器の名人達の演奏を聴いて、私も昔弾いていた胡弓を引っ張り出してみた。



(直筆句軸 高浜虚子)

後ろの句軸は虚子の「手毬唄悲しきことを美しく」

胡弓や馬頭琴はヴァイオリンとセロの間の音域で、ゆったり落ち着いたメロディーに適した音色だ。

弦が指板から浮いた状態でビブラートをかけるので、ヴァイオリンやギターより音程を維持するのが難しい。

久々で全く下手になっている胡弓は早々に諦め、最近またやり出した漢詩を作ろう。

 幽曲

紅燭胡弓震

寒庵獨欲謡

残心花影寂

荒院暗香漂


紅燭に胡弓は震へ

寒庵に歌声低し

残心の花は影りて

荒庭に暗香漂ふ


漢詩で私が好きなのは江戸後期の京都の文人達の詩だ。



(漢詩集 頼山陽 田能村竹田 篠崎小竹 江戸時代)

後ろの掛軸は頼山陽の詩論(木版 江戸時代)だ。

彼らの漢詩は中国の表現ほど大袈裟では無いので日本人には親しみ易く、また和詩には珍しく韻律平仄もしっかりしている。

江戸時代までは詩と言えば漢詩の事を指し、明治時代に出て来た新体詩が日本語による初めての詩だった。

近年の日本では韻律が難しくて廃れていた漢詩が、ネットのAIの登場で楽に作れるようになったのは嬉しい。


鎌倉の正月の人出は昔ほどでは無い物の、疫病前の賑わいに戻った。

隠者もたまには活気ある街の詩でも作ろうと思い、今この押韻平仄をアシストしてくれるAIと七言律詩の対句作成に挑戦している。

乞うご期待。


©️甲士三郎