鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

221 珈琲道覚醒〜1

2021-11-25 12:56:00 | 日記

書店を覗くと毎月のようにコーヒー特集の雑誌が出ているが、美味しい入れ方とか何処のカフェが良いとかに終始していて高雅さには至るべくもない。

大衆向けの雑誌ではそれも仕方ない事なので、この隠者が毎日の珈琲をもう少し知的に美的に深め、古の茶の湯ほどではなくとも些かは様式化してみたい。


まずは清浄な場を設える事だ。

せめて卓上盆上だけでも脱俗の聖域を設るべきだろう。


(竪琴のサッフォー 銅版画 ギュスターブモロー 19世紀)

このモローの詩神の絵は世俗から逃れてのコーヒータイムには打って付けだと思う。

小さな額とイーゼルも19世紀に拘って、探すのには結構苦労した。

肝心なのは安息のひと時を、少しでも聖なる物に近付ける事だ。

コーヒーの味は各々の好みで良かろうし、淹れ方もそれぞれの流儀を尊重するが、器は一生の一碗を探して世界を彷徨すべきだろう。

写真のカップ&ソーサーは現代の若手作家の物だが、刷毛目粉引の焦げと貫入の染みがよく馴染んで古格がある。


一般的には洋物より日本の物の方が身近で入手し易いだろう。


(梟図 油彩 棟方志功筆 古美濃花入 絵唐津菓子皿 古唐津茶碗 江戸時代)

一番簡単なのは伝統の床飾りに習い、卓上に花を活け書画を飾るのが良い。

写真は隠者流の和洋折衷様式で油絵を掛け抹茶碗を使った。

古唐津の塩笥茶碗は手に持った感触が掌中の玉と言った趣きで、私の珈琲用の茶碗では一番使用頻度が高い。

額の志功は画より詩書の方が人気が出て来て、句歌画讃なら昭和を代表する格がある。

賢者の象徴である梟の「萬里無片雲」と掌中の玉たる古碗で、果てしない蒼穹を飛翔する気分になれる。


短時間で最も簡易な楽しみ方なら、珈琲と音楽と詩集だ。

現代の読み物や単なる情報なら液晶画面でも良いが、歴史的名作をしみじみ味わうなら古書や初版本などの当時の遺物には到底敵わない。


(佐久の草笛 初版 佐藤春夫 ピューターマグ イギリスアンティーク)

この詩集は佐藤春夫が戦時中疎開先の佐久で書いた物で、今の疫病禍の自重引き篭り生活と重なる逼塞の想いがある。

貧者の銀と言われるピューターのマグカップは疎開隠棲に相応わしく、古色がついた19世紀の物はピカピカの金銀よりよほど隠者好みだ。

古いリヒテルのピアノ曲でも聴きながら、しばしの時を夢幻世界に過ごそう。


毎度同じ言い方になるが茶や珈琲を飲みながらぱらぱら眺めるには詩歌の書が最適だ。

句集歌集などは今と同季節の句歌が必ずあるので作品世界に入り易い。

あるいは古書は無くとも気に入りの詩句一節でも誦じたり、作れる人は一句一首でも詠むなら至福の茶時を過ごせよう。


©️甲士三郎


220 落葉の食卓

2021-11-18 13:09:00 | 日記

近年は我が門前の銀杏がいくら散ろうとも落葉掃きもせず、疫病禍で客も無いので無為に自然に任せている。


今日はそんな落葉を食卓に敷いて初冬の彩りとしてみよう。

銀杏の色に合わせて、器は古色の出た西洋アンティークの真鍮を主に使おう。


料理は出来合いの物に一手間加えるくらいだが、減塩のためスープだけはちゃんと自作している。

銀杏落葉の暖かな色味が思った以上に効果があり、心豊かな食卓となった。

もっとも私の食べられる量はこの内3割ほどでしか無い。

ーーー食細き病者の卓を燭の色 落葉の色に染めて温もるーーー


食後の珈琲は明治大正頃を思わせる茶器で。


小さな黒猫は如何にも大正浪漫風の造形で、古赤絵のポットの草花模様と共に野の景となる。

コーヒーカップは志野の筒茶碗。

当時ハイカラだった洋式茶にも、鎌倉文士風に句歌など嗜むのが隠者の暮しだ。

今日の買物散歩時の句も仕上がった。

ーーー残菊の家が最初に灯る路地ーーー


ついでに今日の写真も仕上げておこう。


これまでたびたび出て来た、我家の隣の大塔宮首塚山。

オールドレンズのやや褪せた柔らかな色調が、地味な鎌倉の晩秋には丁度良い。

ーーー小魚は秋陽の底で向き向きにーーー


温暖な鎌倉の寺社は12月が紅葉の見頃で、その根元にはもう水仙が咲いていたりする。

温暖化の影響も大きいが、一年中花の絶えない楽園と思えばそれも諾うしかなかろう。


©️甲士三郎


219 かにかくに祭り

2021-11-11 13:12:00 | 日記

毎年118日は京の祇園で「かにかくに祭」がある日だ。

鎌倉育ちの歌人吉井勇の、「かにかくに祇園は恋し寝るときも枕の下を水のながるる」

この古歌にちなみ、祇園の美妓居並びて歌碑に献花する行事だ。


勇の歌は明治43年頃の作だが、この歌碑は昭和30年勇の古希に建てられた。

我家にもこの歌の自筆色紙があるので、鎌倉でも一緒にお祭りしよう。


本は「祇園歌集」初版。

「水の流るる」は白川に張り出した茶屋や床があって多分その実景だが、枕と水で平安以来の涙を連想するのも良いだろう。

餞に私も一首献じよう。

ーーーかにかくに昭和は恋し珈琲の ミルクの渦に時も渦巻くーーー


勇は戦後毎年の都踊りの歌詞や、新橋東をどりの歌詞も作っている。

実は私も新橋芸者衆の句会指導に毎月出向いて20年以上になるので、吉井勇ほどではないが名妓達と些かの縁もある。


写真下方の夢二の装丁本は祇園歌集と並ぶ「東京紅燈」初版。

新橋の歌も多く詠んでいる。

本立てには吉井勇の主な歌集などをずらっと並べた。

ネットのお陰で歩いて古書店を回っていた時代に比べれば、各巻初版でさえ遥かに楽に揃えられる。


大正期の放埒な歌も良いが、戦中戦後の閑寂な西行のような歌は格別隠者好みだ。


写真の棟方志功との共作「流離抄板画巻」は、詩書画三絶が一体となった昭和の名作だと思う。

伯爵でもあった勇の若い頃は放蕩の限りを尽くし、零落してからは各地を流浪の果てに洛北に幽居した。

「友欲しと思ふ夕のあぐら居や比叡荒法師山をくだり来()」勇。


今は祇園も新橋も疫病禍で困難を極めているが、昭和の敗戦を乗り越え美しき日本文化を伝えて来た先人達を想い、何とか皆で復興して頂きたい。


©️甲士三郎


218 風白き谷戸

2021-11-04 13:05:00 | 日記

「風白し」は秋の季語となっていて、我が谷戸も今週は吹く風白き好天が続いている。

暦ではもうすぐ立冬でも、鎌倉はあと23週間は秋だ。


ーーー風白く薄も白く我が髪も 時の狭間の谷戸もいま秋ーーー


我家のすぐ隣の永福寺跡では薄の葉が末枯れ色となって陽に透けている。

何度か紹介した100年前のライカのレンズは、こんな光を捉えるのが得意だ。

「ライカを提げた隣町への散歩は世界の果への旅と同じだ」田中長徳。

世界を発見する事は足下身辺でも十分可能であろう。


ーーー上に雲下に水湧く山かげの 幽居に老いし詩人の獣語ーーー

「湧水」は夏の季語だが年中湧いているし短歌だから御目溢し願おう。


裏の崖を這う葛葉も色付き、源氏山の真葛ヶ原辺りはさぞ風情があるだろう。

鎌倉の山々は雑木の自然林で、昔の大和絵に見る風景そのものだ。

京都のような鮮やかな紅葉は少ないものの、しっとりした秋寂びの情趣は十分に味わえる。

「春来れば京の山みな絵のごとし光悦の山宗達の山」吉井勇。

この有名な歌の鎌倉版秋の編でも作りたい。


しばらく前に山路で拾ってきた山栗を茹でておいた。


小振りで甘味の薄い山栗は何処にも売っていないので、現代では貴重品でさえある。

こんな栗や団栗は鎌倉の山々には豊富にあるので、杉だらけの植林の山と違い栗鼠や小動物達の楽園となっている。


おまけで今日帰ってから出来た俳句も。

ーーー草の絮昇るや暮れる陽の筋をーーー


©️甲士三郎