鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

39 没落の美学

2018-05-31 14:53:34 | 日記
文学的に言えば、没落とか零落と言う言葉には耽美の響きがある。
我が家系は典型的な没落士族で、私に至っては始祖の清和源氏から没落の極みの隠者にまで落ちた。
いっそ天晴れな落ち振りと泉下の父祖達も褒めていよう。
世俗の栄達を一切歯牙にも掛けない隠者だが、平安後期から鎌倉時代に没落して行った貴族達のように、失われてゆく文化の担い手としての自負はある。
その手本は絶世の美男子にして和歌の名手、在原業平だ。

(伊勢物語東下り 琳派 江戸初期 探神院蔵)
業平は己れを世の役に立たない身と嘆き、出世を捨てて放蕩に耽った。
私もより一層放蕩に励まないといけない。

没落と言えば中世カトリック支配下のギリシャ ローマの神々も同様だった。
ハイネの「流転の神々」によると、ヴィーナスは情婦にダイアナは魔女にまで落としめられた。
詩と音楽の神アポロンも同様で、歌人の業平とイメージが重なる。
三段論法では業平イコール隠者、隠者すなわち私はアポロンたるべきなのだ。
アポロンたるには何と言っても音楽が出来ないと!

(アポロン像 紀元前2世紀 著者蔵)
私も昔のバンド経験を生かして、ボーカロイドのミクとDTMで俳句や短歌に曲を付けた事はある。
ただし歌詞としては短かすぎて30秒も持たずに終わってしまうので、ギター弾き語りの瞬間芸にしておくのが精々だった。
個人的な希望はヘヴィーメタルでシャウトしたい。
ヘビメタは没落の美学にぴったり合う。

中世の吟遊詩人のように現代の詩人達も歌って踊れればもっと稼げるだろうに、退屈な文壇の殻に閉じ籠って自ら首を締めている。
ボブ ディランは歌は下手だがそれでもノーベル文学賞なのだから、詩は元々歌ってこそなのだ。
若い詩人達は是非チャレンジして欲しい。

©️甲士三郎

38 海底の古陶

2018-05-24 15:20:26 | 日記
---千万の夜を経て波の吐き出せし 遥かな国の青磁のかけら---

(青磁片 宋時代 材木座海岸出土)
題もストーリーも忘れた昔のフランス映画で、青年がエーゲ海の底で古代のアンフォラの壺を見つけるシーンの美しさだけは今も記憶に残っている。
ギリシャ ローマ文明の遺物は、現代でもヨーロッパの知識人達の憧れだ。
鎌倉にも中国宋元時代の貿易船が来ていて、陶磁器の破損品を海に投棄した物が台風の後などに海岸に打ち上げられる。
私もかなり昔に海で拾った青磁の陶片を持っている。
確か今では古代中世の遺物の拾得は禁止か届出だかになったはずだ。
宋の青磁の完品は世界で五十数点しか存在せず、日本に遺っている物は全て国宝か重要文化財になっている。
我が家の青磁片も届け出ないとまずいだろうか。
それよりいっそ海の底に返す方がロマンがあって良いかも知れない。
破片を海に、八百年前に戻しに行こう。

海辺をうろつく隠者には、どうしようもなく哀愁が漂う。
折角なのでBGMはRed Zeppelin Ⅲで強烈なノスタルジーを演出してみた。
---古き良きロックビートを轟かせ 老いたる足を歩ましむべし---
おお、過ぎ去りし我が栄光の日々よ!
老兵は死なず、ただ去り行くのみ。
するとどうだ。

これぞ神々の恩寵、完円虹!
光明神にして芸術神アポロンの天啓だ。
たまたまの自然現象だが、古代人なら心から信じるだろう。
この草臥れた隠者の真の力を!

海辺の奇跡は数分で終わった。
神の御宣託は「詩を捧げ古の破片を葬れ」なのでまず良い詩句が出来ないと………。
結局青磁のかけらは未だ手元にある。
---虹消えて時は再び動き出す---

©️甲士三郎

37 苦汁の儀式

2018-05-17 16:23:59 | 日記
凡庸な日常の中にも何か一つ厳粛な儀式が入ると、精神生活が一段深まる。
お勧めは喫茶や飲食(おんじき)の儀式化だ。
花を活けてお茶か酒くらいなら誰でも出来る。
茶や酒を命の水、神の血だと思えば各々色々な秘儀が創り出せるだろう。
自分なりのアーティファクト(聖遺物)や花器燭台などがあれば上等だが、無ければちょっとしたアンティークの茶器酒器を使うだけでも感入度は違う。
例え数分でも俗世を離れ、祈りや思索に耽れる。

ところが!
隠者の数ある弱点の一つに血糖値があって、数年前に禁酒となった。
その後病状は大分改善したが今だに糖分は禁物で、酒類はもちろん果汁や炭酸飲料も駄目だ。
コーヒーお茶ばかりだとカフェイン過多なので冬は白湯やハーブティを飲んでいたが、夏はどうしても清涼飲料が欲しくなる。
で………ゼロコーラ。
これしか無かった。
コーラの儀式で瞑想に入れるのか?
アメリカンな隠者って、古都鎌倉で生息可能なのか?
衣通姫に御神酒を、ローマ時代の三美神像にワインを供えながら、私はゼロコーラで命を繋いでいる。

(拳骨手硝子碗 明治時代 探神院蔵 額は三美神銀貨)
抹茶碗の五山縁のように歪んだ、我が怒りの拳骨コップ(最初期ロット)だ!
内壁の歪みに沿って泡溜りが出来て面白い。

(白磁輪花祭器 宋元時代 探神院蔵)
あるいは戯れに、宋〜元時代の白磁でコーラを飲んでみる。
白と茶紫の色の取り合わせは結構良い。

十一面観世音の持つ水瓶には、万病に効く命の水が入っていると言う。
あれはきっとゼロコーラだと強弁し………。
---腰くびれ菩薩の如きコーラ瓶 和魂(にぎたま)涼む泡沫の夢---
狂歌はあまり作っていないので、この程度でお茶を濁して終わり。

前回の薔薇園の拾遺
---紅(くれなゐ)の重さに耐へる薔薇の首---


©️甲士三郎

36 太陽神の薔薇

2018-05-10 14:24:10 | 日記
---花越しに交す默礼秘めやかに 雨の兆しの薔薇園の径---

(薔薇の銀貨 ギリシャ 紀元前2〜3世紀 著者蔵)
鎌倉は文学館と大船植物園と教会と、いくつか薔薇園がある。
数日天気が荒れ模様らしいので、花が傷む前に植物園に行ってきた。
薔薇は四季咲きで絵も通年で飾れるので人気が高く、私の得意な画題でもある。
東洋での古名は長春花と言い、江戸時代の狩野派の絵も残っている。
しかし前々回の牡丹に比べれば薔薇は西洋文化のイメージが強い。
写真はエーゲ海ロードス島で作られた、表が太陽神ヘリオスで裏が薔薇の古代ギリシャのコインで、持っていれば花のスケッチ時に加護がありそうだ。
私の画学生時代はギリシャ彫刻のデッサンを何百枚もやって美の規範を身に付けたので、思い入れが強い。

---奥庭の錆びて開かぬ門の中 貴色の薔薇を俗世に隠し---
薔薇も最新のバイオテクノロジーなどで新種がどんどん出て来て、色の違いで花言葉も違うそうだ。
俗に言う花言葉の殆どは花卉業界の販売促進用に19〜20世紀に作られた物で、古代から続く隠者の世界では認めていない。
それよりギリシャ ローマ以来の伝説やイコノグラフを信用したい。
ヴィーナスやドロテアの薔薇、受胎告知の白百合などだ。
中世カトリック教会は薔薇の美しさと香りが人心を惑わすとして禁止し、香油の生産を修道院が独占した。
ローマ時代「アンダー ザ ローズ」と言えば「秘密」の暗喩で、それが中世修道院の薄暗さと結び付き、重厚で謎めいたイメージが出来上がったようだ。

20世紀の園芸家の夢だった紫の薔薇も大輪の花を咲かせている。
平日の曇り日でも花園は奥様方の一団で賑わっていて結構だが、大声のお喋りの内容が下劣なゴシップなのは勘弁願いたい。
イヤホンの荘重な音楽で俗世の騒(ぞめき)を消すとしよう。
私は何処の取材でもなるべく人の少ない日に行くが、薔薇園なら実は秋の方が空いていて断然良い。
ヨーロッパ風の庭園には季節が衰退して行く時季の風情が似合う気がする。
それこそ没落の極みの隠者がうろつくのにふさわしい。

©️甲士三郎

35 端午の古剣

2018-05-04 14:18:20 | 日記
---錆び剣を末世に伝へ端午かな---

(護法剣 室町時代 厨子 江戸時代 探神院蔵)
端午の節句にあやめや菖蒲を飾るのはその葉が太刀に似ているからで、花はあくまで脇役だ。
写真は我ら鬼門守護職必携の護法剣である。
醍醐寺伝来の物で、元々刃は引いていない儀式用の剣だ。
刃ではなく霊験によって邪を絶つ。
探神院の端午の節句はこれだけを飾る。
例の自分だけの秘めやかな儀式の一つだ。
中世鎌倉を想起するには、これ以上ない魔道具と言えよう。

(独鈷杵 室町時代 探神院蔵)
ついでにこれも護法の武器の独鈷杵。
不動明王の持つ倶利伽羅剣はこれの片側が伸びて剣になった形だ。
一部の欠けが歴戦を物語る。

五月は国文学者だった私の父の命日で、辞世の句は「父母に会へる日近き端午かな」である。
遺句帳にはこの句の下五が未完のままだったのを、私が補って「端午」とした。
童心に帰って浄土で両親に会えただろうか。
護法剣の厨子は父が見繕って来た物で、私には感慨深い遺物だ。


鎌倉には細い水路があちこちに流れていて、黄色のあやめが結構自生している。
この時期は特にもののふの古都にふさわしい風情だ。
---あやめ太刀流れる水の行く方は 光溢れるもののふの海---
中世から変わらぬ花を眺めて、将軍実朝公のように歌でも詠むのが鎌倉人らしい端午の節句だろう。

©️甲士三郎