鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

47 影無き世界

2018-07-26 13:59:27 | 日記

(飛天図 望月泫王筆 岩絵具 F8号 探神院蔵)
寂光土とはあまねく柔らかな光が行き渡った闇の無い浄土の事で、この頃の猛暑日の強烈な光と影の世界の対極だ。

我が日本画は洋画のような陰影法を使わない。
影を黒くしないのは、スタジオポートレートなどで照明やレフ板を幾つも使ってモデルや衣服の影を和らげるのと同じで、画面全体を明るく色鮮やかにするためだ。
もっと芸術的理想を言えば、外光による明暗よりモチーフ自体が内側から光輝くイメージだ。
日本画は平板に見えるから西洋画に劣ると言われて来たが、絵画は今や写真や3DCGのおかげで3次元を再現する役割から解き放たれた。
これで隠者も心置き無く寂光の世界を描ける。

(杏のスケッチ 色鉛筆 葉書)
風景や花でも肉眼で見ると美しいのに、写真に撮ると色が単調で影が汚く見える事が多い。
一応カメラの露出、彩度、トーンカーブ等は調整してあってもだ。
どうも私の肉眼は影の黒ずみを除去した世界を見ているようだ。
普通の人達の眼にはどう映っているのだろうか。
拙いスケッチで申し訳ないが、それでも下の実物の写真の方がリアルで良いと思った人には………アンドリュー ワイエスらのアメリカン スーパーレアリズムをお勧めしておこう。

(上のスケッチの実物写真 2燈照明に下敷レフ)

もう一つは、眼と脳の合わせ技で視点の多角化がある。
ピカソ達のキュビズムもその一種だが、東洋画では宗元院体画の時代からやっている。
例えば一本の百合をいろいろな角度から見て、其々の花弁や葉のより良い色形を部分取りして再構築し、実物よりもっと美しい理想の百合を創り出すのだ。
更に時間軸の多様化もあるが、長くなるのでここでは触れない。

この様な無影視や多角視による絵を描くには技術の修練が必要だが、明るく鮮やかな世界を見るだけなら心掛け次第で誰にでも見えるようになる筈だ。
要はファン ゴッホのように、より美しい世界を希求する気持ちの強さだと思う。

©️甲士三郎

46 緑陰の思索

2018-07-19 18:47:05 | 日記
---我が眼から色を奪ひて炎帝の 光と影が古都を征せり---
皆は買物や通勤通学の途中に、1分でも足を止めて世界を眺める事はあるだろうか?
隠者のようにそこで夢幻界転移までしなくとも、木陰で足を止めしばしこの世界の諸相に想いを馳せてみよう。
例え数秒でも世界の認識はできるのに、その時間さえ惜しんで何も感じようとしない類の人々を古来から「縁なき衆生」と呼ぶ。

少年時代の野球の試合中に見上げた空の色とか、入学試験の窓を打つ雨音だったり、仕事に遅刻しそうで走った並木の落葉の記憶でもいい。
それが世界の認識への入口だ。
時間的余裕があるから感じるのでは無い。
感じ取れる人は子供だろうが極限状況だろうが常に世界を感じ取っているのだ。
そんな自分を取巻く世界を端的に詠んでいるのが次の句。

(たましひのまはりの山の蒼さかな 三橋敏夫 探神院蔵)
この短冊はいつも探神院の玄関に有難く飾ってある。
「蒼」の清澄さ、「山」の深さ、「たましひ」の震え。
このレベルの句を詠むのは難しくとも、同じ心境に至る事は可能だ。

例えばSDカードにデータは確かに存在するのに、PCが認識してくれない事がある。
同じ様に世界は明らかに生動しているのに、それを認識しない人がいる。
または脳で認識はしても、心に何も感じない人もいる。
蛇足ながら「天上天下唯我独尊」とは「その人の認識次第で世界は存在する」という事であって、言うまでもなく「自分勝手」の意では無い。
世界を認識できない人にとって、世界は存在しないに等しいのだ。

古臭い哲学めいてきたのでこの辺で止めておこう。
暑き日の買物帰りの木陰で数分、隠者はこんな思索に耽っていた。


©️甲士三郎

45 竜穴の浄化

2018-07-12 16:18:31 | 日記

我が探神院の隣、永福寺跡の池が藻の異常繁殖で濁ってしまった。(写真上)
ここの水は奥山からの自然水を引いていたのだが、魚や生物を何も入れていなかったらしく、生態系が成り立っていなかったのがこうなった原因だ。
当局が重い腰を上げて清掃したは良いが、生態系を整えるまでの能は無いらしい。
我が家の横を流れる小川にもひと昔は蛍がいたのに、護岸工事で絶滅してしまった。
仕方ないので水の精霊召喚をするしかない。
土地祝ぎの歌で気休め程度に水を浄めてみた。
しばらく待って、やって来たのは羽虫一匹であった。
---きらきらと水鏡して蜉蝣は 己れの影を慕ひて舞ひぬ---

羽虫だか水の精の化身だかわからないがどうにも弱そうなので、ここは紅葉谷のラスボスである竜神様に水の浄化をお願いすべきだろう。
我が家と永福寺跡がある地は風水で言えば竜穴の地相で、昔は強力な竜がいたはずなのだ。
探神院の秘儀で竜穴の浄化、竜脈の活性化を祈ろう。
池上の遣水で浄瓶に御神酒を用意し、和歌の言霊で穢れを祓う。
八岐大蛇は酒で退治されたので竜神様も酔っ払わないか心配だが、まあ少量なら大丈夫だろう。

(古唐津浄瓶 江戸時代 探神院蔵)

霊験があったのかこの翌日には遣水に今年初めての赤蜻蛉が来ていた。
蜻蛉は英語で「ドラゴンフライ」だから竜の眷属でもある。
水質浄化は雨乞いのように直ぐに結果が出るものでも無いので、秋頃に池が復活してくれれば良い。
当局の対応を見ながら、気長に待つしか無い
---梅雨の廊走れば滑る犬の爪---

今年も猛暑らしいので、皆もそれぞれ処暑の行事や楽しみを見つけて欲しい。

©️甲士三郎