鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

5 詩的体験

2018-01-08 10:06:39 | 日記
今回は皆で一緒に詩人や俳人歌人になってみよう。
バトルアクションやスポーツで「考えるな!感じろ!」
と言うが、古語にも「止観」と言うのがある。
観るのを止める。詩の奥義は「見るな!想え!」だ。
ただし初学は誰でも「観察、写実」から入る。
風景を眺めながら季節に浸り、想いに沈む。
映画のワンシーンのようにその場が青春時代の街角に変わったり、異国の旅の記憶につながったり。
稀には詩神の天啓が降りる事もあるだろう。

詩や俳句短歌を作るにあたって、まず大まかにテーマとモチーフを理解しておこう。
テーマは表現したい気持ち、想い。
例えば晩秋の淋しさとか肌寒さなど。
モチーフは想いを喚起する枯葉などの具体的な物である。
自らは語らず 物に語らしむ。
「寄物陳思」 物に寄せて思いを陳べるのが短詩のコツだ。

では取材にあちこち彷徨ってみよう。
ただ美しい物や珍しい物では無く、自分が感応出来る物や小さな物語を探してみてほしい。

---二、三本寄り添ひ咲けば花薄 揺らし合ったり絡み合ったり---
まずは気負わずにこんなもんで。
もう少し良くなりそうなら、後でゆっくり仕上げれば良い。

---地の底の くれなゐ通ふ 秋海棠の 花首(はなかうべ)---
一見良さそうだが、たぶん何処かに類想がある。
良いものがすぐに出来なくともめげずに続けることだ。
特に短詩形はどんな巨匠でも「数撃ちゃ当たる」「多作多捨」でやって来たのだ。

---濡れそぼつ鬼より赤き紅葉かな---
北鎌倉の駈込み寺、東慶寺の紅葉だ。
小雨に濡れて彩度が増した中に一瞬薄日が差して、玲瓏とした赤が見られた。
この句は鎌倉らしくてちょっと良いかも。

如何だったろうか。
少しの時間でも詩人の気分が味わえたと思う。
結局は自分が満足出来れば良いのだ。
世間や専門家にいくら評価されても自分が不満なら何にもならない。
皆さんも散歩がてらチャレンジしてみれば、きっと新しい楽しみが見つかるだろう。

©️甲士三郎

4 滅理の筆

2018-01-08 08:22:38 | 日記

---狂ほしや過去の桜が散りやまぬ---
この句には真理は無いが、真情はある。
理を強い気持ちで覆すのが滅理だ。

よく言えば破格、常識人から見れば無理無体。
非常識、破天荒、自由気儘に世を渡って行くのは難しい。
孔子の言う耳順、従心、また高邁な精神が必要だろう。
かと言って自重するなぞ言語道断である。
禅語の「殺仏殺祖」とは、進むべき時には周囲を蹴散らしてでも進め、と言う事だ。
文人画人なら滅理の筆こそ振るうべし!

---老画家よ病癒えれば町に出て 世界の色を塗り替へるべし---

小町通りのオープンカフェ(閉店後だった)

理(ことわり)を滅するには感覚を鍛える他は無い。
加えて筆(武器)を振るうのは腕力が要る。
無理を押し通す腕力、非難に耐える精神力だ。
隠者の基本その2は、感覚と腕力。

滅焔滅理碗 新歓嗣作 探神院蔵
歪み、焦げ、垂れ、固まった非常識極まる茶碗。

因果律そのものや不条理自体には詩情は無い。
理に抗う者にだけ、詩神は微笑む。

©️甲士三郎

3 画中の町

2018-01-08 08:01:24 | 日記

夜のカフェテラス ファン ゴッホ

こんな町や同じゴッホの「星月夜」の村に住みたいね。
ゴッホは技術的には下手だったかわりにイメージは強靭だった。
彼はレンブラントのような暗い時代から、一気に色と光溢れる明るい世界を作り上げた。
没後100年展のポスターの「ヴィンセント。君の見ていた美しい世界を、我々は100年経っても作れていない。」と言う賛辞にはジーンときた。

理想の町は探す物じゃなく、少しづつ作って行く物だ。
まずは自分の家と庭。
修学院離宮や詩仙堂、寂光院なんかが理想だけれど無理なので、茶室風の草庵で十分だ。
庭は適度に古びて荒れ果てた感じを出す。
絵本作家のターシャ テューダーのような庭も楽しい。
次に近くの散歩道。
小川があって小鳥の声に野の花、苔むした廃墟に可憐な巫女。
これは探神院の周囲に揃っている。
---黒蝶が眠りの粉を撒きし古都---
花見の社、紅葉狩の寺もある。

街中に出れば古書店と骨董店、気の利いたカフェが欲しい。
あとは暇を持て余した同好の士を探し出せば言う事は無い。
この位なら誰にでも理想の町は実現可能だろう。
---蒲公英やこんな画家でも住める町---
あえて贅沢を言えばオラが町のサッカーチームもあれば完璧だ。

鎌倉駅前のカフェ

©️甲士三郎

2 廃墟の花精

2018-01-08 01:04:27 | 日記


大塔宮首塚にて。日本古来種の菫草で花は可愛いらしく1~2センチ程。

我が探神院は南は大塔宮御陵、西は永福寺跡に接する地にある。
風水で言う竜穴の相を備え、また滅びの色を深く湛える。
寂れた廃墟に自生する小さな花々は私の詩画の大事なモチーフになっている。
さて、今回はどうやれば花精が見つかるか伝授しよう。
戯れ言に聞こえるだろうが、大丈夫。
---鎌倉の文士の庭の荒れ果てて 主なき日の花の精達---
日々の通い路に折々咲く花を、視角に入っていても気付かぬ人、認識はするが心に感じない人、一つ一つ感じ入る人、その差が何十年か積み重なると五感に圧倒的な違いが出る。
隠者の基本その1は、身の廻りの世界に感応する事。特に自然感応力だ。

牡丹図 甲士三郎
ついでに先走って奥義を言ってしまうと、「感応」から「観想」へ。
「観想」は想い浮かべる事。ビジョン、幻視。
目の前の花を視覚で捉えるだけで無く、理想の花を想う、花に寄せた人々の気持ちを想う、花の精を想うのだ。
例えば私のような画家なら、花の生命感を感じ取って描くのは当たり前だ。
精とは生命感の事だ。
遺跡や廃墟に咲く花は、殊にその命を感じやすい。
それが羽の生えた小さな美少女に思える人もいるだろう。
---水底に花屑鎮め薄明り---
各地に伝わる花鎮めの儀は散り終わった桜への鎮魂の神事である。
昔から花の精を観想出来る人は結構いたのだ。
桜の神は富士浅間神社の木花咲耶姫。
「神が居ないのなら創り出せば良い」(ラノベ)
古の四季花鳥図は、四季の花々が同時にかつ永遠に咲き乱れる浄土の光景を描いた物だ。
観想力があればそんな生命感あふれる世界が見えてくる。
浄土宗や密教の修行にこの浄土観想法がある。
手帳やカメラをポケットに鎌倉をふらつくのは楽しい。
眼前の花に生命を感じ、廃園に居て楽園を観想できれば、花精だって具現するだろう。

瑞泉寺の春

©️甲士三郎

1 鎌倉の隠者

2018-01-08 00:51:55 | 日記


蓬莱島 甲士三郎

---古より鎌倉の丑寅の方、探神院あり。幕府の鬼門守護職を任ず。---

私も今では幕府の扶持も無く画技詩文にて糊口を凌ぐ隠棲の身だが、ご心配頂いた病状も大分改善したので探神院ブログを再開し、隠者の暮らしの要諦を末裔達に伝えようと思う。
---鎌倉の鬼門を塞ぐ山裂けて 紅葉燃え立つ谷戸となりけり---

五十才六十才ともなれば、誰もが己の職業や肩書き無しの素の自分に気付くだろう。
下手すれば九十百まで生きるのでその数十年間、緩慢な死を過ごす事は無い。
時間は十分ある。みな今から精神世界の冒険に出よう。
目指すは賢者、聖者、愚者、等の中で最も楽しく簡単な隠者だ!
賢者や聖者は世の役に立つのが使命だが、隠者は世間の迷惑にならなければ良い程度で、自分勝手に人生を楽しめば良い。
自由で楽しい生き様そのものが後進の希望や指針になる。
あの人のように年を取りたい、あんな暮しがしたい、と若者達に思ってもらえれば上出来で特別な訓練や苦行も不要だ。
思索の記録に簡易な詩文やメモが書ければ十分。
さらには木陰に佇みあるいはカフェの窓辺で、ぼんやりと想を練っている自分の姿なんて、結構絵になるのではないか。
---廃園に蝶の息づく薄日かな---

探神院隣 永福寺跡にて

このブログでは廃都鎌倉での楽しい隠者生活の折々を紹介して行く。
初回なので簡単に以降の題だけ上げておく。乞うご期待。
2 廃墟の花精
3 滅理の筆
4 画中の町
5 詩的体験
6 隠者装束
~〜〜
(更新未定、変更多々あり)

©️甲士三郎