鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

130 椿の谷戸

2020-02-27 13:25:00 | 日記

春の花と言えば梅桜を思う人が多いだろうが、1月から4月まで三春に渡り楽しめるのは木偏に春と書く椿である。

鎌倉の山には野生の椿が多く自生していて、その蜜は鳥獣達の春窮の時期に貴重な栄養となっている。

山際の道などで急に頭上から花が落ちて来たら、大抵が鳥か栗鼠の仕業だ。

近所の家々の庭も多種の椿が咲き継ぎ、早春の探索者の眼を飽きさせない。

---鳥獣に舐め尽くされる椿山---


鎌倉も奥まった谷戸の小径に散り敷く椿は行く春の標となり、小流れに溜まる散花を眺めしばし佇むなら、流水の音と光はすでに夢幻界からの物だと知れるだろう。

夢幻の楽園の扉は望む者には随所に開いているのだが、残念ながら見えない人には一生見えはしない。

まあ余計な話になるが、隠者流では夢幻界の扉の発見は「観応」と言い初学に当たる。

中級の「観想」は扉を入ってから自分なりの楽園を想い描き建立する部分となるだろう。

上級の「観自在」は不教不伝、不立文字なので、一応上級隠者の私でも語れない。


前述のように椿は花期が長く夏の木槿や冬の山茶花と共に庭の花木として、また花持ちが良く投入れ花として、古来より日本人の生活文化と共にあった。

隠者ならこの三種の花木に加えて牡丹、菊、長春花(薔薇)で後庭の四季を完結させたい。

昔の茶庭(露地)には花物を植えず寒中三友(松竹梅)や桜紅葉は前庭門脇に配し、床に活ける花は客に見えぬ後庭に配置するのが基本で、席入りで始めてその花を見せる趣向だったのだ。

今では自宅で茶会を開くような家は絶滅し殆どの庭は洋風に作っているが、古人達の努力の結晶である伝統様式美を凌駕するような庭はあまりに少ない。


我が荒庭の土地は歴とした鎌倉時代の永福寺僧房跡なので、幻視するまでもなく数百年の荒廃の中を生き残った古い種の椿が息づいている。

椿は首から落ちるから縁起が悪いとか言うのは江戸末期からの俗信で、武家や公家に椿を嫌った由縁などは無く、武士の故地である鎌倉にも至る所に咲いている。


(宝戒寺裏の草庵)

こんな家に暮らすのが日本の文化を満喫するには最適だろうが、ひと昔ならどこにでもあったような普通の日本家屋と庭が現代では貴重になってしまった。

この春陽遍く花咲き鳥歌う谷戸の散歩道は、観光ルートからは少し外れているので静かで良い。

古び行く谷戸の小径は決して古びない花鳥達の新たな命によって、また今年も隠者の耳目を楽しませてくれる。


©️甲士三郎


129 花精と自然神

2020-02-20 12:53:00 | 日記

花の精や花神と言えば日本の木花咲耶姫、中国の牡丹の精、ギリシャローマのフローラほか全世界に似た伝説がある。

そのようなスピリチュアルな存在に対しては、現代人より古人の方がずっと身近に親しんでいただろう。


(古九谷四方鉢 江戸時代 著者蔵)

写真は中国の知識人千年の夢、牡丹園で花精達(二人の唐子)が花の世話をしている図だ。

彩雲は天霊を、岩(太湖石)は地気を象徴し、命あるもの全てを生動させている。

ここは梅と牡丹が同時に咲き桃と柘榴(縁飾りの窓絵)が年中実る、時を超えた理想の楽園だ。


隠者の荒庭にも梅と牡丹は植えてあって、こうした古人達の夢を受継ぎ自然の精霊や万物に宿る神気を感じられる事は、残余の毎日をこよなく豊かにしてくれる。


(瑞泉寺の水仙と梅に椿の庭園)

ところがこれら多神教の精霊や自然神達は、一神教の輩からは倫理道徳を教えないから原始的な宗教だと誹られる事も多かった。

確かに人々が無知で野蛮な時代には唯一神による道徳の強制が最も効果があっただろう。

しかし現代の教育による理性と法治が行き渡った国では、神の名を借りた倫理道徳観は返って押し付けがましく思われがちだ。

ギリシャローマの神々や八百万の神なんて神同士でもしょっちゅう喧嘩しているので、反面教師でさえある。


そんな訳で今こそ自然神復興の時ではないか。

自然神の良さは四季の恵みや美しさ、折々の祭事行事の楽しさを身近に共にできるところにある。

桜が咲けば木花咲耶姫と春宵の酒宴を、薔薇が咲いたらフローラと午後のお茶会を催す楽しさは皆にも知って欲しい。


(九谷青手の花器皿茶碗 明治〜大正時代)

瑞泉寺から帰ればお茶の時間だ。

器はいつもの地味な陶器はやめて、春らしく華やかな色絵磁器で揃えてみた。

ただし花の絵が大きく描いてある花器は禁物で、さらに絵の季節も合わせないと駄目なので気を付けよう。


©️甲士三郎


128 祟り神の花宛

2020-02-13 14:15:00 | 日記

いつもの買物がてらの散歩道に、我家も氏子になっている絵柄天神がある。

早梅の名所で古の将軍実朝公も鶯の声を楽しみに良くこの辺に来ていたようだ。

天神菅原道真は江戸前期までは雷の祟り神として恐れられ封印するために祀られていたのが、今ではすっかり学問受験の神になり澄ましている。


(絵柄天神の紅白梅と合格祈願の絵馬)

江戸前期の浮世の繁栄で有名寺社は観光化し七福神や縁結び富講などの現世利益を看板に大儲けしていたので、天神もそこに目を付け学問の神としてリニューアルしたのだ。


ここの創建は日本でも最古の部類で祟りの封印は良くやっているが、私の経験では学問の御利益は全く無いどころか逆効果だった事もある。

だが探梅には良い場所なので、この時期の散歩でよく寄る。


(紅白梅の紅はボカした)

紅白の梅が同時に見られる年はそう多くなく、揃い咲きした今年は運が良い。

---二本(ふたもと)の梅に遅速を愛すなり---(蕪村)

昔は紅白梅にうっすら雪が積もった写真が撮れた年もあったが、気候変動でもう二度と無い気がする。


我家にもいつ何処からきたのか、室町時代の天神像がある。

怒り天神と言って江戸以前の天神像はみな怒り顔でいかにも悪神らしい表情だ。


(木彫彩色天神像 室町時代 探神院蔵)

この祟り神に負けないためには、天神よりこちらがもっと強く怒る事だ。

よって悪さをしたら一切御神酒をやらないとか燃やすとか言って脅しつつ封印するのが正しいと思う。

まあ今年はまだ悪さをしていないので、梅の一枝をお供えした。

「東風吹かば〜」の歌は皆御存知だろう。

この一枝でせめてもの春を楽しんでもらおう。

本来の祟り神が、学問と梅花を愛す穏やかな暮しの良さを知ったようで何よりだ。


©️甲士三郎


127 迎春の歌神

2020-02-06 14:15:00 | 日記

我家は旧暦で暮しているので、今週は旧正月の儀式が幾つかある。
まずは大晦日、世間では追儺(鬼やらい)の日に鬼門に向けて伝来の護法剣(前出)を振る。
建前上私は幕府の鬼門守護職なので、丑寅方面からの邪鬼の侵入を封じる訳だ。
元日は龍脈に御神酒を注いで春の青龍の目覚めを促す。
歳時記では春は「竜天に登る」と言い、秋は「竜淵に潜む」となっている。

そして和歌の女神である衣通姫(そとおりひめ)に御供えと歌を捧げた後は、何日間でも存分に春の宴(うたげ)を続けられるのが世捨人の特権だ。
今日は歌神と、明日は花精と、または花鳥浄土に神仙境に祝宴は尽きない。

(衣通姫絵姿 室町時代 探神院蔵)
立花は寒中三友(松竹梅)で色味が地味な分を金彩の九谷徳利で補い、祝賀気分を出している。
御供物は私は糖質制限で食べられないが、春らしい明るい緑の鶯餅で姫様に喜んでもらおう。
庭に来る鶯や目白もだいぶ活発になって来た。
---首傾げ彼方(あなた)に起り幽かなる 歌を感じる小鳥の仕草---

普段隠者は歪み汚れた古陶ばかり使っているが、流石に春の祝宴は華やかな色絵金彩磁器を並べる。

(古伊万里花鳥図大皿 江戸時代)
花鳥の楽園を描いた彩り豊かな器揃えで、旧正月を寿ぐのも儀式の一部だ。

昨年の正月は食事制限もあり静かにやったので、今年は見た目だけでも少し派手にやろうと思う。
禅語でも高悟帰俗と言うし、隠者の庵にも浮世の色を加えようと昔集めた美人画を引っ張り出してみた。

(肉筆美人画 藤麻呂筆 江戸時代)
藤麻呂は歌麻呂の高弟で版画より肉筆画に定評があり、この大幅を飾ると隠者の幽暗な部屋も一気に明るく華やぐ。
この絵の前で七日七晩の酒宴に浸り、飽きれば探梅に鶯の初音にと、残余の春を精一杯味わい尽すつもりだ。

旧暦の正月の良さは自然界の動植物と人間とが、春の訪れを共に一期(いちご)に喜べる所にある。
新暦暮しの読者諸賢も、今一度旧暦で迎春の宴を開いても罰は当たらないと思う。

---美人画を留守居に掛けて春の旅---

©️甲士三郎