flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

つくばセンター広場

2024-07-17 00:00:00 | 漂い紀行
(茨城県つくば市吾妻)
 桜村当時の昭和58年(1983)に土浦とを結ぶバスターミナルとセンタービルと共に整備された。その後筑波研究学園都市の玄関口となり、国際科学技術博覧会の拠点となった。現在はつくばエクスプレスの終点つくば駅に隣接している。







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奈良井水場

2024-07-16 00:00:00 | 水のほとり
(長野県塩尻市奈良井 2014年11月7日)





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旧横田家住宅

2024-07-15 00:00:00 | 木のたてもの
(さくら民家園 茨城県つくば市吾妻)
 旧桜村、上大角豆(かみささぎ)の豪農横田家の住宅である。寛政年間(1789-1801)に築造され、昭和59年(1984)寄贈され移築された。











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奈良井駅

2024-07-14 00:00:00 | RODEN-哀愁のRailway-
(長野県塩尻市奈良井 2014年11月7日)
 明治42年(1909)中央東線の終点として開業。翌年途中駅となり、明治44年(1911)全通により中央西線と統合された。









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TSUKUBA EXPO CENTER

2024-07-13 00:00:00 | 学びのやかた
(茨城県つくば市吾妻)
 高さ50mのH-Ⅱロケット模型が目印のつくばエキスポセンターは、昭和60年(1985)国際科学技術博覧会の第2会場の施設として開設された。博覧会開催期間時は日本の科学技術研究開発を紹介する展示施設として、期間後は科学館として整備された。

























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上松から牙岩を望む

2024-07-12 00:00:00 | 漂い紀行
(長野県木曽郡上松町 2014年11月6日)
 中央アルプス、麦草岳(標高2,733m)と木曽前岳(2,826m)の間に聳える牙岩(2,668m)。
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つくば文化会館アルス

2024-07-11 00:00:00 | 学びのやかた
(茨城県つくば市吾妻)
 かつての辺り一帯の風景であったアカマツ林を残す、平成2年(1990)開館の文化施設である。延床面積6,095㎡の施設の中には、茨城県近代美術館つくば分館と、アルスホール、蔵書29万点のつくば市立中央図書館が入る。
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寝覚山臨川寺

2024-07-10 00:00:00 | ほとけのいおり
(長野県木曽郡上松町上松 2014年11月6日)
 浦島伝説のある木曽川寝覚の床のほとりに臨済宗臨川寺はある。創建時期は不詳ながらこの地に浦島堂と呼ばれる弁天を祀ったのが始まりとされ、寛永元年(1624)尾張藩主徳川義直の命により木曽代官山村良勝が堂宇を造営したという。






























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神田鍛冶町市街線高架橋

2024-07-09 00:00:00 | RODEN-哀愁のRailway-
(東京都千代田区神田鍛冶町)
 大正8年(1919)中央線開通時に築造された。



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聖岩山玉林院

2024-07-08 00:00:00 | ほとけのいおり
(長野県木曽郡上松町上松 2014年11月6日)
 天正十年(1582)木曽義元二男で出家した木曽玉林によって創建された。明治27年(1894)上松宿の大火によって伽藍を失ったが、江戸時代中期に造営された楼門と黒松は現在も残る。















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松住町架道橋下

2024-07-07 00:00:00 | RODEN-哀愁のRailway-
(東京都千代田区外神田)



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腹切りやぐら

2024-07-06 00:00:00 | いにしえびとの睡
(神奈川県鎌倉市小町 2017年1月17日)
 東勝寺の脇にあるやぐらである。元弘三年(1333)新田義貞の鎌倉攻めの際、北条高時が東勝寺に逃げ込み、火を放って北条氏や御家人ら八百七十余名は自害した。高時はこの腹切りやぐらに葬られたと伝わるが、実際は釈迦堂切通に葬られたとされる。











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旧松山堂の蔵

2024-07-05 00:00:00 | STRUCTURE-構造物残影-
(東京都千代田区神田淡路町)
 神田淡路町にあった書籍商松山堂の書庫として大正6年(1917)築造された。昭和58年(1983)からは画廊として利用されたが、平成22年(2010)再開発により現在地に移築された。
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東勝寺跡

2024-07-04 00:00:00 | ほとけのいおり
(臨済宗青龍山東勝寺 神奈川県鎌倉市小町 国指定史跡 2017年1月17日)
 鎌倉幕府第三代執権北条泰時によって創建されたという。元弘三年(1333)新田義貞の鎌倉攻めの際、北条高時が東勝寺に逃げ込み、火を放って自害したことから寺は焼失した。その後間もなく再興され、関東十刹第三位になる程に復興されたが、戦国時代に廃寺となっている。昭和50年(1975)の発掘調査では石垣、石敷、門跡が検出され、北条家の紋である三鱗の紋瓦片が出土している。













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三十間堀川 三原橋跡

2024-07-03 00:00:00 | 水のほとり
(東京都中央区銀座)





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