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「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

聖塚 河野通信墳墓

2013-02-11 00:00:50 | 孝霊天皇流族関係記事

(ひじりづか こうのみちのぶふんぼ 岩手県北上市稲瀬町水越 県指定史跡)
 北上川から幾つかの丘陵を越えると、やがて松林のなかに盛り土が見えてくる。これが河野四郎通信の墳墓である。
       
  
 河野通信は、保元元年(1156)伊予権介河野通清の子として伊予高縄山で生まれた。壇ノ浦の戦いでは源氏側につき、伊予水軍を率いる将として活躍した。また、北条政子の妹を室とし、鎌倉幕府の御家人となった。文治五年(1189)の奥州合戦や梶原景時の変にも参加し、陸奥国にも領地を得ている。然し、承久の乱で後鳥羽上皇についたため、朝廷側が敗北した折りに捕虜となってこの地に流罪となり、翌年の貞応元年(1222)同地門岡の国見山極楽寺で最期を迎えた。
 弘安三年(1280)孫の河野通秀(一遍智真)は通信の墳墓を訪れ、供養の様子を「一遍上人絵伝」が伝えている。
  二段築成の葺石
     周溝
 城郭造りのような背後の崖
    一遍供養の図
 

(関連記事:江刺門岡 東禅寺


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