GO AHEAD! Gut's コウスケ

ガッツ コウスケ~愛すべきサッカー大好きガッツ小僧の成長記録~
~『イングランド代表(?)』への軌跡~

誕生日おめでとう。15歳が輝ける年になりますように・・・・♪

2013-11-20 23:55:05 | 最近の出来事

11月21日はコウスケの誕生日です。
15歳になります。そして必然的にサッカー歴が10年になります。

中学生になって、ジュニアユースのクラブチームに所属して3回目の誕生日を迎えることになります。
昨年までの2回の誕生日は、彼にとって、物凄い落差のあるものでした。

13歳の誕生日は、大分で迎えました。彼の目標だった、ナショナルトレセンの合宿中に誕生日を迎えた。
★コウスケ13歳の誕生日 Part.1 ← ココをクリックしてください。
★コウスケ13歳の誕生日 Part.2 ← ココをクリックしてください。



14歳の誕生日は、前十字靭帯再建手術を受け後、病院のベッドで迎えた。
★コウスケ14歳の誕生日 ← ココをクリックしてください。

彼にとっては天国と地獄ほどの違いがあっただろう。


そして、コウスケは15歳になった。
必ず、素敵な年になるはずだ。
14歳の1年間をあんなに頑張ったのだから・・・・。

絶対に輝ける再生と飛躍の年になるはずだ。


    誕生日おめでとう。


虹から連想される”栄光の架橋”

2013-11-12 22:54:48 | 最近の出来事

親しくしていただいてる、ある方のfacebookに”虹”をテーマにされた投稿があった。
オヤジは”虹”について考えてみた。
そうすると、不思議な事に気付いた。
”虹”は人間のセンチメンタリズムを刺激する自然現象なのではないか?と思えてきた。
”虹”は好感を持って人々に迎えられる。
天空に拡がる虹を目にすると、至福感や幸運感を感じるようだ。
もっと簡易な表現をするなならば、”ラッキー””何だか得した”気持ちになるようだ。
そしてその方は”虹”から、ゆずの『栄光の架橋』を想像されるらしい。


実は・・・『栄光の架橋』はコウスケとその家族にとって、かけがえのない”曲”なのである。
コウスケが小学校5年生の時。県トレの選考に漏れて涙を流したことがある。涙を流した車中で『栄光の架橋』が流れていた。
それから、コウスケにとって、『栄光の架橋』は彼のテーマソングになっている。
小学校6年生の時、県トレ選手に指名され、合同研修会に行く車中で聴いた。
現在所属しているクラブチームのセレクションを受ける時も車中で聴いた。
ナショナルトレセンに参加する車中でも聞いた。
そして、大きなケガをした後は、復帰を目指す心の支えとなった。
”悔しくて眠れなかった夜があった。怖くて震えていた夜があった”
完全にコウスケの中でクロスオーバーしている。大事な試合の前に、必ず車中で聴きながら試合会場に向かった。
彼の中でこの曲は”最も特別な曲”である。
我が家にとっても、大変重要で、大切な曲である。

そしてコウスケは更に自分を映し出すために、ピアノで『栄光の架橋』を練習し、そらで弾けるようになった。

もうすぐ15歳になる息子にとって、今までの人生で最も重要で、思い入れのある曲に違いない。


ライバルに夢を託すということ。

2013-11-09 00:17:53 | 最近の出来事

コウスケが憧れ続けた高円宮杯全国サッカー選手権大会中国地区大会。
最大のライバルチームに敗れ涙を流した。
準決勝を明日に控えた今日、選手たちは決戦の地に旅立ったようだ。
全国まであと2つ。

今回の中国地区大会には、コウスケたちのチームを除き、2つのチームが出場していた。
1つは全中の中国地方チャンピオンだったが、岡山県のプログレスリーグ所属チームに撃破された。
山口ダービーを制したオレンジ・ライオン軍団がベスト4に残った。

オヤジは是非、オレンジ軍団に全国大会へ出場して欲しい。
大きく分けて理由は2つ。
1つ目は小学校の時から見続けてきた選手たちに全国の空気を思いっきり吸込んで欲しいと思う事。
彼らの中の何人かは、3回目の全国となる。(バーモンドカップ=フットサルを含め)
ライバルの躍進は、嫉妬とともに憧憬や畏怖をもたらす。

2つ目は全国との距離感の確認。
山口県No.1のチームが(悔しいけれど認めざるを得ない)全国のどのレベルに位置するか?つまり”ものさし”の確認である。
街クラブで出来ることの最高到達点を確認したい。
そんな理由である。

ライバルに夢を託すことになる。彼らは夢を託されるに値する資格があるから。

頑張れ、オレンジ・ライオン軍団


ジュニアユース最蹴章。終わった。高円宮杯全国サッカー選手権中国地区予選終戦。

2013-11-04 13:53:14 | 最近の出来事

高円宮杯全国サッカー選手権中国地区予選。
ケガをしたコウスケがこの大会に出場することを願い手術を決意した。
激しい痛みに苦しんだ手術。長いリハビり。ただ準備や応援だけのために帯同した遠征。少しづつプレーできるようになり、自主練習が始まった。ボールに触れ、キックができるようになり、キックできる距離が延び、対人プレー以外ができるようになり、少しづつ明るさが戻った。
或る程度の接触プレーが許されると、1つ下の学年の練習に参加させてもらうようになった。
しかしトップチームにはなかなか上がれず(勿論コーチの方々がしっかりケアしていただいていたので、万全の態勢が整うまで配慮していただき、コウスケを大事にしていただいたのだが・・・)
思えば苦しいことばかりだっただろう。

9月に入り、段々とコンデションがあがり、トップチームでの練習が許された。
憧れ続けたプログレスリーグになかなか出場できずに苦しんだ。
しかし、最終戦の最後に(公式記録には80分となっていた)、サッカーの神様が与えてくださったとしか思えない、唯一のシュートがネットを揺らした。



そして、いよいよ高円宮中国予選。鳥取県で開催。
11月2日(土)岡山県代表との試合で、1年7ヶ月ぶりの先発出場。ケガで試合に出られないことが判っているのにキャプテンに任命されていた彼が、初めてキャプテンマークを巻いてスターティングメンバーとしてピッチに立った。選手の先頭に並び、最初に審判と握手し、相手チームの選手と握手し、コイントスをした。
試合は2-0で勝利した。
コウスケは後半20分に交代し、お役御免となった。



      
  

11月3日(日)2回戦は山口県の最大のライバルチームで、コウスケにとっては小学校からの宿敵オレンジ軍団。
チューブYAJINスタジアムで13:30キックオフ。

コウスケは再びキャプテンマークを巻いてスターティングメンバーとしてピッチに立った。
相手のチームのキャプテンと握手。小学校以来、いろいろと縁のあった山口県のトップ選手。一緒に闘い、ナショナルトレセンへ行き、そして常にコウスケの前に立ちはだかった。初めて、キャプテン同士として握手した。更に常に熱い闘いを繰り広げた顔見知りの相手選手と握手し健闘を誓いあった。
さあ、ジュニアユースサッカーの集大成。最蹴章第2部。最後の山口ダービー。
しかし・・・・・・完膚なきまでに打ちのめされた。
試合が終わると、コウスケは泣き始めた。号泣した。いつも代わりにキャプテンマークをして戦ってくれた盟友も声を上げて泣いていた。
ジュニアユースのサッカーが終わった。
コウスケは復帰後初めてフル出場した。キャプテンマークを左手に巻いて、ピッチを走り、仲間を鼓舞し、闘い続けた。
常に闘いを望んでいた、レオーネ山口が最後の戦いとなった。

この大会のためにあらゆるものを犠牲にして、我慢して、立ち上がり、やっとここまでたどり着いた。
残念な結果となったが、コウスケの表情は明るかった。
「超くやしいけど、相手が強かった。出来ることは全部やった。80分闘い続けた。思い残すことはない。」

最蹴章閉幕。コウスケの壮絶なジュニアユースサッカーはこうやって終わった。


    コウスケ、よく頑張ったぞ!さあ、一休みして、次の夢を追いかけよう。