GO AHEAD! Gut's コウスケ

ガッツ コウスケ~愛すべきサッカー大好きガッツ小僧の成長記録~
~『イングランド代表(?)』への軌跡~

”何か”を見つけるぞ!

2010-07-30 23:16:07 | 最近の出来事

明日(7/31)は、待ちに待ったサッカー教室です。
だって、凄いJリーガー(元)のサッカー教室なんですから・・・・。

   ・JAPANの誇る元祖天才レフティ・名波浩選手。
   ・日韓ワールドカップでも貴重なゴールをあげたモリシこと・森島寛晃選手。
   ・トルシエ・ジャパン日本代表・望月重良選手。

超豪華ラインアップです。
実は、昨年も同じようなサッカー教室があったのですが、ボクたちは試合で参加できませんでした。ですから、一流の選手のサッカー教室はワクワクドキドキです。
特に、名波選手はボクと同じレフティですから、この目で”凄さ”を見てみたいです。
何かを見て、何かを感じて、何かを持ち帰って、何かを身に付けたいです。
きっと、これからのボクのサッカー人生にとって、大切な”何か”を見つけるぞ!

多分、凄いんだろうなぁ!


ニヤー~~・ワン!

2010-07-28 22:48:51 | 最近の出来事

今日(7/28)はサッカー以外の夏休みのイベントに参加しました。
それは・・・・・『お菓子づくり教室』です。
ふれあいセンターで、”焼プリン&ゼリー”を作りました。

どう考えても、『ニヤー~~・ワン!』かなぁ。
でも、出来は、”まんざら”でもありませんした。

カッコよく言えば、『戦士のささやかな休息』って感じでしょうか。・・・なんちゃって


テクノパーク夏の陣

2010-07-25 23:03:57 | サッカーの成績

今日(7/25)は山口県体育大会(スポ少の部)宇部・山陽小野田地区の予選でした。
猛暑のテクノパークで”夏の陣”というに相応しい、熱戦が繰り広げられました。
昨年は雷雨の中での出場権獲得でしたが、今年はどうなりますやら・・・・・

初戦、ボクは左サイドの攻撃的なポジションでの出場となりました。
対戦相手は、全日宇部地区代表になったチームです。
怯むことなく闘いました。前半ボクにチャンス到来。右サイドからのクロスボールに反応したボクは、狙いすまして左足を一閃。
”カ~~~ン”クロスバー直撃です。”アチャ~~~~ッ
後半、またまたチャンス到来。得意の左45度のシュート。
”カ~~~ン”今度は、ポスト直撃。またまたチャンスを逸してしまいました。
何だか、ヤバイ雰囲気です。
そして・・・三度目の正直。またまたチャンス到来。
GO~~LL!今度は落ち着いてゴールへ流し込みました。
これが決勝点となり、なんとか初戦を突破。
でも、今日一日を象徴するような、『苦戦』でした。

第2戦目。
ユニフォームが同じカラーのチームとの対戦になりましたので、ボクたちはホワイトセカンドユニフォームで闘うことになりました。実は、このホワイトセカンドユニフォームが結構縁起がいいんです。
試合はボクたちのチームが終始攻め込んで、2-0で勝利し、決勝戦進出権獲得。

地区代表をかけた決勝戦です。
相手のチームは常に白熱した闘いを強いられている強豪チームです。
炎天下の闘いは一進一退。どちらも決定機を作ることができず、0-0のままタイムアップ。5分ハーフ延長戦へ突入です。
どちらのチームも体力的・精神的に一杯一杯の状態でした。
ボクはセンターバックからトップへポジションチェンジ。
相手ゴールを攻め込みましたが、延長戦も両チーム無得点。
いよいよ地区代表のキップはPK戦へ委ねられることになりました。

ボクたちは、ベンチに帰って、PKを蹴る順番を決めました。
いつものようにボクは最初のキッカーになりました。

ボールを丁寧にプレイスして、(これは、父さんに厳しく教えられました。ボールを丁寧にプレイスしないヤツにPKなんて決められない。そして、プレイスする時はボールに願いを込めろ)、ボールに思いを託しました。
助走をたっぷりとって、左足を振りぬきました。
ゴール右上に豪快に決りました。
まわりの人たちは、『ネットが破れるほど蹴らなくても・・・』とか、『いくら豪快に決めても、3点入る訳じゃない』なんて、言っていたらしいです。
でも、これは、ボクにとっての”ポリシー”ですから、曲げるわけにはいきません。

PK戦も一進一退。相手も味方も1本づつ失敗。
とうとう7人目のキッカーになりました。相手の選手がゴール左へ外してしまいました。
後攻のボクたちのチームは5年生が冷静に決め、”テクノパーク夏の陣”は終わりを告げました。このPK戦の勝利で、2年連続宇部・山陽小野田地区代表のキップを手にしました。

去年は、県大会でも勝ち、優勝しました。
今年は、ボクたち自身の手(足?)で、優勝を勝ち取りたいです。


           それにしても、疲れた予選通過でした。


ハードな夏のStart!

2010-07-24 23:33:56 | 最近の出来事
いよいよ夏休み突入。小学校最期の夏休みです。
以前の記事にも書きましたが、ハードな夏のStartです。

今日(7/24)はSTCLグーバルアリーナの大会へ出場するために、福岡県のグローバルアリーナへ遠征です。グローバルアリーナはサニックスという会社がスポーツを通して社会貢献するために造られた、総合スポーツ施設です。”ジャパンラグビートップリーグ”に参加している『福岡サニックスブルース』の本拠地です。
この大会は昨年も参加しました。ボクが5年生の時でしたが、全国区のチームにコテンパンにやられてしまいました。ですから今年、ボクたちがどれくらい闘えるのかが楽しみでした。

結果から言うと、予選は2勝1負でしたが、得失点の関係で1位通過となりました。
この大会は2日間競技なのですが、明日(7/25)が県体(スポ少の部)の宇部地区予選ですので、2日目の決勝ラウンドには参加できません。
少し残念な気がしますが、県体本大会の2年連続の出場がかかっていますので、そちらに全力を尽くすことにします。

さあ、明日は極暑の中の決戦です。
先ずは、初戦を全力で闘い、勝ちきりたいと思います。


勝ち上がれば、止めなければいけないヤツと対戦することになります。
”難敵のヤツ”を倒してそして、地区代表のキップを手に入れたいです。

一年前

2010-07-22 23:53:00 | 最近の出来事
一年前。
豪雨と雷の中、宇部地区県体予選(スポ少の部)を勝ち残り、出場権を獲得した。
出場権獲得と引き換えに”ある痛み”を負ってしまった。

豪雨と雷。そう、あれから、一年。
コウスケはかなり成長した。サッカーの技術や体力の向上は当然だが、それ以外の要因でも成長したと思える。
その成長をこの夏休みで体現してみよう。


               きっと、貴重で有意義な夏を過ごせるだろう。



極暑の夏を乗り切る

2010-07-22 23:32:28 | オヤジのコラム
暑い。本当に暑い。先週の土曜日以降、極めて暑い。
先週の土曜日・日曜日と京都に行った。極めて暑かった。つまり”極暑”だ。

コウスケの夏はかなりのハードスケジュールだ。
夏休みは、福岡遠征・県体予選で始まる。
次週はサッカー教室・FCリクレーション・再び福岡遠征・トレセンフェスタ・広島遠征と続く。お盆休み後もイベントが待っている。疲れを知らない子どもだって、疲れてしまう。

そこで、極暑の夏を乗り切るための、コウスケと”3つの目標”を設けることにした。
それは・・・・・
①生活習慣
②栄養バランス
③意識改革

このように表現したが、実のところ、やることは、大したものではない。
記事にすることもはばかられる程度の低次元の目標だ。
本当ならば、”信念”くらいの表現にしたいが、それには遠く及ばない。
でも、大切なのは、低次元であっても、やり通す気持ちを維持することではないだろうか。

ちょっとしたことでも”極暑の夏を乗り切る大いなるきっかけが、次の段階の成長をもたらす”ことに期待しよう。

                      しかし、暑い。

ホームスティ

2010-07-19 23:51:31 | 最近の出来事

今回の京都遠征は、ホテルや宿舎に泊まるのではなく、ホームスティでした。
グーニーズの選手の家でホームスティさせていただくことになりました。
ボクがホームスティした家のお父さんとお母さんがとても明るい素敵な人で、めちゃめちゃ楽しく過ごさせていただきました。花火をしたり、ゲームをしたりして、ホームスティを満喫させていただきました。
大会終了後、ボクたちはグーニーズのお父さんやお母さんに試合会場から宇治駅まで送ってもらうことになりました。
そしたら、昨日お世話になったお母さんが大きく両手を振りながら、
「コウスケ~~~。コウスケ~~~。」とボクの名前を呼んでくれました。
ボクはとっても嬉しくなって、そのお母さんのところに行きました。ボクがホームスティさせていただいた、お父さんとお母さんの黄色いフォルクスワーゲンで、宇治駅まで送ってもらいました。黄色い車に乗ったのは初めてでしたので、なんだかワクワクしました。

T君ご一家の皆様、本当にありがとうございました。
ボクにとってはとても素敵な思い出となりました。

                     サイコーの京都遠征になりました


京都遠征~第34回宇治招待少年サッカー大会~

2010-07-19 21:58:52 | サッカーの成績

7/17~18の2日間、ボクはUFCの選手として、第34回宇治招待少年サッカー大会へ出場するために、京都へ遠征に行きました。
今までで一番遠い遠征になりました。

朝6:40分に新山口駅に集合。新幹線に乗って京都へ。京都から電車で宇治市へ移動。今回招待をいただいた、御蔵山グーニーズサッカースポーツ少年団の方々に迎えに来ていただきました。
宇治も前日までの大雨で、この大会が開催できるかどうか心配されていたようです。
しかし・・・・・・・・猛暑となりました。

会場は京都府民スポーツ広場(みどりが丘)というところでした。
UFCとしては、ずっとフットサルの練習をしていたので、久々の”お外11人制サッカー”でした。ですから、ボクは、試合に出場できるのか?ポジションはどこになるのかさえもわかりませんでした。

◆第34回宇治招待少年サッカー大会1日目
第一試合。ボクはセンターバックでの出場となりました。センターバックの相棒はJUNでした。
そこは、フットサルで連携していたので、バッチリでした。
相手のプレッシャーもさほど強くなく、ボクたちのチームは攻めまくりました。
どんどん得点する仲間達をみて、ボクも最後尾から、ドリブルで攻め上がりました。
1人2人3人・・・相手ペナルティエリアまで持ち込み、キーパーもかわして後はゴールへ流し込むだけです。
しかし・・・・・・・ガビ~~~ン。
シュートはゴール右へ外れてしまいました。
でもボクたちのチームは10-0で初戦を勝利しました。

第二試合。宇治でも一二を争う強豪チームとの闘いになりました。
今度は、ボランチとして出場しました。
一進一退の白熱した闘いになりました。前半は0-0で終了。後半勝負です。
ボクはハードワークを心がけました。できるだけ、相手のパスコースを読んで、前線にボールを供給しました。
後半7分、UFCの誇るツートップで待望の先取点をゲット。
ボクは追加点を目指し、またまたドリブルで持ち込みました。中央突破してペナルティエリアへ。シュート。渾身のシュートは今度はキーパーの真正面へ。俗に言う『どストライク』で、追加点はなりませんでした。

結局1点を守りきって勝利。初日は2勝で予選を1位通過。1位グループトーナメント進出です。
ボクは40分ゲーム2試合を全力で闘いました。


◆第34回宇治招待少年サッカー大会2日目。
決勝トーナメント第一試合。またまた、宇治市のトップチームとの闘いになりました。
やはり前半は0-0で終了。
後半開始早々、フワフワッとしたボールがボクたちのゴールに飛んできました。
キーパーも必死で守ってくれましたが、相手選手の必死のヘディングが決ってしまい、先制点を奪われてしまいました。
でも、これで、諦めるわけにはいきません。エースストライカーのヒロが競り勝ってゴールを決めました。先ずは同点。
相手も必死に攻めてきます。不運にもPKを取られ、決められてしまいました。
1-2で1点のビハインド。
ボクもボランチの位置から積極的に攻め込みました。
右ゴールライン付近でボールをキープし、少しずつ角度を取りながら左サイドへ移動。、コースが空いたところを、得意の(?)左足でシュート。強烈にネットを揺らしました。

結局2-2で試合終了。PK戦になりました。
ボクたちのチームは選手の中で蹴る人・蹴る順番を決めました。
何故だか(?)やっぱりボクは1番のキッカーになりました。
ドキドキしましたが、ここは強い気持ちを持って蹴ることにしました。丁寧にボールをセット。セットしながら、ボールに願いを込めました。
いつものように、助走をしっかり取って・・・・・・強いボールはゴール右サイドに吸い込まれました。
でも、2番手と4番手の選手が外してしまい、2-4で負けてしまいました。

二試合目は、今回、ボクたちを招待してくださった、グーニーズとの闘いになりました。今度はボクは左の前線で出場しました。
試合開始早々、ボクにボールがきました。ボクは持ち込んで、得意の(?)左45度からグラウンダーのシュートを放ちました。
ゴ~~~ル。先制点をゲットです。すぐその後、チームメイトが決めてくれて、結局2-0で勝利しました。
ボクたちUFCはお世話になったチームへ勝利してしまい、よくよく考えると”KY”だったのかもしれません。


結局3勝1分(PK負け)で、2日間の遠征の全日程を終了。チームを超越した仲間たちと、一緒に闘えてよかったです。

猛暑の中の、招待試合。多くの思い出と自信と手ごたえを感じた大会が終わりました。めくりめく2日間の京都遠征は、あっという間に過ぎ去りました。

      グーニーズの皆さん。オブリガード!
            


最後の夏休み

2010-07-16 00:46:20 | ボクのサッカー日記
ボクの小学生としての最後の夏休みに突入します。
結構ハードな夏になりそうです。

夏休み前の3連休の2日間(7/17・18)で、”京都遠征”に行きます。
ボクがサッカーをするために行く、一番遠い遠征です。宇治市への遠征です。
ボクはこの大会をとても楽しみにしています。なぜなら、4月に宇治市の選抜チームが来てくれた時には、体調を崩してしまい、ゲームに出場できなかったからです。
今回は思い切りサッカーしたいです。

その後はTM・九州グローバルアリーナ遠征・県体(スポ少の部)宇部地区予選・サッカー教室・またまた九州遠征・トレセンフェスタ・広島遠征・韓国チームとの交流戦などなど目白押しです。

ですから、夏バテしないように、リフレッシュと睡眠と食事と体調管理に気をつけて、ハードな夏を乗り切りたいと思います。
そして、小学校最後の夏休みを満喫したいと思います。

では、次の記事は、どうやら、”京都珍道中”になりそうです。乞うご期待!

今までと違う種類のドキドキ。

2010-07-12 23:53:10 | ボクのサッカー日記
7/10日。ボクはある大会に参加しました。
それは・・・・・・、フットサルの試合です。
いつもは敵として戦っている選手と、同じチームメイトとして、挑む闘いでした。

ボクは今まで試合をいっぱいしてきましたが、今回のドキドキは、いつものドキドキとは種類の違うドキドキでした。

でも、最高のドキドキでした。

    このドキドキがあるから、サッカーを続けているのです。

祭りのあとの淋しさ~2010W杯閉幕~

2010-07-12 23:09:51 | オヤジのコラム
祭りのあとの淋しさ。
いつも感動のあとにやってくる、一種の虚脱感。あるいは、燃え尽き。
FIFA  WOLD  CUP  2010が閉幕した。
本命と目されていたスペインの優勝で完結した。
オヤジは今までに無い感覚を覚えた。
それは、命を懸けたフットボーラーの”想い”である。

ここから下は、100%オヤジの想像から発生したものであり、なんの根拠もないことを最初に断わっていなければならない。
本当に私的で、偏狭的な想像である。

全参加選手中で、一番悔いを残したであろう選手・・・・・ロッベン。
決勝戦でキーパーとの1対1を決められなかった瞬間のロッベン。

最高のメッセージを伝えられたであろう選手・・・・・イニエスタ。
イエローカードを超越した、亡き仲間、ハルケへの想い。『ダニ・ハルケ いつも一緒だ。』

祖国の優勝を見ることのできなかった元世界最高のフットボーラー・・・・ヨハン・クライフ
3度目の挑戦も叶わなかったオレンジ軍団。

最も落胆したであろう指揮官・・・・・ドゥンガ。
勿論、言うまでもない、ブラジルの敗退。

今大会では、非常に重要な場面で多くのPKが決らなかった。
PKを外した多くの選手達のフラッシュバックは、あまりにも辛すぎる。

        ・・・・・・でも、こんな逸話もある。
   ~これは、世界最大の極限状態でPKを外した選手の美しい話しだ。~

イタリアのある選手が、大きな大会でとても重要なPKを外してしまった。
人生を左右しかねないPK失敗だ。
フットボーラーとしては華奢な、しかし、史上最高のフットボーラーの1人が、PKを外した選手に歩み寄って、こう言ったといわれている。
『PKを外すということは、勇気を持ってPKを蹴った、最高の証である。さあ、顔を上げて、胸を張って仲間のいるところに戻れ。』
この言葉で仲間を励ましたのは、1994年アメリカ大会決勝で悪夢のようなPKを外した、ロベルト・バッジョだった。

男達が命をかけて、極限状態で臨んだゲームには、それに係わった全ての人の想いで埋め尽くされているのだろう。
そして、それらの想いは、サッカーが滅びるまでずっと残り続けるのであろう。

そうか、その手があったか!

2010-07-02 00:02:23 | オヤジのコラム

FIFAワールドカップ2010の日本代表の闘いは終わった。
その終焉は、ある意味、『あっけなかった』。
手に汗握るPK戦は、終了した瞬間に、闘った2チームに、残酷なまでに”喜”と”哀”の両極端な現実を突きつける。
駒野選手が外した瞬間は、とても辛かった。負けが決った瞬間はとても悲しかった。
でも、ロベルト・バッジョだって外した。それも決勝の最期のキッカーとして。



オヤジはコウスケと一緒に、日本vsパラグアイの試合をテレビでみた。
試合は0-0で終盤を迎えた。
選手交代しながら、日本代表は1点を目指していた。
最後の選手交代として岡田監督は、玉田を投入した。至極、現実的で、順当に思えた。
でも交代選手がテレビでを通じて告げられる前に、コウスケはこう言った。
「ここは岩政を入れる。そして闘莉王をトップにする。」
オヤジはびっくりした。
『そうか、その手があったか!』

玉田はシュートチャンスにシュートせず、パスを選択した。更には、パスは味方へは繋がらなかった。
結果はどうなったか判らないが、”岩政投入、トップに闘莉王”が正解に思えた。
もしそうなったとしたら、”『日本敗退』の日本中の悔い”が軽減されたかもしれない。

コウスケ監督の選手交代は、重い扉を開いたかもしれない。