高円宮杯全国サッカー選手権中国地区予選。
ケガをしたコウスケがこの大会に出場することを願い手術を決意した。
激しい痛みに苦しんだ手術。長いリハビり。ただ準備や応援だけのために帯同した遠征。少しづつプレーできるようになり、自主練習が始まった。ボールに触れ、キックができるようになり、キックできる距離が延び、対人プレー以外ができるようになり、少しづつ明るさが戻った。
或る程度の接触プレーが許されると、1つ下の学年の練習に参加させてもらうようになった。
しかしトップチームにはなかなか上がれず(勿論コーチの方々がしっかりケアしていただいていたので、万全の態勢が整うまで配慮していただき、コウスケを大事にしていただいたのだが・・・)
思えば苦しいことばかりだっただろう。
9月に入り、段々とコンデションがあがり、トップチームでの練習が許された。
憧れ続けたプログレスリーグになかなか出場できずに苦しんだ。
しかし、最終戦の最後に(公式記録には80分となっていた)、サッカーの神様が与えてくださったとしか思えない、唯一のシュートがネットを揺らした。
そして、いよいよ高円宮中国予選。鳥取県で開催。
11月2日(土)岡山県代表との試合で、1年7ヶ月ぶりの先発出場。ケガで試合に出られないことが判っているのにキャプテンに任命されていた彼が、初めてキャプテンマークを巻いてスターティングメンバーとしてピッチに立った。選手の先頭に並び、最初に審判と握手し、相手チームの選手と握手し、コイントスをした。
試合は2-0で勝利した。
コウスケは後半20分に交代し、お役御免となった。
11月3日(日)2回戦は山口県の最大のライバルチームで、コウスケにとっては小学校からの宿敵オレンジ軍団。
チューブYAJINスタジアムで13:30キックオフ。
コウスケは再びキャプテンマークを巻いてスターティングメンバーとしてピッチに立った。
相手のチームのキャプテンと握手。小学校以来、いろいろと縁のあった山口県のトップ選手。一緒に闘い、ナショナルトレセンへ行き、そして常にコウスケの前に立ちはだかった。初めて、キャプテン同士として握手した。更に常に熱い闘いを繰り広げた顔見知りの相手選手と握手し健闘を誓いあった。
さあ、ジュニアユースサッカーの集大成。最蹴章第2部。最後の山口ダービー。
しかし・・・・・・完膚なきまでに打ちのめされた。
試合が終わると、コウスケは泣き始めた。号泣した。いつも代わりにキャプテンマークをして戦ってくれた盟友も声を上げて泣いていた。
ジュニアユースのサッカーが終わった。
コウスケは復帰後初めてフル出場した。キャプテンマークを左手に巻いて、ピッチを走り、仲間を鼓舞し、闘い続けた。
常に闘いを望んでいた、レオーネ山口が最後の戦いとなった。
この大会のためにあらゆるものを犠牲にして、我慢して、立ち上がり、やっとここまでたどり着いた。
残念な結果となったが、コウスケの表情は明るかった。
「超くやしいけど、相手が強かった。出来ることは全部やった。80分闘い続けた。思い残すことはない。」
最蹴章閉幕。コウスケの壮絶なジュニアユースサッカーはこうやって終わった。
コウスケ、よく頑張ったぞ!さあ、一休みして、次の夢を追いかけよう。
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なんとコメントしたらいいのかわからないのに、コメントせずにいられませんでした。
こうすけくん、お疲れさまでした。
さまざまなことを乗り越えた分、きっとこれからの人生が素晴らしいものになると信じています。
縁あって息子が同じクラブチームへ所属しています。
彼はサッカーが大好きで、大きなケガをしましたが、諦めることなくピッチで躍動することだけを夢見て頑張り続けました。
高円宮の全国大会への出場を懇願していましたが、残念ながら、道半ばでクレフィオのサッカーが終わります。
後は、後輩に託します。
こんな先輩がいたことを知っていただければ幸いです。
コウスケにとって、これは終わりではなく、再生した体でのサッカーの始まりです。
これからも、宜しくお願いします。
いつもエールをいただきありがとうございます。
高円宮杯全国大会を夢見て、ひたすら、それに照準を合わせて調整しました。
動きは十分とは言えませんでしたが、先発出場できるまでにコンディションを整えました。
そして、復帰後、最初にフル出場が、山口ダービー、オレンジライオン軍団でした。完膚なきまで負け、コウスケは号泣しました。
しかし、彼のサッカー人生の中で、大変重要なエポックになったことは間違いありません。
這い上がってきた彼を待っていたのは、オレンジ軍団の容赦ない攻撃でした。
しかしリードしても攻め続けたオレンジ軍団にはリスペクトを感じました。
ジュニアユースのサッカーは終わりました。
今度はユースです。
次男君とも次のステージで絡めるように頑張ってくれると思います。
引き続き、宜しくお願いします。
絶対に、やっつける!
どいつもこいつも倍返しじゃU+203CU+FE0E
だそうです^ ^
三年生の涙を見て、彼なりの決意だと思います。
コメントありがとうございます。
残念ながらトシはベンチに入れなかったけど、あの2日間、あの空間に触れ、上級生の”悔し涙”を見るだけで心に秘める切実なる昂揚を覚えたことでしょう。
結果を残せなかった9期生でしたが、それそれ皆、手を(足を)抜いたわけではないでしょうが、競争原理の希薄さがもたらす”負のベクトル”があったんだろうと推測しました。
トシには、9期生の涙の伝承者として、来るべきトップチームの主力としての責が課せられることでしょう。
多聞さんのコメントは何かの暗号かと思いましたが、ひょっとしたら、単なる文字化け?
先ずは、しっかり闘える集団になってください。
切なる願いです。