土曜日・日曜日と第19回山口県クラブユース選手権大会が下関市乃木浜総合公園で開催され、2年生単独チームで参加した、わがチームは、総合3位という結果で終わりました。
ですから、本当の夏休みは今日からスタートです。本当なら、寝たいだけ寝ることもできましたが、時間がもったいないないので、普段どおりに起き、普段通りに朝食を摂りました。
そして、午前中のうちに、ホームタウンの山口県立おのだサッカー交流公園へ行きました。
そしたら、全国中学校サッカー選手権大会山口予選が開催されていました。
何人かのトレセンコーチに挨拶をしました。また、中体連のチームに入ったサッカー仲間と出会うこともできました。
でもボクの目的は、ランニングとキックトレーニングでしたので、きっちりと練習しました。
目的はいくつかありました。
先ず、暑さに慣れること。炎天下でのゲームやトレーニングをしていないので、太陽の下で汗をかくこと。そして、自分の体が”暑さを受け付ける”ためです。
そして、ヒザの強化。走ることで痛めていたヒザに柔軟性と耐久性を付けるためです。
また、しばらくボールから離れていたので、ボール感覚を取り戻すことも重要です。
でも、一番重要なのは、心の中に確固たるサッカーへの渇望を満たし、自分のDNAを目覚まし、体の中の細胞にサッカー感覚を擦り込むためです。
明日は、”ほんのちょっと”、あさって”更にほんのちょっと”、しあさっては、あさってより、”ほんのちょっと”。
時間がかかっても、復帰へのなだらかな坂を上り始めます。頂点の景色を想像しながら・・・。
今日も元気に洸介がサッカーの試合に行く。
洸介がサッカーを始めてからずっと朝試合に行く時、玄関で決まって言う言葉がある。それは、『今日観に来る?』『後から来る?』この一言が嬉しくて、暑くても、寒くても、雨が降っても、サッカーを観に行っていた。そして今朝も、玄関で洸介は私に聞いてきた。、『今日観に来る?』『後から来る?』と・・・
私はこのごろサッカーを観に行っていない。
洸介がクラブチームのセレクションを受けると決めたとき、試合に出れなくても、ユニフォームが着れなくても、彼が頑張るなら試合を観に行き応援すると、決めたはずだった。
でも今、私は観にいくことができない。ベンチで戦況を見つめながらじっと座っている彼を見たら、自分に負けて『もう我慢しなくていいんだよ。試合に出てもいいよ。前半だけなら、いやいや、ちょっとだったらいいよ』って言ってしまいそうな自分がいる。洸介には、『今はもうちょっと我慢。』とか『絶対焦っちゃダメ。』と、言い聞かせているはずなのに、もう一人の自分が、『ここまで我慢したんだから、しっかり走れんだから、リハビリであそこまでボール蹴れるんだから、もうプレーしてもいいよ』。と言ってしまいそうな気がする。
洸介だって、オヤジだってこのジレンマと必死に戦っているのに、先頭きって負けてしまいそうな私がいる。だからサッカーを観に行けない。
明日も洸介が、『今日観に来る?』『後から来る?』って聞いてきたら、私は明るく、『母さんには韓国ドラマが私を待っているから観にいけない。』と言って送りだそう。
それが私にできる、精一杯の心遣いであり、強がりなのだと思う。
もうちょっとだけ・・・・
梅雨が明けた(?)のか、連日、猛暑になっています。
ちょうど2年前、宇部選抜チームで京都に行ったことを思い出しました。
ご存じのとおり、京都は盆地なので、めちゃめちゃ暑い遠征でしたが、ボクにとってはとても有意義な時間でした。ある意味、ボクにとってサッカーの原点があるのかもしれません。
そんな本格的な夏到来前の今日、ボクにとっては恐怖の瞬間が待ち受けていました。
そう、通知表が渡される日だからです。
思えば2年生の1学期は”ケガとの同居”となりました。
4月23日の手術。絶望感の切れ端。前を向く決意。厳しいリハビリ。激しい閉塞感。諸々の葛藤。正直、自分自身をコントロールすることが難しかった1学期でした。
そんな1学期を象徴するような・・・・・・。
通知表は・・・・・、トホホ(涙、泪でした)
家庭内にヤバイ雰囲気が・・・・・・。本格的な夏到来前の嵐(?)になってしまいました。
スミマセン。
これ以上のコメントは・・・・・・。
実は・・・・今日で2000日です。
『GO AHEAD Gut's コススケ』 開設2000日になりました。
コウスケが小学校2年生の時”息子とサッカー”をテーマに、このブログを始めました。
オヤジにとっては、自分への日記であり、同時にコウスケの成長記録でした。
2000日の間に、いろいろなことが起こりました。
サッカーが好きなコウスケは、泣いたり、笑ったり、歓喜したり、絶望したりしました。
本当にいろいろなことがありました。
サッカーおたくのコウスケは、ひたすらボールを追い、同時に夢を追い続けました。いえいえ、今でも夢を追い続けています。
小学校低学年は、お団子サッカー。小学校中学年になり、パフォーマンスが高まり、山口県の頂点に立ちました。そして小学校高学年になり、全日や選手権を目指しましたが、あっけなく、儚く敗れてしまいました。所属チームを離れ個人的には、選抜チームやトレセン活動で上を向いてプレーしました。中国トレセン2で山口県代表32名に選ばれ、更に上を目指しました。
中学校になり、クラブチームに入団。そこでのパフォーマンスが認められ、なんと、ナショナルトレセンに選出されました。上級生主体のトップチームのレギュラー目前で、突然の試練。試練と戦い、それを脱却するための現在の日々。
2000日の間には、本当にいろいろなことがありました。オヤジの想像力を逸脱した、喜怒哀楽がありました。
それを記録できたことに、大きな意義を感じています。
明日は2001日目になります。あさっては2002日目になります。その次は2003日目。その次は2004日目。
これからもいろいろなことが起こります。すべての感情に翻弄されながら、毎日を過ごします。
今から2000日後はどうなっているだろうか?想像はつきません。
確実に言えることは、1日1日を積み重ねることが大切なんだと・・・・。
さあ、2001日目を踏み出そう。
随分前になりますが・・・・コウスケの右ヒザ手術のあとの願掛け
ヒザの手術をして間もない頃、松葉杖をつきながら、願いをかけました。
我々が出来る、精一杯のことでした。
ケガの回復を願って。
すがれるものは何でもよかった・・・・・。
← 下松市 妙見宮鷲頭寺
足の悪い時、仁王様のわらじをお供えすると回復されるといわれる。
願掛けのお札→
『右ひざがはやく治りますように、サッカーができますように』
↑ コウスケの心からの叫び
↑ これが、仁王様のわらじ
心をこめて名前を書く。
↑ 仁王様のわらじをお供えしたところ
右ヒザが早く治りますようにと、心を込めてお供え。
↑ 仁王様のわらじをお供えしてある祠
いろんな人々の願いがたくさんあった。
霊験あらたかと言われる光市の観音様 ↑
山の中腹にポツンと祀られていた。
←防府市迫戸にある『足王様』
防府願掛けめぐりの一つ。読んで字のごとく。
◆番外編
↑ これは、つい最近。近所の氏神様の設けられた『茅の輪くぐり』
決められた廻り方をしたあと、願いごとをすると良いとされている。
心を整えさせていただいた。
コウスケがサッカーの実践を離れて3カ月半が経過した。ようなく、サッカーの原点に立ち返った。
つまり、ボールを蹴ること。天気の良い休日の午後、久々にコウスケとボールを蹴りに行った。先ずは、ショートパス。インサイドのワンタッチ。右足で蹴るべきボールをとしてパスを出す。右足で蹴られたボールはどうしても、微妙にタッチがずれている。
しかしながら、左足から放たれるものは、すべて”意図されたタッチ”のボールである。
蹴る距離が段々と長くなってきた。現在のチームではコーナーキックも含めたプレースキックを任されることもある。コウスケはフリーキックやコーナーキックを想定したキックを繰り返した。何種類かのキックを使い分けた。
わずか1時間程度のサッカートレーニング(彼にとっては、ボール遊びの延長のようだった)だが、彼の欲求が少しだけ満たされたようだった。だが、本心としては、多分(いや、相当)ホームグランドの人工芝でボールが蹴りたいんだろうなぁ?彼の汗をかいた横顔を見ていると、つくずくそう思った。
今日(7月6日)は、”GO AHEAD! Gut'sコウスケ”のブログを開設して、10万アクセスを達成しました。10万という数字がどのような”価値”とか”意義”とか”ステータス”を示しているのかはわかりません。
何もすることがない暇な日曜日の午後、本屋で”無料でできるブログ&ホームページ”という書籍を買って、その日の内に、このブログを立ち上げました。
サッカーおたくのコウスケと毎日接し、主に”息子とサッカー”をテーマに、綴りたいことを思いのままに綴ってきました。何人かの方々からコメントをいただき、また間接的に感想も頂きました。
サッカーという共通のテーマをもったオヤジとコウスケは、少しずつ成長し、今日に至りました。
私にとってコウスケは”創造の宝庫”でした。それを、誰かに伝えたくて・・・・。
そんな思いが、今日まで続きました。
今日(7/4)学校で、ちょっとした不注意によるケガをしてしまいました。
今後は、まぶたの上の裂傷です。
ケガをした後すぐに友達が先生を呼びに行ってくれましたが、血がかなりでたのでびっくりしました。
今日は、リハビリトレーニングをする日でしたので、絆創膏を貼って病院へ行きました。
そしたら、リハビリ療法士の先生が、「コウスケ、ちょっとマズイんじゃない?」と、応急処置をしてもらいました。
更に「病院へ行って、縫った方がいいかも?」と、言われました。
しかし、この程度の傷で、貴重なリハビリトレーニングをキャンセルする訳にはいきません。
きっちりメニューをこなした後、家の近くのクリニックへ行きました。何とか縫わずにすみました。
それより・・・・
かなり強烈に打っていたので、青く腫れるかもしれないと言われました。
母さんに、ちょっと驚かされました。
一難去って・・・・・また一難そんな感じでした。
6月もゆっくりと過ぎ去った。本当にゆっくりと淡々と過ぎ去った。
でも、コウスケは出来ることを丹念に実行した。リハビリにはより多くの負荷と可動域の拡大が要求された。
病院でのメニューが増え、とうとうリ室内のハビリセンターを飛び出し、建物の外にあるグランドがリハビリセンターになった。ボールも、負荷のかからないバレーボールから、5号球のサッカーボールへ変わった。
そしてリハビリカレンダー その2(6月度)のすべてに、×印がついた。
遠征から帰った後や、期末テストの勉強の合間を見つけて、リハビリトレーニングは続いた。
準備は整った。さあ、7月は具体的なトレーニングメソッドを実践しよう。
今日(7/1)は、山口県トレセン合同練習会でした。ボクはケガのため、二次選考会を受けることができませんでしたが、保留選手として合同練習会に参加させていただきました。久々にトレセン仲間に会うと、清々しい気持ちになりました。
しかし、最大のライバルチームであるLEO***は、またまた人数が増えて、圧倒的な”勢力”となっていました。これは、ヤバイ!
ボクはまるで指導者のアシスタントのように働きました。
めちゃめちゃプレーしたくなりましたが、ガマン・ガマンです。
いつしか、このサッカー仲間たちと一緒にピッチで暴れまわりたいものです。
トレセンから家に帰ったら、何人かの仲間からメールをもらいました。トレセン仲間のLEO**23の選手からもメールがきました。全部ローマ字で書いてありました。
「オレはそんなやつ知らん。」と返信してやったぜ。 ワイルドだろぅ!
ごめんね。S太!