GO AHEAD! Gut's コウスケ

ガッツ コウスケ~愛すべきサッカー大好きガッツ小僧の成長記録~
~『イングランド代表(?)』への軌跡~

ジュニアユース最蹴章~高円宮杯 第25回全日本ユース(U-15)サッカー選手権中国地域大会~

2013-10-31 22:42:33 | 最近の出来事

いよいよ.....

コウスケが憧れ続けた高円宮杯の中国地域の予選が始まる。

順調に成長していた2012年3月18日。彼は右膝前十字靭帯断裂の大けがを負った。
その後、3度の手術と懸命のリハビりを続けた。
そして、目標はただ一つとなり、それに向けて全てを犠牲にして想いを馳せた。
所属チームの監督さんも、懸命に頑張るコウスケに向かってこう言って下さった。
「コウスケ、とにかく最後の高円宮杯を目指して、それに照準を合わせてくれ。」
コウスケは我慢と厳しいリハビリを重ね予定どおり、コンディションを整えた。
後は、ピッチを走るだけ。

           

キャプテンとして、最後のステージへ挑め。


彼は堰を切ったように話し続けた。結論としてある言葉を教えた。私にとっては挑戦である。

2013-10-30 00:12:02 | 最近の出来事

 

今日(10/29)仕事で遅くなって、家に帰りついたのは9時半をまわっていただろうか?
オヤジが帰るなり
「父さん、大事な話がある」
なだ、上着も脱いでいなかった。

今日の練習は地元の高校チームを招いてのトレーニングマッチが行われた
彼はA4サイズの白紙にサッカーコートを書いて今日のトレーニングマッチのフォーメーションを書き込んだ。
コウスケは4バックの左サイドにポジショニングした自分を一つの”駒”として、今日のトレーニングマッチで起こった問題点を話し出した。コウスケは、俗に言う、”堰を切ったように喋り続けた。
こんな感じだ。


「相手のチームは普通右サイドに入るS君が、左サイドにいた。斜めのロングフィードで俺たちのチームの左サイドを狙ってくる。うちのサイドハーフの選手がハードな守備ができない事を、見つけたようだ。ポジショニングが悪いので、ここから綻び易くなる。そうすると、左サイドバックのオレが、二人を見なければならなくなる。最悪の事をされないように体の向きを整え、最悪の中央突破(すなわち、バイタルエリア)は避けなければならないので、左後ろのスペースにボールが出されてしまう。その時に二人のセンターバックの内の1人が寄せる。そうしたら俺は中に入って相手FWと自分の間合いでディフェンスをする。」
こんな事象をかなりのスピードの中で判断しなければならない。
「左サイドをいくつかのパターンの中から、ファーストチョイスを選択しなけれならない。この場面でこれをされたら大変苦しくなる。
そして仲間たちとコミュニケーションを深く共有する必要がある。
そして、色々なことを分析し、対処しなければ。」

コウスケは数多くのシステム論について、私の意見を求めた。
色々な角度から、色々な着眼点で、色々なシュチュエーションを想定する。相反する事柄を受け入れ、それに対して理論立てる。
彼の”サッカー脳”は劇的に進化している。
そうすると、ある言葉を教えてもいいんじゃないかと思った。

『サッカーは丈の短い毛布のようなもの』

その言葉は、オヤジにとって勇気と覚悟の言葉である。



母の回想。彼の1年前はとても辛い時空の中にいた。

2013-10-20 23:38:19 | 最近の出来事

1年前の今日(2012年10月20日)。 トレーニングマッチに参加していた洸介の足が悲鳴をあげた。

怪我して半年やっとサッカーが出来るようになった矢先の再発だった。何が悪かったのか?わからない。
『膝、捻ったかも?』って言っていた。
次の日の、小学校の時の仲間がいるT中学校とのトレーニングマッチだったが、コウスケは出場することを許されなかった。
『足痛くないなのに、出来るのに。』と残念がっていたのを覚えている。

翌日学校から帰って来たコウスケは、
『膝が痛い。傘を杖にして帰って来た。病院行きたい。』と私に訴えてきた。
すぐ病院に電話をし、主治医であるM先生に診て貰えることになった。
病院に着いて、先生は『膝の水を抜きましょう。』って言ってすぐ、膝に注射器を刺した。『血がまざっていたら諦めましょう。』って言われた。結果は・・・・? 案の定、血が混じってて、担当医の先生から、淡々と、かなり思わしくない話を聞いたのを忘れない。
私は涙ぐみ、泣き声で返事をする。主治医の先生は一言。『僕は情には流されないから。』と言われたとき、『諦めるしかない。決断するしかないんだ。』って思った。

数日後、旦那と私とコウスケの3人で診察室へ。靭帯再建手術を決める話をするためだった。
奇しくも私の誕生日だった。あれから、手術するまで、洸介は不安と戦っていた。寝返りをうっても痛い足。無意識に足を伸ばすだけで、激痛が走ったと言う。眠れず、怖かったと。
手術してわかった。半月板が欠けて膝の軟骨の間に挟まっていたらしい。痛いはず。

それからの洸介は、最終的な靭帯再建手術を受けることになった。膝の痛みと、サッカーができない苦しさと戦ってきた。
ずっーと戦って来たのだ。誰が何と言おうが、彼はたった一人で、いろいろなことと戦い、時には涙し、時には希望を膨らました。
プログレス・リーグを夢みて、高円宮杯を夢みて・・・・。

もうすぐ高円宮杯中国予選。
頑張れ!コウスケ。母は、ずっと応援してるよ。
きっとこれ以上の辛くて苦しいことはないから。

    頑張れ!頑張れ!コウスケ!


プログレスリーグ閉幕。コウスケが残した僅かな足跡。

2013-10-12 22:48:26 | 最近の出来事

2013年10月12日。
プログレスリーグ最終戦。実はとても大切なゲームだった。

コウスケは最終戦を心静かに迎えた。
”Eyes of the tiger”を聴きながら、心と体の準備をした。

試合会場に行く車の中では、彼のテーマソングといってよいであろう”栄光の架橋”を聴いた。それが終わったら再び"Eyes of the tiger”を聴いて車から降りた。

7ヶ月半のリーグ戦の最終戦。

試合は前半を0-0で何とか凌いだ。さあ、最後の40分となった。
10分過ぎ、唯一の2年生で、生粋の後輩が、左サイドからのセンタリングをボレーで決めて、1点先制。
しかし、相手のチームもハードに襲いかかる。
後半の終了5分前。味方のフォワードが接触プレーで膝を痛め、担架で運ばれた。
黙々とアップしていたコウスケが呼ばれ、ピッチに入った。いつもと違う右サイド。
(後で聞いた話だが、コウスケは右サイドでの出場を希望していたらしい)
残された時間は僅か。しかし必ずチャンスは訪れる。1回は・・・・。
チャンスが来た。ハードに戦ってくれていた8番のユウが、優しいパスをコウスケに出してくれた。
コウスケは躊躇うことなく、ダイレクトでシュート。
ニアサイドに強烈なシュートがネットを揺らした。
”ゴ~~~ル”
彼は今までたくさんのゴールを決めてきた。
小学校から中学校1年まではコンスタントにゴールを決め、チームに貢献してきた。
しかし、思いもかけない大ケガで、ゴールから遠のいた。ゴールどころか、ピッチに立つことさえできなかった。

コウスケは喜びを爆発させた。
色々な思いを込めたゴールだった。
今までの我慢と苦労と努力が報われたゴールとなった。
そして、我々両親は救われたゴールとなった。

         





          コウスケが憧れ続けたプログレスリーグが終わった。



◆コウスケのプログレスリーグ出場記録◆
・出場2試合(途中出場)
・出場時間、約15分
・シュート1本
・得点1点
          これがすべて。


かれが出場したのは1440分の内の15分。
しかし、サッカーの神様は、最後の最後にコウスケに大きなご褒美を準備して下さっていた。


さあ、最後の目標に向かって、頑張れ!
全国への最後のチャンスに挑もう!



母の想い。 自分を含めたすべての人への戒め。

2013-10-06 21:48:55 | 最近の出来事

私は、サッカーに関しては素人だ。洸介がサッカーを始めてから、サッカーを見始めた完全な素人です。旦那と洸介がサッカーの話をしていても解らないことも多い。

そんな私でもサッカーを観ていて解ることがある。試合中の味方のミスは許すことができず、選手同士が責め始めるるチームは試合には勝てない。勝ちに拘れば拘るほど、選手たちは熱くなり、ミスを許すことは難しい。責めるのは簡単だかそんな時こそ、優しい言葉をかけ励ますことができるチームメートがいるチームこそ本当に強い。いつだったか洸介が、練習から帰って来て同じ様な話をしていた。そして今日一緒に試合を観ていた方も同じ様なことを言っておられた。その方は私の何百倍もサッカーに詳しい方だ。

相手を思いやる。言うのは簡単だけどとても難しい。現に私も、点をとられたら、はぁ…。とタメ息をつき下を向いてしまう。試合中の彼らは最後まで諦めず戦っているのに、応援している大人がそんな態度では、子どもたちに申し訳ない。声を出し応援し続けることが私に出来ることなんだから。それこそ相手を思いやる。ってことなのかもしれない。