新年明けましておめでとうございます。
2011年も GO AHEAD Gut's コウスケ を宜しくお願いします。
Web年賀状をお届けします。
2010年はボクにとって、とても有意義な年でした。
2011年はボクにとって、更なる飛躍の年にしたいものです。
新たな”サッカー馬鹿・第2章”の始まりです。
新年明けましておめでとうございます。
2011年も GO AHEAD Gut's コウスケ を宜しくお願いします。
Web年賀状をお届けします。
2010年はボクにとって、とても有意義な年でした。
2011年はボクにとって、更なる飛躍の年にしたいものです。
新たな”サッカー馬鹿・第2章”の始まりです。
ボクにとってとても有意義だった2010年が終わります。
自前のカップ戦で優勝を逃したくやしい思いをしました。
思えば、今年最大のライバルになった、Tチームが”KY優勝”しました。
5年生の最後に臨んだサザンセトサッカー大会で体調を崩してしまい、最悪のスタートとなった6年生。
2年連続で宇部フットボールクラブに選抜していただきました。
しかし、宇治市を招いた交流試合でも見学を余儀なくされました。
体調不良からプレーを断念し、半ば諦めかけた宇部地区トレセン。
ボクに転機を与えてくださった整体の先生との出会い。
しかし、そんなボクに届いた山口地区合同トレセンの朗報。
永年ずっと目指していた”全日”の第一次予選敗退。
その後、予選敗退がウソのように、招待試合や大会で連続優勝しました。
フットサル宇部地区予選の優勝。
新幹線に乗って、京都府宇治市へサッカー交流会へ参加しました。
ここで、忘れられないゴールを決めることができました。
FCでの九州遠征やトレセンフェスタへの参加。
2010平和祈念サッカー大会に参加するために広島へ行き、決勝へ進出。
頑張ったご褒美で”広島ビッグアーチ”でプレーすることも出来ました。
FCで夏祭りへ出店もしました。
韓国梁山市のチームを招いての日韓戦。
FCのみんなでプレーしたサンフレッチェ広島の前座試合。
最後の大きな大会である、山口県サッカー選手権大会では、まさかの予選初日での敗退。
山口県代表として松江市で開催された中国トレセンⅡチャレンジフェスティバルへ参加し、フルタイムでプレーすることも出来ました。
宇部市の強豪チームの2日間競技ではMIPもいただきました。
フットサル山口県予選決勝で敗退し、全国大会への夢が消え去りました。
出場した大会で、なかなか勝てなかった時期もありました。
それを吹っ切ることが出来た、乃木浜の天然芝での優勝と最優秀選手のダブル受賞。
九州遠征では17人目で決った壮絶なPK戦も経験しました。
主催者チームに決勝戦で勝利し、KY優勝した招待試合。
7人制3ピリオドマッチで強豪を倒しての優勝はボクたちのチームの個々の力を表現できました。
初めての海外遠征(韓国遠征)。帰りの高速船でひどい船酔いした苦い思い出。
2010年は、本当に、口惜しかったり嬉しかったりした瞬間、いろいろステージでプレーできた貴重な経験など、ボクにとってはめくりめく1年でした。
ボクにとって、すごく大切で貴重だった1年が終わりを告げようとしています。
GoodBye! 2010
Hello! 2011
そして、2011年は更に飛躍の年にしたいものです。
新たなステージの始まりです。
2011年も宜しくお願いします。
ボクにとって初めての海外遠征です。
ボクたちUFCの選手たちは12/24~12/27の日程で、韓国・梁山市へサッカー交流のため遠征しました。
韓国は30年ぶりの寒波だったらしく、とても寒い遠征になりました。
でも、試合や観光や買い物など遠征を満喫しました。
しかし・・・・・・・遠征は平和には終わりませんでした。
この後、ボクに悲劇が待っていようとは・・・・・・・。
すべての日程が終わって帰路に着きました。
後は、高速船ビートルに乗って福岡港へ。福岡からバスに乗って高速道路で宇部へ。
を、残すだけだったんですが・・・・・・。
その日は、波が高く、船が大きく揺れました。
ボクは、ひどい船酔いになってしまいました。
”ウェ~~~~” とうとう嘔吐してしまいました。
結局5回吐いてしまいました。
ボクはぐったりしてしまいました。
最後の最後に、韓国遠征の難敵が現れました。
バスに乗る時も気持ち悪いままでした。
高速道路の古賀サービスエリアに着き、頑張って”ちゃんぽん”を食べました。
そうしたら、気分が直り、随分楽になりました。
指導者の先生たちや、UFCの仲間たちと一緒に過ごした4日間は、ボクにとって最高の思い出となりました。
とても楽しみにしていた韓国遠征は、あっという間に終わってしまいました。
でも、また一つ、大きな経験をさせていただきました。
アンニョン!
12/23(木=天皇誕生日)2010年最後の招待試合、”K招待”が開催され、ボクたちのFCも参加させていただきました。
結果から報告すると、『優勝』し、2010年の有終の美を飾ることができました。
もう一つ報告することがあります。
第2試合、ボクは優秀選手(=MIP)に選出され、表彰状をもらいました。
取れてよかった・・・・・・!(ホッ) 何故ならば・・・・・・
大会が終了して、表彰式に行きました。
優勝の表彰が終わった後、いつも大変お世話になっている、今回の主催者のトレセンコーチに挨拶に行きました。
コウスケ 「Sコーチ。今日はありがとうございました。」
Sコーチ 「コウスケ、今日はどうだったか?」
コウスケ 「優勝しました」
Sコーチ 「コウスケ自身は?」
コウスケ 「2試合目に優秀選手賞をいただきました。」
Sコーチ 「それは、よかったな。表彰状もらって、よかったな。かっこよかっただろう?」
コウスケ ?????????
Sコーチ 「あの賞状はオレが作ったんだよ。かっこよかっただろ。」
コウスケ 「はい。(汗)」
ボクはつくづく思いました。
『優秀選手賞』が取れてよかった。っと。
取れなかったら、Sコーチにイジられヤバイことになっていました。
『Sコーチ、あざ~~~す。』
12/12(日)招待試合に参加させていただきました。
予選リーグ。山陽小野田市のクラブチームと美東町との強豪チームという、とても厳しいグループに入ってしまいました。
初戦、ボクはトップ下でプレーしました。先制点の起点になることも出来ました。
終わってみれば3-0で勝利、幸先良いスタートです。
第2戦目。今大会のヤマです。
今年の選手権のベスト4に進んだチームの骨格をなすチームとの対戦でした。
一進一退の攻防。この流れからすると、1点先制したチームが。そのまま1-0で勝つパターンの試合展開です。
ボクたちのチームは1点をもぎ取り、1-0で勝利し、グループ1位通過を決めました。
決勝トーナメント進出です。
決勝トーナメントの初戦、つまり準決勝は、攻めまくって大差で勝利しました。
しかし、このゲームは反省点・課題満載のゲームでした。
いよいよ決勝戦。対戦相手は主催者チームでした。
もちろん完全アウェー。
おまけに、ミスから1点を先行されてしまい、まずい展開です。
しかし、先ほどミスした選手が執念のゴールで同点。1-1で前半終了。
後半、途中勝ち越し点を期待されたボクはトップへポジションチェンジ。
すると、チームメイトが勝ち越し点を決めてくれました。
2-1でリード。でも。相手チームも自前の招待試合ですから、まったく諦める気配がありません。でも、もう1点取れば、ゲームの大勢が決ります。
トップのポジションのボクにロビングボールが飛んできました。
ゴールまで距離があるため、ヘディングシュートは決りそうにありません。
ボクが選択したのは、胸トラシュートでした。
イメージどおりに胸でトラップ。一度地面に落としたあと、右足(←ボクにとっては苦手なキックです)で、ハーフボレーシュート。
自分でもビックリするぐらいのドンピシャのシュートは、相手ゴールキーパーの指先を掠めて、強烈にゴールネットを揺らしました。
このシュートはボクにとって、今までも数多いゴールの中でも指折りのナイスゴールでした。
結局3-1で勝利し、優勝することができました。
そうです。主催者チームを破った。KY優勝となったわけです。
ボクによって、また一つ大切な大会となりました。
さあ、来週は、今年最大のライバルチーム(と、ボクが勝手に思っているだけで、向こうのチームは何とも思ってないかもしれませんが・・・・・・)の”T招待”です。
勝ち上がって、2週連続KY優勝を目指したいものです。
ボクは20歳の自分への手紙を書きました。
ですから8年後の自分へのメッセージということになります。
いくつかの自分が想像できました。
自分が一番なりたいものになるために、何をどうしたらいいかを考えました。
サッカー選手かなぁ?大学生かなぁ?仕事してるかなぁ?
20歳になった自分は12歳の時に想像した姿になっているかなぁ?
これとは別に、”目の前の目標”とそれを実現するために”やること”を書きました。
この目標はとても明確で具体的なものにしました。
そのために、頑張ることを書きました。また、そのために我慢することも書きました。
先ずは”目の前の目標”を達成するために、”やること”を実践するだけです。
”目の前の目標”は、”20歳の自分への手紙”の出発点になればいいなぁ!
サッカーとは関係ありません。
1980年の明日、ジョン・レノンが凶弾に倒れました。そう、あれから30年が経ちます。
オヤジはかなりのビートルズ・ファンでした。
(勿論、リアルタイムではありません。あしからず)
高校受験が終わったその足で、2枚組のLPを買うぐらい好きでした。
”ノルウェーの森”が収録された、『ラバーソウル』や、最高傑作とされる『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブバンド』や『アビー・ロード』や最後のアルバム『レット・イット・ビー』も持っています。ほとんどのアルバムを持っています。『オブ・ラ・ディ・オブ・ラ・ダ』や『シー・ラブズ・ユー』のシングルレコードも持っています。
2000年に発売された、THE BEATLES 『1』も発売と同時に買いました。結構、”語れるくらい”のファンです。
深夜12時過ぎにに、友人から電話が入りました。「ジョン・レノンが死んだ」と。
勿論、すぐには信じられませんでした。ラジオをつけると、すでに”追悼番組”が流れていました。
数日後、当時有名だったDJ渋谷陽一の追悼番組は今でも覚えています。
そして、皮肉にも、あの美しいメロディの『Happy Christmas』が流れました。
それ以降、オヤジにとってのChristmas Songはジョン・レノンの『Happy Christmas』です。
”War is Over” 込められた願いとは程遠い非業の死でした。
オヤジはこの季節になると、通勤の車の中で、何度かこの曲を流します。
クリスマスになると、ジョン・レノンの”Happy Christmas”が聴こえます。
あれから30年が経ちました。
今日(12/1)はボクにとって、大きなアクシデントが発生しました。
それは・・・・・・
ボクたちの小学校で、持久走大会が開催されました。
今までのボクは持久走があまり得意でなく、順位もよくありませんでした。
でも4年・5年と段々順位を上げてきました。
最後の持久走となる今大会は、大きな野望をもって臨みました。
今年の目標は3位以内です。
「それでは、6年生男子のスタートとなります」
先生がアナウンスしました。
”用意スタート” ボクは学年でダントツの友だちに付いていく作戦をとりました。
でも、その友だちは宇部市でもトップクラスのランナーです。
ボクはハイペースで走りました。
1週目、3位の好位置をキープして2週目に突入。この時、両足のふくらはぎに異常を感じていました。
2週目のはじめに、とうとう左足が筋肉の収縮不全(俗に言う、『足がつる』というやつです)を起こしてしまいました。ボクは止まってふくらはぎを伸ばしました。
そして、また走りはじめました。そしたら、今度は両足がつりました。
痛くて歩くのもままならない状態でした。
何度も立ち止まって、両足を伸ばしました。
同級生はそんなボクをどんどん抜かしていきます。
ボクは涙を堪えながら走り続けました。
もう止めたくなったけど、最後まで頑張ろうと思いました。
何度か、立ち止まって足を伸ばしながらゴールを目指しました。
やっとゴールが見えました。今までこんなにゴールが遠くに見えたことはありません。
なんとかゴール地点にたどり着きました。ゴールに入った瞬間ボクは立っていることができず、座り込んでしましました。特に左足の状態が悪く、つったままの状態で、すごく痛くて、泣いてしまいそうなほどでした。
結果は15位に終わってしまいました。
ボクは痛みが治まらないので、持久走大が終了した後、そのまま病院へ直行して、治療を受けました。
今年は、かなりいい線に行けそうだったので、とても残念でした。
でも、どんなに痛くても、どんなに心が折れそうになっても完走しました。
病院の先生は、『この状態で、よく完走したね。走りきっただけ、すごいことだよ』と、褒めて(?)くれました。
ボクの小学校最後の持久走大会が終わりました。
また、勝利の女神はボクに微笑んでくれませんでした。
勝利の女神って、ボクのことが嫌いなんだろうか?
ボクは真剣に悩んでしまいました。
いや、いや、勝利の女神は、後でいっぱい微笑むために、今はきっと、微笑むのを我慢してるに違いない!