最近、歳をとったせいか、やたらと青春時代のことを思い出すことが多いです。
私にとっての青春時代・・・というと、やっぱりアイドルとつながるんですが、特に、おニャン子クラブは外せない存在なんですね。
とはいえ、当時大学生の私には、すべてのレコードを買うほどの財政的余裕はありませんでしたから、レンタルで済ませていた作品も多かったです。
吉沢秋絵ちゃんのアルバムも、そういう状況下、持っていませんでした。
で、このたび、1stアルバム「彼女の夏」にその後の全シングルをカップリングしたスペシャルCDを買って聴いてみました。
でも、おニャン子現役時代に、秋絵ちゃんを特別好きだったことは、たぶんありません。でも、突然、なぜか、彼女の曲をじっくり聞きたい気分になったんですね。
秋絵ちゃんについては、以前このブログで2ndシングル「季節はずれの恋」で書いたんですが、あらためて曲を聴きながら、当時のことを思い出してみると、また違った感想を持ったので、あらためて書こうと思った次第です。
前回の記事で、「秋絵ちゃんはおニャン子らしくないおニャン子」という趣旨で書いたのですが、もしかしたら、おニャン子クラブというのは、秋絵ちゃんのようなコの集まりこそが本来の姿だったんじゃないか、と思うようになってきたんですね。
当時、斉藤由貴ちゃんの後を継ぐスケバン刑事候補のオーディションで合格しながら、結局スケバン刑事は南野陽子ちゃんとなり、秋絵ちゃんは準主役となったこと。また、おニャン子合格後即ソロデビューにたことによる、おニャン子内部での違和感。そういった、強い逆風を受けていた秋絵ちゃん、夕ニャン出演日数もあまり多くなかったです。
はたまた、歌の方はというと、はっきり言って、素人以下と言ってもいいかもしれません。
でも、そういう諸々を踏まえたとしても、やっぱり秋絵ちゃんは魅力的なおニャン子だった、と言いたいんです。おニャン子クラブのキャッチフレーズの1つに、「放課後のクラブ活動」というのがあったと思います。結果的に、秋絵ちゃんはおニャン子合格後すぐに「歌手」という立場に立ってしまったんですが、あの普通さ、あのほんわかさこそ、時代がおニャン子に求めていたものだったんじゃないかと思うようになってきました。
それに、歌手デビューしたとはいえ、あの歌唱はある意味、素人に徹しています。決してうまく歌おうとしていません。メロディに合わせて淡々と歌っているだけです。つまり、いわゆる音楽的には全くダメということかもしれません。
でも、当時のおニャン子人気の理由などを考えれば、あの秋絵ちゃんの歌こそがおニャン子らしさを体現した歌だと思うんです。
まあ、いろんな意見はあるでしょう。でも、私は今、秋絵ちゃんの舌っ足らずの甘え声の歌を聴くと、80年代の作られたアイドル路線に対するアンチ路線としてのおニャン子クラブの、典型的な姿がそこにあると思うのです。
おニャン子解散から20年以上経って、こんなCDが流通しているという事実が、おニャン子の存在意義を示しているのかもしれません。
奇しくも、ここ数年、ある意味「おニャン子的」なアイドル集団が乱立していますしね・・・。
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