千鳥足こと博多のおいしゃんの独り言

春は新卒の時期・・・・昔はおいしゃんも新入社員

最近、街中ば歩いとったら良う新入社員て思われる若者ば見ます。

真新しい腰が低い細身のズボンの黒いスーツの集団があちこちに・・
おなごの人も真新しか黒いスーツですぐにそれてわかりますったい。

たぶんどっかで研修中の昼休みでしょう。

公園に行ったらベンチでお弁当ば広げる若いOLさん。

こないだはお昼休みやろうと思われる男女がテニスばしよりました。

おいしゃん若いころテレビのドラマやら小説で
お昼休みに職場の屋上でバレーボールやらして過ごすとば
見たりして憧れとりましたばってん

現実は・・・
大学の卒業式前にすでに入社式の後、研修で
卒業式やら出とりません。

「卒業式より今からの仕事が大事でしょう」とは
当時の総務部長の言葉やったです。

入社してからの1年間は倉庫で内勤、
商品の振り分けやら出荷作業に追われ連日10:00ば過ぎる残業の日々
ほとんど毎日夕食は出前の残業食でした。

婦人服部ブラウス1課ていうの上もん担当の部署やったけん
売り場ではブラウスやらカットそーセーターば畳んで片づける毎日。
仕入れのバイヤーが広げて商品見たとば
奇麗に元通り畳んでビニル袋に入れて陳列しなおさないかん
これが一番嫌いな仕事やったです。

最初の頃は服飾辞書片手にヒートカットやらラグラン袖やらジャガード織やらの
意味ば一生懸命勉強しよりましたやね。

こう見えても展示会の飾りつけは上手やったとですばい。
先輩女子社員が飾ったとば「そらちょっとギョウラシカっちゃなかですか?」て言うたら
「それなん?」て・・通じんと。
「山の時には休むしあいつはしっかり博多んもんやね」て
職場では言われとりました。
当時の部長が以前恵比須流で山に出たことのあって
「赤手拭ならしょうが無かろう」て
山の間の有給、早帰りは大目に見て貰えたとは助かりましたやね。

辛かったとは山の夜警・・・
まだ赤手拭駆け出しやったけん朝まで寝ずの番して
明け方着替えてそのまんま広島出張・・あんときは辛かった。

当時、今のごと洒落たマネキンやらありません。
当時慰安旅行の出しものでマネキンのかつら被って女性社員に念入りに
化粧して貰うて女装してファッションショーばしたことのあります。
衣装はなんぼでもありますけん。
そしたら出荷場の中年おいしゃんたちに抱きつかれて困ったもんやった。

1年過ぎて営業担当貰うたとは筑豊と山口以北地区。

さびれた筑豊の炭鉱街やら・・・・はたまた
当時高速も通って無かったけん山口まで車で行って
新幹線に乗り換え思いサンプルケース抱えて広島まで通ぅたもんでした。

当然、会社におっても前述のお昼休みの光景やらは
夢のまた夢やったです。

仕事の内容は別にしてその当時の職場は若か社員が多く
楽しか職場やったです。

部署単位で泊まりで宴会行ったり、上司の引越しに課ばあげて手伝いに行ったり。

今思えば懐かしゅうございます。

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